それでは、その他には後世への遺物はないのでしょうか。
なるほど、文学者になることは、やさしいこととは思いますが、しかし、誰でも文学者になることは、実際には望まれることではありません。
たとえばそれは、学校の先生が、・・・ある人が言うように、誰でも大学に入って学士の称号を取り、その上にアメリカへでも行って学校を卒業して来れば、それで先生になれると思うのと同じことです。
私の通っていたアマースト大学のシーリー教頭が、「この学校では月謝を払えば、地質学を研究する人、動物学を研究する人など、いくらでも学者は育てられる。しかしながらそれを教えることができる人は実に少ない」とたびたび仰っておられたことを今でもよく覚えています。
これは我々が深く考えるべきことで、学校さえ卒業さえすれば、必ず先生になれるという考えは持ってはならないと思います。学校の先生になるということは、特別の天職だと私は思っています。
良い先生というものは必ずしも大学者ではありません。私が札幌におりました時にクラーク先生という教師がいて、植物学を受け持っていました。その頃には我々はクラーク先生を第一級の植物学者だと思って、先生の言われることは植物学上誤りのないことだと思っていました。
ところが彼の本国であるアメリカに行って聞くと、ある学者などは、「クラークが植物学について口を利くとは不思議だ」と言って笑っていました。
しかしとにかく、先生は教えるということについてはカリスマ的な力を持っていた人でした。どういう力かというと、植物学を青年の頭の中に注ぎ込んで、植物学という学問に対してInterest(興味)を起こさせることができる人でした。
ですから学問さえあれば誰でも先生になれるという考えは、捨て去ってしまわなければなりません。先生になる人は、学問ができるよりも、-学問もなくてはなりませんが-それを伝えることができる人でなければなりません。これは一つの才能です。ここに非常に重要な意味が含まれています。たとえ我々が文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、必ずしも誰にでもなれるものではないと思います。
ここに至ってまたこういう問題が出て来ます。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったら、後世に何も遺すことができないかという問題です。私は無用の人間として、平凡な人生を送り死んで行かなければならないのでしょうか?
私はそれよりももっと大きい、今度は前の三つとは違いまして誰にも遺すことのできる最大遺物があると思います。これは実に最大遺物です。金も事業も大いなる遺物に違いありませんがこれらを最大遺物ということはできません。文学も後世への価値ある遺物とは思いますが、私はこれを最大遺物と言うことはできません。
その理由の一つは、誰にでも遺すことのできる遺物ではないからです。そればかりではなく、その結果は必ずしも害のないものではありません。お金は用い方が悪いと、たいへん害をもたらすものです。事業も同じです。クロムウェルの事業とか、リビングストンの事業はたいへん利益があります代わりにまた害が伴っています。また本を書くことも、その中に善いこともあり、また悪いこともたくさんあります。我々はそれを完全なる遺物または最大遺物と名づけることはできません。
それならば最大遺物とは何でしょうか?誰にでも遺すことができる遺物、利益ばっかりで害のない遺物、それは「勇ましい高尚な生涯」だと私は思います。つまり「この世の中は決して悪魔が支配する世の中ではなく、神が支配する世の中だ」と言うこと、「失望の世の中ではなく、希望の世の中だ」と言うことを信じ抜いて生きる生涯です。それを生涯かけて実践し、世の中への贈り物としてこの世を去るということです。
今までの偉大な人々の事業や文学を考えて見ます時に、それらはその人の生涯に比べれば実に小さい遺物だろうと私は思います。
パウロの書簡は実に有益ですけれども、彼の生涯に比べれば価値のはなはだ少ないものではないでしょうか?彼自身はこれらよりもはるかに偉大な存在だと思います。
クロムウェルがアングロサクソン民族の王国を造ったことは大事業ですけれども、彼があの時代に立ち上がって自分の思想を実行し、勇壮な生涯を送ったことは、その十倍も、百倍も価値のあることではないかと考えます。
私は昔からトーマス・カーライルの本を非常に愛読しそれを読んで利益を得、刺激を受けて来ました。そして彼を非常に尊敬しています。けれども、私は彼の書いた四十冊ほどの本をみな集めてみても、カーライル彼自身の生涯に比べた時には、それらは実に価値の低いものだと思います。
先日カーライル伝を読んでそのことを強く感じました。彼の著したもので一番有名なのは、「フランス革命史」です。この本を読む人は、今から百年ばかり前のフランス革命の歴史を目の前に活きている絵のように見せてくれることに感動するでしょう。
しかしながら彼の生涯の実験を見ますと、この本よりもまだまだ立派なものがあります。その話しは長いのですが、ここにみなさんにお話しすることを許していただきたい。
カーライルがこの書を著すのは彼にとってほとんど一生涯の仕事でした。広く材料を集めて、歴史的研究を凝らして出来上がった本です。何十年かかかって、実に カーライルの生涯の血を絞って書いたといっても過言でないものです。
彼はこれを原稿用紙に書いておいて、出版する時機を待っていました。ある時友人が来て、カーライルがその話しをしたら、「実に結構な書物だ。今晩一読を許してもらいたい」と言いました。カーライルは他人の批評を仰ぎたいと思ったので、それを貸してあげました。その友人はそれを家へ持って行きました。すると友人の友人がやって来て、これを手に取って読んで見て「これは面白い本だ。一つどうか今晩私に読ませてくれ」と言った。そこで友人が「明日の朝、早く持って来い。それならば貸してやる」と言って貸してあげた。するとこの人はまたこれを家へ持って行って一生懸命に読んで、明け方まで読んだが、明日の仕事に妨げになるというので、その本を机の上に放りっぱなしにして、床について寝入ってしまった。翌朝下女がやって来て、彼の起きない前にストーブに火をつけようと思って、何かいい反古紙はないかと思って調べたところ、机の前に書いたものがだいぶ散らかっていたので、これはいいだろうと思って、それをみんな丸めてストーブの中に入れて火をつけて焼いてしまった。カーライルの何十年かかかって書いた「革命史」が三分か四分の間に煙となってしまった。それで友人がこのことを聞いて非常に驚いた。なんとも言うことができない。紙幣を焼いたならば、紙幣で償うこともできる。家を焼いたならば、家を建ててやることもできる。しかし思想の凝ってなったもの、熱血を注いで何十年かかって書いたものを焼いてしまったものは、償いようがない。死んだものはもう生き返らない。そのために腹を切ったところで、何も変わりません。それで友人に話したところ、友人も実際どうすることもできず、一週間黙っていた。何と言っていいか分からない。仕方がないから、そのことをカーライルに言った。
その時、カーライルは十日ばかりぼんやりして何もしなかったと言うことです。さすがのカーライルもそうだったろうと思います。それで腹が立った。ずいぶん短気の人でしたから非常に腹を立てた。彼はその時は歴史の本などはほうりだして、つまらない小説を読んでいたそうです。しかしその間に自分に帰って「トーマス・カーライルよ、お前は愚人だ。お前の書いた「革命史」はそんなに貴重なものではない。最も尊いのはお前がこの困難に耐え再び筆を取ってそれを書き直すことだ。それがお前のほんとうに偉いところだ。実にこのことについて失望するような人間が書いた「革命史」を社会に出しても、役に立たない。だからもう一度書き直せ」と言う内なる声を聞いて、自分で自分を鼓舞して、再び筆を取って書いたのが「フランス革命史」です。
この話しはこれだけです。しかし、我々がその時のカーライルの心情を理解しようとすると、実に想像に余りあります。カーライルの偉いところは「革命史」という本によってではなく、火で焼かれたものを再び書き直したと言うことです。もしその本が残っていなくとも、彼は実に後世への大いなる遺物を遺したのです。たとえ我々がいくらやり損なっても、いくら不運にあっても、その時に事業を捨ててはならない、勇気を奮い起こして再びそれに取り掛からなければならないという心を起こしてくれます。これによって、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないでしょうか?
今の日本は、金がない、事業が少ない、良い本がない、と人々は言います。しかし、日本人お互いが今必要としているのは何でしょうか?私が考えるに、今日の第一の欠乏はLife(生命)だと思います。
近頃はしきりに学問や教育、すなわちCulture(修養)ということが大きな関心事になっています。我々はどうしても学問をしなければならない。またどうしても我々は青年に学問を注ぎ込んで、後世の人に伝えなければならないと言います。
このことは大変良いことですが、もし我々が今から百年後にこの世に生まれて来たとして、明治二七年頃の歴史を読むとすればどうでしょう。ここにも学校や教会、青年会館が建っている。それはある人がアメリカに行って金をもらって来て建てたとか、あるいはこういう運動をして建てたかという時に、「ああ、とても私にはそんなことはできない。今ではアメリカに行って金はもらえまい。私にはそういう真似はできない。私はそういう事業はできない」と言って失望するでしょう。
すなわち彼らは、学校や教会という建物を受け嗣ぐかも知れないが、彼ら自身を動かす大切な原動力をもらわない。
ところが、もしここに売却してみたところでほんのわずかの価値しかない教会が一つあったとします。それが建った歴史を聞いた時にこういう歴史だったとします。・・・
この教会を建てた人はほんとうに貧乏で、学問も別にない人だった。けれども彼は自分の全ての浪費を節約して、全ての欲情を去って、ただ自分の力だけに頼ってこの教会を建てた。・・・
こういう事を知ると私にも勇気が起こって来ます。彼にできたならば、自分にもできないことはない。私も一つやってみようと言うようになる。
さて、ここで私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑と言っても良い人の話しをしましょう。その人は、ちょうど我々が泊まっているこの箱根の山の近所に生まれた人で二宮金次郎という人です。
この人の伝記を読んで私は非常に感動し、大きな感化を受けました。彼の事業はそれほど日本に広がってはいません。全部まとめてみても、二十カ村か、三十カ村かの人民を救っただけに止まっています。
しかしこの人の生涯が私に感動を与え、今日の日本の多くの人を感動させるわけは何かと言いますと、この人は事業ではなく、「生涯」という贈り物を遺したのです。
この人は十四歳の時に父を失い、十六歳の時に母を失い、家が貧乏で何もなく、そのために残酷な伯父に預けられた人です。兄弟は弟一人、妹一人がありました。 では孤児のようなこの人がどうして生涯を立て直したかというと、伯父さんの家で手伝いをしている間に本が読みたくなった。夜、油の明かりで本を読んでいると伯父さんに叱られた。高い油を使って本を読むなどと言うことは馬鹿馬鹿しいと言って読ませなかった。それで、川辺へ行って、菜種を蒔きました。一年かかって菜種を五、六升も取り、それを油屋へ行って油と取り換えて来て、それからその油で本を読みました。
ところがまた叱られた。「油が自分のものなら本を読んでも良いと思うのは見当違いだ。お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするくらいなら、その時間に縄を撚れ」と言われた。それからまた仕方がないから伯父さんの言うとおり終日働いて、その後本を読んだ。・・・
こういう苦学をした人です。村人が遊んでいるお祭りの日などに、近所の畑の中に洪水で沼になったところに田んぼを作って稲を植えた。こうして初めて一俵の米を取った。
その人の自伝によると「米を取った時の私の喜びは何とも言えなかった。これは天が私に初めて直接に授けたもので、その一俵は私にとって百万俵の価値があった」と言っている。それからその方法をだんだん続けて二十歳の時に伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っていた。それからやり上げた人です。 それでこの人の生涯を始めから終わりまでみますと、「この宇宙というものは天の造って下さったもので、実に恩恵の深いもので、人間を助けよう、助けようと思っている。だから我々が天地の法則にしたがって行動すれば、我々を助けてくれる」という考えを持っていました。そればかりでなく、その考えを実行しました。そしてついには多くの村々の農業を改良して献身的に働きました。江戸時代末期において、非常に功労のあった人です。
それで我々も二宮金次郎先生のような生涯をみますときに、「もしあの人にああいうことができたならば私にもできないことはない」という考えが沸いてきます。それは特別なものではありませんが、非常に意味のある生涯だと思います。人に頼らず神に頼り、宇宙の法則に従って生きて行けば、この世界は自分の願いどおりになるということを悟ることができます。彼の事業は小さかったけれども、彼の生涯は何と大きい生涯だったか知れません。
私だけでなく、多くの人々がこの人からインスピレーションを得ただろうと想像します。「報徳記」という彼の自伝を読むと、実に聖書を読むような感じがします。
ですからもし我々が事業を遺すことができずとも、二宮金次郎のような生涯を生きて行ったならば、我々は実にこの世に大事業を遺す人ではないかと思います。
長くなりましたから、もう終わりにしますが、最後に常に私の生涯に深い感動を与えて来た言葉をみなさまの前に繰り返したいと思います。
アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという女学校は古い女学校で、たいへんよい女学校です。この女学校に非常に偉大な女性がいました。その人は立派な物理学の機械に優って、立派な天文台に優って、あるいは立派な学者に優って、価値ある魂を持っていました。メリー・ライオンという人です。
彼女は日本の武士のような人で実に義侠心に満ち満ちていました。彼女が生徒たちに残した言葉は、女子ばかりではなく、男子をも励ますものです。彼女は生徒たちにこう言いました。
他の人が行くことを嫌うところへ行け。
他の人が嫌がることをなせ。
これがこの学校の土台石です。これが世界を感化した力ではないかと思います。
我々の多くは、他の人もするから自分もそうしようと言うのではありませんか?
しかし、我々に邪魔があればあるほど、反対があればあるほど我々は後世に勇ましい生涯を残すことができます。友だちがない、金がない、学問がないけれども、神の恩恵によって、我々の信仰によってこれらの不足に打ち勝つことにより、我々は非常な事業を遺すことができます。
この心がけをもって我々が毎日進みましたならば、我々の生涯は川のほとりに植えた木のように、だんだんと芽を吹き枝を生じて行くものだと思います。それは私の最大の希望であり、私の心を毎日慰め励ますものです。
我々は後世に遺すものは何もなくとも、あの人はこの世の中に生きている間、まじめな生涯を送った人だと言われるだけのことを後世の人に残したいと思います。
(完)
なお原文をお読みになりたい方は以下のホームページを参照して下さい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000034/files/519_2967.html
なるほど、文学者になることは、やさしいこととは思いますが、しかし、誰でも文学者になることは、実際には望まれることではありません。
たとえばそれは、学校の先生が、・・・ある人が言うように、誰でも大学に入って学士の称号を取り、その上にアメリカへでも行って学校を卒業して来れば、それで先生になれると思うのと同じことです。
私の通っていたアマースト大学のシーリー教頭が、「この学校では月謝を払えば、地質学を研究する人、動物学を研究する人など、いくらでも学者は育てられる。しかしながらそれを教えることができる人は実に少ない」とたびたび仰っておられたことを今でもよく覚えています。
これは我々が深く考えるべきことで、学校さえ卒業さえすれば、必ず先生になれるという考えは持ってはならないと思います。学校の先生になるということは、特別の天職だと私は思っています。
良い先生というものは必ずしも大学者ではありません。私が札幌におりました時にクラーク先生という教師がいて、植物学を受け持っていました。その頃には我々はクラーク先生を第一級の植物学者だと思って、先生の言われることは植物学上誤りのないことだと思っていました。
ところが彼の本国であるアメリカに行って聞くと、ある学者などは、「クラークが植物学について口を利くとは不思議だ」と言って笑っていました。
しかしとにかく、先生は教えるということについてはカリスマ的な力を持っていた人でした。どういう力かというと、植物学を青年の頭の中に注ぎ込んで、植物学という学問に対してInterest(興味)を起こさせることができる人でした。
ですから学問さえあれば誰でも先生になれるという考えは、捨て去ってしまわなければなりません。先生になる人は、学問ができるよりも、-学問もなくてはなりませんが-それを伝えることができる人でなければなりません。これは一つの才能です。ここに非常に重要な意味が含まれています。たとえ我々が文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、必ずしも誰にでもなれるものではないと思います。
ここに至ってまたこういう問題が出て来ます。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったら、後世に何も遺すことができないかという問題です。私は無用の人間として、平凡な人生を送り死んで行かなければならないのでしょうか?
私はそれよりももっと大きい、今度は前の三つとは違いまして誰にも遺すことのできる最大遺物があると思います。これは実に最大遺物です。金も事業も大いなる遺物に違いありませんがこれらを最大遺物ということはできません。文学も後世への価値ある遺物とは思いますが、私はこれを最大遺物と言うことはできません。
その理由の一つは、誰にでも遺すことのできる遺物ではないからです。そればかりではなく、その結果は必ずしも害のないものではありません。お金は用い方が悪いと、たいへん害をもたらすものです。事業も同じです。クロムウェルの事業とか、リビングストンの事業はたいへん利益があります代わりにまた害が伴っています。また本を書くことも、その中に善いこともあり、また悪いこともたくさんあります。我々はそれを完全なる遺物または最大遺物と名づけることはできません。
それならば最大遺物とは何でしょうか?誰にでも遺すことができる遺物、利益ばっかりで害のない遺物、それは「勇ましい高尚な生涯」だと私は思います。つまり「この世の中は決して悪魔が支配する世の中ではなく、神が支配する世の中だ」と言うこと、「失望の世の中ではなく、希望の世の中だ」と言うことを信じ抜いて生きる生涯です。それを生涯かけて実践し、世の中への贈り物としてこの世を去るということです。
今までの偉大な人々の事業や文学を考えて見ます時に、それらはその人の生涯に比べれば実に小さい遺物だろうと私は思います。
パウロの書簡は実に有益ですけれども、彼の生涯に比べれば価値のはなはだ少ないものではないでしょうか?彼自身はこれらよりもはるかに偉大な存在だと思います。
クロムウェルがアングロサクソン民族の王国を造ったことは大事業ですけれども、彼があの時代に立ち上がって自分の思想を実行し、勇壮な生涯を送ったことは、その十倍も、百倍も価値のあることではないかと考えます。
私は昔からトーマス・カーライルの本を非常に愛読しそれを読んで利益を得、刺激を受けて来ました。そして彼を非常に尊敬しています。けれども、私は彼の書いた四十冊ほどの本をみな集めてみても、カーライル彼自身の生涯に比べた時には、それらは実に価値の低いものだと思います。
先日カーライル伝を読んでそのことを強く感じました。彼の著したもので一番有名なのは、「フランス革命史」です。この本を読む人は、今から百年ばかり前のフランス革命の歴史を目の前に活きている絵のように見せてくれることに感動するでしょう。
しかしながら彼の生涯の実験を見ますと、この本よりもまだまだ立派なものがあります。その話しは長いのですが、ここにみなさんにお話しすることを許していただきたい。
カーライルがこの書を著すのは彼にとってほとんど一生涯の仕事でした。広く材料を集めて、歴史的研究を凝らして出来上がった本です。何十年かかかって、実に カーライルの生涯の血を絞って書いたといっても過言でないものです。
彼はこれを原稿用紙に書いておいて、出版する時機を待っていました。ある時友人が来て、カーライルがその話しをしたら、「実に結構な書物だ。今晩一読を許してもらいたい」と言いました。カーライルは他人の批評を仰ぎたいと思ったので、それを貸してあげました。その友人はそれを家へ持って行きました。すると友人の友人がやって来て、これを手に取って読んで見て「これは面白い本だ。一つどうか今晩私に読ませてくれ」と言った。そこで友人が「明日の朝、早く持って来い。それならば貸してやる」と言って貸してあげた。するとこの人はまたこれを家へ持って行って一生懸命に読んで、明け方まで読んだが、明日の仕事に妨げになるというので、その本を机の上に放りっぱなしにして、床について寝入ってしまった。翌朝下女がやって来て、彼の起きない前にストーブに火をつけようと思って、何かいい反古紙はないかと思って調べたところ、机の前に書いたものがだいぶ散らかっていたので、これはいいだろうと思って、それをみんな丸めてストーブの中に入れて火をつけて焼いてしまった。カーライルの何十年かかかって書いた「革命史」が三分か四分の間に煙となってしまった。それで友人がこのことを聞いて非常に驚いた。なんとも言うことができない。紙幣を焼いたならば、紙幣で償うこともできる。家を焼いたならば、家を建ててやることもできる。しかし思想の凝ってなったもの、熱血を注いで何十年かかって書いたものを焼いてしまったものは、償いようがない。死んだものはもう生き返らない。そのために腹を切ったところで、何も変わりません。それで友人に話したところ、友人も実際どうすることもできず、一週間黙っていた。何と言っていいか分からない。仕方がないから、そのことをカーライルに言った。
その時、カーライルは十日ばかりぼんやりして何もしなかったと言うことです。さすがのカーライルもそうだったろうと思います。それで腹が立った。ずいぶん短気の人でしたから非常に腹を立てた。彼はその時は歴史の本などはほうりだして、つまらない小説を読んでいたそうです。しかしその間に自分に帰って「トーマス・カーライルよ、お前は愚人だ。お前の書いた「革命史」はそんなに貴重なものではない。最も尊いのはお前がこの困難に耐え再び筆を取ってそれを書き直すことだ。それがお前のほんとうに偉いところだ。実にこのことについて失望するような人間が書いた「革命史」を社会に出しても、役に立たない。だからもう一度書き直せ」と言う内なる声を聞いて、自分で自分を鼓舞して、再び筆を取って書いたのが「フランス革命史」です。
この話しはこれだけです。しかし、我々がその時のカーライルの心情を理解しようとすると、実に想像に余りあります。カーライルの偉いところは「革命史」という本によってではなく、火で焼かれたものを再び書き直したと言うことです。もしその本が残っていなくとも、彼は実に後世への大いなる遺物を遺したのです。たとえ我々がいくらやり損なっても、いくら不運にあっても、その時に事業を捨ててはならない、勇気を奮い起こして再びそれに取り掛からなければならないという心を起こしてくれます。これによって、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないでしょうか?
今の日本は、金がない、事業が少ない、良い本がない、と人々は言います。しかし、日本人お互いが今必要としているのは何でしょうか?私が考えるに、今日の第一の欠乏はLife(生命)だと思います。
近頃はしきりに学問や教育、すなわちCulture(修養)ということが大きな関心事になっています。我々はどうしても学問をしなければならない。またどうしても我々は青年に学問を注ぎ込んで、後世の人に伝えなければならないと言います。
このことは大変良いことですが、もし我々が今から百年後にこの世に生まれて来たとして、明治二七年頃の歴史を読むとすればどうでしょう。ここにも学校や教会、青年会館が建っている。それはある人がアメリカに行って金をもらって来て建てたとか、あるいはこういう運動をして建てたかという時に、「ああ、とても私にはそんなことはできない。今ではアメリカに行って金はもらえまい。私にはそういう真似はできない。私はそういう事業はできない」と言って失望するでしょう。
すなわち彼らは、学校や教会という建物を受け嗣ぐかも知れないが、彼ら自身を動かす大切な原動力をもらわない。
ところが、もしここに売却してみたところでほんのわずかの価値しかない教会が一つあったとします。それが建った歴史を聞いた時にこういう歴史だったとします。・・・
この教会を建てた人はほんとうに貧乏で、学問も別にない人だった。けれども彼は自分の全ての浪費を節約して、全ての欲情を去って、ただ自分の力だけに頼ってこの教会を建てた。・・・
こういう事を知ると私にも勇気が起こって来ます。彼にできたならば、自分にもできないことはない。私も一つやってみようと言うようになる。
さて、ここで私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑と言っても良い人の話しをしましょう。その人は、ちょうど我々が泊まっているこの箱根の山の近所に生まれた人で二宮金次郎という人です。
この人の伝記を読んで私は非常に感動し、大きな感化を受けました。彼の事業はそれほど日本に広がってはいません。全部まとめてみても、二十カ村か、三十カ村かの人民を救っただけに止まっています。
しかしこの人の生涯が私に感動を与え、今日の日本の多くの人を感動させるわけは何かと言いますと、この人は事業ではなく、「生涯」という贈り物を遺したのです。
この人は十四歳の時に父を失い、十六歳の時に母を失い、家が貧乏で何もなく、そのために残酷な伯父に預けられた人です。兄弟は弟一人、妹一人がありました。 では孤児のようなこの人がどうして生涯を立て直したかというと、伯父さんの家で手伝いをしている間に本が読みたくなった。夜、油の明かりで本を読んでいると伯父さんに叱られた。高い油を使って本を読むなどと言うことは馬鹿馬鹿しいと言って読ませなかった。それで、川辺へ行って、菜種を蒔きました。一年かかって菜種を五、六升も取り、それを油屋へ行って油と取り換えて来て、それからその油で本を読みました。
ところがまた叱られた。「油が自分のものなら本を読んでも良いと思うのは見当違いだ。お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをするくらいなら、その時間に縄を撚れ」と言われた。それからまた仕方がないから伯父さんの言うとおり終日働いて、その後本を読んだ。・・・
こういう苦学をした人です。村人が遊んでいるお祭りの日などに、近所の畑の中に洪水で沼になったところに田んぼを作って稲を植えた。こうして初めて一俵の米を取った。
その人の自伝によると「米を取った時の私の喜びは何とも言えなかった。これは天が私に初めて直接に授けたもので、その一俵は私にとって百万俵の価値があった」と言っている。それからその方法をだんだん続けて二十歳の時に伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っていた。それからやり上げた人です。 それでこの人の生涯を始めから終わりまでみますと、「この宇宙というものは天の造って下さったもので、実に恩恵の深いもので、人間を助けよう、助けようと思っている。だから我々が天地の法則にしたがって行動すれば、我々を助けてくれる」という考えを持っていました。そればかりでなく、その考えを実行しました。そしてついには多くの村々の農業を改良して献身的に働きました。江戸時代末期において、非常に功労のあった人です。
それで我々も二宮金次郎先生のような生涯をみますときに、「もしあの人にああいうことができたならば私にもできないことはない」という考えが沸いてきます。それは特別なものではありませんが、非常に意味のある生涯だと思います。人に頼らず神に頼り、宇宙の法則に従って生きて行けば、この世界は自分の願いどおりになるということを悟ることができます。彼の事業は小さかったけれども、彼の生涯は何と大きい生涯だったか知れません。
私だけでなく、多くの人々がこの人からインスピレーションを得ただろうと想像します。「報徳記」という彼の自伝を読むと、実に聖書を読むような感じがします。
ですからもし我々が事業を遺すことができずとも、二宮金次郎のような生涯を生きて行ったならば、我々は実にこの世に大事業を遺す人ではないかと思います。
長くなりましたから、もう終わりにしますが、最後に常に私の生涯に深い感動を与えて来た言葉をみなさまの前に繰り返したいと思います。
アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという女学校は古い女学校で、たいへんよい女学校です。この女学校に非常に偉大な女性がいました。その人は立派な物理学の機械に優って、立派な天文台に優って、あるいは立派な学者に優って、価値ある魂を持っていました。メリー・ライオンという人です。
彼女は日本の武士のような人で実に義侠心に満ち満ちていました。彼女が生徒たちに残した言葉は、女子ばかりではなく、男子をも励ますものです。彼女は生徒たちにこう言いました。
他の人が行くことを嫌うところへ行け。
他の人が嫌がることをなせ。
これがこの学校の土台石です。これが世界を感化した力ではないかと思います。
我々の多くは、他の人もするから自分もそうしようと言うのではありませんか?
しかし、我々に邪魔があればあるほど、反対があればあるほど我々は後世に勇ましい生涯を残すことができます。友だちがない、金がない、学問がないけれども、神の恩恵によって、我々の信仰によってこれらの不足に打ち勝つことにより、我々は非常な事業を遺すことができます。
この心がけをもって我々が毎日進みましたならば、我々の生涯は川のほとりに植えた木のように、だんだんと芽を吹き枝を生じて行くものだと思います。それは私の最大の希望であり、私の心を毎日慰め励ますものです。
我々は後世に遺すものは何もなくとも、あの人はこの世の中に生きている間、まじめな生涯を送った人だと言われるだけのことを後世の人に残したいと思います。
(完)
なお原文をお読みになりたい方は以下のホームページを参照して下さい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000034/files/519_2967.html