植物新種の創造家、 ルーサー・バーバンク・栗原基著よりの抜粋
序;(新渡戸稲造)
ルーサー・バーバンクは現代の文明人にはトーマス・エジソンやヘンリーフォードと共に忘るべからざる恩人である。彼は植物界の発明王とも称せられるべき人であって、その意味においては、電気界や自動車界に新機軸を出した人々と轡を並べて行くべき人だと思う。
ある人々は、文明とは自然の懐から離れて、都会の温室に栽培された植物のように考え、人為的技巧の支えなしには一日も存続することのない、特別な存在のように考えている。しかし、これは真の文明ではない。文明とは人類社会の発展途上における一形態であって、それが健全であり、また人類の福祉を増加するためには、いつも自然と離れることのない関係を結び、常に自然の理法に従うべきものである。自然の恩恵なしに真の文明は存在し得ない。単に機械文明の一面に頼って、そこに人生の安住の地を見出しえないことは明らかである。
ややもすれば皮相に陥り易い機械文明や都会文明よりも、一層人生の福祉を増進する文明生活にとってはルーサー・バーバンクの業績は、極めて深い関係がある。何故なら、彼は人類に最も親しく交渉のある植物生態の神秘を開き、その絶大な可能性を我々に教えてくれたからである。四季に咲き匂う草花は彼の手に触れて一層美観を添え、我々が口にする果実は彼独特の調味を加えて、いよいよ味覚をそそり、また成長が遅々として容易に人間の用に供されないだろうと思われていた樹木までも、一度彼が顧みれば、著しい成長の速度を加えるに至った。こうして人生の環境は、彼によってますます華やかとなり豊かになった。
次にバーバンクにおいて最も愉快に感ずることは、彼が一生の間に完成しただけの業績を採って見ても、人類の前途に一段と光明が投ぜられるに至ったことである。彼は野生の植物を栽培して、人生に一層有用なものとするために長い年月にわたって、辛抱強い実験を試みた。そして彼はこの経験から出発して次のように考えた。
「人間の道徳的生活や文学、芸術、科学などは、野蛮な貪欲や利己心や所有欲のためにいつもその発達を妨げられているが、これは未だに人間の精神生活が初歩の段階に属しているためである。ちょうどサボテンの刺を取ってやっても、始めのうちはいつの間にか元に戻って、再び刺が生えてくるようなものである。しかし、教育修養を十分に行なって、一方では環境が改良されるに至ればいつかはきっと人間のこれまでの野蛮性が衰えて、もっと清廉潔白にして正義仁愛が重んぜられることになり、もろもろの精神的美徳が十分にその機能を発揮するに至るだろう。そうして社会も国家も全世界も、次第に旧態を脱ぎ捨ててもっと我々の住み心地の良い場所となるであろう。」
バーバンクは、植物改良によって、人類の可能性を暗示し、そして人間社会の将来に一大光明を投じてくれた。もちろん彼の主張は、未だに人類に応用するには至らなかったが、ただ我々はこれによって将来の人類発展の前途が非常に多望であり、かつ光栄に満ち溢れていることを考えさせられ、少なからず元気づけられる感じがする。その功績は決してユートピアンの空想談の比ではない。彼の、詩のように美しい実験の中には、社会改革の原理が立派に示されておらないまでも、そこに一大教訓が展開されていることを認めるのである。そしてこれによって我々は必ずや将来、楽園回復のミレニアムを迎える時代に到着するだろうとの信念を抱くのである。
バーバンクの七七歳の人生は決して短くはないが、彼に言わしめれば、彼の事業はほんの緒に着いたばかりであった。それでも彼の手によって三千種を超える植物が改良され、数多くの新品種が作り出された。その多くはまったく人の意表に出るものばかりであって、彼以外にこれを試みることができる人は恐らく絶えてないであろう。その中、彼の代表的作品と見るべきものはサボテンの改良である。サボテンの原語「カクトス」の意味は刺と言うことであるくらいに、全身これ刺である植物が、彼の十数年間の苦心によってその刺を脱落し、転じて人類と生物の味方となるに至った事実には、極めて意味深長な暗示が含められている。そのことは彼がサボテンについて述べている一種の人生哲学において明らかに示されている。我々はこれによって、個人が無知と迷信と貪欲を捨てて、聡明と英知、慈悲心と愛他主義を採るように、社会は弱者の虐待と階級闘争から救われ、国家は武装解除をなして国際互助の平和を喜ぶ光栄ある時代を迎えるであろうことを教えられるのである。
・ ・・・以下略
<植物と人生>
・・・・しかし、事実、自然を離れ植物の存在を忘れて、純朴な人生があり得るだろうか。植物の生存を蹂躙して、人間に生き生きとした生活があるであろうか。人間が植物に感謝し、謙遜に、快活に、平凡な人生を美化して行く時にこそ、昔の預言者の幻に現れた健全な人間生活が、新しく芽を吹き出すであろう。
<バーバンクの講演の一節>
「果たして何人がよく、花の我々に与える向上浄化の感化力と道徳的価値とを測り知ることができるでしょう。その優にやさしき姿、その人の心を奪うばかりの色彩の濃淡と配合、その捉えがたい香り-これから洩れる無言の感化力は、それと心に思わぬまでも、いつとはなしに、我々に感染せられる。またその良き果実、種、および美しい花によって、地上はここに更新の春を迎え、人の心は卑しい破壊の斧を捨てて、いつしか尊い建設の力を養う。かくして人は同胞に供するに、弾丸と銃剣とにあらず、豊富な穀物、良き、甘き果実、より美しき花を与えんとする、幸多き日を迎えんために働くであろう。」
<バーバンクの警句>
「報酬を当てにして大事業を成し遂げた例はなかった。」
「私の生きているために不幸になった人は一人もないようにしたいものである。」
「無知は許されぬ唯一の罪悪である。」
「否と言われぬ人は滅多に然りと言う機会もない。」
「最大の幸福は人を幸福にすること、次に幸福なことは人に考えさすことである。」
また、彼は食膳に当たり、よく見える場所に、次のエマーソンの言葉を掲げて日夕これを吟唱した。
「その日その日が最善の日なりと心に記せ。・・・・人はその日その日が最後の裁判なりと信ずるまでは、真に徹底的にものを知ったとは言われない。・・・今日という日は王様の仮装した姿である。すべての良き立派な幸せな行為が、まさしく何らの変哲もない<今日>の集合から作られることを以って見れば、今日を卑しいと思う人は思慮なき人である。我々はよろしく欺かれることなく、王様の御幸に際し、その仮装を剥ぎ取ってやらねばならぬ。」
バーバンクは十三番目の子供であった。しかし多くは夭折して、結局彼とその後生まれた妹エマと、弟アルフレッドとが、主として両親の撫育を受けることになった。・・・バーバンクが興味を持って感じたことは、もし当時このような多産主義が実行されなかったら、彼もまた生まれなかったであろうし、彼が植物改良に採用した大量生産から淘汰する方法も、案出しなかったであろう。
もちろん、それ以上にもっと大切なことは、彼の母が人並み勝れた自然の愛好者であったことである。これが彼に伝わって彼の偉業をなす素質を作ったことを忘れることはできない。
バーバンクの生誕の地はニューイングランド州の粋を集めた景勝の地で、楡の大樹が鬱蒼として茂り、ナシュア河の水清く、林地に囲まれた美しい湖水がここかしこに藍碧を湛え、四季の花は野に山に咲き乱れていた。
ランカスターの彼の生家は周りを緑樹に囲まれた赤レンガの建物であって、そこはバーバンクの少年時代においては、地方の知識社会の中心のようであった。教会の牧師、学校の教師或いは講演に来た学者など、いつも頻繁にここに出入りし、種々の問題を論議した。
<父の家業;百姓からレンガ製造業へ>
バーバンクは機械好きで、小さな蒸気機関を作ってそれを小船に据えつけて推進させることができた。中学に入ったときに一番得意だったのは、自由画や図案だった。
木工所で働いていた時、彼は鋤の製造機械を改良した。また、旋盤も改良して生産能力を高めたが、その樫材から出るほこりのために、健康を損ね、以来木工業とは永久に別れを告げた。
また一年ほど医学の研究に没頭したが、父親の死によって計画は覆され、とうとう園芸家になった。
特に彼にこの決心を促したものに、ダーウィンの「動植物飼養論」がある。
そこには、一切の生命はすべて低級なものから進化したこと、したがって種なるものは固定不変のものでなく、環境の影響にしたがって変化するものだと言うことが書かれていた。しかし、何人も未だ容易に種の変化の範囲や、現存する生物の変化する可能性について、実際に考察を試みるには至っていなかった。
彼はこの書を読んで以来、植物が彼に向かって、その持っている生物変化の可能性を試し、その特徴を研究し、もってその成長発展の新標準を決定するように、挑戦して来ているような感に打たれた。父親から受けた哲学的素質と母親より伝えられた自然に対する愛情とは、ダーウィンの与えた霊感によって、著しく生気溌剌たるものとなったのである。
バーバンクはしかし、単に空想に陶酔する人ではなかった。早速ルーネンベルグの村里に十七エーカーの土地を買い求め、野菜の栽培や種苗の育種に従事し、その収穫を市場に出すことに着手した。・・・・
バーバンクがポテトの改良を思い立った一原因は、実はエマーソンの言葉に刺激されたとも言われている。
「都会は田舎によって補充される。伝えられるところによれば、一八〇五年において、欧州各国の正統の王者は悉く虚弱であった。もし山野からの補充がなかったら、都会はとうの昔に絶滅し、枯死し、姿を消してしまったであろう。今日の都市や宮廷は二日前都上りした田舎に過ぎない」
例えば、南米には蛇ポテトと称する半月形で乾しぶどうのようなものを産するが、このような原始的なポテトが、立派な味と香りのあるポテトを作り上げる材料として、必要欠くべからざる役目を務めることになった。
当時の果実に現れた一般の弱点は、一年或いは二年間くらいは継続して多くの結実を見るも、次の年にはほとんど結実しないという現象だった。・・・この原因の主なものとして、晩春の霜害、開花中の降雨などをはじめ、その他判然としない種々な障害があって、そのために果実産業が至って安心できない不確実な観を呈するのである。
そこで彼は、果樹を強靭にして、抵抗力あるものとなし、多少不利な境遇の下にあっても、良くこれに打ち勝ち、多産であり、かつ十分見込みの付くものにしようと決心した。その他害虫や病気にかからないだけの抵抗力を養成することに注意した。
そして外からの障害を受けやすい傾向のある種苗は容赦なくこれを切り捨て、そして残されたものを、比較的病害などにかからない種族の親木とした。またこれまで長く埋もれていた種々なる特徴を、再び発揮させるために、異種の植物を組み合わせて交配した。このために態々手で花粉を授ける試験を行い、年々幾千となくこれを実行し、異なった種属間の親和性の限界の及ぶ限り、これをどこまでも倦まずに実験してみた。
<最良種の選定>
植物の育種および淘汰によってその目的を全うするために必要なものは、彼独特の直感である。一万株、十万株、時には百万株の中から、最上なる唯一株を選定する特殊の技能である。肉眼以上の非凡な霊的直感が働いて最後の選抜試験を行なうのである。ある日、バーバンクの親友リーブがやって来た。彼は決してバーバンクの言葉を疑いはしなかったが、目の当たりにこれを見たいものだと申し込んだ。そこで園丁は例のとおり、多数の苗木を矢継ぎ早にバーバンクの眼前を通過させた。バーバンクは直ちにこれを上中下の三種に分けた。その苗木は、或いは接ぎ木に用いられ、あるいは芽接ぎとされた。数年の後、最後の試験の際、その結果を検査すると、案に違わず、どの木もことごとく、バーバンクの見込みどおりになったということである。
このようにして長い試験の後、選に洩れた植物は、その種類の何たるを問わず、悉く耕作地から引き抜かれて積み重ねられる。そしてこれに点火すると、これまで丹精して育て上げた植物は、紅蓮の舌を巻いて天に沖し、やがて長き煙を残して消え失せてしまう。このような植物の梵祭が一年に十四、五回も行なわれる。これがすなわち、「一万ドルの篝火」と称せられる希代の壮観であった。
しかし、バーバンクは決してこれを壮観とのみは見なかったであろう。涙を揮って<馬蜀を斬る>以上の決断を要したであろう。人知れぬ悲壮の感に打たれたであろう。
前に述べたとおり、雑種の個々の実生は個々の異なった特性を有し、祖先の特性の特殊な結合を示すと同時に、自己独特の特性をも示す。それゆえいづれも存在の理由がないわけではない。実生の数が多ければそれだけ、理想的な特性を備えるものを得る可能性が高くなるわけであるが、そこに着目したところに、バーバンク独特の偉大性が存在する。
シャスター・デージーに行き着くまでには五十万株の試験を要し、種々のプラムは七百五十万株の実生を必要とした。しかもその内からわずかに五、六株か十株だけが選ばれ、他は悉く高価な焚き火になってしまった。何事にも改良進歩には大きな犠牲を必要とするのである。・・・・この一事をもって見ても、種苗栽培によって利潤を上げることは容易であっても、植物の創作に従事することの、いかに莫大な費用と、労力と時間とを要するかが分かるであろう。しかも多大の費用を掛けて出来上がった成果でも、バーバンクは少しもこれを独占することなく、極めて無造作に、至って安価に、人々に頒布するのであった。
<バーバンク・ポテト>
バーバンク・ポテトは一八七二年五月に、偶然種子の発見によって作られたものである。その後燎原の火の勢いで、太平洋沿岸はアラスカからメキシコまでに及び、内部地方にあっては、特にオレゴン州が盛んにこれを栽培した。以来五十年間に収穫された量を貨車に積めば優に地球の半周に達すると言われている。
この時代は開拓者の時代であり、ポテトは彼らに特に適した食料品であった。栽培にも収穫にも何の世話もなく、荒地を掘って植え付け、多少の耕作を施せば容易に成長するのである。成熟すれば、地中に貯蓄しておき、必要に応じてこれを取り出し、霜除けのためには穴に入れておけば良かった。料理は至って簡便である。
ポテトは七五パーセントの水分と二五パーセントの固形体からできているが、その固形体の主要分は、澱粉で、他に、たんぱく質および脂肪がある。澱粉は、洗濯、グルコーゼ製造、食用、繊維工業に用いられる。また、工業用のアルコール製造にも用いられる。
<刺なしサボテン>
バーバンクがサボテンについて深い興味を抱き始めたのは、幼少時代からのことであった。彼はこの刺に包まれているグロテスクな植物に対して、異様な愛着を捨てることができなかった。そして、もしこれを在来の環境から引き離し、十分面倒を見て育てたなら、きっと人類の障害物とならないで、広く人間や家畜にとって有益なものとなるだろうということを、いつも考えていた。
環境が習性を作ることは、自然環境の証明するところである。サボテンは自己防衛のために、無数の刺を生やして武装しなければならなかったのである。これは、猛獣の生息する荒野に生ずるサボテンには特に刺が多く、そのような外敵の近寄れない安全地帯にあるものは、刺の少ないことでも分かる。
この頑強な人類の敵を変じて友とするには、その性質を一変して、根底から改造しなければならない。幾万年間、文明と絶対に没交渉で、砂漠に住む最も劣等な野蛮人に等しい生活を営んできたものを全く変えることは、決して容易なことではない。であるから、これはむしろ無謀な計画であって、時間と労力の消耗以外、何ら得るところがないだろうと言うのが、たいていの人の考えであった。
しかし、問題が困難であればあるだけ、興味も深くなる。この野蛮な形態のサボテンにも取り上げるべき長所がある。すなわち、強靭であって、他に何物も成長しない場所においても成長し、炎熱燃える砂漠地帯でも、雨が滅多に降らない乾燥地でも、同じように成長する。
しかも、その葉状体や黄金色或いは深紅色の果実には、多量の美味なる滋養分が含まれている。だから山火事に焼かれて刺のなくなったサボテンなどは、水牛やカモシカが好んで食うのである。
時には刺のついたままのものを口にし、鮮血滴りながらも容易にこれを離そうとしない野獣が見受けられるとのことである。埃にうずもれた、乾き切った雑草以外に食物のない時に、多汁質なサボテンの葉状体が、どれ程うまそうなものであるかは、想像するに難くない。
如何なる土地をも選ばないサボテンは、熱砂の荒地から、もっと土壌風土の良い場所に移植すれば、著しく繁茂する。それはサボテンがより良き環境に生育することを欲していることを示す。
サボテンを改良するには、二つの障害を取り除かねばならない。一つは枝と葉と果実を覆っている無数の刺を除き去ること、もう一つは葉状体の繊維的骨格を構成している針状体を絶滅することである。この二つの厄介物がなくなれば、葉も、果実も面目を一新し、優に家畜などの食物となることができるのである。
バーバンクは十年間の苦心経営によって、ついにこの難事業を成就した。彼が容易に忘れることのできなかったことは、その改良試験中に、サボテンに触るごとに、小さな針状体が彼の手を突き刺すばかりでなく、着物の中に入り込み、からだ中を刺すのだった。バーバンクはこれまで二万五千種の植物の改良を試みたが、これほど苦しいものは前にも、後にもなかったと言っている。彼は何度も、心の底から、このような無謀な計画を試みなければ良かったと嘆息した。もう一度あんな痛々しいことをやれと言ったら、断然辞退したであろうとも言っている。しかし、これによって彼は植物界に一つの画期的事業を完成したのである。
彼はこのように食料となるサボテンを作るという、実際的な用途を忘れなかった。すなわち、サボテンがあれほど多くの刺を生じ、針のある葉状体を維持するために費やして来た精力を転換して、美しく豊富な果実を実らせたのである。それは、形はキウリに似て、色は黄金色や紅色などがあって、味は上々で、その香りはナシのようであり、メロンや、パイナップル、ある人はブラックベリーに似ていると言う。生でも食べられるし、調理して食べることもできる。また、ピックルにして、蓄えることもできる。葉状体もまた調理すれば独特の風味があり、生姜や瓜の皮などのようにして貯蔵することもできる。家畜の飼料にすれば、ムラサキウマゴヤシの滋養分の半分を含み、最良の牛肉、羊肉、豚肉を生産するのに適している。
彼の作った新しいサボテンの成長力は極めて迅速で、一株の実生が三年間に六百ポンドの食料を供給した。さらに実生からではなく、葉の切片を地に挿していくらでもそれは成長したのである。
<植物育種の大要>
バーバンクは植物育種の大要を次のように述べている。
「植物育種の根本原理は至って簡単である。しかしこれを実際に応用するには、人間の持っている知識の最高最大の努力を必要とする。そして如何なる人間の努力でも、これ以上に全人類の向上、発展、繁栄、福祉に資するものはない。植物育種とは植物固有の生命を、交配によって有用な方面に差し向けることである。すなわち一方においてはその生命力の新結合によって、また一方においては、環境の変化によって、新しい成果を作ることである。そしてこれは淘汰に対する一層広き地盤を備えることとなるのである。
「植物育種は未だ幼少時代に属する。その可能性や、根本原理などに精通する人は至って少ない。過去においては、これは単にすさまじい自然力を弄ぶのみであって、未だこれを充分に理解することがなかった。
蒸気や電気を取り扱うような正確さに近づくのは、まだまだ将来のことである。現代人は立派に蒸気や電気の貢献した功績を認めるに至ったけれども、植物生態に秘められた生命の指導を得たならば、その恵みは決して蒸気や電気の与える恩恵の比ではない。化学者や機械学者は、すでに自然力を制御することができたけれども、今や植物育種家は、植物の独創的な力を新しい方面に傾けつつある。この新知識はきわめて偉大なる効果を奏し、長く人類無尽蔵の遺産となるであろう。
「植物育種家は無限界に進入する探検者である。彼には金儲けする余裕がない。彼の頭脳は明晰、機敏にして、これまでの化石化した思想を放棄し、迅速に活動する思想を持ってこれに代え、そして矢継ぎ早に行動に転じなければならない。こうして驚くべき美と価値が、具体化した力の新表現によって生じ、我々の命令を待ち焦がれていた自然は、喜び勇んでその宝庫を開くであろう。これは一年や十年の計を立てるのではなく、実に未来永劫地上に生息するいっさいの人々の潤沢な遺産となるであろう。」
植物育種の勧め
彼はこの世に生を受けた者、少しでも世の中を美しくしたいと思う者は男女の別なく、植物育種の仕事を試みるように勧めている。はじめは慰み半分に、或いは健康増進の一助としてこれに従事しても、いつかは予期しない面白い結果を生み出すだろうと言っている。
バーバンクのように、数十年にわたってこの仕事に従事している人でも、植物がまったく意外な方面に向かって発展するのに驚いている。あたかも、永年の間、胚子となって眠っていた植物の精が、人の力に誘われて眼を覚ましたようなもので、そこに自然界の神秘が始めて啓示されるのである。
自然を相手にする人は常に正直でなければならない。真理の道を辿ってこそ、自然は契約の箱を開く。ここには、人間の作った論理学以上に高貴な法則が行なわれている。これは生命の法則である。植物の育種は実にこの原則を至って手短に教える捷径である。これについて、バーバンクは植物育種奨励のために次の五点を挙げている。
一、 予期することができない価値のある新しい草花及び野菜を創作する可能性のあること。
二、 仕事の魅力は極めて強く、これに従事する者に快感を与えるだけでなく、その生命を広くし深くする。
三、 産業的価値を有する草花や野菜を産出し得ること。
四、 健康者は健康を増進し、病弱者は健康を回復する点において、もっとも衛生的条件に適すること。
五、 心理に忠誠であることを第一要件とするために、植物の育種は正直の育種となること。
(つづく)
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