I:石牟礼さんご自身はその近代の闇にどう立ち向かおうとしていたんですか?
W:石牟礼さんを頻繁にお訪ねして、ある時「苦界浄土」をどんなお気持ちで書かれたんですかとお聞きしたら「戦いだ」、「一人で戦うつもりで書きました。今も戦っているつもりでいます。」と仰っていましたね。
近代という「バケモノ」に我々が立ち向かおうと思ったときに、我々は最初は個人で立ち向かわねばならない。一人立つというときに何か計り知れない力がある。
I:現代はすごく人とつながりますし、集まったり群れたりということが簡単にできますけれども、個人で立ち向かうという厳しさというのを聞きますと、・・・
S:自分が正しいと信じて独りでやっていたら誰かがわかってくれるということかな?
I:石牟礼さんの闘い続けているその強さと、そして今もなおその問題が続いているということを我々は忘れてはいけませんよね。
W:「水俣病は終わらない」ということを言った人がいます。我々はそこから今も大きな問いを突き付けられていると思います。
I:今日は<近代の闇>ということで読み解いてきました。公害に第三者はいない、近代化の恩恵を私たちも十分解っていて、このことは自分たちの物語でもあるんだなと感じ始めたところです。
Sさんいかがですか?
S:ぼくは「チッソ」という企業が、水銀を大丈夫だと思って流し続けた時代と、わかっていてそれでも止まれなかった時期の問題と、そこには結構大きな差があって、少なくとも自分たちは止まる勇気とか、スピードを落とす勇気とか、時には逆行に見えることをする勇気みたいなのがないと、いけないということを学びました。
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<いのちの尊厳とは>
水俣病の存在を広く世に知らしめた石牟礼道子の「苦界浄土」
患者さんとその家族の声なき声を掬い上げ、その意義を問うた作品として「いのちの文学」とも言われます。そこには経済成長を優先して来たこの国の姿も浮かび上がってきます。
S:ぼくらが子供のころ、日本が近代化するのに必要だったプラスチックを作るためにできたのが「チッソ」という工場で、そこから流れ出た水銀が巻き起こした水俣病だったという、この関係性みたいなものが、現代でも終わっていないんじゃないかということを考えさせられます。
W:「いのちの尊厳」ということが「苦界浄土」という作品を通じて、石牟礼さんがずーっと考え続けてこられたテーマなんですね。
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劇作家で俳優の砂田明さん(1928-1993)は「苦界浄土」を読み大きな衝撃を受けます。
水俣に移住し、一人芝居を製作、全国で上演して「苦界浄土」の世界を多くの人々に伝えようとしました。・・・
砂田さんは「苦海浄土」についてこのように語っています。
水俣病は最も美しい土地を侵した、最もむごい病でした。そのむごさはまず力弱きもの、魚や貝や鳥や猫の上に現れ、次いで人の胎児たちや稚子、老人たちに及び、ついに青年壮年をも倒し数知れぬ生命を奪い去りました。生きて病み続ける者には骨身を削る差別が襲いかかりました。
そして大自然が水俣病を通して人類全体に投げかけた警告は無視され、死者も病者も打ち捨てられ、明麓の水俣は深い深い淵となりました。
S:「苦界浄土」がさらにこの砂田さんの心を打ち抜いて、そのメッセージ;「大自然が水俣病を通して人類全体に投げかけた警告」が無視されたという言葉は心に刺さるものがありますね。
W:つまり水俣病、水俣病事件と言ったほうがいいのでしょうか、それを人間の目からだけでは見ない。魚や猫などの生き物の目で見てみる、そして生者、死者両方に彼の眼差しが注がれています。
I:石牟礼さんもこのような視点で、「土の低きところを這う虫に逢えるなり」というようなことを言っていますね。
W:人間というのは1メーター少しくらいの高いところから、どうしても世界を眺めているわけなんですね。けれども大変苦しいことがあって地面を這いつくばらなければいけない時に見えてくる光景というものが人生の中に幾度かあるんだと思うんですね。
水俣病患者さんたちはそういうことを強いられた人々で、彼らは我々とは全く違う世界を視ている、人間も地を這うような虫になってみて初めて見えてくる世界があるのではないかということを彼女が詩の中で歌っています。
S:さっきの砂田さんの文章にあった、鳥、貝、猫、魚、胎児、これが繋がっているということをぼくらは気づかないんですけど、初めてこういう病気になった時に・・・繋がっているということを理解するのかな。
W:石牟礼さんは時々、「生類(しょうるい)」という言葉をお使いになるんですね。「生類」という大きな世界があってその中に人類があるんだと言って「人間の犯した罪を自分も背負わなくてはならない」ということをお書きになっていらっしゃいます。それは水俣病が「人類が「生類」に対して犯した大きな罪なんだ」と。
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<苦海浄土より>
杢太郎(もくたろう)とその祖父
石牟礼さんを姉さんと呼ぶ漁師は「苦界浄土」の中でもひときわ強い印象を残す漁師です。9歳になる杢太郎は重度の胎児性水俣病患者として生まれて来ました。自分一人では歩くことも食べることも、喋ることもできません。そんな杢太郎のことを老人はこう語ります。
杢は、こやつは物を言いきらんばってん、人一倍魂の深か子でござす。耳だけが助かってほげとります。なんでも聞き分けますと。聞き分けはでくるが、自分が語るっちゅうこたできません。
働き者だった杢太郎の父親も水俣病にかかり、母親は子供を遺して家を出て行きました。老人は自分が死ねば一家がどうなるか、心配で先立つこともできないと嘆くのです。
「姉さん、この杢のやつこそ仏さんでござす。こやつは家族のもんにいっぺんも逆らうっちゅうことがなか。口もひとくちも聞けん、飯も自分で食やならん。便所も行きゃならん。それでも目は見え、耳は人一倍ほげて、魂は底の知れんごて深うござす。ただただ家のものに心配かけんごと気ぃつこうて、仏さんのごて笑うてござりますがな。」
ある日沖に漁に出た老人は、網にかかった石があまりに人の姿に似ているので、大切に持ち帰って来ました。焼酎をかけて魂を入れ、この石に杢太郎の守り神になってもらおうと考えたのです。
「あの石を神さんちゅうて拝め、爺やんが死ねば、爺やんちゅう思うて拝め、・・・分かるかい、杢。お前やそのような体して生まれてきたが、魂だけはそこらわたりの子供と比ぶれば、天と地のごとくお前のほうがずんと深かわい。泣くな、杢。爺やんのほうが泣こうごたる。」
S:この<人の形の石>は誰を癒すのか。杢君のために持ってきて、彼にあげる石なんだけど、爺やんの癒しのため、救いでもあると思う。爺やんがいなくなった後、不安を少しでも薄めるための石でもあるし、・・・
I:杢太郎君はお母さんのおなかの中で水銀中毒にかかって生まれてきた胎児性水俣病で、こうした方もたくさんいらっしゃったんですよね。
W:胎児性水俣病というのは大変小さな肉体の中に、水銀の被害が及ぶのでとても深刻になっていくわけですね。今年はちょうど水俣病公式確認から60年という話をした時に、石牟礼さんが「60年間も一度も自分の思いを伝えられない人がいるんですね」と仰るんですね。
I:長い年月ですね。
W:人が生涯の間に一言も自分の思いを語ることができないということがどういうことか。・・・杢っていう少年は人の言っていることは全部わかるんです。だけども自分の思いを伝えることができない。
S:最初は爺やんがそう思いたいということもあるのかと思ったんです。でも最後の涙のくだりを読むとほんとうに言葉以上に杢太郎君に通じているということがよく分かりました。
I:おじいさんは杢太郎君のことを人一倍魂の深い子と言うんですよね。
W:我々は自分の思いを語るということに慣れているんですが、「沈黙」というのは我々の心を深めて行きますよね。自分で言いたいことを言えないというときに、人は魂を掘り始めるんだと思います。そして杢太郎は魂を掘ることだけを定められた人間なんですけど、現代人は言葉というスコップでいろいろなものを掘ろうとする。けれども、杢太郎は素手で大地を掘るように生きているんですね。
S:言葉を喋れないというのは、果てしなくきついことだけれども、言葉がなくてもできたコミュニケーションがあるんですね。・・・
I:お爺さんと杢太郎君のような・・・魂のやり取りというか・・・
<石の神様に込められた祈り>
I:お爺さんは拾ってきた石を杢太郎君の守り神にしようとしましたね。
W:ぼくは、<祈り>ということをどうしても感じてしまいます。・・・「苦界浄土」という作品はもちろん、怒りや恨みも描かれています。しかしその底に何とも言葉にできないような深い祈りが、怒りと恨みを支えている。
S:逆に言うと一番正しい信仰、宗教の起こり方のような気がします。たまたま人間に似ているように思えた石に託してそれに祈りたい。
W:石牟礼さんはイハン・イリイチという大変世界的に知られた思想家と対談しているんですけど、その中で「水俣病が起こった時、日本の宗教はすべて滅びたと感じた」と語っていますね。それはぼくにとってはとっても衝撃的だった。確かに水俣病が起こった時、それに寄り添った宗教者たちはいたんです。しかし、宗教界は沈黙した。
こういうところで新しい信仰というものが生まれていると石牟礼さんは言っています。
W:それから、この事件が起こったのは辺境の地だったということですね。日本人はどうしても東京中心の世界観で生きている、しかし近代の闇を突き付けてくるような問題は東京からではなく、辺境から起こる。それは見えにくい。我々はそのことにしっかり目を見開いていかなくてはならないと思います。
S:福島のことを忘れてしまって今となっては何も考えない人もいるわけじゃないですか。でも福島は東京にたくさん電力を送るために作られていた原子力発電所で、それが天災であるところの地震とミックスされた形で、今現在「被災地」と呼ばれるところになっているわけですね。それに対して、「福島大変ですね」という人もいる。でもこれですらちょっと他人事じゃないですか?
W:東日本大震災以後ですね、何が起こったかというと、やはり人々が故郷を奪われたということがとても大きいと思います。自分の生まれたところの命のつながり、時間のつながりというものが失われた。水俣病事件というのはそういう現実を我々に突き付けて来たんですね。
S:ぼくは新製品が好きだし、未来的なものが好きだから、進歩を止めろという側にはならないんですが、でも、何かが前進するときそう簡単じゃないよというということは肝に銘じておかないといけないんじゃないかなと思いました。
I:「苦界浄土」というのは50年前に書かれた本ですけど、今を生きる私たちも深く受け止めて行かなくてはならないということを噛みしめました。