祈りというのは、別の文字にすれば、意宣りということではないでしょうか。つまり、望むことを表明する、ということであろうと思います。私たちが思うことは、そのまま宇宙を満たしているエネルギー粒子を振動させることである、ということは、たびたびご説明して来た通りです。これが宇宙の法則の一つでした。何か、良いことが起こることを期待し、それを意識的に思い願うことは、それが実現する可能性を高めることは、確かなことでしょう。
そして、これは、実際に言葉、音声を発するか、単に心の中で思うかどうかには関わらないでしょう。けれども、音声を発した方が、言霊(ことだま)ということもありますから、私たちの耳という感覚器官による、反射的な意識へのフィードバックが得られる分、効果的かも知れません。
ただ、思ったことは為したことであるという、キリストの言葉にもありましたように、私たちの日頃の思い全てが、エネルギーレベルでは、言わば、意宣りであることを十分に認識しておく必要があります。
日常生活の中で人々と関わる時に、怒り、いら立ち、妬みなどの感情、気持ちを起こし、誰かに対して、ネガティブなことが起こることを無意識にでも望んだ場合、それも、エネルギー粒子レベルでは、立派に意宣りを為したことである、ということになるわけです。
そうした結果、トータルなエネルギーの総和が、自分の発したものとして、受け取るものとなります。
ですから、たまに神仏に向かっていいことを祈っても、いつも怒りと妬みの思いで愚痴を呟きながら暮らしていたのならば、そのいい祈りが、どのように相殺されるか、分かったものではありません。
いまは宇宙のエネルギーレベルが上昇し、この物理的世界においても、ものごとが現実化するタイムラグは、より短縮化していると思われます。日頃の思いに気を付けて、前向きな思いで暮らしていく時間を増やしていけば、ものごとは前向きな経過をたどり、より早く、前向きな結果へと継って行くことでしょう。
その先にあるのが、アセンションである、という事になろうかと思います。良い意宣りを積み重ねて、素晴らしいアセンションを迎えたいものですね。
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