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愛と慈悲の世界、ー高橋信次メッセージ7

2018年06月22日 | 情報
霊界は、意識と想念の世界ですが、九次元は、愛や慈悲、そうした思いが、そのまま具現化された世界、そんなことが語られています(カッコ内は注、部分的に、省略するなど、編集してあります)。

(ここから)

これは、あなた方に、分かるように言っているのだけれども、こちらは、本来は、光とか、想念の世界です。ところが、人間的に分かるように言えばね、やはり、私たちの世界でも、風光明媚(ふうこうめいび)な景色もあるし、丘もあれば、池もある。湖もある。そういうきれいな世界です。

まあ、表現してみるとすれば、そうだね、スイスか何かの、非常にきれいな景色の、ああいうところです。しかもいいことには、「別荘を建てたいな、別荘がほしいなあ」と思うと、もう湖のほとりに、ポンと別荘が建っちゃう、これが、私たちの世界なのです。

別荘の中に入って、「安楽イスがほしいな」と思うと、ポンと安楽イスが出ちゃう。安楽イスで、ウトウトと揺れていると、「暖炉(だんろ)がほしいなあ。ちょっと冬になってきたかな」と思うと、暖炉がポンと出てくる。ああ嬉しいね、「薪(まき)がほしいなあ、」と思ったら、薪がポンと着きます。「火をつけたいなあ」と思ったら、火がメラメラと燃えてきます。こういう素晴らしい世界です。「ミルクが飲みたいなあ」と思えば、ミルクが出てくる。とにかく素晴らしいです。

いないのは、母ちゃんと娘だけです。それだけはいません。残念ながらね。私の家内は、まだ地上でやっとります。早く来なさいと言いたいけれど、まだ寿命があるから、そういうわけにはいかないです。まあ頑張って下さい。

それから私の娘も、GLAで頑張っているようです。まあ、こんなことを言っちゃ、いけないけれどもね、父ちゃんは心配しています。時どきは便りをよこしなさい。田舎の父ちゃんは心配していますよ。どうしていますかって、本当は言いたいんですよ。そういう気持ちがあります。

私は、あの世で、そういうように、スイスの湖畔のようなところで、暖炉に火が燃えている部屋にいます。そして皆さんに分かるように言えば、目の前に水晶玉みたいのをポンと出してね、その水晶玉を見つめていると、下界の姿が映ってきます。

水晶玉が分からない人は、これはテレビでもいいですね。もう何十台もテレビがあって、いろんな角度から映ります。こういうふうに、次つぎと地上のいろいろな姿が見える。こういうテレビと言ってもいいです。そういうようにも、できるんですね。

だからあなた方、地上からみれば、「高橋さんも、すいぶん淋しい思いをしているんじゃないか。一人で孤独なんじゃない」なんて言ってくれるけれども、孤独なんです。実際、そうなんですよ。私の友だちは、古い人ばっかりでね。もう三千年前、二千年前、五千年前とか一万年前とか、こんな古い人ばっかりがいて話が合わんのです。

今言ったように、水晶玉を通して地上を見るなんていうと、彼ら古い人も分かってくれるんですがね。実際は、私の場合、近ごろはテレビを使っていますから。この部屋の中を見て下さい。テレビが十台あって、チャンネルを変えれば、アフリカだって、日本だって、アメリカだってみんな映ります。これ四次元映すテレビ、これ、五次元映すテレビですよ。これ七次元映すテレビね。スイッチはこれです。手で押すだけで、ポンポン、チャンネルが変わります。

テレビもリモコンですよ。ポチポチとボタンを押せば、チャンネルが変わるんですよ。古い人たちは、こういうことを知りません。私だけです。こういうことで、リモコン式のボタンを押しながら、いろいろなテレビを見て、地上とか、四次元、五次元を見ています。こういうことをしています。

そういう新しいことを私はしているけれども、モーゼなんか掘っ建て小屋に住んでいますから、「ずんぶん変わったじゃないの。あんたいいことやってくれるじゃないの」と言ってるわけです。

イエス様なんか、どうしているかっていうと、そりゃあイエス様っていうと、あの世、九次元世界に教会をつくって、教会みたいなところで、やはり十字架かけて、一生懸命朝の祈り、夕べの祈りをやって、地上の皆様に、一生懸命、恵みを垂(た)れているのです。これがイエス様の世界です。

まあ、今、ちょっと留守していますけれども、ブッダの家というのがあります。ブッダの家っちゅうのは、洞窟じゃないんですよ。洞窟で六年間修行はしましたけれども、洞窟に住んでいるわけではありません。ブッダの家っちゅうのはやっぱり束洋風のね、何ともいえない家なんです。インド風でもないし、仏教が中国に渡ったから、中国風でもあって、日本建築でもあったりして、そういうふうな束洋風の建物があるんです。そこにブッダの家、まあ、そういう家があるんです。それがブッダの家です。いわば日本建築です。

他にもあります。たとえば、有名な人、まあ、ゼウスさんて有名ですね。九次元にゼウスさんているけど、ゼウスの家なんてあなた、もうパルテノン神殿です。もうそりゃ格が違います。大理石で建っています。素晴らしい白い大理石です。階段があってね、上がっていって「ゼウス様」なんていうと、奥の方の大理石でできた噴水から、パーッと水が噴いちゃって、紅色に霧がかかってきちゃって、そして「何か用か」ってゼウスがスーツと体を現してきます。こんなところに住んでいるのがゼウスですね。こういうような違いがあります。

高橋信次みたいに、テレビとか、そんなのを持っている家に住んでいるんじゃありません。

あるいは、他に何だろう、あー孔子、孔子様がいます。チャイニーズですよ。来々軒(らいらいけん)です。来々軒の世界で、そういう中国の王宮に住んでいます。これが孔子様の世界。まあ分かるように言えば、そういうことですよ。長い衣裳を着て、なまず髭ですか、生やしてやっとります。まあ、こういう世界なんです。

ただね、私たちの世界の本当にいいところは、何かというと、それぞれの人がそれぞれの個性を持ってやってるけれども、皆さん共通しているところがあるのです。

今言った、高橋信次みたいにネクタイしめて、そしてテレビを見てみたり。あるいは、チャンチャンコを着て、茶の間でひっくりかえったりしている人と、パルテノン神殿の中を歩いている人、あるいは、来々軒の、のれんをくぐっている人、こういう人たち、外見はいろいろな違いがあるんですけれども、そういう個性の差はさておいて、私たちの世界は、本当に、愛と慈悲という、この二つの言葉で貫かれているのです。

愛といえば、イエス様ね。慈悲といえば、ブッダ。そういうことですけれども、イエスとブッダだけではなくて、愛と慈悲ということはね、皆さんがね、九次元でも、多少、競争もしているんだけれども、どれだけ愛と慈悲とを下次元の世界へ垂れていくかということを研究しているのです。

イエス様は教会で十字を切りながら一生懸命考えているし、孔子様は来々軒の中を通りながら、中国人民をどうやって教おうかと、そういうことを思っています。

モーゼはモーゼで、まあ、杖を振りながら、「この杖はもう蛇にならん。昔はよく蛇になって、空中を飛んだものだけど」なんて考えながら、「しかし、私は、地上の人たちを救いたい」こういうことを言っています。

とくに、モーゼっていうのは、今、地獄霊たちを救出するというような、大きな役目を持ってて忙しいんです。だから赤い稲妻になって、九次元からピカピカ光って、四次元まで飛んでいくんです。そして地獄の軍隊を一生懸命やっつけております。これがモーゼです。こういうことをやっています。

地上で皆さん愛と慈悲なんて、言っている人多いでしょうけれど、本当の愛と慈悲というのはね、人間の一日、二十四時間すべてが、人類救済のために使われている、そういう生き方っていうのが、本当の愛と慈悲なんですよ。

ところが、地上の人は、どうしてもそうはいかない。それはね、「今日のお昼ごはん何を食べようか」とか「風呂に入ったら頭を洗わにゃいかん」とか束縛されることが非常に多いから、どうしても、そこから脱出できません。ところが、私たちには束縛がないから、精一杯、人びとを救うことができます。こういう自由な世界です。

ですから、私たちは、今、毎日、八次元をどうするか、七次元をどうするかです。こういう如来、菩薩の人たちを指導したり、あるいは地獄で迷っている人たちをどうやって救おうか。あるいは、地上の人たちに、法の神理をどうやって伝えるか。こういうことを日夜みんなで話し合っています。九次元世界、十人の人たちと話し合いながら、そういうことを日夜やって、それぞれで努力しています。

そして力が足りない時には、お互いに協力しながらやっています。私とモーゼが協力したり、あるいはイエス様とブッダが協力したり、孔子様とマイトレーヤという人が協力したり、いろんなことがあります。そういうことをしてるんですよ。そういうふうに、すべての時間を、人のために生かせる。すべてを人のために使える。こういう愛と慈悲の世界に生きています。

皆さんはね、こういう九次元世界に、できるだけこの地上の世界を近づけるために、努力していただきたいのです。それが地上に出ているあなた方、光の指導霊たち、あるいは光の指導霊の指導を受けて、学んでいる人たちの仕事なんですよ。

そういうことで、今日は、まあ、大ざっぱにね、私のいる世界の話をしましたけれども、愛と慈悲との世界というのは、まさしく、私の住んでいる九次元世界のことなんです。

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