放題という言葉があります。「○○し放題」という言い方があって、街中には『食べ放題』などということを売り物にしている飲食店などもあるようです。制限なく幾ら食べてもいい、という事のようです。
で、この「放題」ですが、本来、どういう意味でしょうか?
ネットで検索すると、「俳諧などで、お題を設けずに俳句を詠むこと」のような意味合いで説明している情報が幾つか出て来ます。
ですが、ちょっと異論を挟めば、例えば、「乱暴狼藉の、し放題」ですとか「何でもかんでも、やりたい放題」のような、よくある一般的な使用例を見ると、ちょっと俳諧起源の用語とは思えない、もっと強い意味合いがある様な気がするんですが、如何でしょうか?
俳諧的な使い方・・、例えば、「春の季語の歌、詠み放題」のような言い方は、寧ろ、あまりしないように思うんです。まぁ、「今度の句会は、放題で行ないます」のような言い方はするのかも知れませんが、それでは、ますます一般の語感から離れてしまいますね。俳句をやりたい放題に詠んだら、狂歌みたいになるかも、です。
私が、この言葉をどんな感覚で捉えているかと言いますと、やはり、仏教的な起源の言葉ではないか、と思うわけです。でも、その事を、どこかで言っても通用するとは思いません。ですから、このブログ限定の妄言だと、お考え頂いても結構です。ということで続けます。
さて、では、仏教のどういう言葉なのか、という事で、何かしら関連のありそうな言葉を探してみますと、ありました。それは「ボーディ」という言葉なんです。「ボーディ」、「放題(ほうだい)」・・、違うと言えば違いますが、日本語の仏教関連の語彙がインドの古代語の漢語訳、しかも、それの日本語式読みが殆んどだとすれば、同じ言葉だとする許容範囲だと言えるでしょう。
ところが、もう少し大きな問題は、この「ボーディ」には、既に、もう、超メジャーな当て字があることなんです。それは「菩提(ぼだい)」これですね。いやぁ「菩提」有名な仏教用語ですね。強力なライバルです。でも「放題(ホーダイ)」これの方が、音感は似てねーべか?
まあ、では、音は別として、意味を、考えてみたいと思います。
一つには「菩提」と言いますのは、成仏した人のこと。亡くなった人を供養?することを「菩提を弔う」とか言いますね。他には、悟りを開く意味にも使うようです。まあ、大雑把に言えば、本来、人間の在るべき状態の極致に達する事、あるいは、その達した状態などを言うという事なんです。
ほほう、成仏、悟り、覚醒、極致・・ですかぁ・・・、あ、この覚醒や極致というのは、私が勝手に付け加えた意味です。まあ、成仏という事の意味合いを、覚醒という、究極的な地上での人生の目的の成就であると捉えるのならば、そういう意味になるだろうということですね。
つまり、悟りというのは、究極にまで物事の真実を突き詰めて行くことの結果、至る状態と言えるのではないでしょうか。それが、即ち、「ボーディ」「放題(ホーダイ)」ではないか、という事なんです。
そして、もう一つの言葉「三昧(ざんまい)」ですが、これは、遊興三昧、放蕩三昧、道楽三昧など、放埒な物事に耽る意味合いで使われる例もありますが、仏教の言葉として仏道の修行に励む意味もあるようです。また、贅沢三昧と言えば、贅沢のし放題ということですから、放題とほぼ同じ意味もあると見ていいのではないでしょうか。
そして、これも、ある意味、目的の実現の為に意識を集中していることを表しています。その目的とは、本来は、地上に生まれた究極の目的であり、それは真実を知り、その真実に基づき、地上での目的の達成へと向けて集中して行く事なんです。
その目的とは、まあ、究極的には、地球のアセンションです。
皆んなが、喜び勇んで、地上で、やりたい事に励んでいる。その結果、波動レベルが上昇して地球がアセンションに向かっていく、という図式です。
この夏、ささやかながら、食べたい放題、飲みたい放題、○○三昧のような生活を実行しようと試みて来たのは、やはり、そうした日常生活の延長線上にアセンションもあるのだろうということで、その三次元的な試みとして、それを実行してみる、という事でした(他の部分で何かをやろうとしても、外部から操られて、自分の思いがそのまま実行出来ないという実情があります)。
ですから、自分のやりたいように、食も、その他の生活もそのまま実行してみる、という事が大事であって、規模や内容はその人次第で、それは人さまざまでしょう。例えば、食べたい放題と言えば、毎日、中華料理のフルコースですか?あれを食べないと気が済まない人から、私のように、ご飯お茶碗一杯におかず少々で満足してしまう人まで居るわけです。でも、食べ放題の状態に自分を置く、という手段においては、同じ方向を向いているということですね。
結論的なことを、仏教に因んで、禅宗か何かのお坊さん風に言えば、
「成仏(アセンション)への道は、放題と三昧にあると心得よ・・喝!」
まあ、これが、ひと夏の経験からの教訓だと、しておきましょう。
で、この「放題」ですが、本来、どういう意味でしょうか?
ネットで検索すると、「俳諧などで、お題を設けずに俳句を詠むこと」のような意味合いで説明している情報が幾つか出て来ます。
ですが、ちょっと異論を挟めば、例えば、「乱暴狼藉の、し放題」ですとか「何でもかんでも、やりたい放題」のような、よくある一般的な使用例を見ると、ちょっと俳諧起源の用語とは思えない、もっと強い意味合いがある様な気がするんですが、如何でしょうか?
俳諧的な使い方・・、例えば、「春の季語の歌、詠み放題」のような言い方は、寧ろ、あまりしないように思うんです。まぁ、「今度の句会は、放題で行ないます」のような言い方はするのかも知れませんが、それでは、ますます一般の語感から離れてしまいますね。俳句をやりたい放題に詠んだら、狂歌みたいになるかも、です。
私が、この言葉をどんな感覚で捉えているかと言いますと、やはり、仏教的な起源の言葉ではないか、と思うわけです。でも、その事を、どこかで言っても通用するとは思いません。ですから、このブログ限定の妄言だと、お考え頂いても結構です。ということで続けます。
さて、では、仏教のどういう言葉なのか、という事で、何かしら関連のありそうな言葉を探してみますと、ありました。それは「ボーディ」という言葉なんです。「ボーディ」、「放題(ほうだい)」・・、違うと言えば違いますが、日本語の仏教関連の語彙がインドの古代語の漢語訳、しかも、それの日本語式読みが殆んどだとすれば、同じ言葉だとする許容範囲だと言えるでしょう。
ところが、もう少し大きな問題は、この「ボーディ」には、既に、もう、超メジャーな当て字があることなんです。それは「菩提(ぼだい)」これですね。いやぁ「菩提」有名な仏教用語ですね。強力なライバルです。でも「放題(ホーダイ)」これの方が、音感は似てねーべか?
まあ、では、音は別として、意味を、考えてみたいと思います。
一つには「菩提」と言いますのは、成仏した人のこと。亡くなった人を供養?することを「菩提を弔う」とか言いますね。他には、悟りを開く意味にも使うようです。まあ、大雑把に言えば、本来、人間の在るべき状態の極致に達する事、あるいは、その達した状態などを言うという事なんです。
ほほう、成仏、悟り、覚醒、極致・・ですかぁ・・・、あ、この覚醒や極致というのは、私が勝手に付け加えた意味です。まあ、成仏という事の意味合いを、覚醒という、究極的な地上での人生の目的の成就であると捉えるのならば、そういう意味になるだろうということですね。
つまり、悟りというのは、究極にまで物事の真実を突き詰めて行くことの結果、至る状態と言えるのではないでしょうか。それが、即ち、「ボーディ」「放題(ホーダイ)」ではないか、という事なんです。
そして、もう一つの言葉「三昧(ざんまい)」ですが、これは、遊興三昧、放蕩三昧、道楽三昧など、放埒な物事に耽る意味合いで使われる例もありますが、仏教の言葉として仏道の修行に励む意味もあるようです。また、贅沢三昧と言えば、贅沢のし放題ということですから、放題とほぼ同じ意味もあると見ていいのではないでしょうか。
そして、これも、ある意味、目的の実現の為に意識を集中していることを表しています。その目的とは、本来は、地上に生まれた究極の目的であり、それは真実を知り、その真実に基づき、地上での目的の達成へと向けて集中して行く事なんです。
その目的とは、まあ、究極的には、地球のアセンションです。
皆んなが、喜び勇んで、地上で、やりたい事に励んでいる。その結果、波動レベルが上昇して地球がアセンションに向かっていく、という図式です。
この夏、ささやかながら、食べたい放題、飲みたい放題、○○三昧のような生活を実行しようと試みて来たのは、やはり、そうした日常生活の延長線上にアセンションもあるのだろうということで、その三次元的な試みとして、それを実行してみる、という事でした(他の部分で何かをやろうとしても、外部から操られて、自分の思いがそのまま実行出来ないという実情があります)。
ですから、自分のやりたいように、食も、その他の生活もそのまま実行してみる、という事が大事であって、規模や内容はその人次第で、それは人さまざまでしょう。例えば、食べたい放題と言えば、毎日、中華料理のフルコースですか?あれを食べないと気が済まない人から、私のように、ご飯お茶碗一杯におかず少々で満足してしまう人まで居るわけです。でも、食べ放題の状態に自分を置く、という手段においては、同じ方向を向いているということですね。
結論的なことを、仏教に因んで、禅宗か何かのお坊さん風に言えば、
「成仏(アセンション)への道は、放題と三昧にあると心得よ・・喝!」
まあ、これが、ひと夏の経験からの教訓だと、しておきましょう。
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