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アセンション事件簿53、チェイニー、最期まで、やる気?

2022年02月08日 | 出来事
数週間前に、極刑の判決が出たチェイニー氏でしたが、判決後10日ほどで刑が執行されたようです。わざわざ土曜日に刑の執行というのは、ちょっと意味ありな気もします。

チェイニー氏の周辺には、彼の逃亡を助けたハザール人の仲間が、まだある程度の数で残っており、何事かを実行できる状況が、いまだにある可能性は否定できません。

9.11にしても、いくらチェイニー氏でも、一人で全てがお膳立て出来るはずもなかったでしょう。大きな世界的なバックグラウンドがあったと見るべきでしょう。

あるいは、刑の執行に立ち会う軍の高官たちが集まれる日にちが、土曜日ならば好都合ということもあるのかも知れません。今の軍の高官たちは、おそらく、若い頃、イラクやアフガンに派遣され、あるいは、自分の仲間や同僚が、そうした戦争で亡くなった世代でしょう。

自分たちの金儲けのために軍を利用したチェイニーの死に、立ち会う事が必要だったであろうことは、クランドール将軍の言葉からも窺えます。

まあ、それもこれも憶測ですが。

この記事は、以下のサイトの情報の内容を翻訳したものです。

https://realrawnews.com/2022/01/dick-cheney-hanged-at-gitmo/


(ここから)

ディック・チェイニー、GITMOで絞首刑
  マイク・バクスター記、2022年1月29日

海軍法務審議監察部と軍事委員会事務局は、通常、土曜日には「執務」を行わないが、リチャード・ブルース・チェイニーに関しては、例外だった。

1月18日に、反逆罪と殺人罪の科で有罪判決を受け、死刑を宣告されたチェイニーは、土曜日の朝、グアンタナモ湾で、軍の高官の一団の前で絞首刑にされた。そこに集ったのは、ダース・E・クランダルと、軍の他の部門(国家警備隊と沿岸警備隊を除く)の「ホワイトハット」に忠誠を尽くす人々だった。

しかし、処刑時に引っ掛りが発生した(問題が起きた)。少将クランダルが「(処刑)執行」命令を出したにも拘らず、チェイニーの足の下の落し戸が開かなかったのだ。

その時、チェイニーは、策を弄して、死を免れようとした。

レバーとプーリーで機械的に作動した過ぎ去りし日の絞首台とは違い、GITMOの装置は電気的な仕組みで作動する。匿名の兵士がボタンを押すと扉が開くのだ。

(今回の)扉が開かなかった時に、チェイニーは、絞首刑が失敗した場合ー例えば、ロープが切れるなどした時ー囚人は解放され、彼の判決は減刑されると定められていたという西部開拓時代の神話を引き合いに出したのである。

「私は釈放されるべきだ。君たちのマシンは壊れた。1800年代には、リンチ(私刑)がうまくいかなかった場合、どんな理由があろうと、死刑囚は釈放されるのがきまりだったんだよ」と、チェイニーは、絞首台の上に立って、頭を首絞縄に入れたまま言った。

「あなたにとっては、残念なことですが、今は、1867年のシャイアンではなく、これは2022年のGITMOなんですよ。けれども、もしそうなら、私たちは、あなたを絞首刑なんかにはしないでしょう。20歩(歩いて銃で撃ち合うやり方)の決闘の方が、(処刑する側としては)遙かにずっと満足できると思いますよ。」少将クランダルは言った。

米陸軍工兵隊から、一人の兵士が15分で到着した。彼は、配線にショート(短絡部分)を見つけ、携帯用ハンダごてで、素早く修理した。

予想できたことだが、チェイニーは、列席している少将クランドールや他の士官たちに、見下したような声付きで悪態をつき始めた。彼は、自分の仲間が、彼の死に対する復讐をすると誓った。

「あなたは、その人たちのうちの(すでに死んでいる)何人かと、もうすぐ会えますよ」と少将クランダルは言い、そして、もう一度、絞首台の上の兵士に、ボタンを押すように指示を出した。

今度は、絞首台は滞りなく作動した。扉が揺れて開き、チェイニーは死へと落下して行った。その場にいた医師が彼の死を告げ、彼の体は樹脂製の袋に封入された。

(記事はここまで)

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