ブラジルでも
先生はやっぱり走る12月
もともと高原地帯の
サンパウロの朝は
高層ビル群を覆いかくす霞
に囲まれ、しっとり
雪でも降りそうな気配
南半球なのに
庭では満開の朝顔のとなりに
ただ置いていただけの蘭鉢が
急に花咲いていて、オドロキ
葉っぱは食べられちゃってたりして
育てたうちに入らないかもしれないけど
花が終わったら捨てちゃう国で
捨てられずに置いてある鉢が場所を占領してきた頃
やっと初めての“再生”
すごいねえ、何もしなくても
蘭が咲いちゃうんだねえ、ブラジルって
北半球並みに寒いといいながら
夏の風物詩の朝顔が咲いていて
ほっとかれても咲いてしまう蘭もあり
これがサンパウロの12月なのです
は、3日前に突然やって来た
確か前日までは32℃はあったのに
急激に13℃にまで下がっている
この急襲の冬の到来にもかかわらず
どうしてブラジル人たちは
まるでずっと冬だったみたいに
準備にぬかりなく
ばしっと今年の新作ブーツとコートを身にまとって
普通に颯爽と転換できるんだろうか?
ちなみに、この国の天気予報ほど
当てにならないものはない
普通は暑い時には涼しい所へ避暑に行ったり
寒い時には常夏を求めたりすると思いますが
ここでは寒い時にはもっと寒い所へ行く傾向があるのです
その夜はフォンデュを食べに行くに決まってる
めったにない寒い日のために
毛皮のコートまで持っている彼らの家には
しかし、ストーブはないのである
こたつなんて紹介しちゃったら
世の中にあんなにトロケルものがあるなんて.....
とウケるかな?
こたつ喫茶、いいかも
実家のそばで撮影していたと聞いて
ドラマ「斉藤さん」を見てみました
「おおー、ここ知ってるー」という
ドラマの見方は新鮮で、かつ
懐かしさにキューンとなってます
もし
斉藤さんみたいな人がブラジルに来たら
いつも怒ってばっかりで
大変だろうなあ、と他人事に考えていたら
実はそれは私なのであった
ブラジル人に「ずるい、卑怯だ」と
怒ること自体が不毛です
だってみんな楽がしたくて
窮屈なヨーロッパから逃げ出して来た人たち
なんですもん
今日は一日セントロ観光
セントロは英語でいう「センター(中心街)」
古き良きサンパウロのダンディーさが残る
素敵で、しかし、最も危ないゾーン
それでも
オスカー・ニーマイヤーの建築物を追う企画は
楽しかった、のひとことです
一つの要因は、バスと地下鉄、かな?
一時よりずいぶんと安全に、また、キレイになったので
それ以前は禁止されていたバスや地下鉄にも
今は普通に乗れるようになりました
でも、それはきっと警察が細々あちこちで
眼を光らせていてくれたから
そんでもって
その警察達はみな、映画に出てくるような
カッコいい人たちばかりだったのです
これが今日一番驚いたこと
イースターのことを
こちらでは
パスコアといいます
卵とチョコとうさぎと鱈が
必需品
卵は命そのものを
チョコは人生を象徴していて(甘ーいってこと?)
でも
なんでうさぎが運んでくるんだったかな?
はたまたどうして鱈を食べるのか?
ブラジル人に聞いても
「足が速いほうが愛も早く進むじゃない?」
「いや、それは手だ」
という???な答えばっかり
こちらもおせちの各料理の由来も
わかってないくらいだから
責められませんけど
卵にペイントしたりするのは
アメリカなどでもよく見るけれど
この時期のブラジルでは
卵型のチョコレートが
スーパーの天井から所狭しと
ぶら下げられています
一年中夏、のイメージがあるブラジルですが
実は一日の中に四季があるくらい
まったく変動しやすいのです
今日は、がくーっと気温が下がって
一日中寒かった
ということは
日本は暖かくなってきたんだな、きっと
今年は日本人のブラジル移民百周年
何かにつけ、いろいろな行事が催されています
もし、百年前に来ていたら
私はとても住み続けられなかったでしょう
もし、インターネットがなかったら
今ですら住んでいられないかもしれない
『源氏物語』が誕生して、今年で千年なのだと聞くと
その距離の長さにもう目眩がして、宇宙すら感じます
時間が流れていく中で、人が紡いで来たものが残っていく
日本人移民千周年は迎えられるのでしょうか?