届かない
2013-09-15 | 日々
自分のこと。。。。
コーラスのイベントのお世話役員をしているのですが、 会議後のお茶の時間に
仲間うちの会話で、ある素敵な声楽の先生が 今月はじめにご逝去された事が
話題になりました。
そのあと、たまたま街で、大学の後輩が ご主人と息子さんと連れだっている所に
出会ったのですが。。。
そこでは、挨拶をするだけで、別れました。
その後輩が 前述の 素敵なA先生に師事していた事もあり、
別れたあとで、その事にふれたメールをくれました。
その先生の事、仮にA先生としておきます。
最近、そのA先生の事を思い出す事が時々ありました。
体調を崩されていると聴いていたから よく思い出した、のではありません。
その先生がちょうど今の私くらいのお年のときに、地元の声楽友だちについて、
伴奏者としてレッスンに行ったこともありました。
また、12,3年前には、A先生が ソロを歌う真後ろの同じステージで、
合唱をする機会がありました。
その時に、周囲の知人たちと、こう言ったものです。。。
「A先生って、優しくて、暖かみがあって、そして芸術にはキビシク・・
とにかく オーラがあるよねえ」
「還暦を迎えた時、あんな 素敵なオーラのある女性だったら、素晴らしいよねえ」
そして、私も、心の中で、 「60歳になったら、そばにいるだけで、
目にはみえないけれど、渋くて すこーし重い素敵な光線を放つひとになれるように。」
「 60歳にふさわしい 空気感のある大人の女性であったらなあ」と
思っていたものでした。
そして、私は、60歳を1年半も過ぎてしまいましたが、A先生の持っていらしたような
年齢にふさわしい空気感、存在感、を ちょっぴりでも持っているかしらん??と
考え、がっかりをする事が多かったです。
「若く見える、その年齢には、見えない」と、言われる事はあっても、
「年齢を重ねた存在感がある」というような類の事を言われたことがない気が・・・
この違いはなにでしょう?
勿論、A先生の輝かしい経歴を真似ることも出来ませんから、
同じように オーラを発する女性にはなり得ません。
けど、もうちょっと 渋くて重さのある人にはなりたいなあ。
若くみえれば、良いっていうものじゃないなあ。。
コーラスのイベントのお世話役員をしているのですが、 会議後のお茶の時間に
仲間うちの会話で、ある素敵な声楽の先生が 今月はじめにご逝去された事が
話題になりました。
そのあと、たまたま街で、大学の後輩が ご主人と息子さんと連れだっている所に
出会ったのですが。。。
そこでは、挨拶をするだけで、別れました。
その後輩が 前述の 素敵なA先生に師事していた事もあり、
別れたあとで、その事にふれたメールをくれました。
その先生の事、仮にA先生としておきます。
最近、そのA先生の事を思い出す事が時々ありました。
体調を崩されていると聴いていたから よく思い出した、のではありません。
その先生がちょうど今の私くらいのお年のときに、地元の声楽友だちについて、
伴奏者としてレッスンに行ったこともありました。
また、12,3年前には、A先生が ソロを歌う真後ろの同じステージで、
合唱をする機会がありました。
その時に、周囲の知人たちと、こう言ったものです。。。
「A先生って、優しくて、暖かみがあって、そして芸術にはキビシク・・
とにかく オーラがあるよねえ」
「還暦を迎えた時、あんな 素敵なオーラのある女性だったら、素晴らしいよねえ」
そして、私も、心の中で、 「60歳になったら、そばにいるだけで、
目にはみえないけれど、渋くて すこーし重い素敵な光線を放つひとになれるように。」
「 60歳にふさわしい 空気感のある大人の女性であったらなあ」と
思っていたものでした。
そして、私は、60歳を1年半も過ぎてしまいましたが、A先生の持っていらしたような
年齢にふさわしい空気感、存在感、を ちょっぴりでも持っているかしらん??と
考え、がっかりをする事が多かったです。
「若く見える、その年齢には、見えない」と、言われる事はあっても、
「年齢を重ねた存在感がある」というような類の事を言われたことがない気が・・・
この違いはなにでしょう?
勿論、A先生の輝かしい経歴を真似ることも出来ませんから、
同じように オーラを発する女性にはなり得ません。
けど、もうちょっと 渋くて重さのある人にはなりたいなあ。
若くみえれば、良いっていうものじゃないなあ。。