豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2015年08月07日 14時55分08秒 | 日記
 ( Vol 1273 ) 核廃絶には アメリカ国民の意識の変化が必要  広島 長崎に原爆を 投下したことの誤りを認めることである

8月になると 毎年 原爆投下による被害者の追悼番組が 放送される

広島 長崎 での追悼記念式典が行われた

安部総理は 広島では 非核三原則のことに触れなかったが 長崎では触れた

それはなぜ

国会での 安全保障改正に関する質問に対する回答が 影響しているのだろう


アメリカにおける 核兵器への依存を抑えることができないことを 認めたことを示唆していたからだ

真に 核兵器の廃絶を 推し進めるには アメリカ国民の意識改革が 必要である

いまだに アメリカ国民の多くは 原爆を 広島 長崎に 投下したことを 戦争の終結という点において 肯定している

このことは 終結 決着するためには 手段を選ばず ということを肯定していることである

いままでも アメリカは この論理を押し通してきた

戦場で 枯葉剤 中性子爆弾 を使用し そのことによる被害を認めようとしない

大義名分によって すべての真実が闇の中に 葬られている

その中で 唯一 葬り去ることができないのは 広島 長崎の 悲劇である

それを 直視することが いま求められているのではないか

アメリカに展示されている 原爆投下した飛行機には 原爆投下についての是非についての意見 説明もないという 

これは 不思議である

アメリカ社会は 直視したくないという 風潮があるのか と思いたくなる

何が正義なのか アメリカ社会に 問いたい

アメリカ社会が 原爆投下にによって 被害を与えたことを認め 受け止めるこそ 核廃絶の 第一歩となるのではないか

ローマ法王は9日 お告げの祈りで 広島への原爆投下は科学の進歩と技術の誤った使い方による人類の不釣合いな破壊能力の象徴と述べた

また 広島 長崎への原爆投下は 70年後のいまもなお 恐怖と嫌悪を 呼び起こすとも述べた


戦争という戦いを 終結させるためには 一線を越えても良いという 考え方は改める必要がある 言える


一線を越えてはならない ことがあることを 意識すべきである

このことは 世界中の人にも言える


広島 長崎の 悲劇を 再び起こしてはならない


まず アメリカ国民が 模範を示す 行動を とることが求められる








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2015年08月07日 05時42分17秒 | 日記
 ( Vol 1271 ) 安全保障改正の内容は あまりにも大雑把

国会の答弁を聞いていると 安全保障の改正による 運用内容は 政権の判断 運用者の判断に任されているような 要素が含まれている

これでは 国民を欺いてはいないだろうか

安全保障にかかわる法改正は もっと慎重にすべきではないか

詳細にわたる法文を明記すべきではないか


政権の判断 解釈いかんによって どうにでも運用できるようでは困る

日本特有の 曖昧な表現では 困る






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2015年08月07日 05時27分14秒 | 日記
 ( Vol 1270 ) 東京オリンピックのロゴをデザインしたデザイナーの会見は 疑惑を払拭する内容になっていない


会見の内容は 信念を述べたに過ぎず

本心は 伏せたままのように感じた

そこには 係争という問題をはらんでいるからだろう


問題を指摘している ベルギーのデザイナーは 係争を起こすという


このデザイン問題は 著作権に抵触するものであるために デザイナーは 最新の注意を払って デザインすべきであると思う

その点どうだったのだろうか

特に 世界に発信するロゴデザインは 細心の注意を払うべきではないだろうか


このデザイン疑惑に対する 今後の動きに注視したい






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする