豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年01月17日 09時14分54秒 | 日記
 ( Vol 2408 )人間の欲望は 時と共に 変貌する 今こそ 足るを知る という言葉を大事にしなければならないのではないか

人は 地位 肩書きなどを得ると 別人のように振る舞う


初心忘れるべからず ということばがあるが 初心を忘れてしまう


足るを知る ということばがあるが 満足感はすぐに空腹感をまねいて 足るを知るを忘れてしまう

多くの 指導者は 今までの人柄を知っている人たちからは 変わったと映る 事態を招く

他人を批判しても いざ 自分がその立場になると 同じ行動をしてしまう


カルロス ゴーン氏も その例外でもない


豊かさを もっと豊かへ という欲望にかられ 変貌する

裸の王さま となる


今回の カルロス ゴーン氏は その代表例ではないか


歴史を振り返ってみれば 多くの指導者が その坩堝にはまって 身を滅ぼしている


人は 欲望に振り回される

欲望とどう付き合うか

指導者たるもの よほど自分を見つめ 自制心を持ってしないといけない

今 世界は 利益至上主義になり 貧富の格差を生み出し

指導者は 利益の搾取という 行動を肯定する 行動にでている

このことが おおきな問題を起こしているのではないか

もう一度 足るを知る ということを 考えてみてはどうか


このようなことを防ぐには 権力の一極集中 長期政権 ということを 避けることである








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豊前善三つれづれ日記

2019年01月17日 08時04分49秒 | 日記
 ( Vol 2407 ) 今日は 阪神淡路大震災から 24年経った 人々の記憶には 違った形で映るようになっているのではないか 忘れないためにも 歴史の中に刻むことを考える必要がある


人は 忘れることによって 今を 明日を 生きる力としている ところがある

24年という 歳月は 人々の記憶を 変えていっている

復興を願い 色々な行事をしてきた

その間に 新しい命も生まれた

震災を知らない人たちの 誕生である

震災を体験した 人たちの中には 逝く人たちが出る

震災を経験をした人たちは 年老いていく

語り部としての 機会は少なくなる

震災を知らない人たちにとって 復興記念行事は どう映っているのだろうか


どこか違う世界のようにさえ 感じているのではないか

それは 戦争を知らない世代が 終戦記念日の式典行事に対する感じ方に 似ているのではないかと 思うからである

人は忘れることによって 今を 明日を生きる

体験したことのない人にとって 震災は違う世界のように映る


未来 また 震災が起きるとは 考えない


過去を回想すると 大きな被害をもたらした震災があった


しかし 震災は 1回起きたら もうそこには起きないと 考えて 安定した生活がえられる と考えてしまう


そのことに対する警鐘が 東日本大震災の時の 福島原発事故であった


過去を軽視した 対策が 大きな被害を生じさせた


阪神淡路大震災から24年

記憶から震災のことは薄れていくが 歴史の中にしっかりと 記憶として 刻むことが  再確認するということ になり 明日を生きる 対策の判断材料になるのではないか

私たちは 自分の範囲でしか 判断しない

しかし 目を外に向けて 広げみると 変わってくる

宇宙を見れば 銀河同士が衝突している 今見ている星は 過去の星で 今はない という事実が宇宙で起きている

それを 他人事のように 捉えることこそ 問題である

特に 政治家は 大義名分の下 過去の震災を過小評価 無視 という行動をとってきた
 

また 政治家の圧力により 学者 企業は 問題を ないことのようにしてきた


このようなことが 問題を大きくしてきた


政治家は 過去の震災を しっかりと受け止める行動をとる姿勢を もつべきである

政治家は あまりにも 無責任すぎる








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