「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

8,姥あきれ ②

2025年03月05日 08時22分56秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・無信心無信仰の私でも、
何かしら大きな超越者のごときものが、
いたはるのやないかしら、
と思うことがある

仏さんか神さんか、
それは分からない

モヤモヤしているから、
私は仮に自分一人で、
「モヤモヤさん」となづけている

「ブー」と「テー」のお宗旨や、
水子霊の信仰とちがい、
このモヤモヤさんは、
決して人間に安らぎをもたらしては、
くれない

あべこべに闘争心をかきたてる

何となればモヤモヤさんは、
人の足をすくうのがうまいからである

モヤモヤさんは、
落とし穴作りの名人なんである

人を不意に落とし穴にはめて、

(どや・・・
思いも染めんことやったやろが
・・・ぬふふふ
むははは)

と大喜びでいるところがあるのだ

これは意地悪(いけず)というより、
モヤモヤさんの性質なのだから、
怨むのはスジ違いというもの

ましてお慈悲を願うというのも、
お門違い

モヤモヤさんに対抗するには、
こちらも心身を鍛え、
向こうが突然飛びかかってきても、

(えいっ!)
(おうっ!)

と応戦できるように、
元気いっぱいでいなくてはならぬ

またモヤモヤさんに裏を掻かれぬよう、
あらゆる場合の戦況を幾通りも予想し、
手を打っておかねばならぬ

私はこれを、
戦後の会社再建の働きによって、
会得した

商売は臨機応変が大事であるが、
これはモヤモヤさんと渡りあうには、
欠かせぬ才能である

モヤモヤさんは、
何をたくらんでいるか、
油断ならないからである

全く、
ここは大丈夫と思う得意先が、
集金できなくて、
金繰りに支障をきたしたり、
あてにしていた受注が、
急によそへいったりして、
モヤモヤさんに振り回されっぱなし、
であった

なにくそと、
私は負けじ魂をかきたてられ、
それからはモヤモヤさんの、
落とし穴にはめられても、
狼狽せぬよう、
いろんな対策を講じておくことにした

モヤモヤさんと渡り合うには、
体も丈夫、心も性根据わり、
あたまも冴えていなくては、
いけない

私の元気のもとは、
モヤモヤさんと戦う喜びに、
あるのかもしれない

病気にならぬよう、
つけこまれるスキを、
作ってはならぬというのは、
ここのことをいうのである

しかし「ブー」と「テー」や、
水子霊とちがい、
これは誰にもすすめられる、
というものではない

モヤモヤさんと張り合い、
渡り合えるだけの気力体力の、
ある人間でないとダメである

だからたいていの人間は、
モヤモヤさんに翻弄され、
押し流されて、
ただ泣いているのみである

あるいは、
ああ有難い、結構な、
と手を合わせて見当違いな、
感謝をささげてるのである

しかしそのへんのことを、
長男にいうたとて、
わかるはずはないであろう

この男、
そういう直観的なあたまの働きはなく、

(なにを寝言いうてますねん
あほらしい)

とひたすら現実的

そういうわけで、
モヤモヤさんに対抗して、
元気いっぱいのはずの私が、
ふと病気をしてしまった

これは人を嗤えない

どうもそれは、
前沢元番頭の病気で、
私もひょいと落ち込んだ、
その時にモヤモヤさんに、
足をすくわれたらしい

今年の正月、
前沢はウチへ来なかった

「番頭さん、
どないしはりましたんやろ」

「お風邪でも引きはりましたんやろか」

とお政やおトキが心配していた

例年なら前沢は、
お元日の昼ごろ現れる

奈良の有料老人ホームから、
東神戸の私のマンションまで、
かなりあるので、
朝早くホームを出て、
電車を乗り換え乗り換え、
やってくる

脚が弱って難儀な上に、

「初詣客で、
電車は満員やよって、
もうワヤでごあした」

とぼやきながらも、
ニコニコやってくる

前沢の息子夫婦は東京にいて、
正月は嫁の里で過ごし、
前沢はほったらかしにされているそうで、
私の家でする正月を楽しみにしている

「それもよろしがな
年玉やらんですむし」

と私がいったら、

「いや、
年玉はいつも暮れに送らされます
孫が電話で催促しましてな」

「なんやて、あほらしい
やらずぶったくり、
とはこのことやないかいな」

と私がいうと、
お政やおトキもあはあは笑って、
和やかな正月になるのだった

それに前沢もと番頭の挨拶がよい、

昔ながらに鄭重に、

「あけましておめでとうごわります
本年も昨年にかわりませず、
よろしゅうにお頼申します
ご寮人さんもますますお元気で、
おまけにとうないお若う、
いつまでもおきれいで、
結構なことでごわりま」

とほめてくれるのである

トシヨリというものは、
人をほめぬものであるが、
そういう偏屈は、
私は嫌いである

もっとも私も、
人をほめたことはないが、
それはほめてやりたい人間が、
周囲にあまり居らぬせいである

前沢が来ないと、
何だかいっぺんに人数が、
少なくなったような気がする

昔は中番頭の為吉っとんも来ていたが、
卒中で死んでしまった

古い人は、
櫛の歯を抜くように、
少なくなってゆく

気にかかっていたが、
十日戎のころやっとヒマが出来、
奈良のホームへ電話したら、
前沢が出てきて蚊の鳴くような声で、

「風邪がなおらしまへんので、
ご挨拶にもよう参じませず、
申し訳ごわりまへん」

といった

「モヤモヤさんに負けたんかいな」

とつぶやくと、
前沢は聞きちがえ、

「へえ、
セキすると胸が痛うて、
あたまがモヤモヤして・・・」

「大事にしいや
これからだっせ
生きて面白いのは」

「へえ
さよでごわっけど、
体がいうことをききよらしまへん」

という声には力がない






          


(次回へ)

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