聖なる書物を読んで

現役JW29年目

指導者であるキリストを信頼する

2018-12-21 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

良いテーマ。1~3節はいい感じです。ところが・・・

4節。「神の組織が速いスピードで前進している今も、イエスの指導を信頼できるのはなぜだろうか」と考えるかもしれない・・・とな。こういう疑問をみんなが持ってるって、組織も分かってるんだね。でも、こういう疑問を長老に相談したら審理対象にされちゃうし、仲間に話したら長老にもバレちゃうから、みんな黙ってるよね。だとしたら、組織は自分たちがやってることが、疑問の元になってるだろうと分かってて、言い訳してるってことだよね。なんだかな。もう読む気がしない。

5~8節もいい感じですが・・・

9節。「でも今では、電子機器を使うメリットを理解している」。組織がネットを使い始めるのが遅過ぎる、と思ってたのは自分だけではないはず。組織はさんざんネットを否定してたから、しょうがないのかなと思ってたのに、今じゃこれだもんね。あきれる。「最初は疑問に感じても」ってよく言うわ。自分たちが禁止してたようなもんなのに。

10~12節。エルサレムの長老たちとパウロの関係。ちょうど、使徒たちの活動15章で考えたところです。組織は自分たちの都合の良いように当てはめてますね。それも一つの見方なんでしょうけど、自分は受け入れられないです。もしここに書かれている通りだとしても、エルサレムの統治体はユダヤ人信者たちに、キリストの福音を徹底させることが出来なかった役立たず、ということでしかないと思います。

13~最後。読む価値無いです。読むと洗脳されます。組織はなんとかして、自分たちの出している指示を正当化したいみたいです。

神は、人間の行なうどんな悪い事柄だって、ご意志に従う形で用いることがお出来になると思ってます。たとえ結果的に良かったからといって、それがすべて良い行動だったとは思いません。迫害で散らされてキリスト教が広まったからといって、迫害した側が正当化されるわけじゃないということです。

つまり、パウロはエルサレムの長老たちに従ったがゆえに、捕縛されローマに行くことになり、結果的にローマにキリスト教が広まった。だからといって、長老たちが正しかったわけではないということです。さらに、統治体(組織)の指示で良い結果が得られた(と言われている)からといって、その指示が良かったからだとは言えない、と自分は思ってます。


コメントを投稿