明日のものみの塔研究記事です。
一言で言ってしまえば・・・組織の教え、つまり同性婚やクリスマスや誕生日や輸血や排斥に関する組織の教えを疑うなよ、ってことでしょうかね。
これは聖書の教えでエホバの基準だ、って書いてるけど、これは組織の教え(解釈)ですよ。だから、本当なのか、って疑問が出るんです。
エバはサタンの「本当ですか」に対しては、ちゃんと返答していますよ。疑念を抱かせたのはうその言葉の方でしょ。
それに、「本当なのか」っていう疑問を抱くことはいいことだと思います。で、その疑問に関して、組織からの情報だけでなく、聖書やそれ以外からもいろいろ情報を取り入れて、自分で判断することです。
そうじゃなかったら、盲信になっちゃいます。
まぁ、組織は信者にそれを望んでるんでしょうけど。
同性愛に関しては、聖書では禁じられてると思えるかもしれないけど・・・禁じる律法はイスラエルに与えられたものだし(もう廃された)、パウロはあのとおりの禁欲主義者だったし。淫行ははっきり禁じられてるけど、今でいうところの同性婚が果たして淫行に含まれるのかどうかというと、そんなことはないんじゃないかとも思えたり。
イエスは、神は人間の頑なさを考えて譲歩して下さっている、って言っておられましたよね・・・だから神は、その時々の、その状況にあわせて、これが最善だとこれが幸福だと考える人間の良心を、尊重して下さっているんじゃないかなと思ったりもします。(もちろん自己中はダメです)
そう考えると、同性婚も頭から否定しようとは思えないんですよね。(でも正直、自分には理解できない領域ではあります)
話は変わりますが・・・
良い友を選ぶ、ってよく出てきますけど、これ、すごくイヤな表現です。自己中丸出しの表現です。自分さえ良ければいいのかよ、って言いたくなります。それに、人を良い悪いって裁いていいのかよ、とも言いたくなります。
さらに、良い友=集会で見つける、ってのも狭い考えです。しかも、霊性の高い人(実際は、見た目で組織に貢献してる人)を、って(←今回の記事にはなかったけど)。これ、ホントにイヤだった。家柄や肩書きで判断してるのと変わらないじゃん、って思って。
まぁ自分にとってはね、友を「選ぶ」なんて贅沢な話ですよ。友になってくれるんなら、誰でもウェルカムですw。
一言で言ってしまえば・・・組織の教え、つまり同性婚やクリスマスや誕生日や輸血や排斥に関する組織の教えを疑うなよ、ってことでしょうかね。
これは聖書の教えでエホバの基準だ、って書いてるけど、これは組織の教え(解釈)ですよ。だから、本当なのか、って疑問が出るんです。
エバはサタンの「本当ですか」に対しては、ちゃんと返答していますよ。疑念を抱かせたのはうその言葉の方でしょ。
それに、「本当なのか」っていう疑問を抱くことはいいことだと思います。で、その疑問に関して、組織からの情報だけでなく、聖書やそれ以外からもいろいろ情報を取り入れて、自分で判断することです。
そうじゃなかったら、盲信になっちゃいます。
まぁ、組織は信者にそれを望んでるんでしょうけど。
同性愛に関しては、聖書では禁じられてると思えるかもしれないけど・・・禁じる律法はイスラエルに与えられたものだし(もう廃された)、パウロはあのとおりの禁欲主義者だったし。淫行ははっきり禁じられてるけど、今でいうところの同性婚が果たして淫行に含まれるのかどうかというと、そんなことはないんじゃないかとも思えたり。
イエスは、神は人間の頑なさを考えて譲歩して下さっている、って言っておられましたよね・・・だから神は、その時々の、その状況にあわせて、これが最善だとこれが幸福だと考える人間の良心を、尊重して下さっているんじゃないかなと思ったりもします。(もちろん自己中はダメです)
そう考えると、同性婚も頭から否定しようとは思えないんですよね。(でも正直、自分には理解できない領域ではあります)
話は変わりますが・・・
良い友を選ぶ、ってよく出てきますけど、これ、すごくイヤな表現です。自己中丸出しの表現です。自分さえ良ければいいのかよ、って言いたくなります。それに、人を良い悪いって裁いていいのかよ、とも言いたくなります。
さらに、良い友=集会で見つける、ってのも狭い考えです。しかも、霊性の高い人(実際は、見た目で組織に貢献してる人)を、って(←今回の記事にはなかったけど)。これ、ホントにイヤだった。家柄や肩書きで判断してるのと変わらないじゃん、って思って。
まぁ自分にとってはね、友を「選ぶ」なんて贅沢な話ですよ。友になってくれるんなら、誰でもウェルカムですw。
この、ブログを拝見しました。
私は、クリスチャンではありません。
ごく普通の、神社や寺院をお詣りする保守的な日本人です。
ただし、私が、幼いころは、キリスト教会付属の幼稚園で学びましたので、聖書の知識は、ある程度はあります。
(もちろん、普通のキリスト教ですので、エホバの証人とは、かなり、雰囲気はちがうと思います。)
幼稚園時代は、クリスマスや復活祭などの楽しい思い出もあり、幸せな幼児体験のイメージになっています。
賛美歌もいくつか覚えています。
幼稚園のころ、園長先生(牧師さん)から、『ミカちゃんのお声は、天使みたいでちゅね』と、ほめていただいたこともありました。
ブログ主様は、エホバの証人に少しばかり疑問をいだきながらも、まだエホバの証人の教団に在籍なさっておられると
伺いました。
その点につきましては、私の立場からは、気の効いた助言はできませんが、
なによりも、ブログ主様と御家族の、お幸せが第一だと思います。
ブログ主様が、今までのエホバの証人仲間と決別なさることが、おつらいなら、
はどほどの活動で適当な、おつきあいをなさるのもいいでしょうし、
『もう、潮時だと』かんじられたら、退会なさるのも良いかも、しれません。
私は、エホバの証人ではありませんので、その教義や雰囲気は、よくわかりません。
もともと、19世紀のアメリカ発祥の宗教であり、確か、人気タレントのマイケル・ジャクソンさんのお母さんもエホバの証人だったらしいです。
ただ、エホバの証人は、多くの国で抑圧され禁止されているようです。
ロシアのプ-チン大統領も、エホバの証人を禁止しているそうです。
中国や北朝鮮やイスラム教諸国も、たぶん、ダメでしょう。
私は、その点についての論評はできませんが、国によっては、エホバの証人の活動には、かなりの制裁もあるようです。
私は、もし、日本でエホバの証人が禁止されたら、信者のかたは、それでも信仰?をつらぬく勇気があるのかなあ?、、と、思ったりします。
と、いうよりも、エホバの証人の指導者のかたは、御自分が入信・勧誘した一般信者さんの、幸せな生活をまもる責任を、お持ちなのかなあ??、、とも思います。
◎とりとめのないことを、長々と、書いてしまいました。
ブログ主様の、お幸せを、お祈りいます。
神近蜜花(かみちか・みか)
「幸せが第一」、おっしゃる通りです。でもどうすることが幸せなのか(もしくは、どうすれば今後の幸せにつながって行くのか)を見極めるのは難しいです。
今の自分にとっては、エホバの証人との関係って、遠い親戚関係みたいなもので、縁を切るも切らないもどうでもいいというか・・・でもまぁ、一応親戚だから何をしてるか言ってるか気になる、みたいな。
そんな感じなので、もし日本が禁令になって、エホバの証人であるというだけで捕まるようになったら、逆に脱退する理由ができるので、そうすると思います。
ただ、個人として信仰を守り通すには勇気がいるだろうなぁ・・・仲間がいなかったら負けちゃうかもなぁ・・・とも思います。難しいです。
この組織の指導者たち(統治体)は、一般信者の幸せの責任なんて、これっぽっちも考えちゃいないですよ。何があっても(たとえ殺されても)すべて自己責任で片付くようなシステムになってますから・・・。
神の存在を否定できれば、もっと楽に生きられるのかなぁ、と思いますけど、そこだけはどうしても否定できないんですよね・・・。
今は、とにかく命を頂いたのだから、幸せに生きること、それが神の御意志なんじゃないかと思っています。となると、幸せを見極めるのが難しいという最初の話に戻っちゃうんですがw。
みかさんのお気遣いに感謝いたします。ありがとうございました!
お名前を間違えてしまいました。
みかさん、ではなく、ミカさんでした。
すみませんでした。