無茶苦茶は、一万回やっても、むちゃくちゃです。何も変わりません。
失敗は、成功の元という言葉がありますが、失敗の先に失敗を重ねても成功には行き着きません・・。
失敗したら、必ず戻ってどこがダメだったのか確認して、同じことをしないよう排除して、元の位置から始めることで意味を成します。
失敗の上に反省もソコソコに練習もせず、一度できたことも再現性を維持できないので、とりあえず別の方面からのアプローチを試みる・・・。そちらでも練習せず・・・進歩しない。本人のモチベーションも落ちる。
ある程度のスピ-ド感を持って、小さい成功体験を次々に起こし、生徒のモチベーションを上げるのが、私の目指していることです。
ギターは、義務でもないですし、倫理観なども、特に求めませんが、うまくなる順序は、どういう道徳性だろうが社会性だろうが、動かないことがあります。
どんなにフォームが特殊でも、リズムがあってるならば文句はあるはずがないです。
音楽の楽譜というものは、音の高さと長さを中心に表しています。
それを再現する、もしくは、基準にして構築して音楽と呼ばれます。
ルールの中で表現することが芸術です。
要領の差は多少ありますが、筋肉と脳との同調レベルが、絶対的に真剣に取り組んだ演奏者の練習量を如実に物語るということです。
スポーツと同じですし、伝統工芸とも、そこは変わらないと思います。
パソコンで、一度作ったものを、コピー&ペーストでいじって製作するのとは訳が違います。製作もせず、誰かの製作した映画やTV番組を最新PCで高速エンコードして圧縮して保存して満足している方もいます。
誰かを批評したり、利用したりのみで、自分がカラッポになってしまっては・・・。
なかなか伝わらないものだすなあ・・・。猛練習するためには、怪我しないための基礎が必要で、それを正しい遊び方で見に付けていく・・・それが幼児教育というか、初期教育と認識しています。
決まったやり方ならば、教則DVDもあるし、それのみで上達する方は多数でしょう。いまや、YOUTUBEでも、数多くの方が親切に指導されています。素晴らしいと思います。
そのシステムにも、デメリットがあります。熱中しなくても簡単に情報のみ潤沢に手に入るもので、軽く考えてしまい、何も手にしていないのに、満腹感があり、時間は過ぎる・・・。
うまくなる人とならない人の差は広がり、言い訳もなくなり、追い詰められる・・・。
誰でも情報を取れる時代には、恐るべき罠が潜んでいました・・・。
そこを補うのが、生身の講師ということで、私も挑戦しているということだす。
自分の時代と比べて、何が違うかというと、私が講師としてすべてに対応していくので、あっちこっちに生徒の逃げ道が無くなっていくということですね。「この先生は、フォークが専門だから、ロックのことはわからないよ。」とかがないので、時間つぶしや生徒の逃げ道を、自分が答えを言って、あっさり処理してしまうのですよね。
でも、学生生活なんて一瞬ですし、おそらく学生を卒業したらギターはお蔵入りでしょうから、学生のうちに、無駄を排除した練習でサクサクっと、うまくしてあげたい・・・そんな気持ちで教えております。
しかし、結局、練習なしでは、同じ場所を繰り返し通るだけになります・・・。
なんとかしたいものですなあ。では。