春日山城の隣にある林泉寺は、上杉謙信が7歳から14歳まで修行を積んだ寺です。山門には巨大な闊達した書体で「第一義」と書いた謙信の筆による額が掲げられています。第一義とは、禅宗の祖、達磨大師の有名な問答中に出てくる言葉で、仏教の第一義とはなんぞやという設問から来ています。達磨大師によると第一義とは廓然無聖 (かくねんむしょう)であるといいます。この意味は言わば明鏡止水の境地のようなものなのですが、上杉謙信の生涯を思うに、その隠された真意よりも、字をそのまま素直に義を第一に重んじたと読んだ方が遥かに謙信の生き様を現しているように思えます。しかし謙信の理想は更に高く、自らを毘沙門天の化身、北方の守護神として仏道を歩みます。この二重の意味において「第一義」を見なくてはならないと思います。
「野伏する鎧の袖も楯の端も みなしろたへのけさの初雪」
「なれもまた草のまくらやゆうひばり すそ野の原におちてなくなり」
謙信が北陸に侵攻した信長軍を迎え撃った手取川の戦いの頃陣中で読んだ歌です。
死の中に生あり、生の中に生なしと悟った謙信の静寂な心が伝わってくる歌で特に上の句は白妙を使った歌としては、有名な「天の香具山」の歌と対極の境地にある名句であると思います。
先日林泉寺を訪れた際、僧堂は雪で覆われ白妙を引きつめたようでした。
「野伏する鎧の袖も楯の端も みなしろたへのけさの初雪」
「なれもまた草のまくらやゆうひばり すそ野の原におちてなくなり」
謙信が北陸に侵攻した信長軍を迎え撃った手取川の戦いの頃陣中で読んだ歌です。
死の中に生あり、生の中に生なしと悟った謙信の静寂な心が伝わってくる歌で特に上の句は白妙を使った歌としては、有名な「天の香具山」の歌と対極の境地にある名句であると思います。
先日林泉寺を訪れた際、僧堂は雪で覆われ白妙を引きつめたようでした。