私は泣き虫である。
もうい~年したオッサンだが泣き虫だ。
もう泣かないだろうな~と思っていると、
ある日、突然ドバーっと泣くことがある。
泣くとは情けない、けど、しょうがない。
出てくるものは出てくるのだから。
泣いてもいいのだけど、泣くと全身がグッタリする時があるので大変だ。
それでも泣くからこそ次に行けるような気がする。
「今会いに行きます」という小説をご存知だろうか。
私も読んだことないのだけど笑
絶対に面白い小説だろうな、と思う。
「今会いにいきます」漢字だったか、正確にタイトルを覚えてないが、
とても面白い言葉だと思う。
思いやり、相手を思う、ということが、
失われつつある、
最初からそんなものなかったと気づきつつある、
いや、やっぱり結果的にあきらめなず、コツコツ自分を続けることが、相手を思いやることになる、
と感じる私にとって、
「今会いにいきます」という言葉はとても響く。
中学の頃、美術の先生が一枚の大きな絵を描いた。
縦3メートル、横6メートルぐらいある、特大キャンパスに絵を描いた。
絵にまるで興味のない私だったが、最近になってなぜか思い出すことがある。
20年以上も前のことをふと思い出すことに感動してる。
その絵の内容とは、どっかに放置されたでっかいドラム缶の底の様子を描いたものだった。
なんの特徴もない画題だ。
ドラム缶はところどころ錆びて、なかには土やホコリやゴミがたまっている。
緑の植物が時間のままに伸びている。
そういう絵だった。
なぜ?
なぜ?
なぜ?
なぜ?それを描こうと思った?
よくそこを絵にしようとしたな!と今、先生に対して感動している。
よくぞ、そこを描ききったと先生に敬服している。
底を描く、忍耐にも似た作業はもっとも私に足りないところだ。
底にも、忍耐にも、世界があることを先生は絵を通して、
無言で教えようとしていたのかもしれない。
同窓会も出席しない私だが、猛烈にあの絵を見たくてしょうがない。
友達を誘って学校に行こうと思ったが、
今度1人で行こう。
絵に対してだけど、
「今度、近いうちに会いに行きます」
おわり。