おはようございます..
と挨拶して相手が何も返さず、
ダマって行ってしまったら、
あなたはどう感じるだろうか?
不快になるのが当たり前だとしても、
私も実は挨拶を返さない時期があった。
たぶん、これを書いてる今は
当たり前のこととして、
挨拶を返してる、普通の状態なんだと思う。
挨拶を返さない時期というのは、
正確には挨拶を返せない時期だった。
挨拶は生きる基本なことであることは
無知な私でも痛いほど感じている。
それでも挨拶を返せない時期があった。
正確には声が出ない、、状態だ。
声が出ない。出ない。なぜか出ない。
言葉は浮かんでくるが、
声がでない。
角を焼かれるヤギのように、
切迫した気持ちで叫べば出ないこともないが、
叫んでしまったら相手が驚くだろう。
叫びは挨拶じゃないでしょう。
それで声が出ない時期があった。
これについて考えていたら、
数年前に見たとある殺人事件の裁判のニュース記事を思いだした。
その記事の被告はたしか駅前で無差別に包丁?を
振り回し、通り魔的に複数人を死傷させたという事件を起こしていた。
驚きなのは、被告は裁判で一言も声を出さず、
表情も特に変えずにずっといた..
ということだった。
事件の残酷性を見ると、
被告を擁護する余地は全くないが、
一言も発さないというのが、
妙に印象に残った。
もしかしたら、声が出ない何かがあったのかもしれない..
近所の公園で遊びを仕事とするガキが叫んでいる。
気のふれた人のように叫んでいる。
うるさいな..と感じる時もあるが、
表現してる、表現できてることを思うと安心もする。
声が出ない状態が続くと、
その先には・・
声が出ないだー???
何甘ったれたことを言ってんだ?
という突き放し方もあると思うが、
声が出ない状態を知っている自分は
声が出ない人の気持ちが少しわかる。
挨拶をしても返せない人は
私の周囲にもいるけど、
不快に思うと同時に出ない何かがあるだろうな、、
と思いやり?というか理解するようにはしている。
声に出ないとは沈黙が広がることであり、
沈黙は視界を美しくさせることもある。
辺りを見渡せば花が咲いてることもあり、
花の色は沈黙に色をつける。