ヤフートピックスでこんなニュースを見た。
お題の通り、埼玉県狭山市で女性が男性に金属バットでいきなり殴られたらしい。
後方からいきなりというから、防ぎようもない。
2人は面識がないというから驚きだ。
男性は捕まり、「イライラしてやった」と供述しているとか。
女性は急性硬膜下血腫で重傷。
容疑者男性は31歳。
働き盛りの年齢なのに無職。
女性のことを思うと気の毒で仕方がない。
この事件を見て思ったのは、
背後からいきなり面識のない人に殴られるほど恐いことってないってことです。
他人様の恨みは買わないようにって、誰でも気をつけてることだと思います。
でなくても、買ってしまう場合もあるから、尚更、気をつけています。
なぜ?
そこで時間を浪費したくないからです。
そこで体を磨耗したくないからです。
他にもっと時間を費やしたいことがあるからです。
互いにいいことないからです。
それでも、人生の局面で、環境で、人は他人の恨みを買ってしまう。
だからこそ、買わないように気をつけてるのに、
背後から知らない人に殴られたら、どうしようもないじゃないか..と思います。
それと、数年前に都内で無差別通り魔事件があった時にある人が語った話を思い出しました。
実は刺される人にも必然性がある、決まっていた..というんです。
なぜ?と尋ねると、要は回り回ってやって来たというんです。
その話は、なんとなくわかるような、でもわからないという感想でした。
それと、31歳の男性がそんな事件を起こしてしまうのはもったいないとも思いました。
反対のことを考える癖があるのです。
今回のような凶悪で最悪な事件でも、反対の絵を想像してしまうんです。
精神のバランスを保つためかもしれません。
もしも、良い方向に転がっていたら、もったいないと。
それと、小さい頃兄弟ゲンカで、金属バットで殴られた時のことを思い出しました。
ヤったりヤラれたりで、金属バットが出てくるとは痛いのはもちろん、ビックリしました。
子供だったので、力もなく、大事には至りませんでした。
そう思うと小さい頃のそういう経験は大事だなって思います。
程度、加減を身を持って知るからです。
その後のことも経験しているということは、その後どうなるか知っていることであり、ならば、その方法は取るべきではないと判断できるからです。