こんな記事があった。
動物の殺処分ゼロの方針を進めている神奈川県。
犬は3年連続、猫は2年連続、殺処分ゼロだったとか。
しかし、貰い主のいない動物を預かる施設が常時定数オーバーだという。
そういった施設は、ボランティアで経営さえてるものが大半らしい。
また飼育費や医療費が高く、運営を圧迫をしているという。
なんとかゼロという目標は達成できているものの、課題が山積みだそうだ。
この記事を読んで、やはり「キレイゴト」だけでは回らないのだな、と思いました。
殺処分はすべきではない、と私も強く思います。
しかし、ならば動物たちをどう飼育していくか..となると何も言えないのが現状です。
ということは、殺処分はすべきではない、と言う権利がないのだと思います。
最低限、自分の飼っている犬、猫には責任を持てますが、それ以外は手に負えません。
施設に入ってくる動物たちは増加傾向にあるそうです。
増加する理由として、安易な気持ちで飼い始め、飽きて捨ててしまうケース。
無計画な飼育で、どんどん繁殖させてしまうケースだそうです。
殺処分ゼロを3年連続で達成とありますが、殺処分ゼロは当たり前なことだとも思うのです。
飼う人が責任を持てば、いいだけのことです。
でも、それがなされないから施設にやって来る動物たちが増えてくる..と思うと、やっぱり最初の飼う人の責任とという意思が大事だと思います。
避妊手術が可愛そうならば、飼わなければいいのです。
【なぜ安易な気持ちで飼ってしまうか】
なぜ安易な気持ちで飼ってしまうか、を考えました。
飼いだす時に、死を、最期を考えないことにあると思います。
これは動物たちに責任はないことを承知であえて書かせてもらいますが、
赤ちゃん時代の動物たちは、飛び抜けて可愛いですね。
飛び抜けた可愛さに、衝動で飼いたいと思い、飼ってしまうというケースはたくさんあると思います。
飛び抜けた可愛さの前に、人は興奮し、とてもとても後の面倒なことなど気にかけないでしょう。
飛び抜けた可愛さの前に、勢いで「最期まで責任を持つ」と言い張る場合もあるでしょう。
高速道路も西に向かう車線があれば、左に向かう反対車線があるように、
「可愛い!飼いたい!」それだけではやはり偏っているのです。
その反対のこともしっかり理解しなければ、ペットは飼ってはいけないのだと思います。
話少し逸れますが、昔アジアの発展途上国を旅したことがありました。
とある街で、捨て猫、捨て犬をわんさか飼っている名物屋敷がありました。
屋敷周辺では、そこで飼われている犬猫たちが闊歩していました。
病気で毛が全て抜け落ちている犬。
目玉が片方潰れている犬。
足が1本ない犬。
それらを見た時、最初は目を背けたくなりました。
でも、「キレイゴト」じゃないことは確かにあると感じましたし、
そこにもしっかりと生命という世界が力強く脈打っているのを感じました。
文明が進み、社会がキレイになることは、そういう部分を見えにくく、隠してしまうことがあると思いました。
「キレイゴト」じゃない部分は、いつの時代も変わらずあるものだと思います。