名言サラダドレッシング

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4月から始めてみたいことは..今までを継続。

2016-03-31 22:33:28 | 日記

今までを継続!ということなら、このお題に参加するな!と言われたら困ってしまう。

でも、今までを継続が本心。


ということは、現状維持で精一杯の毎日なんだろう。

もう若くはないしな~


と言い訳をいう前に思い出したことがある。

それはある同年代の知人についてだ。


その知人は、音楽が好きでとにかく好きなアーティストを発見することを常としている。

私なぞは1度好きになったら、すっぽんのごとく離さず、スルメのごとく味わう。


だからその知人の音楽の聴き方は信じられないし、驚きだ。


私なぞは、最近はめっきり新しい好きな曲が出てこない。

出てこないんだからしょうがない。


時には無音を爆音で聴こうとさえ、最近は思っている。

無音のなかに広がりを感じるには、有音のなかに最大限の広がりを感じる努力をしなけれバッハ。



中学の卒業式で..

2016-03-21 21:00:40 | 日記

私が中学2年の時、先輩の卒業式の時の話だ

先輩のなかには、いわゆる不良グループがいた。


その不良グループたちが、卒業式でなんとクラッカーを鳴らしたのだ。

そりゃメデタイことだけども、クラッカーを鳴らすとは!


それが自分の卒業式以上に記憶に残っている私って。


不良グループのなかの1人が、自分の住んでいるマンションの下の階に住んでいた。


本格的な不良だった。

私は彼が恐かったけど、どっかカッコいいとも感じていた。


当たり触りなし、裏でコソコソ、部屋でコソコソの不良ではなかった。

堂々と不良していた。


それって、今になって思うと、とても真摯に「存在していること」と向き合っていたんだと思う。

わかりにくい表現になってしまったが、その不良兄ちゃんは歪んではいなかった。


むしろ、社会の歪みを、不良というスタイルで表現していたのかもしれない。


今の若い人たちは、恐ろしいほど窮屈なのかもしれない。

都会では、上の世代よりも、若い世代に自殺者が多いとの記事をちょっと前に見た。


自殺するか、卒業式でクラッカーを鳴らすかの、二択にもし迫られたら、
クラッカーを鳴らすだろう。

そんな二択ないけどね、もしあったらの話ね。


不良は表現してるからまだいい、1番危険なのは表現をしない奴だと思う。

さすがに卒業式でクラッカーは、やり過ぎだと思うけど、そんなことを思った。

弟2人がいるが...

2016-03-09 21:21:57 | 日記

gooブログの共通のお題にはよく参加する。

自分が書くことによって、他の人の文章がより面白く読めるからだ。


しかし、今回のこのお題は何を聞きたいのだろう。

兄弟・姉妹がいることでの何かエピソードを求められてるんでしょうね。


私は弟2人がいる。

昔はよくケンカした。


本当、死んじゃうじゃないかってぐらいのケンカもあった。


弟に金属バットで思い切り殴られ骨が折れたとか折れないの話もあったし、

弟を血まみれになるまで殴ってしまったこともあった。


そういう意味では、深い深い間柄だと思う。

というのも、私はケンカが弱く、自分からは決してしかけない男で、ケンカする相手がまずいないのである。


一歩、外を出れば、ハイ負けました!の連続で、ケンカや暴力をひどく好まない男らしくない人間だ。


そんな私が、なぜ弟とケンカするか?


それは、実際に同じ部屋に住み、近い距離にいるので、互いのプライベートなところまで、スっと入っていたりする。

まず、他人が入ってこないであろうプライベートなところまで、兄弟は入ってこれるのである。


なぜ他人がまず入ってこないプライベートな空間があるか?

それは自分にとって大切で重要な時間である。


殺意や憎悪や恨み、つらみを見つめ、修復し、また人間として、部屋の扉を開けるための大切な時間なのだ。


平和な毎日は小さな戦争の連続だ、と思っている私にとって、
その時間はとっても大事な時間なのだ。


でもそこにも、弟はスっと入って来たりする。

そしてタイミングが悪いとケンカが起きる、起きた、だな、もうこの先、ケンカはないと思う。


なぜなら、ケンカでケガして体が不自由になったりすることは、絶対にゴメンだからだ。


そんなことより、私にはやりたいことがある。夢がある。

ケンカなどやっている場合ではない。


ケンカなどはやっている場合ではない...ことは充分承知ながら、なぜ兄弟とケンカしてしまったか...

それは、そのケンカがムダではない、とどっかでわかっていたからだ。


必要なケンカだとわかっていたから、ケンカが起きたのだと思う。


兄弟はいいものだと思う。

人生は経験だし、色々あってこそ、色々発見がって、色々な発見がさらに楽しいもにしてくれる、楽しさは、生きてることの幸せを感じさせ、現在のありがたみも感じさせてくれる。


そう兄弟がいる、ということは1つの経験だ。

ということは、1人っ子ということも1つの経験なのかもしれない。


1人っ子の友達もいるが、考え方や物の捉え方が1人っ子ならではだな~と感じる。

自分より頭が悪い部分も感じるし、自分では到底思いつかないような頭の良さも感じることがある。

ワガママの先にある純粋な輝き?みたいなものを、1人っ子の友達から感じることがある。


実は私は、格好悪くてもケンカを避けるべき理由を、その1人っ子の友達から教わったのである。

ワガママの先にある純粋な輝きの光の充足感を知ったならば、ケンカがいかにもったいない話なのかわかる、と思う。


それと、兄弟についての言葉で印象深いものがある。

それはある老人の言葉だ。

「兄弟は1番近い他人」


兄弟と家族...というと近い間柄を想像するが、所詮は他人なのだ。

他人だからといって、気にしないのではなく、1人の社会人、人間として、接することができるようになって、本当の兄弟と言えるのかもしれない。


ついつい、兄や弟、などの立場に固執して、醜い間柄になってしまうこともあるような気がする。

老人の「兄弟は1番近い他人」という言葉は、そういう意味で新鮮に響いた。


私は父、母がいて、弟が2人いる。

そこにはそれなりの深い関係がある...が、


世の中、親、兄弟がいない人もいる。


血のつながった家族の関係を離れた、協同体、つながりみたいなもの。

他人と家族みたいな間柄になったりする話も、とても良いと思う。


おわりです。
ありがとうございました。