いつもの散歩。
森のなかを歩く。
大木たちが今日もまた伸びている。
もしも木に手があったら、殺人事件は起きるのだろうか?
と、突拍子もないことを考えた。
というのも、最近物騒なニュースが流れてるからだ。
殴り殺したり、蹴り殺したり、切り殺したり、車で突っ込んだり。
どれも手、足がなければ不可能に感じる。
殺意がどんなに育とうとも、実際に行うのは無理な気がする。
木や草たちだって殺意があるに違いない。
「お前のおかげでこっちは全く日が当たらない」という同じ種族同士の争い、殺意もあるだろう。
それでもどんなに殺意が育ったところで、できることは根を生やし、光を求めることだけだ。
森の奥深くに入ると、緑色のあきらめに身を包まれる。
大木相手にしたら、両手両足があったところでビクともしない。
チェンソーで切ることができるけど、チェンソーもまた殺しの道具になってしまう。
お~悲しいかなー、人間の運命よ!
両手両足のない大木を見ていると、いかに殺意が力だということがわかる。
殺意は実は素晴らしい力なのだ!
根を生やし、光を求めるための力であるのに...
あまりの殺意に二股に生えていく木。
殺意の分だけ、木皮に生える苔よ。
苔のむうすうま~で。
君が代でしょ、日本は。