マヒワの話、今年(2012)は各地でマヒワが見られ皆さん楽しんでいることと思います。
「ものの本」によれば江戸時代の播州には、眼病に「鶸」(マヒワと思われる以下同じ)の黒焼きが特効ありとういう口伝があった。
「鶸」は翼の長さ二寸(約6センチ)あまりの小鳥で背は暗黄緑色で、胸は鮮やかな黄色で雄の胸は特に美しく、「鶸色」(黄色みの強い黄緑色)の名の下となった。北国蝦夷松前で繁殖し、秋口南へ渡る。
(水元公園でひまわりに集る沢山のマヒワを見た時に出会った通り掛りの人が昔はよくマヒワを食べたと言う話をしていました。)
「鶸色」(ひわいろ)とは、マヒワの体色を模した明るい黄がちの黄緑色のこと。鎌倉時代の武士が礼服に用いた狩衣をまとめた『布衣記』(布衣は狩衣の別名)に、狩衣の色として登場する。この「鶸色」のやや緑が強いものを「鶸萌黄」(ひわもえぎ)といい、江戸時代に刊行された染色指南書の『染物早指南』には「かや こくにつめて 表裏二へんずつ あいけし」と、カリヤスを濃く煮詰めた液でやや濃い黄色に染めた上から、うっすらと藍を重ね染めしていたことがうかがわれる。「鶸色」もほぼ同じ手法で染めたものと思われる。
池谷信三郎の『橋』には女性の羽織、中里介山の『大菩薩峠』には女性の帯の色として登場するが、江戸時代の流行色で「鶸色」に茶色がかった「鶸茶」(ひわちゃ)は、『守貞謾稿』には男性向けの色として紹介されている。