朝も女房と話をしていましたが、コロナ禍前(60歳後半)まではそれなりに体力・気力もあり何でもできると思っていました。
65歳~72歳までのステージまでは、業種の異なる仕事をしていましたが、思い返せば特に責任も撒く、やること成すことが面白く感じて屋根の上で踊っていたようにも思えます。
*必要の無くなった手帳やシューズです。
退職して、明日からは全く自由で、エブリーサンデーだと思っていたのですが、いざ屋根(退職)から降りようとしたら、ハシゴが外されていたのです。
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ここから「団塊シニアのひとりごと」さんの記事をお借りします。(全文)
サラリーマンでいるときは会社を通じて世の中の役に立つ、会社のため、報酬を得て家族のため、上司、同僚、部下社員、取引先との交流、なぜか役に立ってるという実感があるものだ。
退職すると、今までの実績がすべて帳消しになり、喪失感を味わうのは、もしかしたら人生で初めての経験かもしれない、そんな時、自分は必要とされないのではと感じる瞬間があるもので、それは誰の心にもおこる心理かもしれない。
そこには「役に立たなければ生きる価値がない」という考え方がからんでいる、実際にはどんなことが役立ってどんなことが役に立たないのか、人間の判断能力ではわからないことが多い、そう考えると人生の意味とか意義とか考えずともかく生きることを楽しむこと、そのことこそ今は大切だと思っている。
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その後コロナ禍のせいもあるのでしょうが、5~6年は、何をやっても身が入らないのです。
また、いろいろなこともありました。
バイク事故(被害者)・母との別れ・指のケガ・さらに難聴などが重なりました。
指のケガも注意力が無くなったのか3回もです。一度は10数針縫うケガもありました。
50歳代に突破性難聴になり、処置を十分にしなかったために補聴器が必要になっています。
補聴器は定期的に感度調整をしています。
こんな日が続くと、気持ちが落ち込んでいくばかりです。
共通の趣味であるダンスも、お付き合い程度になっています。
高いレッスン料を払ってダンスを教わっても、ただ時間が過ぎて行くばかりです。
多くが耳のせい(遠くなった・聞こえない)にしていました。
体型も頭が突っ込みがちになり歩幅も短くなって、年寄りになったと女房に言われて目覚めたように感じました。
昨年の9月ごろからジムに通い始めました。一人で運動をしても効果が分かりませんので、パーソナル(個人指導)トレーニングを週に2回行い、運動習慣を身に着けることにしたのです。
時間があれば、週に3回(約2時間半)ジムで過ごします。あの年寄り体型になりたくなかったのです。今では効果も徐々に表れて、体重やウエストもかなり減りました。
ダンスの指導員資格も今年から放棄する予定でしたが、ある方からこの資格は継続した方が良いと言われて継続することにしました。
たしかに資格取得は実技や学科もありますので、それなりに勉強もしましたね。
そして、次に選手登録です。これは継続して勝ち負けではなく、フロアーに立っての緊張感などを味わうのも良いかな?と思ったからです。
*画像はビデオをパチリですので、不鮮明になっています。
ジムに通ったせいか?体型も少しずつ変化し(体重やウエストが減り、脚力、他の筋力も出てきて)、気持ちが変って来たのです。
ちょうど、高齢者の分かれ道だったのでしょう。どんどん老け込むか?またはそれなりに元気でいられるか?です。
私にとってこの別れ道の解決法は(気持ちの変化は)、運動を習慣づけることでした。
一昨日も午前さまの飲み会がありました。バス停まで走ったり、帰りは歩いて帰宅です。
結論として、もかく生きることを楽しむことでした。
これは個人の考え方ですので、参考になるかどうかは分かりません。
あれだけ嗜好していた"いいちこ"も飲み会は別にして、普段はノンアルで過ごしています。
食事も日に2食でカロリーを考えながらです。(食べることに興味が無くなって来たのです)
ある種の(年齢的な)ターニングポイントかも知れません。それなり老いて行くのでしょうが、新たな戦いが始まっています。
もかく生きることを楽しむこと
yuki76