私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

俺のALWAYS(昭和30年)

2006年03月10日 | Weblog
   
 ついに、顔写真を掲載してしまった。でも、50年前なのでまぁ~いいか!である。

背景の写真は昔の自宅であるが、建増しや改築で当時の面影はほとんどない。
当時をしのぶものは、広くなった縁側、畳部屋の円形窓くらいである。

殺風景な庭で、大きな木に登ったり、布団干し用の丸太にブランコをつくり遊んでいた。

冬になると、鼻水を垂らし袖で拭くため、鼻の周りはいつも赤かった。
また、袖は鼻水でテカテカに光っていた・・・。
もちろん、手はアカギレ状態である。
時折、母が、赤くなった鼻や手に油クリーム「桃の花」を塗ってくれたのを思い出す。

もちろん家にはテレビも無かったし、風呂はお爺ちゃん家(ち)と共同風呂である。
風呂の水は、お勝手の井戸からトヨで流し入れるのだ。
当然、水汲みと風呂焚きは、俺たち子供の役割であった。
今でも、あのガチャコン・ガチャコンと井戸の水を汲む音が耳に残っている。

ラジオでの赤胴鈴之助。紙芝居を追いかけて迷子になった頃。
蓄音機で「すみれで花咲くころ」を聞く姉・・・。

これらはみな、俺のALWAYSだ。


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3 コメント

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こんにちわ♪ (churapon)
2006-03-11 12:42:26
50年前のお写真から想像すると・・・今はかなりダンディな方になられているのでは

私の幼い頃にはテレビやお風呂もあったけど、紙芝居のおじちゃんもいました。

お豆腐を売りにくるバイクのお兄ちゃんもいました。

玉子を買いに行くと紙袋に入れてくれたりして・・・思い返してみると、エライ変わったモンですね。
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Unknown (海の仲間)
2006-03-11 19:08:21
へぇ~、全然違いますね。面影?もありません。よく、こう言う写真がありますね。

そうです。凄くダンディですよ。
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Unknown (yuki)
2006-03-12 22:01:38
churaponさん

だって、携帯がここまで普及するとはねぇ~。

82歳の母まで持っていますから。

だから、手作りとか心のつながりなどが大事になるのでしょう。
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