ついに、顔写真を掲載してしまった。でも、50年前なのでまぁ~いいか!である。
背景の写真は昔の自宅であるが、建増しや改築で当時の面影はほとんどない。
当時をしのぶものは、広くなった縁側、畳部屋の円形窓くらいである。
殺風景な庭で、大きな木に登ったり、布団干し用の丸太にブランコをつくり遊んでいた。
冬になると、鼻水を垂らし袖で拭くため、鼻の周りはいつも赤かった。
また、袖は鼻水でテカテカに光っていた・・・。
もちろん、手はアカギレ状態である。
時折、母が、赤くなった鼻や手に油クリーム「桃の花」を塗ってくれたのを思い出す。
もちろん家にはテレビも無かったし、風呂はお爺ちゃん家(ち)と共同風呂である。
風呂の水は、お勝手の井戸からトヨで流し入れるのだ。
当然、水汲みと風呂焚きは、俺たち子供の役割であった。
今でも、あのガチャコン・ガチャコンと井戸の水を汲む音が耳に残っている。
ラジオでの赤胴鈴之助。紙芝居を追いかけて迷子になった頃。
蓄音機で「すみれで花咲くころ」を聞く姉・・・。
これらはみな、俺のALWAYSだ。
私の幼い頃にはテレビやお風呂もあったけど、紙芝居のおじちゃんもいました。
お豆腐を売りにくるバイクのお兄ちゃんもいました。
玉子を買いに行くと紙袋に入れてくれたりして・・・思い返してみると、エライ変わったモンですね。
そうです。凄くダンディですよ。
だって、携帯がここまで普及するとはねぇ~。
82歳の母まで持っていますから。
だから、手作りとか心のつながりなどが大事になるのでしょう。