私の写真日記

私は喜寿近くになり50年勤め完全退職しました。これから健康寿命を伸ばし夫婦共々穏やかに楽しむ人生を願っています。

誰に似たんだろう?(DNA)

2023年08月18日 | 自分のブログ
夫婦もそうですが、性格やモノの考え方など生まれ育った環境や両親などの遺伝子もあるかと思います。

私の父親の親族です。


オヤジはお爺さんや兄貴に顔つきはそっくりです。

女房の実家です。やはり、しぐさや顔つきはおふくろさん(義母)に似てきました。料理も好きで、煮物やいわゆる田舎料理が得意なようです。
嫌いなものは、ほうとう(山梨県)のようです。毎日食べさせられたと言っていました。しかし、次男坊は大好きで美味しいと言っています。

 私の性格は誰に似たのか分かりません。胃腸の弱いところはオヤジ似だと思います。また、髪もだいぶ薄くなってきました。オヤジは50歳ごろにはハゲていましたので、まだ保っている方だと思います。

母親方のお祖父さんもオヤジも耳が遠かったですね。それは似ているかと思います。
完璧主義は誰に似たか分かりません。

女房は田舎で苦労したおふくろさん似かな?人にやさしくて、誰にも愛される性格かと思います。前にはしゃしゃり出ては来ません。一歩引いた性格かと思います。
わがままな私にだって、遠くから見て最後はそれと無く注意してくれます。
年寄りにも良くしていますので、私の母は気に入った一番の娘(嫁)と言っていました。

それぞれ、生活環境の異なった者が縁あって一緒になり50年経ちました。
私は仕事人間でもあり、他人に対して気を使う性格かも知れません。
どうしたら勝てるか?今自分がなすべきことは何かなど、流れなどを読んで考え込む方で、任されたことはシッカリと完成形までもっていく性格(性分)だと思います。
そんな私を良く支えてくれたかと思っています。

早くして結婚し、男の子ふたりを授かりました。二人とも可愛い息子たちです。孫はいませんけどね。
私は女房より女房の実家に多く行っているかと思います。田舎の近所でも良く出来た婿さんと言われているようでした。
大事な娘を出したくれたのですから、女房の両親には心配はかけられません。農業経験の無い私は、田んぼや稲刈り作業も手伝っていました。
父親はポッポ屋さんで、転勤して昇格するのを止めてでも総領(長男)として家族や母親のためを考えたのでしょう。
義母とは草花を育てるのが共通の趣味で、よく苗の物々交換をしていました。

私は若いお父さんでしたので、子どもたちとはとことん遊び?ました。
小さい時に2人乗りの自転車を注文し(私と次男坊)、長男はサイクリング自転車で五日市街道の山道を抜けて丹波村で一泊し、難所の柳沢峠を越えて山梨まで行ったこともあります。まだ、長男が小学生の頃です。
また、ヨットを作っては乗せて遊んでいました。

長男坊はどちらかと言うと女房似だと思います。くよくよせずに大らかなのです。
身長も185cmくらいあるのじゃないかな?ある病院の企画室長(会長の下でナンバー2)で頑張っています。
今でもダッジの大きな車に乗っています。"そんなデッカイ車を乗ってて病院で目立たないの?"と聞くと職員専用駐車場は医者も止めているので、高級車の展示場になっているようです。

次男坊の性格は私に似たのでしょう。良く気が付くタイプです。
私と違うのは真面目なところでしょう。要領は良くないかもしれませんが、責任感もあり人に(特に母親には)優しいところがあります。
私とは別格の扱いなのでしょう。体型などは私の方に似たかと思います。
二人の息子も記念日などはよく覚えていて、何がしからのプレゼントなどをそれぞれ用意してくれます。

 以前もご紹介したことがあるかと思いますが、私たちの結婚記念日にはお互いの両親に電報を送っていました。(あと、女房にもです)変なプレゼントより安くすみますからね。

こうして幸せでいられるのも両親のお陰と思っています。その分、心配はかけないように心がけていました。
その両親も今では居なくなりました。淋しいですね。
誰に似たのか分かりませんが、それぞれのDNAがどこかにつながっているのでしょう。
そう、代々 商売人(オヤジはサラリーマン)で呉服屋商と質屋をやっていました。今でもブティックとなって女房が継いでいます。私はサラリーマンです。
したがって女房は代表取締役社長で、私は年金暮らしの無職となります。

特にお婆さんはしっかり者でかなり厳格でした。
私が初の給料をもらった時に、お婆さんにと小さなプレゼントをしようとしたのですが、受け取りませんでした。
まだ、自分の生活もままならないのに、人に施しをしようとするのは生意気だと怒られました。
あなたが、30歳になった時は貰うよと・・・。
その30歳を過ぎて、お婆さんが私に「あなたは世間では立派な大人になっているのです。自分が困っていても人はそうは見ません。なんで、私に施し(プレゼント)しないのか!」と怒られました。
自分の見栄や生意気なことはする必要はありませんが、自分の立場は(金が無くても)世間さまはそれなりに見ていると教えてくれたのです。

これも私のどこかにDNAとして残っているのかも知れません。


yuki75

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