私は小学生の頃から編み物が大好きでした。
お隣のおばさんに鉤針編みを習ったのがきっかけでした。
それから本を見ながら、自己流でバッグ、マフラー、セーターなどずいぶん作りました。
洋裁は苦手な私ですが、編み物は好きでした。
青春時代、身体が弱かった私は、OL生活を少し経験しただけで、ほとんどが入院生活。
最後の入院生活を終えた時、将来のことを考えました。
こんなに身体の弱い私は、結婚もできないかもしれない。
今後は、自分で食べていける方法を考えなくては・・・と。
そこで、大好きな編み物で食べていくことを考え、編み物を専門的に習うことにしました。
結局は、主人と結婚することになってしまったので、編み物学校も基礎コースだけで終了してしまったのですが。
先日、古いアルバムを見ていたら懐かしい写真が出てきました。
基礎のものばかりですが、私が編んだ作品の一部です。
全部機械編みです。
セーター
Vネックと編み込みの練習です。
ベスト
袖付けの練習
セーター
ワンピース
カーディガン
前立とボタンホールの練習
これは、何編みと言ったかなぁ?
編み方の名前すら忘れてしまいました。
襟の部分が丸くなっていて、
製図も編み方も難しかった。
ジャケット
これは、布地みたいに編んで作るので、かなり大変でした。
特に襟の角を出すのと、ボタンホールが難しかったのを覚えています。
今では、絶対作れないと思います。
こうして見ていてもわかると思いますが、私は多色使いの編み込みが好きでした。
基礎コースの卒業作品です。
プロのモデルさんが着てくれました。
スカート・パンツ・タンクトップ・カーディガンの四点セットです。
パンツは黄色い短パンなのですが、中に履いているので、わからない
そしてこれは、手編みの卒業作品。
優秀作品として選ばれました(自慢)
モデルは私です
自分の作品を着て歩くように言われました。
すっごく緊張していたので、
怒ったような顔をしてます。
大勢の人が見ている中で、
こんな経験をしたのは最初で最後です。
私の後ろに写っているのが当時の担任の先生です。
上に写っている作品は、全部この先生が撮ってくれました。
一番上の半袖セーターは、一時期私が身体を壊して入院中だったため、こんな写真になりました。
これらの作品は今でも捨てられなくて、押入れの奥にしまってあります。
実はこの先生、驚いたことに現在、とても偉くなっていました。
だいぶ前ですが、『テレビチャンピオン』という番組で編み物のチャンピオンを決める審査員として出演していて、その肩書きに驚きました
おちゃめで、活発で、とても面倒見の良い先生だったので、先生の出世を驚きと共にうれしく思いました。
編み物は、結婚してからも仕事として続けていました。
六本木のブティックの仕事をしたり、ファッション雑誌などに登場するニットメーカーの服を作ったりしていましたが、仕事が安定していないので、止めてしまいました。
ニットって時期ものなので、夏に冬物を作ります。
なので、夏は忙しくて生活も潤うのですが、冬になるとまったく仕事がなくなってしまう月もありました。
夏のニットもないわけではないのですが、冬に比べるとかなり少なくなります。
それで安定した生活を求めて、外に出て働くようになりました。
そして、そうちには、編み物もしなくなり、何台もあった編み機も処分しました。
今では細かいことは肩も凝るし、目も老眼で見えにくいしで、まったく編み物はしなくなりました。
作りたいという気持ちだけはあるんですけど。
お隣のおばさんに鉤針編みを習ったのがきっかけでした。
それから本を見ながら、自己流でバッグ、マフラー、セーターなどずいぶん作りました。
洋裁は苦手な私ですが、編み物は好きでした。
青春時代、身体が弱かった私は、OL生活を少し経験しただけで、ほとんどが入院生活。
最後の入院生活を終えた時、将来のことを考えました。
こんなに身体の弱い私は、結婚もできないかもしれない。
今後は、自分で食べていける方法を考えなくては・・・と。
そこで、大好きな編み物で食べていくことを考え、編み物を専門的に習うことにしました。
結局は、主人と結婚することになってしまったので、編み物学校も基礎コースだけで終了してしまったのですが。
先日、古いアルバムを見ていたら懐かしい写真が出てきました。
基礎のものばかりですが、私が編んだ作品の一部です。
全部機械編みです。
Vネックと編み込みの練習です。
ベスト
袖付けの練習
セーター
ワンピース
カーディガン
前立とボタンホールの練習
これは、何編みと言ったかなぁ?
編み方の名前すら忘れてしまいました。
襟の部分が丸くなっていて、
製図も編み方も難しかった。
ジャケット
これは、布地みたいに編んで作るので、かなり大変でした。
特に襟の角を出すのと、ボタンホールが難しかったのを覚えています。
今では、絶対作れないと思います。
こうして見ていてもわかると思いますが、私は多色使いの編み込みが好きでした。
基礎コースの卒業作品です。
プロのモデルさんが着てくれました。
スカート・パンツ・タンクトップ・カーディガンの四点セットです。
パンツは黄色い短パンなのですが、中に履いているので、わからない
そしてこれは、手編みの卒業作品。
優秀作品として選ばれました(自慢)
モデルは私です
自分の作品を着て歩くように言われました。
すっごく緊張していたので、
怒ったような顔をしてます。
大勢の人が見ている中で、
こんな経験をしたのは最初で最後です。
私の後ろに写っているのが当時の担任の先生です。
上に写っている作品は、全部この先生が撮ってくれました。
一番上の半袖セーターは、一時期私が身体を壊して入院中だったため、こんな写真になりました。
これらの作品は今でも捨てられなくて、押入れの奥にしまってあります。
実はこの先生、驚いたことに現在、とても偉くなっていました。
だいぶ前ですが、『テレビチャンピオン』という番組で編み物のチャンピオンを決める審査員として出演していて、その肩書きに驚きました
おちゃめで、活発で、とても面倒見の良い先生だったので、先生の出世を驚きと共にうれしく思いました。
編み物は、結婚してからも仕事として続けていました。
六本木のブティックの仕事をしたり、ファッション雑誌などに登場するニットメーカーの服を作ったりしていましたが、仕事が安定していないので、止めてしまいました。
ニットって時期ものなので、夏に冬物を作ります。
なので、夏は忙しくて生活も潤うのですが、冬になるとまったく仕事がなくなってしまう月もありました。
夏のニットもないわけではないのですが、冬に比べるとかなり少なくなります。
それで安定した生活を求めて、外に出て働くようになりました。
そして、そうちには、編み物もしなくなり、何台もあった編み機も処分しました。
今では細かいことは肩も凝るし、目も老眼で見えにくいしで、まったく編み物はしなくなりました。
作りたいという気持ちだけはあるんですけど。