はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

勘九郎の事

2020年06月07日 | 勘九郎
昨日の午後、勘九郎の火葬をしてきました。
昨日は、主人とまめたろうがどうしても出席できず、私と息子、娘とまめパパ、ツブとミニの6人で行きました。

ハイジとクマを火葬したのと同じ場所です。


みんなで花を飾りました。
家に咲いていたアジサイも添えました。

みんなでお別れしました。

そして、骨になりました。

クマとハイジも一緒です。
三匹揃っての再会を喜んでいるのかもしれません。

勘九郎が骨になるまでは、今にも起き上がってきそうで、亡くなってしまったことがどうしてもあきらめきれずにいました。
勘九郎をリビングに寝かせていたので、姿を見るたびに涙があふれました。
でも、骨になってしまい、存在がなくなると、あきらめがついたような感じがします。
そうは言っても、勘九郎の事を思い出すと、悲しみがこみ上げてきて、号泣してしまいます。
少しの間は、そんな日が続くんだろうと思います。

はなですが、勘九郎がいなくなってしまったことがわかっているのかどうなのか?
たった一度だけリビングに寝ている勘九郎のそばへ行って、においを嗅いでいましたが、それも一瞬のことで、あとは全く存在を気にすることもなく過ごしていました。
クマの時も思いましたが、生物は、亡くなってしまうと体臭も口臭も全くなくなってしまい、まさに物体になってしまうものだと思いました。
なので、はなも勘九郎のにおいを嗅ぎに行っても何も感じず、それっきり、勘九郎の存在を認識しなくなったのかもしれないと思いました。
ただ、勘九郎が亡くなった日の夜に、寝室のいつも勘九郎がいた場所へ行って、激しくにおいを嗅いでいて、なかなか眠ろうとしませんでした。
落ち着かないようで、部屋の中をウロウロして、どうして勘九郎がいないのだろうと思っているようでした。

今までは、勘九郎だけ部屋から連れ出そうとすると、はなが激しく鳴いて後を追うので、勘九郎の火葬のため、勘九郎を部屋から出す時に、はなが後を追って鳴くのではないかと思いましたが、全くそんなことをありませんでした。
やはり、死んでしまった勘九郎の身体は、はなにとっては物でしかないのかなと思いました。

ここ数年は、目が見えなくなっていたので、あまり動くこともなく、ほとんど眠ってばかりでした。
寒い時期は、主人の膝を狙っていましたが、最近は、気温も高いので、そういうこともなく、座布団の上と犬用のベッドとクマの抱き枕の上を移動して眠っていました。
そして、お腹が空くと私の所へ来て「ねぇ、ねぇ、ご飯はまだ?」というように前足で私の腕や膝を突っついてきました。
今でも、食事の支度をしていると、食器の音を聞きつけて、勘九郎がのこのこと台所へやってくるような気がします。

勘九郎の死因は何だったんだろうと考えます。
どこがどうということはなかったように思います。
ハイジやクマのように脳に異常があるようでもなく、亡くなる前日に突然何も食べない飲まないという異常を起こしただけで、特に亡くなる原因となるようなものは見当たりませんでした。
静かに眠ったまま死んでしまいました。
娘は、「勘九郎自身も死んだことに気づいていなかったのではないか」と言います。
老衰ということなんだろうと思います。
苦しまなかったのは幸いだったと思います。

今日の午前中は、はなの呼吸が早くなり、亡くなる前日の勘九郎のようでした。
はなの場合はアジソン病があるので、以前からそういうことはあるのですが、勘九郎が亡くなったばかりなので、ずいぶん心配しました。
なんだか、はなも早めに勘九郎の後を追ってしまうような気がしてしまってなりません。
そんなことになったら、私自身も一気にボケてしまいそうなので、はなにはもう少し頑張ってもらわなければと思っています。

最新の画像もっと見る