昨日、クマを火葬してきました。
ハイジの時と同じペット斎場で、ハイジと同じように立会い葬にしてもらいました。
昨日は、主人も仕事が休みで、息子も夜勤明けで家にいました。
娘とミニとたまたま幼稚園の振り替えでお休みだったツブも一緒に来ました。
クマの写真は、若い頃の写真を使いました。
弟の事であまり家にいる時間がないので、じっくりクマの写真を探すことができず、満足できる写真が選べませんでした。
たくさんある写真を全部見ることもできず、とりあえず思いつく写真を選び、その中からこれを選びました。
本当は、屋外で立っている写真がクマらしいと思ったのですが、その写真がなかなか見つからず、眠っている写真よりは良いだろうと思い、これにしました。
クマを火葬場に連れて行く前に、最後に勘九郎とはなをクマが寝ている部屋へ連れて行き、お別れをしました。
二匹は、クマの事には全く無頓着で、遊んでいました。
悲しんだり、異常を感じて具合が悪くなってしまったり、最悪後を追ってしまうワンコもいるようなので、そのくらいの方が良いのかもしれないと思います。
でも、クマの姿がなくなってからは、はなが寝る前や散歩に行く前にクマが寝ていた部屋に入り、あちこちにおいを嗅いで、しばらく部屋にこもってから出てくるようになりました。
クマがいた時には、全くその部屋には入ろうとしなかったのに不思議だなと思います。
やはり、クマの姿が見えないのが気になるんだろうと思います。
斎場で、クマの年齢を書くと斎場の人から
「ずいぶん、長生きだったんですね。」
と言われました。
「小さいワンちゃんの17歳はいるけれど、このくらいの大きさの17歳は珍しい」
と斎場の人は言っていました。
私たちは、それぞれ、斎場で用意された折鶴にメッセージを書きました。
私は、
「長い間、ありがとう。」
と書きました。
娘も、主人も、「ありがとう」と書いていました。
打ち合わせをしていなかったのに、最後の言葉は、みな「ありがとう」でした。
息子だけは、「またね」と書いていました。
何度も目を閉じようとしたのですが、目は開いたままでした。
亡くなる前日の夜にした点滴が身体に残ったままで、背中がぷっくり膨らんでいました。
点滴をしてから一晩経っていたのに、朝になっても身体に残っていたので、すでに身体が薬も受け付けなくなっていたのだろうと思いました。
1時間ちょっと待った後、クマは骨になりました。
お骨は息子が抱いて帰りました。
クマが寝込んでからしばらくの間は、玄関を開けると待っているクマがいないことに慣れるまでに時間がかかりました。
クマは、私たちが帰ってくるのを感じると、すぐに玄関に来て待っていました。
太いしっぽをゆさゆさ揺らしながら、大喜びで私たちを出迎えてくれました。
でも、寝たきりの生活が数ヶ月続くうちに、玄関で待っているクマの姿がないのも普通になりました。
最初に動けなくなったのが去年の8月で、その後回復したり動けなくなったりの繰り返しで、その間「もう、ダメだ」と思ったことが何回もありました。
そして、今年の初めに動けなくなってからは、今後回復の見込みはないのを感じていたので、徐々にクマの最期を覚悟していた部分があります。
仕方ないなと思っているし、こんなにがんばってくれたクマに感謝しています。
介護に追われていた日々だったので、クマがいなくなって気が抜けてしまったようです。
今まで、携帯のタイマーにクマの薬の時間と食事、オムツ替えの時間をセットしていました。
そうしないと、つい時間を忘れてしまいます。
そこに、勘九郎とはなの目薬がプラスされるわけですが、クマがいなくなって薬やオムツ替えの世話がなくなったら、勘九郎とはなの目薬まで忘れてしまいます。
フードの準備さえ忘れて、勘九郎に催促されて慌てて準備をしています。
何となく生活のペースが狂ってしまっています。
命がなくなってもクマの身体が残っている間は、抱いたり撫でたりできたし、冷たくなっていても、まだクマの存在を感じることができましたが、骨になってしまうと、すっかりクマの存在がなくなったのを感じます。
これからのことは、自分でもわかりませんが、今のところ気持ちが散漫で、クマがいないことが実感できません。
まだ、弟の葬儀が残っているので、それが終わるまでは、落ち着かない日々が続くと思います。
クマは、弟より先に骨になりました。
きっと、弟の道案内をしてくれるだろうと思います。
ハイジの時と同じペット斎場で、ハイジと同じように立会い葬にしてもらいました。
昨日は、主人も仕事が休みで、息子も夜勤明けで家にいました。
娘とミニとたまたま幼稚園の振り替えでお休みだったツブも一緒に来ました。
クマの写真は、若い頃の写真を使いました。
トップの写真の11歳のクマです。
弟の事であまり家にいる時間がないので、じっくりクマの写真を探すことができず、満足できる写真が選べませんでした。
たくさんある写真を全部見ることもできず、とりあえず思いつく写真を選び、その中からこれを選びました。
本当は、屋外で立っている写真がクマらしいと思ったのですが、その写真がなかなか見つからず、眠っている写真よりは良いだろうと思い、これにしました。
クマを火葬場に連れて行く前に、最後に勘九郎とはなをクマが寝ている部屋へ連れて行き、お別れをしました。
二匹は、クマの事には全く無頓着で、遊んでいました。
悲しんだり、異常を感じて具合が悪くなってしまったり、最悪後を追ってしまうワンコもいるようなので、そのくらいの方が良いのかもしれないと思います。
でも、クマの姿がなくなってからは、はなが寝る前や散歩に行く前にクマが寝ていた部屋に入り、あちこちにおいを嗅いで、しばらく部屋にこもってから出てくるようになりました。
クマがいた時には、全くその部屋には入ろうとしなかったのに不思議だなと思います。
やはり、クマの姿が見えないのが気になるんだろうと思います。
斎場で、クマの年齢を書くと斎場の人から
「ずいぶん、長生きだったんですね。」
と言われました。
「小さいワンちゃんの17歳はいるけれど、このくらいの大きさの17歳は珍しい」
と斎場の人は言っていました。
ツブは、何度もクマを撫でて、最後のお別れをしていました。
私たちは、それぞれ、斎場で用意された折鶴にメッセージを書きました。
私は、
「長い間、ありがとう。」
と書きました。
娘も、主人も、「ありがとう」と書いていました。
打ち合わせをしていなかったのに、最後の言葉は、みな「ありがとう」でした。
息子だけは、「またね」と書いていました。
火葬前のクマ。
笑っているみたいなやさしい顔をしているでしょう?
笑っているみたいなやさしい顔をしているでしょう?
何度も目を閉じようとしたのですが、目は開いたままでした。
亡くなる前日の夜にした点滴が身体に残ったままで、背中がぷっくり膨らんでいました。
点滴をしてから一晩経っていたのに、朝になっても身体に残っていたので、すでに身体が薬も受け付けなくなっていたのだろうと思いました。
1時間ちょっと待った後、クマは骨になりました。
お骨は息子が抱いて帰りました。
3年前のハイジと並んでいます。
クマが寝込んでからしばらくの間は、玄関を開けると待っているクマがいないことに慣れるまでに時間がかかりました。
クマは、私たちが帰ってくるのを感じると、すぐに玄関に来て待っていました。
太いしっぽをゆさゆさ揺らしながら、大喜びで私たちを出迎えてくれました。
でも、寝たきりの生活が数ヶ月続くうちに、玄関で待っているクマの姿がないのも普通になりました。
最初に動けなくなったのが去年の8月で、その後回復したり動けなくなったりの繰り返しで、その間「もう、ダメだ」と思ったことが何回もありました。
そして、今年の初めに動けなくなってからは、今後回復の見込みはないのを感じていたので、徐々にクマの最期を覚悟していた部分があります。
仕方ないなと思っているし、こんなにがんばってくれたクマに感謝しています。
介護に追われていた日々だったので、クマがいなくなって気が抜けてしまったようです。
今まで、携帯のタイマーにクマの薬の時間と食事、オムツ替えの時間をセットしていました。
そうしないと、つい時間を忘れてしまいます。
そこに、勘九郎とはなの目薬がプラスされるわけですが、クマがいなくなって薬やオムツ替えの世話がなくなったら、勘九郎とはなの目薬まで忘れてしまいます。
フードの準備さえ忘れて、勘九郎に催促されて慌てて準備をしています。
何となく生活のペースが狂ってしまっています。
命がなくなってもクマの身体が残っている間は、抱いたり撫でたりできたし、冷たくなっていても、まだクマの存在を感じることができましたが、骨になってしまうと、すっかりクマの存在がなくなったのを感じます。
これからのことは、自分でもわかりませんが、今のところ気持ちが散漫で、クマがいないことが実感できません。
まだ、弟の葬儀が残っているので、それが終わるまでは、落ち着かない日々が続くと思います。
クマは、弟より先に骨になりました。
きっと、弟の道案内をしてくれるだろうと思います。