はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

義母とハイジ

2006年10月20日 | 義母のこと
クマとの生活に慣れた4年目。
娘が突然、学校の教材犬だったハイジを引き取りたいと言い出しました。
里親募集の貼紙が出されてもハイジだけは引き取り手がいないとのこと。
私も主人も犬を2頭飼うなどとは夢にも思わず、最初は戸惑いましたが、このまま里親が現れなければハイジは暗い産室で一生を過ごさなければならないという娘の言葉に動かされました。
今となっては、この話は疑問に思う部分もあるのですが。

ネックは義母でした。
やっとクマとの生活に慣れ始めたのに、もう1頭犬を飼うという話は義母にとっては相当な衝撃だったと思います。
そんな話をちらっと出しただけで、義母は激怒しました。
「これ以上犬が増えるなんてとんでもない!」
と、義母は聞く耳を持ちませんでした。

私も義母のことを考えれば、それは当然だろうと思いました。
でも、娘はあきらめませんでした。
私も主人も、気持ちの中ではハイジの受け入れ体制ができていたのですが、義母をどう説得するかが一番の問題でした。
そして、娘に自分で義母を説得するように話しました。

義母も可愛い孫の願いをむげに断ることはできなかったようです。
娘が直接話をすると、すんなりと了解したのには驚きました。

やがて、ハイジは我が家にやってくることになりました。
ハイジは、7年間の教材犬時代、授業以外は暗い犬舎でケージに入ったままの生活だったため、人恋しいのか我が家に来てからは、誰にでも甘えました。
誰かが暇そうにしているとすぐにひざを狙って、ひざの上で眠りました。

なので、昼間一人で家にいた義母のひざは、ハイジの格好の寝場所だったようです。
私が仕事を終えて家に帰ると、義母は決まって
「ハイジがすぐに私のひざに来るから、何も用事ができない。」
とこぼしていました。

ハイジは、何のしつけもされていない犬でした。
当然排泄のしつけもされていず、来たばかりの頃は、カーペットの上や畳の上など部屋のあちこちにそそうをしました。
クマの時は、義母の怒りの声を背中に後始末をした私でしたが、ハイジの時は、義母は「あらあら」と言いながら、黙って自分で掃除をしていました。

ハイジは長年の教材犬生活がたたったのか、我が家に来たときは身体中がボロボロでした。
我が家に来て、健診のために動物病院へ連れて行ったとき、卵巣脳腫と言う病気になっていることがわかり、両足は関節のかみあわせが浅く、すぐに外れてしまう状態でした。

とりあえず急を要する卵巣脳腫の手術を先に済ませました。
その後もあまり体調が万全でない状態が続いていて、パテラの手術はハイジの年齢と心臓の働きの関係で、無理なことがわかりました。
変な咳を繰り返し、気管支も弱いようでした。

そんなハイジを義母はいつも心配していました。
本当に義母はハイジが可愛くてたまらなかったようです。
ハイジの様子を見ていると悪いところだらけで、長生きしそうもない感じが私にもありました。

義母は、口癖のように
「ハイジがいなくなったらどうしよう?」
「ハイジがいない生活なんて考えられない。」
と言っていました。

葬儀の日、娘はクマとハイジの写真を義母の棺の中に入れました。
あんなにハイジがいなくなってしまうことを心配していた義母なのに、自分の方が先に逝ってしまったのです。


最新の画像もっと見る