↓(以下 朝鮮日報日本語版記事より抜粋引用させていただきます)
「独島は韓国領」ピタゴラスの定理でも証明
「鬱陵島の海抜130m地点から独島は見えない」、川上健三氏の
主張に数学を用いて反論
日本の領土紛争は帝国主義の産物…歴史的文献を土台に侵奪の真実を示す
(2012/10/28)
【新刊】チョン・テマン著『独島の真実』(朝鮮ニュースプレス)
【新刊】孫崎享著、ヤン・ギホ訳『日本の領土紛争』(メディチ社)
前者が「日本の憶測とうそ」を暴いた本だとするなら、後者は
「日本の無知と誤解」を教える本だ。前者の著者は、国税庁を2009年に
名誉退職した後、独島問題にのめり込んだ韓国人。
後者の著者は、外交官を経て09年に防衛大の教授を定年退官し、
領土紛争の解決策探しに乗り出した日本人。
意外にも、2人の声は同じ所に向けられている。
領土問題に関する限り、現在の日本は「何か錯覚している」と戒めている。
■ピタゴラスの定理まで動員して論証
チョン・テマン氏の執筆動機は「易地思之(相手の立場で考える、の意)」
だった。日本が独島(日本名:竹島)を「日本領」だと言い張るのには、
それだけの理由があるのではないか。
しかし5年を費やした末、チョン氏は「牽強付会(道理に合わないことを
無理にこじつけること)」だと結論付けた。
根拠は三つある。第一に「独島は朝鮮領」だと公式に確認した太政官指令
が挙げられる。明治政府が日本全国で地籍事業を展開した際、鬱陵島・独島
をめぐって悩んだことがあった。
内務省は長考の末、両島はいずれも日本の領土ではないという結論を出した。
当時、最高の国家機関だった太政官も、内務省の決定に従い島根県に下達した。
1877年に出た文書のタイトルは「日本海内竹島外一島ヲ版図外ト定ム」だった。
にもかかわらず、日本は1905年、島根県の告示を出した。
「無主地」独島を自国に編入するという内容で、28年前の太政官指令に反する
ものだった。その後表に出ることのなかった太政官指令は、1987年に
京都大学教授によって見つけ出された。この件について外務省は、今も沈黙を守っている。
光復(日本の植民地支配からの解放)後に締結された独島関連の3条約も
検証の対象となっている。
島根県に不法に編入されていた独島は、光復と共に回復された。
しかし1951年のサンフランシスコ平和条約が禍根となった。
そのころ、米ソ冷戦に伴って、米国の対日政策は「包容」へと急旋回し、
敗戦国日本の領土が条約であいまいに処理された。平和条約第2条には
「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に
対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある。
どこにも独島のことは書かれていない。
これを根拠に、日本は独島が「放棄対象」ではなかったと主張している。
しかし著者は、「済州島、巨文島及び鬱陵島」という一文は約3000ある付属島しょ
の例示にすぎず、韓国・日本・連合国の関連公文書を参照すると独島は韓国領
と解釈される、ということを綿密に論証した。
出色なのは、数学を動員した最終章だ。
「鬱陵島の海抜130メートルの地点から見下ろしても、独島は見えない」という
川上建三氏の主張に反論するため、
三角関数やピタゴラスの定理まで動員した。
結論は「鬱陵島からは、海抜86メートル以上で独島が目に入るが、
隠岐からは106キロ以上船で沖に出なければ独島が見えない」。
確かに「1冊で見る独島紛争完全征服」だといえる。
(以上 朝鮮日報日本語版より、抜粋引用させていただきました)
↑ 何か難しいことを連連と書いてありますが…
まあ、最後の…
「鬱陵島の海抜130メートルの地点から見下ろしても、独島は見えない」という
川上建三氏の主張に反論
「鬱陵島からは、海抜86メートル以上で独島が目に入るが、
隠岐からは106キロ以上船で沖に出なければ独島が見えない」
↑で、胡散臭い記事であることは判明いたしました。
つまり…
鬱陵島 → 海抜86メートル以上で 《竹島》が見える
壱岐 → 106キロ以上沖に出て 《竹島》が見える
全く…???ですね。
比較にもなんにもなってやしません。
其他はこれまで通りの“韓国主張”視点の一方的な領土主張。
(国際的、国家間で取り決める“領土”(領海)という概念が無いのかも?)
常に客観性を欠き、主観的にしか物事を考えられない韓国らしい論です。
これでは、国際的に評価される科学者が育たず、
技術はあるにもかかわらず、自前でロケットすら飛ばせない…のは
やむを得ない事なのかも知れません。
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「独島は韓国領」ピタゴラスの定理でも証明
「鬱陵島の海抜130m地点から独島は見えない」、川上健三氏の
主張に数学を用いて反論
日本の領土紛争は帝国主義の産物…歴史的文献を土台に侵奪の真実を示す
(2012/10/28)
【新刊】チョン・テマン著『独島の真実』(朝鮮ニュースプレス)
【新刊】孫崎享著、ヤン・ギホ訳『日本の領土紛争』(メディチ社)
前者が「日本の憶測とうそ」を暴いた本だとするなら、後者は
「日本の無知と誤解」を教える本だ。前者の著者は、国税庁を2009年に
名誉退職した後、独島問題にのめり込んだ韓国人。
後者の著者は、外交官を経て09年に防衛大の教授を定年退官し、
領土紛争の解決策探しに乗り出した日本人。
意外にも、2人の声は同じ所に向けられている。
領土問題に関する限り、現在の日本は「何か錯覚している」と戒めている。
■ピタゴラスの定理まで動員して論証
チョン・テマン氏の執筆動機は「易地思之(相手の立場で考える、の意)」
だった。日本が独島(日本名:竹島)を「日本領」だと言い張るのには、
それだけの理由があるのではないか。
しかし5年を費やした末、チョン氏は「牽強付会(道理に合わないことを
無理にこじつけること)」だと結論付けた。
根拠は三つある。第一に「独島は朝鮮領」だと公式に確認した太政官指令
が挙げられる。明治政府が日本全国で地籍事業を展開した際、鬱陵島・独島
をめぐって悩んだことがあった。
内務省は長考の末、両島はいずれも日本の領土ではないという結論を出した。
当時、最高の国家機関だった太政官も、内務省の決定に従い島根県に下達した。
1877年に出た文書のタイトルは「日本海内竹島外一島ヲ版図外ト定ム」だった。
にもかかわらず、日本は1905年、島根県の告示を出した。
「無主地」独島を自国に編入するという内容で、28年前の太政官指令に反する
ものだった。その後表に出ることのなかった太政官指令は、1987年に
京都大学教授によって見つけ出された。この件について外務省は、今も沈黙を守っている。
光復(日本の植民地支配からの解放)後に締結された独島関連の3条約も
検証の対象となっている。
島根県に不法に編入されていた独島は、光復と共に回復された。
しかし1951年のサンフランシスコ平和条約が禍根となった。
そのころ、米ソ冷戦に伴って、米国の対日政策は「包容」へと急旋回し、
敗戦国日本の領土が条約であいまいに処理された。平和条約第2条には
「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に
対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある。
どこにも独島のことは書かれていない。
これを根拠に、日本は独島が「放棄対象」ではなかったと主張している。
しかし著者は、「済州島、巨文島及び鬱陵島」という一文は約3000ある付属島しょ
の例示にすぎず、韓国・日本・連合国の関連公文書を参照すると独島は韓国領
と解釈される、ということを綿密に論証した。
出色なのは、数学を動員した最終章だ。
「鬱陵島の海抜130メートルの地点から見下ろしても、独島は見えない」という
川上建三氏の主張に反論するため、
三角関数やピタゴラスの定理まで動員した。
結論は「鬱陵島からは、海抜86メートル以上で独島が目に入るが、
隠岐からは106キロ以上船で沖に出なければ独島が見えない」。
確かに「1冊で見る独島紛争完全征服」だといえる。
(以上 朝鮮日報日本語版より、抜粋引用させていただきました)
↑ 何か難しいことを連連と書いてありますが…
まあ、最後の…
「鬱陵島の海抜130メートルの地点から見下ろしても、独島は見えない」という
川上建三氏の主張に反論
「鬱陵島からは、海抜86メートル以上で独島が目に入るが、
隠岐からは106キロ以上船で沖に出なければ独島が見えない」
↑で、胡散臭い記事であることは判明いたしました。
つまり…
鬱陵島 → 海抜86メートル以上で 《竹島》が見える
壱岐 → 106キロ以上沖に出て 《竹島》が見える
全く…???ですね。
比較にもなんにもなってやしません。
其他はこれまで通りの“韓国主張”視点の一方的な領土主張。
(国際的、国家間で取り決める“領土”(領海)という概念が無いのかも?)
常に客観性を欠き、主観的にしか物事を考えられない韓国らしい論です。
これでは、国際的に評価される科学者が育たず、
技術はあるにもかかわらず、自前でロケットすら飛ばせない…のは
やむを得ない事なのかも知れません。
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