最後にアップしていた日記の
味のある「おひな様」をくれたのがYちゃん。
そのYちゃんが被災してしまって、直接メールが届いたのは
3週間経って(紆余曲折あって)
それからまた時間が流れてますが
ブログは書けませんでした。
でも一ヶ月。
被災された皆様へ、お見舞い申し上げます。
少しでも早く、こころ穏やかに過ごせる日が来ますよう祈ってます。
「イラストレーターだから、絵しか描けません」なんて思いません。
Yちゃんのリクエストに応えていきます。
日本酒飲むなら「酔仙」探します。
岩手県産のしめじ、たくさん食べてます。
普通にくらして、経済まわします。
他にも、たくさん。無形でも出来る事あるし。
あの日は、一日だけ北海道に戻っていた
連続出張の後半の出発日。
朝一の飛行機で東京へ。
買ったばかりのデジカメを試そうと、撮ろうとしても
あんまりきれいな本州の輪郭だったので、バカバカしくなってやめて
肉眼でじっくり見て味わいました。
前半の出張時はずっと雲だったので。
羽田に到着してから、疲労のせいか体調がいまいちで
予定を変更して定宿のホテルへ直行。
お茶を買いに京王ストアへ入ろうとした時でした。
外へ出るにも、目の前の街灯がグニャグニャに揺れていて(ビルも)
他のお客さん達も「出るのは危ない」と判断して入り口でとどまることしかできませんでした。
コージーコーナーのワゴンを店員さんが一人で押さえてたので、お手伝い。
「北海道にしばらく戻れないかも」と思い、
板橋区在住中にシミュレーションしていたことを、順番にすませてホテルで待機。
駅の中も外も、人であふれてました。
ホテルのロビーは帰れなかった人へ、一部開放されてました。
翌日は、部屋で一日別件のラフを描いてました。
ずっとニュースとJ-WAVEを聞きながら。
そして、今考えると奇跡の日曜日だと思える13日。
お天気もよくて、出張の目的の取材を無事に終わらせました。
まだ計画停電も無かった日で。
そして14日。計画停電初日に、大きなキャリーケース抱えて
大混雑の中、羽田に向かうのでした。特に京急線への乗換えからが・・・
空港に着いた時に、聞き慣れない音が近くでするけど、どなたの携帯?と
耳を澄ませば、自分の携帯に「内閣官房」からメールが↓
マナーモードにしていても鳴る「緊急地震速報」のサイレン音(ドコモのですがかなり大音量)と
二つ、知らない音を学習。
ほとんど遅れる事もなく飛行機が飛んでいたため
予定通り、自宅に帰れたのでした(大感謝)
と、自分の事は淡々と出来たのですが
絶対無事!と信じてても12日早朝になって
J-WAVEで「陸前高田市がほぼ壊滅状態」と聞いた瞬間から、自分の何かが止まってしまいました。
それから3週間、ニュースを左耳で聞き、机にかじりついてひたすらお仕事してました。
どうやってこなしていたか、あんまり覚えてません。
元々お仕事が重なっていて、緊張の連続。
「このお仕事頑張ったら、これは義援金になるんだ!」って、露骨だけど
それが大きなモチベーションになっていたのは、本当です。
そして、気づけばすっかり雪解けしてました。
昨日は、初の地元・選挙にいきました。
実家のすぐ近くまで「白鳥」の群れがやってきました。頭の上を飛んで行きます。
味のある「おひな様」をくれたのがYちゃん。
そのYちゃんが被災してしまって、直接メールが届いたのは
3週間経って(紆余曲折あって)
それからまた時間が流れてますが
ブログは書けませんでした。
でも一ヶ月。
被災された皆様へ、お見舞い申し上げます。
少しでも早く、こころ穏やかに過ごせる日が来ますよう祈ってます。
「イラストレーターだから、絵しか描けません」なんて思いません。
Yちゃんのリクエストに応えていきます。
日本酒飲むなら「酔仙」探します。
岩手県産のしめじ、たくさん食べてます。
普通にくらして、経済まわします。
他にも、たくさん。無形でも出来る事あるし。
あの日は、一日だけ北海道に戻っていた
連続出張の後半の出発日。
朝一の飛行機で東京へ。
買ったばかりのデジカメを試そうと、撮ろうとしても
あんまりきれいな本州の輪郭だったので、バカバカしくなってやめて
肉眼でじっくり見て味わいました。
前半の出張時はずっと雲だったので。
羽田に到着してから、疲労のせいか体調がいまいちで
予定を変更して定宿のホテルへ直行。
お茶を買いに京王ストアへ入ろうとした時でした。
外へ出るにも、目の前の街灯がグニャグニャに揺れていて(ビルも)
他のお客さん達も「出るのは危ない」と判断して入り口でとどまることしかできませんでした。
コージーコーナーのワゴンを店員さんが一人で押さえてたので、お手伝い。
「北海道にしばらく戻れないかも」と思い、
板橋区在住中にシミュレーションしていたことを、順番にすませてホテルで待機。
駅の中も外も、人であふれてました。
ホテルのロビーは帰れなかった人へ、一部開放されてました。
翌日は、部屋で一日別件のラフを描いてました。
ずっとニュースとJ-WAVEを聞きながら。
そして、今考えると奇跡の日曜日だと思える13日。
お天気もよくて、出張の目的の取材を無事に終わらせました。
まだ計画停電も無かった日で。
そして14日。計画停電初日に、大きなキャリーケース抱えて
大混雑の中、羽田に向かうのでした。特に京急線への乗換えからが・・・
空港に着いた時に、聞き慣れない音が近くでするけど、どなたの携帯?と
耳を澄ませば、自分の携帯に「内閣官房」からメールが↓
マナーモードにしていても鳴る「緊急地震速報」のサイレン音(ドコモのですがかなり大音量)と
二つ、知らない音を学習。
ほとんど遅れる事もなく飛行機が飛んでいたため
予定通り、自宅に帰れたのでした(大感謝)
と、自分の事は淡々と出来たのですが
絶対無事!と信じてても12日早朝になって
J-WAVEで「陸前高田市がほぼ壊滅状態」と聞いた瞬間から、自分の何かが止まってしまいました。
それから3週間、ニュースを左耳で聞き、机にかじりついてひたすらお仕事してました。
どうやってこなしていたか、あんまり覚えてません。
元々お仕事が重なっていて、緊張の連続。
「このお仕事頑張ったら、これは義援金になるんだ!」って、露骨だけど
それが大きなモチベーションになっていたのは、本当です。
そして、気づけばすっかり雪解けしてました。
昨日は、初の地元・選挙にいきました。
実家のすぐ近くまで「白鳥」の群れがやってきました。頭の上を飛んで行きます。