従順と 服従について
話さないと いけない
ハン ハクチャと 書いた 布を 踏みつけると
王様が 行けと言われれば いかなければならない
しかし そこに 行かせない 何かが あった
結果 王様は 怒られた
文字は 踏んではならないとは 韓国の文化である
と 聞く
しかし 王様が 行けと言われたら 行くのが
平和軍 の道である
迷うべきことは 寸毫もない
服従と いうことを 知っていたら こういうこと
には ならなかったであろう
ペテロの ことを 考えてみよう
イエス様が 十字架の道を 決意したとき
行っては なりません という ペテロに
イエス様は サタンよ 退けと いわれた
いかに ペテロであっても 十字架でしんだら
み旨が ならないことは わかる
それを あえていかれる イエス様である
イエス様 を 逮捕しようとする 役人から
守ろうとする ペテロを 止める イエス様
ペテロは 混乱したに違いない
なんなんだ これは
イエス様は 自ら 死に向かって おられる
止めたら サタンと言われる
守ろうとすると 止められる
かれの 葛藤は すさまじいものがある
一緒にどこまでも 行こうとしたのに
わからない なぜ
彼は こう考えるべきであった
主は 十字架に行かれる
主は 行かれて すぐ戻られる
み旨が なるには それしかない
私も 一緒に 行こう そしてすぐに
一緒に 帰ってこよう
なぜか 死んだら み旨が ならない
だから 神様は 必ず 主を復活させられる
まさに イサクに対する アブラハムの 信仰であった
2世の皆さま 必ず こういう事態が 来ます
服従の 信仰を 知らなくては なりません
文字を
踏むぐらい なんですか
命を かけて 主に 従うときが 来ます
死んでも 再び 生きるんです
服従の 信仰を 知らなくては なりません