ようやく90歳という 年を迎えれそうだ。でも、90歳まで生きて
よかったこと。あっただろうか。なぜこんなに長く生きているのか。
私の一生は 国家野政策で右往左往した とどのつまりの 90歳であった。
世界不況は私の一生について回っている。よく言われる「不況の年に生まれた子供は
一生不況の端を渡って歩くそうだ。」
17歳のころ 「なぜ 日本よ 君は孤独な 戦い 死かね勝ち目のない戦いにい富んでいくのか。」
心はそういいながら 身は帝国海軍幹部候補生として 一日でも早くこの命国家にささげたいとおもった。
でも、そうはいかなかった。敗戦の混乱期 闇市をほっつき歩いていたジフンがいた。
国にはこくみんを助けようもなかった。有史以来占領下の国家の辛酸は直 国民の上に覆いかぶさった。主権なきくにの悲惨な 思いは 決して忘れることではない。
いまの日本人が のほほんとして 使う言葉がある。それは何か。
「未来志向」という言葉である。それは戦争に勝った国は使うだろう。ョッとすると日本人は
勝手の誤った戦争に勝ったと思い違いしているのではないか。事実 いま政治の中枢は戦争をすごく美化している。平和に暮らしている庶民が 見るのも嫌だて言っているのだ。
「なんだ、あいつらは 戦争負けてもいい思いして、高い年金捕りやがって」というのが
いま中堅になっている。主見たくない奴らだ。子供の出生数ががた減りしたのも この世代である。
高齢か社会の罪を私は知ってるから一日も早く死を望んでいる。
でも戦後経済成長の中で種族の保存本能も失った政府中枢の代議士よりか死んでいるのだ。
小松左京ではないが 日本沈没の日が来るのを一番おそれている。世界恐慌の中の
とりである。
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