12月31日もう直ぐ2011年が明ける頃の11時32分かけがえのない
友人かい君のママさんが一人旅立っていきました。
患者会で知り合い弟と同級生と知り またご夫婦そろって栄養士として学んできた事
そして職場で関わっている包括支援センターの地域内に住んでいて介護保険の対象として
同僚の看護師であるケアマネが彼女の担当になったって事も偶然でしたでしょうか…
いや…絶対何か縁があったと思います。
姉さん…って呼んでくれて
今でも彼女のちょっと甘えた「姉さん これもっていく?」(←頂き物ばかりしてました。)って声が耳に残ってる。
元旦の朝 一通のメール…かい君パパさんから 奥様が旅立ったとの…
一瞬何のことだか…理解できず その後 確か彼女自宅で最期迎えたいって言ってたっけ
去年暮れ行くたびに食事がうまく摂れず痩せていき元気がなくなる彼女見て
27日 ついついパパさんに入院して栄養状態改善させてから病気と闘おうよって
内容のメールしちゃったんだよ。
でっ…直接電話でも話しちゃって…
そう入院する事にためらっていたふたりの背中押しちゃったの彼女の希望は自宅だったのに…
入院って連絡受けて本音は安心しちゃったの…これで年明けには元気になって自宅へ戻ってきてくれるって
私なんて事しちゃったんだろうって 罪悪感がいっぱいになってとりあえず彼女の家に行かなきゃって…
お昼頃うかがい…彼女は綺麗な顔して肌も生きているみたいにつやつやしてベットに横になっていた。
息遣いが聞こえるようだけど…姉さんきてくれたのぉ~って声が聞こえそうでも…返事もない
ごめんね…ごめん なんてことしちゃったんだろうって…謝っても遅いよね…罪悪感と悲しさ悔しさでいっぱいになっていた時
パパさんが言ってくれたの…ふたりともどうしていいか限界だったって…背中押してもらって助かったって…
私もその言葉で救われた…ありがとう …
彼女は 辛い治療をずっと続けて尚且つ 患者会の事を積極的にやってくれて
どんなに彼女の強さに皆元気付けられたことだろう。
昨日の葬儀皆のように思いっきり泣けなかった…何でだろう…きっとまだ彼女の死に対して
自分が納得できず消化しきれていないと思う…何故って…
親父が死んだ時はもっと泣けなかった…一粒も涙が出なかった。
一ヶ月以上すぎてから10年以上泣けた泣けた。
昨夜…から泣けてきて泣けてきて…遅れてるっての…
何か考えるとウルウル泣けてきてしまう…われながら情けない…
素直に泣けない奴なんだよ…ごめんね新川ちゃんでも分かってくれるよね。
あんたを大好きだったよ。
彼女の素敵さ素晴らしさそしてどんなにだんなさんに愛され共に歩んできたのかを
私の稚拙な文章能力じゃ表現できないのでここにリンクしちゃいます。
あけぼの会のワットさんから 彼女の訃報を知っての便り←クリック
かい君とその一家(かい君パパのブログ)←クリック
こんな素敵な夫婦がいて こんな強く生き抜いた新川由利子さんって彼女がいた事
そして そんな二人の知り合いだったって事が自慢で…書き留めて置きたくってアップしちゃいました。
病気になって いろいろな苦しいこと嫌なこと泣いてもどうにもならないことを知った。
そして痛みを知っている新たな友人達を知り 今を一生懸命生きるって重さも知った。
まだまだこれからいろいろあると思う。
でも旅立っていった友人達の生きた姿をみているから 耐えていけることが出来る気がする。
ありがとうご苦労様和尚様がおっしゃったように お眠りくださいとは言いません
お釈迦様の元に行かれ かい爺さんと恵三さんを見守ってあげてください。
そして ちょびっと私達も…姉さんそんなことじゃだめだぞって…見ててね。
彼女の葬儀の時渡された紙に清め塩の廃止←クリック ってありました。
まこともって本当だよって…他にも本山である東本願寺でのリーフレット←クリック
を読ませてもらってあらためて宗派は違えども うなずき同調できることばかりでした。
彼女も見ていただろう浅間神社のくすのき
しっかり大地に足つけて 生けるだけ何があっても生きていこうね。