希代の女流歌人と呼ばれた額田王(ぬかたのおおきみ)がすごいドラマチックな人生で驚いた。そら井上靖も小説書くわ。
非常にすぐれた歌人で美女といわれた額田王は、大化の改新を行った中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に想いを寄せられたが、すでに中大兄の弟、大海人皇子(おおあまのみこ)の妻で一女をもうけていた。
弟は兄に逆らえず、妻を兄に譲り渡してしまっている。
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
野守りは見ずや 君が袖振る
という歌は、元夫に手を振られてまわりに見られないかとハラハラしているところを表現しているそう。
どこかで聞いたことがある歌だけど背景が分かってみると非常に揺さぶられるものがでてくる。(額田王がどういう思いで二人の男性の間を移動したのか、本当のところはわからないけれど)
権力者の兄が妻をよこせと言ったら譲るとか、他にも妃だった人を部下に嫁がせる(下げわたす)とか、いにしえの天皇は何してんだよ、高貴な人でさえ女は人権なかったんだな…とがっくりしてしまった。
その後、中大兄皇子(天智天皇)は病没し、その息子(大友皇子)と弟(大海人皇子)の間で天皇の座をめぐり争いが勃発、大海人皇子が勝利し、額田王の元夫は天武天皇となる。
自害に追いやられた大友皇子の妃は、額田王と大海人皇子の間の娘、十市皇女(とおちのひめみこ)で、後に若くして亡くなったこの皇女の幼い男児を引き取ったのは額田王。彼女は天武天皇が病没したあとも年を重ね、没年は不明とのこと。
つまり結婚して子どももいるのに別れさせられ、夫の兄の妻になり、夫が死ぬと元夫が権力争いで娘の夫を追い落とし、娘も早く亡くなり孫を引き取るという流れ。男と権力に翻弄されて、この聡明な美女は何を思って生きていたのか。そら井上靖も小説書くわ。(2回目)
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