令和2年10月1日(木)
名古屋市交通局主催 2020年 新しいウォーキング 駅ちかウォーキング
「❽~風爽やかに木立を抜けて『杉原千畝 人道の道』を巡る~」の続きです。
熱田駅から乙川駅まで来ました。
半田まで行こうと思っていたのですが、目的地へは距離的に同じくらいなので、
この駅で下車しました。
駅前の風景。
ここから矢勝川まで歩いていきます。
まず、大きな道へ出ることにします。
大きめの道に出ました。
この道を進んで行くと、阿久比川へ出ます。
阿久比川に架かる住吉橋です。
この橋を渡って行きます。
割と大きな橋です。
阿久比川。
大きな鳴き声の鳥でした。
橋を渡ってこの道を真っ直ぐ進んで行きます。
半田口駅まで来ました。
この駅は名鉄です。
帰りはこの駅から帰る予定です。
今は通過していきます。
駅近くの岩滑中町交差点です。
ここを右へ曲がって行きます。
この辺りは、童話作家、新実南吉の生まれ育った町です。
道路から反れる道へ入って行きます。
すると、ちょっと古風な建物が現れました。
新実南吉の生家です。
ちょっと入ってみます。
冬ばれや
大丸煎餅
屋根に干す
南吉
畳屋さん。
南吉の父は畳屋さん
母は下駄屋さんでした。
階段を下りて行くと、炊事場があったと思います。
今回は行きませんでした。
新実南吉の写真が掲げられています。
生家前の常夜灯
常夜灯に窪みがいくつもあります。
ヨモギの葉を石で潰して団子にする「草つき遊び」の跡だそうです。
道へ戻ります。
近くの八幡社へ来てみました。
熱田神社と知立神社も祀られていました。
八幡社
戦国時代に岩滑の領主だった山中氏が武勇の神である応神天皇を祀り八幡社としましたが、もとは伊勢神宮を総本社とする神明社でした。
その名残は、横に祀られた神明社の小さな社殿と簡素で直線的な鳥居(神明鳥居)に残っています。
新実南吉は、毎日ここの境内を通って、店(生家)とはなれの家の間を往き来していました。いつも本を二、三冊小脇に抱え、
背を丸めて歩き、土岐には境内で野球をする子供たちに頼まれ、審判をしてやることもありました。
四月上旬に行われる祭礼では、今も二輪の山車が曳き廻され、人形三番叟や神子舞いが演じられます。
その様子は、南吉が亡くなる二か月半前に書いた童話「狐」に活き活きと描かれています。
こちらの細い道を抜けて行くと、南吉のはなれがあった場所へ続きます。
今は無いですがw
コースへ戻り、矢勝川の方へ向かいます。
道に出て少し歩いていくと、目的地に着きました。
矢勝川です。
今、彼岸花が満開です。
これから川沿いの堤防道を歩いていきます。
続きはまたです。