今年は2024年だから、100年前は1924年(大正13年)ということになる。しかし本稿では、100年前をザックリと「第一次世界大戦が終わったころ」としたい。なぜならその時の日本社会のありようと、令和のそれが、なにやら奇妙に重なっていると感じるからだ。じつは日本は、第一次世界大戦においては戦勝国であった。しかしそこからズルズルと悲惨な第二次世界大戦へと傾斜していく。「あの時期」を、いま一度確認してみることは、令和を生きる我々にとって意味があるのではないか。 . . . 本文を読む
先日、静岡県知事が任期途中での辞任を表明した。ここ最近では、リニア中央新幹線の建設着工に反対する存在として知られるような人物だが、筆者は彼が提唱していた「いざ裏山へ」というキーワードを思い浮かべながら、そのニュースを眺めていた(一般的には「リニア中央新幹線」と呼ばれることが多いが、本稿では基本的に「リニア」と表記する)。 . . . 本文を読む
NHKの連続テレビ小説「虎に翼」の第1週が終わった。とりあえず第1週を録画しておき、それを見てから今後も見ていくかどうかを判断しようとしていた筆者だが、第2週が始まった本稿執筆時点では、期待をもって見ている。そもそもこの「朝ドラ」は1961年(昭和36年)から、基本的に女性の自立、自己実現を描いてきた。放送開始から60年以上が経過したいま、日本女性はどこまで進化しているだろうか。 . . . 本文を読む
「スマホ真理教」なる宗教法人など存在しない。……たぶん。しかし筆者がここでいうスマホ真理教は、現代の日本社会においてひたひたと、その信者数を増やしてきているのではないか。信者のうち少なくない人々は、「スマホ様の言うとおりに物事は運ぶ」、「その通りにならないとすれば、そこに関係する他人たちが悪魔であるためだ」、そして「自分自身は決して悪くない」といった思考パターンに侵されている場合がありそうだ。生身(なまみ)の人間が作り出しているはずの現実世界を、ゆがんだスマホ真理教の世界観で生きようとする、一部の信者たちにスポットを当てる。 . . . 本文を読む
元首相の国葬については、周知のとおりその是非が盛んに議論されている。そしてこれに絡んで、関係する様々な論点にも人々の関心が集まっている。今回は、複数の問題が絡みついている元首相の国葬について、あまり細分化せずに考えてみたい。なお、今般のいわゆる「国葬」は、厳密には「閣議決定に基づく『国葬儀』」ということになるのだそうだが、本稿では読みやすさを考慮して国葬と記述する。 . . . 本文を読む