西村経済再生担当大臣が、酒を扱う飲食店に対する方針撤回に絡んで謝罪を行った。この件で野党はもちろん与党内からも強い反発があったわけだが、じつはすべてが想定されたシナリオではなかったかと考えている。それはつまり「国家権力のチラ見せ」戦略である。またこれが単なる妄想なのだすれば、行政統治者たちはいま、手詰まりによる焦りからその権力を「アンダー・コントロール(制御下・支配下)」にできなくなっていることになる。
「金貸し経由」と「酒屋経由」
西村発言のポイントは二つある。
ここでは問題の構造をわかりやすくするため、あえて筆者流に表現してみる。
- (要請に応じず)酒を出す飲食店には、出入りの金貸しから注意させろ
- (要請に応じず)酒を出す飲食店には、酒を卸さないよう酒屋に言え
の2つである。いわば「金貸し経由」と「酒屋経由」のダブル圧力である。
金貸し(金融機関)も酒屋も国のライセンスでやっている商売だから、規制官庁である金融庁や国税局からこの種の要請があれば、それは命令に近い効果をもたらす。特措法などの法的根拠のないまま行われる「優越的地位の濫用」にあたる可能性も高い。
平たく言えば国家権力を振りかざすということであり、強者の姿としては「みっともない」ありようだ。
批判が高まると、政府はまず「金貸し経由」を撤回し、その後に「酒屋経由」を撤回した。西村氏は7月14日の衆院内閣委員会の閉会中審査において、不安を与えたのは自分の責任であると陳謝した。
さて、この一連のドタバタ。じつは想定されたシナリオではなかったか、というのが今回の主旨である。つまり「いざとなったら(国は)何だってできるんだよ」といった「権力のチラ見せ」である。
「誤りを認めて謝罪したんだし、政府内や与党内からも批判を受けて、これはこれで済んだ話ではないのか」という意見もあるだろう。
ただ「権力のチラ見せ」という意味において考えるなら、その計画が表面上「失敗」だったとしてもなんら問題はないのである。大切なのは「その可能性」を見せつけることだからだ。
昭和史に見る力のチラ見せ
こういった力のチラ見せは、何もその時の統治権者だけが行うものとは限らない。たとえば権力者のすぐ近くで、権力奪取を考えてクーデターを起こそうと画策する者もこの「チラ見せ」の効果を知っている。
昭和初期の日本においては、「満州事変(S6)」「血盟団事件(S7に2度)」「五・一五事件(S7)」「神兵隊事件(S8)」「二・二六事件(S11)」と大きなクーデターが続いた。これらのクーデターの共通点は、天皇を中心にすえた上で軍が政治全般の主導権を握る国家体制を目指した、ということである。
この中で例えば「神兵隊事件」を取り上げると、陸軍だけでなく海軍の将校までが加担し、首相はじめ閣僚や政党幹部を全員殺害、航空機を使って首相官邸に直接爆撃を加えるという大変乱暴かつ雑な計画であった。しかしこの企みは結果として事前に発覚し約80人の逮捕者が出て「失敗」に終わる。
しかし、失敗とはいえこのような計画があり準備がなされていたという事実は、首相や閣僚、政党人たちを緊張させ、その発言や行動を委縮させてしまうには十分効果がある。
つまり、何かの計画や施策が結果としてうまく行かなかったとしても、「いざとなれば、例えばこんなことも起こりうるんだよ」ということを示せれば、それでOKという考え方が出来るのだ。
こういった「チラ見せ」は、統治権力、経済力、戦力なども含め、あらゆる力を誇示・維持・拡大するための基本的な手法である。そしてこの「チラ見せ」は、しばしば「脅し」「恫喝」とも言い換えられる。
金貸し経由の圧力
そもそも個人事業主の飲食店にとって、金融機関からなにか「ものを言われる」ことは相当な圧力である。今回突拍子もなく金融機関という言葉が出てきたことに違和感を持った人も少なくないだろう。
ちょっと話はずれるが、20代の若者が一念発起してラーメン店を開業し、ある程度うまく行っている例はそれほどめずらしくはない。なぜそうなのかといえば、信用金庫などの金融機関が(比較的)柔軟に金を貸してくれるからだ。
もちろん事業計画を提出したり一定の審査があったりはするが、一般に飲食業は毎日現金収入が見込めるという特徴がある。請求書の発行から入金確認といった債権管理業務などはなく、貸し倒れリスクも無い。保険料負担が必要な社員を何人も雇うようなこともほぼない。そもそも商売の構造は材料を仕入れて加工(調理)しその場で現金を得るという簡素なものであり、それも小規模な場合がほとんどだ。ゆえに返済計画を立ててマジメにやっていれば数年で返済完了が見込めるというわけだ。
しかし金融機関からの融資に制限が設けられたりすると、個人事業主などの飲食店は途端に倒れてしまう可能性が高い。多くの個人経営の飲食店は実際のところ、自転車操業か黒字と赤字の間を揺れ動いているような状況といっても過言ではないからである。
個人事業主は、大手チェーンのように投資家の投資事業の一環として店舗を運営しているわけではない。金融機関からの「言葉」はそのまま、家族の日常生活に響いてくるのである。
さらに付け加えるとすれば、客が飲食代金を電子マネーで支払った場合、店としては「売掛金」ということになり、約60日の入金サイト(入金サイクル)ののち、手数料を差し引かれたうえで口座に入金となる。つまり経営本部があるようなチェーン店などでない限り、現金決済でなければ商売が立ち行かない。まさか手数料と遅延利息分をラーメン代に上乗せするわけにもいかない。
つまり電子決済に対応して売上機会を増やすことなどそもそも無理なのである。クレジットカードも理屈は同じだ。
力による解決でなく英知の結集で
確かに、酒を伴う飲食の場というものが感染拡大に少なくない影響を与えていることは科学的にも説明されており、専門家も指摘している。しかしそこで「じゃぁ、酒を抑えつけちまえ」というのはあまりにも雑で知恵がない。
飲食のシーンにしろ、教育・介護あるいは文化・芸術の空間にしろ「どう工夫すればリスクを極小化したうえで実施できるか」を各分野の英知を集めて議論するのがあるべき姿ではないだろうか。
ただしそれはあくまでも科学的・合理的議論でなければならず、気合いや祈り、言葉遊びのようなヤンキー精神であっては無意味だ。さらに最初は感染拡大をにらみつつスピード重視で、そして状況の変化に応じて柔軟に進めなければならない。
こうした施策を踏まえたうえで、経済的支援や臨時の規制緩和などを効果的に打っていくべきではないのだろうか。
「言うことを聞かない飲食店」に対する金貸し経由と酒屋経由のダブル圧力プランについては、7月7日に行われた首相も出席する関係閣僚会合で、その方針が説明されている。つまり西村発言(ダブル圧力実施を表明する記者会見)の前日に、菅首相も関係閣僚も承知していたと言うことになる。国際会議参加のためイタリアでこの方針を(日本時間9日)聞いた麻生氏は疑問を感じつつも「ほっておけ」と言ったそうである。
常識的に考えてこれらのみなさんは同等の責任を感じるべきではないだろうか。そうでないというのならこの内閣は、自分のところのガバナンスも効いていないことになる。
しかし政府はこの事態を西村氏の失態という形にまとめ、首相が「お詫び」を口にして幕引きとしたいようである。
それともうひとつ、法律に詳しいはずの官僚がストップをかけなかったという点も見落としてはならない。
「とにかく、とにかくオリンピックはやらねば」と何かに取り憑(つ)か れ たように唱えるばかりでは理解は得られない。国民に正面から向き合い、現状に際した自身の政治哲学を語ることが出来ない一群の人々。それがいまの日本のリーダー層ということではないだろうか。
まとめに代えて(もう一つの事情)
もし筆者の妄想どおり、今回の西村発言騒動を含めた数々の問題(公文書の破棄や提出拒否、説明拒否などの事例多数)が国家権力のチラ見せなのだとすれば、それは力による国家運営、国民支配を目指すものであり、この点においてロシア、中国、北朝鮮を批判できない。
「それは違う」というのであれば、戦前の体制に少しでも戻していこうとする圧力が確かにこの社会に息づいている現況との関連について、民主主義国家の政府として内外に向けて説明をする必要がある。
日本は実際のところ、真の独立国とは言い難い状況にあることを多くの日本人が知るようになってきた。特に在日米軍のありようは露骨だ。
この先、台湾海峡の緊張状態に起因して米軍が行動するとき、日本はおそらく知らん顔は出来ないだろう。それこそ議事録不要な密室で、米軍が対中国用のミサイルを(第一列島線の端にあたる)日本国内に配備することについて、「今のうちに国内世論をまとめておけ」といった「指示」を外務省の一部の人間が、アメリカから受けている可能性も考えられる。
世界は、日本がかつてヒトラー率いるドイツと軍事同盟を結んでいた歴史を忘れてはいない。
儀礼上「東京オリンピックおめでとう」などという態度を示しているものの、「アメリカ周辺国に過ぎないあの国が、いつ軍事国家へ向けて傾斜し始めるか」という疑念を常に腹の底に据えて日本を見つめている。それが世界史を俯瞰して国際社会を考える者のごく当たり前の感覚である。