ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

あなたは「ふん派」?それとも「ぷん派」?

2021年07月14日 | 沈思黙考

時間を言い表すときの「1分、2分」。これをなんと発音するだろうか。あるいはこの文字を目にしてあなたの脳内ではどんな「サウンド感」を覚えただろうか。筆者は「ippun、nihun」である。では「4分」はどうだろう。「yonpun」だろうか。それとも「yonhun」だろうか。

車掌さんもアナウンサーも

数年前頃からだろうか。公共的な場所や状況において、「4分」を「yonhun」と発音する人が出てきた。
筆者が時々利用する東海道本線の車内放送でも、「○○駅の到着は3時24分…(にじゅうよんふん)」と発音していた。その時はすべての停車駅の到着予定時刻を知らせていたが、「4(よん)」の後は必ず「ふん(hun)」と発音していた。
あくまでも筆者の個人的観察だが、こういった傾向は女性車掌に多い気がする。

いわゆる「正しい日本語」の基準とされやすいものに、NHK総合テレビの平日午後7時のニュースがある。このなかで、ある女性アナウンサーは「よんふん」と発音していた。
いよいよ「よんふん」は、市民権を獲得しつつあるということなのだろうか。

bmpの原則

「bmp」といってもパソコンで扱う画像ファイル形式の話ではない。
たとえば「新橋」、「群馬」、「乾杯」といった音を表記するときに、それぞれ「shimbashi」、「gumma」、「kampai」といったぐあいに表記する場合がある。「ん」の次にb、m、pが来る場合にはnをmに替えるというルールなのである。旧ヘボン式という表記法らしい。

実際に東京・新橋駅に行ってみると、確かに「SHIMBASHI」と表記されている。あるいは吾妻線や信越本線でも「Gumma-Haramachi Station(群馬原町駅)」とか「Gumma-Yawata Station(群馬八幡駅)」とされている(厳密には古い駅名看板などで「Gunma」表記もあるようだ)。

昭和の終わりごろだったか「ボク、頑張ります」みたいな言葉を「ボク、がむばります」などと発音して悦に入っている男がいたけれど、これも「ん」と「む」の関係である点においては共通している。

「隈もなく澄める心の輝けは 我が光とや 月思らむ」というのは明恵上人(みょうえしょうにん)という鎌倉初期の僧が詠んだものだけれど、10年ほど前にキヤノンのTV-CMで使用されていた時も、「つきおもうらん」と発音していた。これは、口を閉じて発音する「ん」であろう。

ある年配の実力派歌手が「最近の若いコたちなんかは口を開けたまんま『んー』なんて発音するのよねぇ」とボヤいていたことを思い出す。
そういえば新橋も群馬も、そして乾杯も、いったん上下の唇を閉じなければ次のba、ma、paの発音に移ることが出来ない。

やわらか表現か

いつの時代もそうかもしれないが、日本語の話し言葉に対しては様々な指摘がされる。昨今はなるべく当たり障りなくその場を流していきたい、緊張感を避けたいという心理からか、聞こえ方の柔らかさみたいなものを意識した話し方が目立っているようだ。
これは、面と向かって他人と話すことが苦手な若年層が相対的に増えてきたこともあるのかもしれない(ただし店舗トークのようにパターン化されている場合はキチンと対応できるようだ)。

ほかにも「~させていただく」をやたらと使ってしまう大人や、二重敬語なども話題にされる。
筆者は集団のリーダーや一定の権限を持った人物が「~させていただく」を多用していると、その人物に信用が置けなくなる。自分に自信がなく批判に弱いからか、もしくは隠し事をしている、責任を取る気がない、といったことの現れと感じてしまうからだ。

今回取り上げた「よんふん」にしろ、奇妙な敬語にしろ、なるべく「まぁるく」表現したい、当たり障りなくその場を流していきたいという現代の若年層の心理が現れているのかもしれない。
そういう考え方からすると、「よんぷん」は「よんふん」と抜けた感じの方が、柔らか表現が出来るという心理なのかもしれない。
ならば今後、1分、6分、8分のような詰まる音(=促音:そくおん)がある場合も抜け感重視で「いっふん」とか「ろっふん」などと変化していくのだろうか。いや、「8分」は「はっぷん」とも「はちふん」とも言うから「いちふん」「ろくふん」となるのかもしれない。

筆者は日本語の専門家ではないけれど、直前に促音がある場合は、やはり半濁音の「pun」となるのが日本語として自然であるように感じる。もし促音の後に「hun」が来るならば、そこには何かしら西ヨーロッパ言語のような風情が漂い始める気もする。

そういえば「日本製粉株式会社」は2021年の元日から「株式会社ニップン」に変わったし、凸版印刷は「とっぱん印刷」であって「とつはん/とっはん」とは言わない。企業名は企業イメージに直結するものだから、大多数の人々にとって自然に受け入れられるものにするのが普通だ。
「ニッフン」などとしたら日本人的には発音しにくいし、鼻息でもって小麦粉が散らかってしまいそうだ。それにしても日清製粉との関係はどう考えられたのだろうか(ちなみにロゴやドメイン名におけるアルファベット表記は「nippn」である)。

まとめ

まぁこんな話に「まとめ」も何もない気がするけれど、幼いころから慣れ親しんだ言葉や発音というものは、大人になっても無意識のうちに維持しているものかもしれない。
一生懸命「標準語」を話そうとしているアナウンサーや記者のしゃべりを聴いていても、あぁこの人は関東でも北東地域の出身なんだろうなぁ、などと感じることがよくある。また関東圏で「関西弁」などと一括りにされがちな言葉にも、かなりバラエティーがある。日本全国で世代の違いもあるだろうし、何歳ごろにどこで過ごしたかも絡んでくる。

人がある集団に溶け込むためには、その集団内でふだん使われている言葉や「もの言い」、発音をマネるという方法がある。これは非常に重要だ。
言葉の違いについては民族紛争のようなことにもつながる場合があるが、そこまで大げさでないにしても、「なんとなく浮いてるのよねぇ」といった空気、見えない分断が集団内に生まれてくることもある。もちろんその逆に、違和感が良い方向に働いて一種の羨望を受ける場合もある。

それは「こんど入ってきたヤツは、自分たちと同じなのか違うのか。違うならどのように違うのか」といった動物的感覚が研ぎ澄まされる瞬間でもある。
いずれにしろ違和感を悪感情に直結させるような集団は、おそらく長続きしないだろう。分断しようという方向のエネルギーが働くからだ。これは仲良しクラブであれ国家であれ同じだと思う。
しかし違和感に対して「新しい知恵が加わった」とか「新しいものの見方や視界が広がった」といった、何らかの建設的な解釈や対応が出来る集団なら、時代に応じて柔軟に存続していけるのではないかと思う。

だとすれば抜け感のある「よんふん」や、アニメ的な可愛いらしさを狙ってくるかもしれない「2ぷん(nipun)、5ぷん(gopun)」が仲間入りを申請してきた時、柔軟に受け入れていくべきなのかも知れない。

それにしても先の女性車掌は、「よんふん」とは言っていたけれど、「3分」は「sanpun」と言っていた。なかなか複雑である。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 感染拡大、土石流、それでも... | トップ | 権力のチラ見せ »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (読みひと知らず)
2021-07-16 07:07:59
このタイトルを読んで
オリンピックのことかな? と思いました
「ふん派」=興味なし。どこか別のところでやってほしい。
「ぷん派」=絶対反対。政治家は責任とれ。

スレッドの趣旨からたいへん離れてしまい、お詫びします。ちなみに私は「ふん派」かな…
返信する
Unknown (花馬 米)
2021-07-16 10:29:03
読みひと知らずさま;

コメントありがとうございます。
しばらくオリンピック批判を投稿し続けていましたので、そう感じられたのも無理はありません。
オリンピックにまつわるいろんな状況に、このところ疲れるやらあきれるやらで、ちょっと軽い感じの内容を投稿しました。

いま「西村発言騒動」のウラ読み的な内容を準備しています。
返信する
私も^^; (はる)
2021-08-16 00:07:23
花馬 米様、初めてお邪魔しました。最新のワクチンの記事を興味深く読ませていただいた後、この記事タイトルが目にとまりました。で、読みひと知らず様の様な印象を持ち、中身を読ませていただきましたが…何かにつけて考えることが面倒になっている私の頭に、ご考察は少し難しかったので、あまり考えないようにして飛ばし読みし(ごめんなさい)、一応最後まで読ませていただきました^^;
私は「pun」派ですが、それは高齢者の所為でしょうか?!
返信する
わたしも pun 派です (花馬 米)
2021-08-16 00:43:20
はるさま;

コメントありがとうございます。
私は先輩や友人から
「オマエは説明がいちいちややこしいんだよぅ」と言われることがあります。なのでご指摘は真っ当な感覚だと思います(笑)。

ブログの原稿を書いていても、どうも次から次へと考えが広がってしまい、その勢いで話を盛り込んでいるうちに、「けっきょく何が言いたいの?」と自分でさえ感じる文章になっていたりするという、大変マヌケなことをやっています。

「3分、4分」はやっぱり「sanpun, yonpun」ですよねぇ。
私は先日56歳になったばかりですが、「sanhun, yonhun」に変わるのは「平均○歳から」といった世代的断絶?があるのでしょうか。金田一先生に聞いてみたいですね。NHK放送研究所でも扱っているのかも。

中学生の時に先生から「オマエは今朝、ご飯を食べてきたのか?、それともパンを食べてきたのか?」と問われ、「ゴパン(gopan)」と答えて教室の笑いを誘ってみたのですが、その教員に竹の棒で頭をひっぱたかれただけで終わりでした。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。