3月8日の記事をアップした後、11日にあの震災・大津波が発生し、つづいて原子力発電所の事故が起きました。サボりがちだったブログ更新をもういちど再開しようと考えていたときに、いろいろと考えさせられました。
私がブログで何かを書いたからといって、いったいどれほどの意味、価値があるのだろうかと。
たしかに、この一連の災禍がなかったとしても、「個人的な思いを勝手に書き綴ったところで、それがどうした、と言われればそれまで」という気持ちを心の片隅に抱えながらの更新でした。しかしそれは、裏を返せば単なる私の傲慢な考えだったのかもしれません。
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4月に入って、ある女性を含めて数人で食事をする機会がありました。
彼女もブログをやっていて、ケータイなどから頻繁に記事を登録しており、いかにも若い女性らしくその日の出来事や思ったこと、食べたものなどをケータイ写真付きで、そして絵文字などで飾り立てて更新しています。
そして、各記事に対する反応はほとんどありません。
それでも嬉々としてブログの話をしたり、なんでもネタにしてみたりというその勢いについては、私も触発されるものがありました。
あぁ、そんなに大上段に構えて考えなくてもいいんだなと。
Twitter という個人の短い発言を発信できるサービスがにぎやかですが、ブログ(特に個人発信)もそんな、個人のつぶやきなのかもしれません。重い話題や軽い話題、なんでもありなのですね。こんなあたりまえのことが、あらためてわかったような気がします。
「ブログ」。それは辞書的な説明としては多くの人が知っているものだけれど、その存在としての意味は、「透明なもの」といえるのかもしれません。
つまりそのもの自体に意味があるというよりも、それがどのように利用され、それによってどのようなことが派生し、どんな新しいものが生まれていくのかということのほうにこそ、意味があるのだと実感しました。
そして、その結果が意味あるものなのか、そうでないのかということは、まったく受け取る側の個人的な事情によってのみ決定されることだということも。
もちろん、個人の価値観や考え方は、家族や友人、同僚や先輩、書籍やマスコミ、またペットや大自然、深い思考や修行のようなものなどから様々な影響を受けるわけですが、経緯がどうであれ、最終的には個人が決定を下したものこそ、「価値」になるのだということも言えると思うのです。
少し力を抜いて、ブログをやってみようと思います。
自分のために。
花馬米さんの旅行記やブログの着眼点や言葉遣いが好きで、こちらのサイトはよく覗かせて頂いてます。自分の考えていたことが巧みに文章で表現されていて嬉しくなったりすることも多く、ブログも旅行記も更新を楽しみにしています。次回のブログ更新も楽しみです。
じつは、きょうから一般コンテンツの制作を始めました。
Windows の多言語化や既定の言語以外をどう設定するかといった、パソコン関係のものですので、ハワイ旅行とは直接関係ありません。
ですが、まぁこんなところも拙サイトのキャラクタということで、ご理解いただければ幸いです。
次の日曜までには公開できるように頑張ります。
このブログのほうは、ハワイと関係ないことが多くなりそうですが、思い出されましたら、またのぞいてやってくださいまし。