テレビをデジタル対応に変えてから、衛星放送をよく見るようになりました。地上波とはコマーシャルの傾向が違うなと思っているのですが、そのひとつに損害保険のコマーシャルが多く、これがやたらと繰り返されるということがあります。そんななか、ちょいと気になったのは「安心の社員対応」という宣伝文句です。
なにか、こう、サラリと通り過ぎることができないような違和感が残ってしまうのであります。少々言葉遊び、揚げ足取りに感じられるかもしれませんが、養母のいるグループホームへ面会に行く電車に揺られながら、考えてみました。
「では非正規社員では安心しちゃいられないのか」。「それはなぜか」。「正社員でさえあれば、顧客は満足できるのか」。
私が顧客企業の中で派遣社員として働いているため、思考にバイアスがかかっているのかもしれません。しかし、全くといっていいほど役に立たない「正規」もいれば、この人を見習ってほしいと思える、社員の信頼も厚い「非正規」も存在します。
□
■
確かに、自動車事故を起こし、損保会社のお世話になるとしたら、やはり担当者がコロコロ変わらず、しっかりとした業務知識がある人に対応してほしいと思うのは至極当然です。
ただ気になるのは、社員なら安心というような価値観、判断は、やや時代錯誤かもしれないと感じるのです。
たしかに以前は、「バイトちゃん」に対応されるよりも「店長いる!?」みたいなシーンは見かけました。まぁ今でも時折見かけますが、これは信頼を求めているというより、責任者にクレームを述べ、経済的、物質的、精神的な埋め合わせを要求しているものだと思います。そうではなく、まさにこれからサービスを受けようとしている時点においては、そのサービスが満足に受けられることが何より大事です。
コンビニでコピー機を使おうとしている年配の方が、店員に助けられているシーンはよく目にします。そして的確に、迅速に、場合によってはより優しく対応しているのは、学校の制服の上にエプロンをひっかけただけの高校生だったりします。「店長」や「長期雇用」の人がもたついてしまって、バイトちゃんに助けを求めているようなシーンも想像できます。実際にそんな出来事を私は何度も見ています。
つまり本質的には、社員であるかないかという、その会社の労働契約の種類よりも、その担当者が「使えるヤツ」かどうか、ということが問題なわけです。
いま日本は、「生産性はどうあれ」固定的に働ける人々と、不安定または働けない人々の2グループに大別できそうな状況です。
「社員なら安心」。本当に胸を張って言えるのだろうか。サラリーマン・OL の方は是非、ご自身の周囲を見渡していただきたいと思うのです。いや、もうわかっているはずなんです。「コイツ、とても客の前に出せねぇよなぁ」って正社員を。「この人に出てもらえないかなぁ」って非正規の人を。
会社が抱えていられる労働力に厳しい限界が訪れた時、できの悪い「正規」とデキる「非正規」が同じ仕事を担当している場合、たとえ総人件費が高くとも「正規」を残すのが、マネジメントとしては「正規」のやり方です。
理論的にはおかしいですが、しかしそんな世の状況、社会の仕組みを簡単に変えられるわけもありません。
もし、これを変えようとする有効な方法があるのだとしたら、私は、多数の一般人がもっと賢くなること、もっと日本社会を知ることだと思うのです。一般大衆として社会に埋没していても、そこそこやっていられたのは、高度成長時代とその余波が残っていた時代のことでしょう。
日本にたくさんいる普通の人が、もっと知識と知恵(智慧)をつけ、考える力をつけることが、まず最初に必要な土台だと思っています。
厳しい社会ではありますが、希望が全くないというわけでは決してないと思っています。では具体的にどうするのだ?と言われそうですが、私は私なりに生きてきて、これかなぁというものは持っています。それを今後、拙い言葉にして、ここで紹介させていただければと思っています。
□
■
で、写真は喫茶チェーン「珈琲所 コメダ珈琲店」のフィッシュフライバーガー。お店に入って実際に頼んでみると、コメダを知らない方は度肝を抜かれるはずです。日本の未来は名古屋が開くのかも!?
「ガイドブックに載らない情報」の数年来のファンです。
いつも楽しく拝見しています。
非正規と正規に関して。
なんかもう・・・思っていたことを、
冷静に代弁していただいたようで、嬉しかったです。
花馬米さんの明確で秀逸な文章に、
胸がすっきりしました。
私も派遣社員経験が長かったので、
いろいろと、くすぶる思いがありました。
私は利用するお店などで、
明らかに「デキないのに偉そうな態度の正規」と、
惜しみなく働く「実力派非正規」を発見しますと、
「非正規」さんのほうに注目して、
店長に対するような態度で接します。
客の立場からの甲乙をつけることにより、
古臭い社会的見地に冷や水を浴びせてみるのです。
実際にデキる方の応対の方が気持ちいいですものね。
フィッシュフライバーガーおいしそうですね。
いつもは新聞よみながらシロノワールとコーヒーが定番でしたが、今度はこれを試してみます。
情報どうもありがとうございます。
今後もご活躍お祈りしています。
では失礼しました。
有難いお言葉、感謝申し上げます。
「正規」は法律上、よっぽどバカなことでもしでかさない限り、クビにはならないという権利があります。もちろんこの権利は、長いあいだ労働者が抑圧されてきた世界史に、そして使用者(資本家)と労働者という構造そのものにも、存在意義を求めることができると思っています。
しかし、この時代のこの国においては、いささかこの「権利」も現実にふさわしくないかたちで、相対的に肥大化し過ぎてしまっているという気がするのです。
もちろん、安定雇用という前提がしっかり存在してこそ、腰を据えて働けるのだ、という考え方にも一理あります。
しかし日本はもう、そんな状況ではないのではないか、ということなんです。
旧来から存在する(当時は意味のあった)あらゆるものの考え方が、現実に適合しなくなってきている。そんな流れの中で、真摯に生きている人々が報われないのだとしたら、日本の有権者はもっと勉強し、社会の一員として、思考し、発言し、判断し、議論し、もう一度考えてみるといった習慣をつけていく必要があると思っています。