ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

「手のなるほうへ」を歌いたい

2020年09月26日 | 音楽

藤井フミヤさんが歌う「手のなるほうへ」を、自分も歌えるようになりたいと思っている。宇宙の闇の中を漂っているような感覚に包まれる、独特の雰囲気がある曲なのだが、じつは鼻歌レベルでもそう簡単には歌いこなせない。きょうは筆者独自の分析を試みる。

まずは聴いてみる

私がこの曲を知ったのはラジオの深夜放送である。夜中に布団の中で、ラジオから流れてくるこの曲を聴いていると、なにか宇宙空間に漂っているような気分になってくるのだ。
本稿執筆時点ではCD発売は発表されていないようだが、音楽データをオンライン販売するサイトで購入することが可能だ(今どきはそれがフツーか)。
また2020年10月上旬ころまでの期間限定だが、NHKのラジオ番組の聴き逃しサービスの中で、全曲を聴くことが可能だ。下記ページにある過去放送分のどれかを選び、さらに午前1時台の部分を再生する。最後の8~12分間ぐらいのところまで移動(早送り)すれば全曲を聴くことが出来る。
またiTunes Storeではいつでも冒頭部分を試聴できる。

ラジオ深夜便:聴き逃しサービス

また歌詞は、「歌ネット」というサイトで提供されているが、残念ながらそのページに一緒に掲載されている動画は、よく似た曲名の別の曲だ。ここで話題にしているのは河口京吾と藤井フミヤの作詞による「手のなるほうへ」である。「手の鳴るほうへ」ではない。なお、河口恭吾の作詞・作曲のクレジットは河口京吾である。

歌ネット

【テンポ】

この曲を歌うのが難しいかどうかは人によってさまざまだとは思うが、少なくとも日本の現代ポピュラー音楽の中では、簡単に覚えて気軽に口ずさめる感じではないと思っている。

ポイントの一つ目はゆったりとしたテンポだ。
楽譜での表記はわからないが、1分間に70拍ぐらいの速さだろうか。一般的な行進曲は1分間に120拍程度だから、ゆったり歩くような速さである。歌詞に相応しいテンポといえるだろう

ただテンポがゆっくりだと、一つひとつの音符が長くなるわけで、歌う時に音程をぶらさず長く伸ばすことが必要になる。つまり「朗々と歌い上げる」といった感じが要求されることになるのだ。意地悪いことを言えば、テンポが速くリズミックな楽曲は、音程の悪さをカバーすしやすいともいえる。

【音数】

もう一つのポイントは、歌詞の音数(ひらがなにした時の文字数とほぼ同じ)が、1テーマと2テーマで異なっていることだ。たとえば1テーマの「迷子の宇宙飛行士」は音数としては11。しかし2テーマの同じ部分には「いろんなこと 変えてしまうけど」と14になっている。

つまり歌唱の楽譜としては、同じ部分に異なる音数を入れるため、1テーマと2テーマで音符の数も異なってしまうところにある。歌詞のどの部分を伸ばし、どの部分をコンパクトに歌うかが簡単ではなさそうだ。

こういったことについては、オリジナルに忠実に音符を「辿る」ほうがいいのか、それとも自分らしく歌えばいいのか、人によっては悩むかもしれない。

【浮遊感】

次のフレーズが予想しにくい曲調、というのもあるかもしれない。これは「どこかで聞いた感」がほとんどないと言い換えてもいい。
たとえば、立ち食いそば店などで強制的に聞かされるポップス演歌などは、初めて聞いたものであってもだいたい次の流れが予想できてしまうが、この曲は相当聴きこんでからでないと口ずさむことさえ難しい。もちろんそこがまた、この曲独特の「浮遊感」に繋がっているともいえる。

浮遊感で思い出したが、「教会旋法(きょうかいせんぽう)」という音楽のリクツが存在する。ローマ・カトリック教会で歌われるグレゴリオ聖歌で出てくる理論だが、簡単な一例をいえば、華原朋美の「I'm proud」がわかりやすい。
この曲は冒頭でガツンとサビを聴かせた後、次の

「人混みをすりぬける 大人が誘いの手を引く 経験が増えていく 避けて通れなくなってた(作詞:小室哲哉)」

という部分のフレーズで、自分の存在理由を見失った少女が、渋谷の街をさまよい歩いているかのような浮遊感を、歌詞と相まって見事に描き出している。

ここに使われているのは教会旋法の一つ「ドリア旋法」というものだ。簡単に言えば「ドレミファソラシド」ではなく、「レミファソラシドレ」でこの部分のフレーズがつくられているということだ。

ピアノやリコーダーなどで鳴らしてみると体感できるが、「ドレミファソラシド」と順に鳴らす場合、「シ」を少し伸ばしてから「ド」へ上がると、何とも言えない「安心感」「終わった感」が感じられる。音楽理論で言う「解決」である(「解脱(げだつ)」ではない。いや似ているか?)。
ところが「レ」から始めて「レ」で終わってみると、これまた何ともいえない、突き放された感じ、浮遊感、追放感といったような気分に包まれるのがおわかりいただけると思う。教会のような音響空間で歌えば、神の世界に近づいた感じがするかもしれない。

【裏声ほか】

最後にこの曲を大きく特徴づけている、裏声(ファルセット)による歌唱である。サビのラストで、まさに宇宙空間に放り出されていくような感覚で高く歌い上げる。慣れている人なら裏声は何でもないのだろうが、日常的に裏声など出さない人にとっては「こっ恥ずかしい」気持ちも手伝って、なかなか出しにくいものである。
まぁ、地声で行くか裏声で行くかは自由だろうけれど、「ひとりカラオケ」の時にでもチャレンジしてみたい。
あとは歌い方ではないのだが、よく聴いてみると1テーマと2テーマでフレーズの構成が異なっている。歌詞を見ながら聴けば、2テーマでは「A'(エー・ダッシュ)」とでもいうフレーズが無くなっている。

最後に、今回ご紹介したこの曲「手のなるほうへ」はもちろん著作物である。そのため楽曲の音声データはもちろん、歌詞、関係する画像等を扱う際は適切にお願いしたい。


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2 コメント

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Unknown (uega)
2020-10-01 01:34:45
聴いてみました。
いい歌ですね。
普通ではないメロディに奥の深さが感じられます。
確かに歌いにくそうです。

返信する
Unknown (hanauma-bay)
2021-03-10 12:00:56
uegaさま;
返信が遅くなり申し訳ありません。
漂うような雰囲気の音楽が好きです。
ロシア系のクラシック音楽や、「ザ・スプートニクス(古っ!)」なども。
返信する

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