今から19年前にフィリピンで実装工場の立ち上げの任を受けた。
プリント基板に小型な部品を実装する工程では、実装設備のメンテナンスが重要であった。
当然、装置を扱うオペレーターの技量も重要だが、設備のメンテナンスはもっと重要であった。
当然、固定費を減らすために、日本の古い実装機をフィリピンに持って行った訳だが、如何に古い実装機でも、
止まらずに動かすかが、技量であった。
当然、日本(静岡工場)は古くなった設備の代わりに最新の設備を導入した訳で、実装品質も以前に比べ、1桁ぐらい向上している。
フィリピンでは、日本でお古になった設備を何とかメンテナンスしながら動かしている訳で、品質も、稼働もあまり上がらない。
日本側は自分達の品質を自慢するかのように、海外工場に対して、ヤンヤ言ってくる。
まあ、そんな事もあって、帰任が決まった時は静岡工場には戻らず、本社の海外サービス部門へ異動の願いを出しました。
その静岡工場も別会社となり、静岡を離れたくない人達はそのまま、別会社に移りました。
当然、当時のお偉いさん達は、無事に、退職金をたんまり貰って、卒業して行きました。
人生と言うものはどの様に変わるかわかりません。
静岡に残った人、横浜に転勤した人、退職した人。中華の会社(H社やZ社)に移った人、どうなんでしょうか?
まあ、人の人生は±0ですから、死ぬ時に結果が出るのでしょうね。
あの世にはお金を持って行けませんし、三途の川の渡り賃は6文と言われているので、それくらい残せばいいんじゃないでしょうか?
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/171108/wor17110811000001-n1.html