よく晴れた日の昼下がり。
大助は、健太郎が川海老を救う網の手入れをしている傍らで、みよう見真似で面白そうに手伝いをしているところに、美代子が母親のキャサリンと連れ立って大きな手提げ袋を持って訪ねてきた。
美代子は大助を見つけると、キャサリンの手を振りほどいて彼のそばに行き
「これ、お爺さんからのプレゼントだけど受けとってぇ」
と言って、大助のために老医師の祖父が用意した盆踊りに着る法衣等が入った大きな袋を差し出して中を見せたあと、別の手提げ袋を少し開いて
「これは、わたしの水着ョ」
と言ってチョコット中身を見せて、これから二人で泳ぐのを楽しそうに肩をすぼめてクスッと笑っていた。
キャサリンは、節子さんに対し挨拶のあと、診療所では話すことのない愚痴をこぼすように、田舎に暮らす様になってから、それまでの親子三人での新潟市内での生活と異なり、老医師を交えた診療所での暮らしは、習慣の違いもあり村人との付き合いに判らぬことばかりで悩みも多い。と、普段は言わないことを珍しく零したあと、大助の傍らにいる美代子を見ながら
「あの子ったら、昨日遊んでいただいた興奮がさめやらず、朝早くから、大助君のところに早く連れて行って」
とせがみ、お爺さんも珍しく「早く連れて行ってあげなさい」と怒鳴り、考えてみれば、あの子も肌と目の色が違うとゆうだけで、学校では理由もなくいじめられたりして、悔しい思いをしているらしく、大助君と遊んで貰えるだけで心が救われると、昨晩、嬉しそうに夫や祖父に話していたことなど、昨日の彼等の遊びの様子を話したあと、私もあの子の心の痛みがよく判るので、厚かましく早々とお邪魔に上がりましたが、今日も大助君と遊ばせて下さい。と、熱心に頼んでいた。
美代子は、その間も大助と楽しそうに話しながら、慣れない手付きで網の修理を手伝っていた。
健太郎も、教師上がりのため若い二人の扱いも慣れたものでニコニコしながら相手をしているので、節子も安心して見ていた。
キャサリンとは何時も診療所で顔を合わせている節子も、これまで聞いたことのない彼女の深刻な悩みを聞くと、彼女の立場が良く判るだけに
「わたし達も、子供達と一緒に行って、河原の杉の大木の木陰で色々とお話ししましょうょ」
と快く返事をして誘ってくれた。
山上家から川までは、裏庭から通ずる河川敷の畑の中を通り、良く伸びたトウモロコシや向日葵それにトマトやキュウリと西瓜等が稔る畑の小道を通り過ぎると、すぐに目的の川原に辿り着く。
理恵子と珠子それに美代子の三人は、家で水着に着替えると大きいバスタオルで身を包み麦藁帽子をかぶりサンダルを履いて、楽しそうにはしゃぎながら健太郎と大助のあとについて行き、 節子とキャサリンも、半袖のシャツにスニーカーの軽装で、紫外線よけの眼鏡をかけて日傘をさし、軽食や麦茶のペットポトル等の入った大きな籠の取っ手を二人で分けて持って、彼等のあとに続いてゆっくりと歩きながら子供達のこと等を話しながらついて行った。
川原に着くと、大助と美代子は夫々勝手に膝の屈伸など準備運動のあと勢いよく川に入り、上流に向かいクロールで泳ぎだして行った。
流れがあるためか、美代子は流石に体力で勝る大助に少し遅れ気味だが、それでも、水泳が得意なだけに懸命に泳いでついてゆき、織田君の待つ船に辿りついた。
ところが、先に自力で船に上がった大助に対し、美代子は船に上がる要領を知らないのか
「大助くん~、わたしを引き上げてェ~」
と金きり声で叫んだので、大助は再び川に飛び込み、彼女の腰の辺りを抱えて、やっとの思いで船に乗せるや、顔の面前に現れた彼女の丸い尻の辺りを悪戯ぽくピシャッと叩いて川にもぐってしまった。
美代子は「痛いッ。大助君のエッチ!」と振り返る様に彼に向かって声を上げたが顔は笑っていた。
理恵子と珠子は、そんな二人を見ていて、それが深い意味のない純粋にユーモアにあふれた、自然な戯れた仕草と映り不快感も覚えず、平泳ぎで水を楽しみつつ、ゆっくと船に着くと、織田君に手をとられて船にあがった。
大助と美代子は、少し休んだあと船から下りて、健太郎と織田君が川べりで網を使い、川海老や沢蟹を取るのをバケツをもって愉快そうについて回っていた。
終わると二人は再び川下に向かい泳ぎだした。
今度は、流れに乗って速く泳ぐ美代子に大助の方が遅れ気味になったが、大助は川幅の広い流れが緩んだところで泳ぐのをやめて、ゆるい流れに仰向けに身体を浮かせていたところ、美代子が戻ってきて、大助に身体を寄せて二人が並んで手を繋ぎ青空をながめていた。 そんな大助に対し美代子は
「大助君、青空にポッカリ浮かんで流れる白い雲を見ていて・・」「何を考えているの」
と聞いたので、彼は
「特別に考えていることもないが、唯、小さい白い雲が、ゆったりと流れるうちに、くっついては離れる模様が面白くてさ」
と答えると、彼女は
「ネェ~ 大助君 何時帰るの」 「君が帰ったあと、わたし、きっと胸が潰れそうに寂しくなるヮ」
「来年も、また、このように逢って遊べるかしら。どうなの、教えてェ~」
「わたしの夢を壊すことはないわネ」
「わたし、来年、もし東京の高校に行く様になったら、どうしてもお付き合いして欲しいヮ、約束してくれるでしょう」
と聞くので、大助は深く考えることもなく漠然とした思いで
「あの雲の様に、僕達も、いつかは離ればなれになって消えてしまうかも知れないなしなァ~」
「僕も、君とこのまま付き合いが出来ればと思っているけれども、先のことは、わからないよ。ケッセ・ラー・セラー さぁ~」
と微笑んで答えると、彼女は顔を近ずけて握っている手に力を込めて
「ソンナ ココロボソイコト イヤダヮ」 「ワタシハ キミガ トッテモステキデ ゼッタイニ ハナレナイヮ」
と青い瞳に涙を浮かべて、今にもすがりつく様に言うので、彼も予想もしない言葉の勢いに困って仕舞い
「東京の道案内くらいならできるが、それ以上のことは、僕と君では家庭的にも立場が違うので、深く付き合えば付き合うほど、楽しさの反面悲しさも増すと思うと怖いなぁ」
と、彼なりに思いつきだが将来を考えて精一杯、現実的なことを返事すると、彼女は彼の返事に刺激されて少し興奮気味に
「立場も何も関係ないヮ」
「去年の夏、偶然、この河で一緒に泳いで知り合ったとき以来、河の聖霊が、わたし達を引き合わせてくれたのょ」
「誰が反対しようとも、わたし自分の夢を何処までも追い駆けるヮ」「イイデショウ」
と言って、あくまでも自分の考えを貫こうとする意思の堅さに、彼も圧倒されてある種の畏怖さえも覚えて逃げるように泳ぎだしたら、美代子も懸命に泳いで大助のあとを追ってきた。
強い日差しを避けるように、川辺の木陰では、節子とキャサリンが世間話にまじえて、美代子をとりまく学校生活や家庭内の様子などを雑談を交えながらも語りあいながら、そんな二人を微笑ましく遠くに眺めていた。
夕食後。理恵子と珠子は、涼風にのって流れてくる祭囃子の笛や太鼓の音に心を誘われて、節子が用意しておいてくれた浴衣で身を装い、大助は持参の浴衣を着て、三人は小砂利混じりの土の道を下駄で歩く感触を懐かしく感じながら、盆踊りの会場準備をしている鎮守様の境内へと散歩に出かけた。 勿論、愛犬のポチもお供していた。
理恵子達の浴衣は、薄い青地に小さい赤や白の花柄模様の入った、節子がお気に入りの布地で作ったもので、自分も模様の色は違うが同じものを用意したと言っていた。
大助については、背丈がどれ位伸びているか判らず、丈を計ってから珠子と相談して着地を見つけ、帰るまでに用意すると言っていたが、彼は浴衣に余り興味がないのか、持参した浴衣に袖を通し
「小母さん、僕、これで結構ですよ」「昨年、小母さんが作ってくれた、この豆絞りの浴衣が気に入ってますので・・」
と、別に気にも留めず笑っていた。 彼のモノに拘らないところが、案外、人に好かれているのかも知れない。
小川に沿った会場への近道である農道を、ポチを先頭にして鎮守様の境内に近ずくと、織田君の指図で彼の後輩達が提灯の配線や櫓を囲む紅白の幕の取り付け作業等を汗を流しながら懸命にしていた。
健太郎は、笛や太鼓との音合わせに、中・高生やOBの混じった吹奏楽の指導に夢中になっていた。
一方、老医師は、浴衣に鉢巻姿で教師らしき中年の女性と二人で、小中学生の女子10名位に、神前の舞台で奉納する神楽踊りを丁寧に教えていた。
なにしろ、今年の祭礼は、近郷から大勢集まるとゆう噂があり、実行委員長の老医師も張り切っていた。
この時期。盆踊りは村を離れて都会に出た若い人達が久し振りに帰郷して来て、夫々にコミニュケーションを図る唯一の機会である。 正月は豪雪のため、皆が一同に集まるのは困難なので、誰しもが旧盆の祭礼を楽しみにしている。
老人達も、鮭が生まれ育った川に帰って来るように、孫や子が一回り成長した姿で帰るのを心待ちしているのは言うまでもない。
健太郎は、理恵子を見つけると
「理恵子も、仲間になり一緒に練習しなさい」
と言うと、大助が
「理恵姉さん、去年までやっていたのでしょう、仲間になりなさいよ」
と後押しして、遠慮気味の彼女を無理矢理仲間のところに連れて行ってしまった。
美代子は得意のフルートを吹いていたが、大助を見つけるとフルートの吹奏をやめて立ち上がり、自分の位置を教えるように手を振っていた。 大助もそれを見つけると手拭を頭上で回してこたえた。
練習中の生徒達は、理恵子とは皆顔馴染みなのでワイワイはしゃいで雑談をはじめ、健太郎もその心情を充分に察しており、彼等を纏めるのに汗を流し一苦労していた。
皆が、準備や練習を一通り終えて、輪になって地べたに腰を降ろし、冷えた缶ジュースやビールを飲みながら、笑い声を発っしながら雑談に花を咲かせていた。 傍らで彼等を見ていた大助も、名も知らぬ若い衆に誘われて仲間の輪に入り、笑顔でなにやら楽しそうにお喋りしていた。
老医師は、神楽舞台の上から大助を目ざとく見つけると、舞いの指導を女教師に任せ、彼に近寄り手を引いて若衆の群れから離して、薄暗い神前の裏に誘いだし、大助の両肩に手を乗せて
「昨日は、美代子と遊んでくれて有難う」
「美代子が、あんなに機嫌よく遊んでいる姿を見たことは今までになく、それなのに、君が帰ったあと急に泣きよって、わしが訳を聞いたら、こっぴどく、ワシに当り散らし、いやぁ~往生したよ」
と、笑顔で話したあと
「彼女も、成長して女心が芽生え君に初恋を覚えたのかなぁ」「イヤイヤ これはワシの勝手な想像で、君には迷惑かも知れんが・・」
と、老医師までもやや興奮して話したあと、
「君に、お土産を用意しなくて済まんことをした」
「その代わりに、わしの気持ちとして、明日の夜に着る法被と股引や足袋等を準備しておいたので、それを着て思う存分踊って、田舎の盆踊りを多いに楽しんでくれたまえ」
と、予期もしないことを知らされ、彼も嬉しくなって
「お爺さん、有難う」
と、にこやかに笑って答え、早速、珠子のところに行き教えると、彼女も
「そうなの、それは良かったわネ」
「わたし、駅からいきなり美代子さんと一緒に行くので、内心ハラハラしていたが、来る前に充分注意しておいたので、多分間違いは起こさないだろうと思っていたヮ」
「なにをして遊んだかわからないが、お爺さんにまで気にいられて良かったゎ」
「まさかキスはしなかったでしょうね。手を握ることくらいはいいが・・」
と素直に喜んでくれたが、大助は
「また、そんなバカなことを言う、指一本触れてないわ」「姉ちゃんと違うゎ」
と答えたが、顔は少し赤らんでいた。 珠子は、彼の表情を見てとり「わたしが、どうしたと言うのよ」と返事したが、内心では或いはと思った。
二人揃って神楽殿に向かい、老医師のお爺さんに何度も頭を下げてお礼の挨拶をしていた。
理恵子は、休憩中の織田君を連れ出して、少し離れた人の目に触れない杉の大木の近くで
「今朝、着いたの?」「何故、私に電話をしてくれなかったのョ」
「あんたは、何時も、わたしが気に掛けていることを、ちっとも理解してくれようとしないんだから イジワル ダワ」
と、お腹の辺りを指でつっきながら不満そうに愚痴を言うと、彼は疲れた表情で
「また、そんな子供ぽいことを言うのか。帰る前にちゃんと連絡しておいたろう」
「帰ったあと、お袋は仏壇の清掃で忙しく、すぐに手伝いの人とお店の大掃除をして、お得意さんに出前をしたりして休まずに仕事をこなし、アット言う間に時間が過ぎてしまったよ」
「そして夕方は、御覧の通りで、別にイジワルなんてしてないつもりだがなぁ~」
と言ったあと、彼女の感情を無視するかの様に話題を変えて
「この分だと、明日も快晴で暑くなると思うが、区長の了解を得て、村の発動機付きの船を借りることにしておいたが、珠子さん達と君も川に泳ぎに来るかい」
「沢蟹やカジカを採って、都会では味わえない遊びを珠子さんや大助君に教えてあげればいいさ」
と、彼らしく先々と考えていることを知らされて、彼女も彼の気配りのよさに押されて、自分の我侭や勝手な甘えを言ったことが恥ずかしくなり
「そうなの、貴方らしいわネ 有難う。勿論、珠子さんや大助君も、おお喜びすると思うゎ」
「それにネ、多分、診療所の娘さんも、きっと一緒に行くと思うゎ。詳しい理由は知らないが、急に二人が親しいお友達になって、わたしや珠子さんもビックリしたゎ」
「あなたも、青い目の人の水着姿を近くで見れて目の保養になるんでないの?」「ヘンナ キョウミヲ モタナイデョ」
「彼女は、美代子さんと言って診療所の娘さんで、昨日駅迄迎えに来ていて、大助君は彼女の家で半日も遊んで来たのヨ。大助君は、田舎に来ても人にすかれるのよネ」
と、教えると、彼はムッとした顔つきで
「なにをつまらんことを言っているんだい。愚痴の照れ隠しか?」「俺は、お前の水着姿を拝ませて貰えるだけで充分満足だよ」
「青臭いオンナノコには興味はないわ」
「それよりか、東京での僕達のことを両親に話してはいないだろうね」
と聞くので、理恵子は
「あの夜のわたしの態度から、珠子さんは気付いているらしいヮ」
「勿論、両親に話すことでもないでしょう」「もしもョ、 わたし、なにかの弾みで知られたとしても、平気だゎ」
「わたしが、貴方の心を確かめたくて、貴方に全てをお任せしたことでもあるし・・」
「子供扱いしないでぇ~」
と俯いて小声で答えた。
彼にしてみれば、彼女の心があの日以来随分と大人らしくなって、変われば変わるもんだなと、女心の不思議さに思いをめぐらせ安堵した。
大助が、思わぬ歓迎を受けて愉快に遊んだあと、名残り惜しそうに美代子と別れて節子小母さんと帰宅したあと、美代子の家庭では夕食のテーブルを囲んで、老医師と長男の大学医師の正雄が晩酌をしていた。
老医師が正雄に諭すように
「お前にも日本人の血が半分流れておるが、キャサリンは仕方ないとしても、大助君にお土産を渡すのを失礼して、ワシは、恥ずかしい思いをしたよ」
「もっと、土地の慣習を勉強してくれなければ、こんな田舎では評判が悪くなるよ」
と渋い顔をして話すと、キャサリンはひたすら詫びていたが、正雄は
「まぁまぁ、そのうちに自然と覚えるよ」
とキャサリンをかばい老医師との仲を取り持っていた。
美代子は、自分が母親に無理を言って強引に大助君を連れてきたことが、全ての原因であることに気ずき
「お爺ちゃん、そんなに、お母さんを攻めないでぇ」
「わたし、ちゃんとお礼をしたヮ」
と言って母をかばうと、お爺さんは眉間に皺を寄せて
「ナニッ!お礼をしたと?」「なにも用意してないのに、一体どんなお礼をしたんだい」
と怪訝な顔をして聞いたので、彼女は
「日本人の心以上に、イングランドの礼儀としての心でョ」
と答えると、お爺さんも絶句したあげく
「ウ~ン やっぱりか」「ワシは、熱が出たみたいだ、これから寝るゎ」
と言いつつも、尚も気になり話題を変えて、美代子に対し
「最初は、二人とも元気良く遊んでいたのに、急に静かになったが、ワシも変だなと心配になっていたんだよ」
「そのあげく、大助君が帰るとき泣きっ面してキャサリンの後ろに隠れ、ワシにはお前の考えていることが、さっぱりわからんわ」
と言うと、美代子は
「ベツニ~・・。トクベツナコトデハナイヮ」 「それより、お爺さん、わたし達の遊びをみていたの?」
と逆に聞き返すと、キャサリンは困った様に顔を伏せてしまった。
正雄が機嫌よさそうに
「そんなに楽しかったの、良かったネ」
と美代子の肩を叩いて褒めたが、老医師は渋い顔をして
「元気が良すぎて、わしの大事な尺八を放り投げて、踊っていたわ」
と、うっかり口を滑らせると、美代子が
「アラッ イヤダヮ」 「ヤッパリ ワタシタチノコトヲ カンシ シテイタノネ」 「ソンナコト ヒキョウダワ」
と、彼女にしてみれば、大助君とのことが全て見られてしまったのかと思い、お爺さんに対して、皆が、これまで見たり聞いたりしたこともない勢いで、食事をやめてヒステリックに文句を言うと、老医師も自分の行動が孫娘に悟られたと思い、一瞬、狼狽したが、そこは老獪に威厳のある表情で
「美代子ナッ!、武士は心眼で人の心や行動が判るもんじゃ」
「お前達のことは、何も見ていないし・・」「ワシには、何も判らんよ。でも、当っているんかなぁ。」
と苦しい言い訳を言ってなだめ、その場を何とか凌いだ。
美代子は、そんなお爺さんの忍者話に似た弁解より、大助君のことが気になり、それっきりお爺さんを追及しなかった。
キャサリンは、このやり取りを終始聞いていて、雰囲気から察して、思春期の二人の間でキッス位までなら許せると思い、美代子も大人に成長しているんだなと、内心頼もしく思った。
正雄は、現役の外科医だけに、会話の様子から察して、その日の二人の出来事が、おおよそ想像でき、澄ました顔で晩酌をしながら聞いていたが、キャサリンが何時もの様にお酌をしてくれないことに、妻も相当動揺していると察した。
節子が、大助を乗せて帰宅すると、真夏の陽は山陰に沈んでいたが周囲は明るく、理恵子と珠子は短パン姿で、誰よりも待ちかねていた愛犬のポチと一緒に、裏庭の人工滝から流れ落ちる白い小砂利がまばらに敷かれた小川に足をいれて、冷たい水に暑さを忘れ、網でマスを救うおうと声を上げて遊んでいた。
健太郎は、裏庭の人工滝から流れる水を利用した流し素麺用の竹細工をしていた。
大助も、裏庭に出てそれを手伝うと、珠子が節子小母さんの帰宅に気ずき挨拶をしていたが、節子が
「理恵子が、貴女にお世話になっていて、私も安心しておりますヮ」
「この子は内弁慶で家に帰ってくると、この様に明るいのですが、貴女のところでは、借りてきた猫みたいでしょう」
と言うと、珠子は
「今は、慣れてきて、わたしと何でもお喋りしていますヮ」「わたしも、相談相手が出来て勉強になっております」
と、ニコニコしながら返事をしていた。
そして、チラット理恵子の顔を覗きみて
「最近、彼女一人で、織田君の家にも、お掃除や洗濯に行ってきましたョ」
と付け加えると、節子は
「そうなの、それは良かったわネ」
と返事をして笑っていた。
理恵子は母親から様子を聞かれるかと心配していたが、静かな微笑みを浮かべ何も聞かなかったので安心した。
昼間の酷暑も、丘陵にあるこの村では陽が沈むのも平場より1時間位早く、その頃になると川辺にある山上家では部屋に涼風が流れこみ、ましてや、茅葺で居間の天井が高いので、気持ちの良い涼風が部屋を吹き抜けて行く。
横長の大きいテーブルに、節子が注文しておいた和食が、村の居酒屋兼小料理屋のマスターが運んできて並べると、節子が
「明日は、私も休みですので料理を作りますが、今日はこれで我慢して下さいネ」
と声をかけると、珠子が
「小母さん、こんなお料理は私の家では、めったに食べられませんヮ」
と、お世辞抜きで言いながら、各自がそれぞれに近況を話しながら、普段、健太郎夫婦だけの静かな食事と様変わりして賑やかに食事がすすんだ。
謹厳実直な健太郎は、皆が顔を揃えておいしそうに食事をしている最中に、大助が裏庭の小さな人工滝について興味深く聞いたのに対し、晩酌の勢いもあり、いつになく饒舌になり
この集落の小川の水は、飯豊山脈の残雪や樹林にたまった雨水が地下に水脈を作り、その水が川の水面下で湧出して流れ出るので、少し上流の川では低温で真水を好むイワナやヤマメそれに小さなイトヨなどの淡水魚がいて、春や秋に渓流釣りの愛好家が東京からもやって来るんだよ
料理屋で出るイワナと違って天然のイワナなので、大きいものは刺身にし、20センチ位のものは囲炉裏火で時間をかけて塩焼きにしたものは格別に香りがよく都会では味合えないよ
今ではこの飯豊山麓や岩手.青森の山奥の渓流は、護岸やダムでコンクリートで塗り固められた川と違い、自然が残されているんだよ
と答えていたが、節子や理恵子と珠子達女性にはあまり興味がないようで、節子が「お父さん、いい加減にして・・」と忠告したので、二人の渓流釣りの会話は途切れてしまい、彼女達が祭礼に着て行く浴衣の話題に移ってしまった。
そんな賑やかな食事の途中で、節子が理恵子の顔を見ながら
「織田君は、一緒に来なかったの?」
と聞くと、理恵子は少し不満そうに
「お仕事の都合で、明日の夜行で帰ると言っていたヮ」
と呟くように小声でつまらなそうに答えたので、健太郎が
「東京はお盆ではないので、仕方ないよ」「それでも、帰って来るんだから、いいじゃないか」
と言って慰めていた。
美代子は、大助の話に束の間でも心が救われたのか、彼の指をいじりながら悪戯っぽく
「わたし、この指の何番目かなぁ~」
と、彼の表情をチラット見ながら呟やいて聞いた。
大助は、彼女の真意を図りかねて黙っていたら、彼女は彼の小指を強く引っ張りながら
「ネェ~ 大助君」 「君、同級生か先輩の中に、心をときめかせるほどの好きなオンナノコがいるの?」
「大助君なら、いても不思議ではないと思うけれども、わたし、時々、フッと気になることがあるので、教えてくれない?」
と、大助は予期しないことを突然聞かれて返事に困ってしまい、咄嗟の思いつきで笑いながら
「同級生や先輩にはいないよ」「しいて言えば、遊び相手の近所に住む小学校4年生のオンナノコかな」
と、靴屋のタマコちゃんのことを思い出して答えると、彼女は
「そのオンナノコ、大助君の恋人なの?」「一寸、わたしが聞いている、意味の人とは違う様な気がするが、どうなの?」
「この指の様な人ョ」 「わたし、素直で陽気な君なら、きっと、いると思うんだけどナァ~」
「わたしが握っている、この指、何を意味するかわかるでしょう」
と、小指を握ったまま聞くので、彼は漸く彼女の真意がわかり
「正直、イナイ イナイッ!」 「僕、そんな面倒なこと嫌いなんだぁ~・・」
と言うと、彼女は半信半疑な顔をして
「ネェ~ わたしが、今日、君を駅に迎えに行ったこと、おかしいと思わない?」
と続けて聞いてくるので、彼は
「僕、本当のところ、ビックリ してしまったよ」「だから、失礼してしまったが、済まないと思っているよ」
「それに、僕には何かと五月蝿い姉の目も光っているし・・」
と弁解がましく言うと、美代子は
「わたしの方こそ、君に迷惑をかけてしまったと、今は反省しているヮ」「でも、わたし、どうしても一刻も早く逢いたかったの」
と言いつつ、そのいきさつを話しはじめた。 彼女が説明するには
美代子は、夏休みになってから、今年もお盆ころには、大助君が昨年の様に家族で田舎に遊びに来るのか気になり、手紙を出して予定を聞こうと思い母親に相談したら、母親は
「たった一度お逢いして河で遊んただけなのに、手紙を出すなんて相手の人に迷惑なのでよしなさい」
とあっさりと断られてしまった。 けれども、わたしの気持ちが納得できないので、節子小母さんに直接聞こうとも考えたが、なんだか恥ずかしくて、それも出来なかったの。 そこで、非常手段として、お爺ちゃんに、わたしの胸のうちを正直に話して、なんとか聞いて欲しいと頼んだら、お爺ちゃんは
「ヨシヨシッ。 ワシが聞いてやるから、そんなことでメソメソしているな」「若いうちは、考え抜いたら勇気を持って前に進むんだ」
「それが、青春だョ」「但し、歳相応な節度は守るんだゾッ!」
と、やっぱり元軍人さんらしく即断で引き受けてくれたの。
昨日、節子小母さんから、来ますよ。と、聞いたときは、昨晩は眠れないくらい嬉しくて、今朝は母親に無理を言って運転して貰い駅に行ったの。 お母さんは、お爺ちゃんには絶対服従だからネ。上手くいったヮ。
そうしたら、君は、わたしから隠れている様だったので、チョッピリ 寂しくなったが、今度は母さんが逆にわたしの背中を押して、ほら、早くご挨拶をしなさい。と、言ってくれたので、わたし君の傍に行き勇気を出して君のシャツを引張ったのョ。 君を家に無理に連れてきたのも、わたしの、その場の独断でしたことなのよ。 こんな勝手なわたしの行動を判ってくれるかしら・・・。
と、青く澄んだ瞳に意思の強さを滲ませ、彼の指をいじりながらも、笑顔交じりに時系列に従い、その時々の心境を判りやすく話してくれ、続いて、崩している長い足を持て余すかの様に反対側に移すと、大助に持たれかかる様に身を寄せ、握り締めた手に力を込めて、彼の顔に自分の顔を少し近ずけ、彼の目を見ながら、青い瞳を輝かせて
「ネェ~ 大助君、こんな我侭な私のこと好き、それとも嫌い?」「わたしは、君のこと、大好きだヮ」
と言ってフフッと笑ったあと俯いて、蚊の鳴くような小さい声で
「モシ キライデナカッタラ、フアースト キッス ヲ シテェ~」
「これ以上無理な我侭は決して言わないことを約束するヮ」
「勿論、誰にも言わないし、二人だけの秘密にして、大事にわたしの胸にしまっておきたいの」
「スマートで背丈が、わたしとつり合い、それに、わたしに対してスッゴク優しく接してくれるし、君の顔を見ているだけで、普段、男子生徒に肌と目の色が違うとゆうだけで、何のいわれもなく面白半分にからかわれて虐められている、わたしの心が癒されるヮ」
「もう、わたしの前に二度と君みたいなオトコノコは現れない気がするの」
「君と逢えた偶然は、きっと、わたしが信仰するマリア様のお導きとしか思えないヮ」
と、一方的に自己の考えを感情を込めて話終えると、両手で彼の顔を軽く挟んで、途中から目を閉じ、彼の唇に触れるように近ずけて来たので、彼も自然の成り行きで要領を得ないまま、そっと彼女の唇に触れた。
美代子は、大助から顔を離すと、想いを遂げた安心感からかニコットして、小声で
「ゴメンナサイ わたしの気持ちを素直に理解してくれて、トッテモ ウレシカッタヮ」
「私達の一生の思い出になるヮ」
と感激した様に言い、小指で彼の唇の周りを軽くなぞらえて微笑んでいた。
彼女の積極的に意思を行動にあらわすが、それでいてあくまでも冷静な彼女の態度に反し、大助は瞬間的に起こったことに興奮して、気持ちが整理出来ないまま、反射的に指先で彼女の笑窪を軽くつっつき
「林檎ジュースの甘い香りがしたょ」 「それにしても、君は勇気があるなぁ~」
と苦笑いをして答えると、彼女は
「アッ! 林檎ジュースを飲んだあとからだゎ」 「わたし、勇気があってキッスをしたのでなく、君が好きで溜まらないから、夢中でしちゃったのょ」 「わたしの気持ちを判ってネ」
と、素直に告げたので、大助は
「僕も、君が好きで時々想いだしているよ」「それにしてもなぁ・・」
と、返事をするのが精一杯だった。
二人は、初秋の風にそよぐススキの穂に群れ飛ぶ赤トンボの様に、無邪気な穢れの無い戯れの時を過ごした。
彼等二人にとって、夏の日に訪れた、飯豊山脈の峰にかかる淡い白雲の様に、いつかは消え行くかも知れない、蒼い恋の芽生えらしき夢の様な時を過ごしたあと、明日からの大助の予定を話込んでいたところ、母親のキャサリンが、部屋の入り口のところで、遠慮して顔を見せずに
「美代子、 節子小母さんが、そろそろお帰りになる時間ョ」
と教えてくれたので、彼女は元気良く
「ハーイ 今、下に降ります」
と返事をして二人で玄関に降りて行くと、何時帰宅したのか、父の正雄医師と母親のキャサリンそれに老医師の家族三人と節子小母さんが揃って笑いながら待っていてくれ、大助は居並んでいる家族に
「いやぁ~ 愉快で楽しかった」
と丁寧に挨拶をして、美代子にバイバイと手を振って節子さんの車に乗り込むと、美代子は母親の背後に隠れ、涙で潤んだ顔を隠くして、母親の後ろから右腕だけを伸ばして手を振っていた。
美代子は、大助を母屋の中央にある2階の十二畳の広い座敷に案内すると、広いテーブルの上に大きい地図を広げて、お菓子を食べながら、現在地と大助の住む東京の地図に赤ペンで印しを書き込み、互いに近隣の模様を楽しそうにお喋りしてていた。
大助は、煌びやかな大きい仏壇と、床の間に飾ってある鎧兜や日本刀、西郷隆盛の銘のある掛け軸、それに、部屋の真ん中に敷かれた豪華な緑色の絨毯や唐草模様が漆塗りされた立派なテーブルに気を奪われて、田舎の旧家の素晴らしさに美代子の話も半ばうわの空で相手していた。
美代子は、そんな大助の気持ちにお構いなく、彼の隣に寄り添う様に足を崩して座り直すと、7月の県下中学校の水泳大会で3位に入賞したことを話し始めたので、彼は彼女の差し出した腕を見て
「道理で、良く陽に焼けているわ」
と、彼女の腕をソット擦って言うと、彼女は
「大助君の顔や腕も、こんがりと陽に焼けて逞しいヮ」「野球の練習で先輩からしごかれているの?」
と、彼の腕を平気な顔をして掴んで
「やっぱり、オトコノコは筋肉が引き締まってて堅いのネ」
と何度も彼の腕をさすていた。
それが、文通をはじめ深い交際もなく1年振りに逢った、若い二人の男女とは思えない自然の仕草で・・。
老医師は、大助のことが気になりながらも、何時もより多い患者の診察に少しイラツキ気味で診察室を出ると、受付の朋子さんに疲れた表情でカルテの束を投げ出して
「何時もの薬なので、キャサリンと節子さんに頼んで処方して貰いなさい」
「ワシは疲れたので部屋で休むから」
と言ったあと、朋子さんから美代子と大助のことを聞くとニヤット笑い
「アッ そうだったなぁ。予定より早かったなぁ」
と呟きながら途端に表情を崩して
「どの部屋にいるんだい」
と聞き、彼女が
「美代子さんが、二階に案内しましたゎ」
と教えると
「キャサリンに離れの2階に来るようにと言ってくれ」
と指示して、白衣を脱いで大急ぎで階段を上がって行った。
この部屋は、美代子達のいる部屋と中庭の池と老松の大木を挟んで向かい合った離れにあり、眼下に小川が流れていて、木陰から瀬音が静かに聞こえてくる、老医師が好んで使用する和室である。
キャサリンが部屋に顔を出すと、大助が訪ねてきた理由を一通り聞いたあと、望遠鏡を持ってくるように言いつけ、やがてキャサリンが止めるのも聞かずに、窓の硝子戸と障子戸を少しあけて、美代子達の開け放された部屋から賑やかに聞こえてくる声に誘われる様に覗きはじめた。
最初のうちは黙って覗きこんでいたが、そのうちに、自分も童心に返ったのか、隣で心配しているキャサリンに、滅多に見られない可愛い孫娘の遊び興じる姿を、まるで実況放送をする様に彼女に逐一聞かせるかのようにブツブツと喋り始め
「キャサリン、あんたが男の子を生んでいれば、毎日、こんな愉快な孫達を見ていれらるだよなぁ」
「ワシは男の孫も欲しかったが、まぁ、無い物ねだりか」「君と正雄も罪だよなぁ」
「あの大助君は、素直で、去年見たより随分成長し、ワシの孫みたいに可愛いわ」
「美代子も、彼とは相性が合い、二人でいるとまるで人間が変わった様に朗らかになり、今晩からは、また、美代子のヤツ威張りよって五月蝿くなるなぁ」
「普段、なんやかんやと友達にいじめられているので、その鬱憤をはらす気持ちもよぅ判るゎ」
と、キャサリンに愚痴っているのか、心の中を思うままに独り言を喋っているのかブツブツ言っていたが、そのうちに素っ頓狂な声で
「オヤオヤッ! わしの宝物である尺八を、二人で交互に吹いているが、音が出ないためか諦めて畳に放り出して、今度は、テーブルを囲んで盆踊りをはじめよったわ」
「アッ! 美代子がワンピースをたくし上げて、大助君にステップを教えているらしいが、二人が手を合わせて楽しそうにはしゃいでいるわ」
「アララッ 美代子が太腿にくっきりとわかる、海水着との境の陽に焼けた部分を見せて自慢そうに笑っているわ」
「ホンマニ あのこは無邪気で恥ずかしくないのかなぁ~」
「イヤイヤッ わし等のころと違い、男女の間の厚い壁がとり払われて、これでイインジャナ。 わし等とは時代が違うんだ」
「キャサリンは、どう思うかネ」
「あんた達も若いころ、あの二人達の様に、無邪気にはしゃいでいたのかネ」
「でも、腿まで見せなかったろうネ」
等と盛んに呟いていたが、老松が視界を邪魔するのか自慢の老松にまでケチをつけて、時々、文句を言いつつも、満足しているらしく何時になく御機嫌であった。
そんな話を聞いていてキャサリンは、時折、顔を赤らめていたが、老医師が覗き見しながら
「大助君にお土産を用意してあるのか?」
と聞いたので、彼女は済まなそうに咄嗟のことで用意していない旨答えると、老医師は急に機嫌を壊して
「君は、まだ、田舎の風習を理解していないんだなぁ。普段、節子さんからよく聞いておくんがなぁ」
「お客様を招待したときは、例え少しのもでも地元の名物を用意して差し上げるのが礼儀だよ」
「せがれも、君もわかっていないんだなぁ~」「正雄に電話して帰りに用意して来いと言いなさい」
と、小言を言ってキャサリンを困らせていた。
美代子達二人は、離れの座敷から覗かれていることなど知るはずもなく、遊び疲れて再びテーブルに並んで座ると、美代子は大助を見つめて、青い瞳を潤ませて助けを請うように
「ネェ~ 大助君、わたし、学校では、時々、男子生徒から面白半分に、青い目のオンナノコは下の毛も金色か?。なんて、つまらぬことを言われて、からかわれたことが度々あったが、そんなこと先生にも両親にも相談できず、帰宅後、自分の部屋で悔しくて何度も泣いたゎ」
「大助君は、そんなことに興味がある?」
と、しんみりと悲しげな表情をして聞くので、大助は
「僕、そんなこと、今、初めて聞いたよ」
「世界中には色々な人達が住んでおり、皆、それぞれの先祖の血を受け継いでいるので、そんなことは遺伝で当たり前のことで、何も気にすることはないと思うがなぁ~」
「第一、現在では国際結婚も珍しくなく、都会では若い人達の中にも、わざわざ金髪に染めている人も沢山いるよ」
「僕のクラスにもアメリカ人がいるが、そんなこと話題にもならないなぁ~」
と答えてやると、彼女は元気を取り戻し
「やっぱり、都会に住んでいる人達は心が広いのネ」
「わたし、去年の夏、川で水泳中に足を滑らせて転びそうになったとき、君に抱きかかえられ助けられたとき、君は何も不思議がらずに平気な顔をしていたのが、今でも強く印象に残っているヮ」
「あのときは、物心ついてから初めて肌色で差別されなく自然な姿で接してくれた君に凄く感激し、とっても嬉しかったゎ」
「それ以来、いじめられて悔しいとき、時々、あの時のことを想い出すことがあり、君が近くにいたらなぁ~」
と言いつつ、俯きながら彼の右手の指を一本一本数える様に順にいじっていた。
老医師は、キャサリンに対し
「オヤオヤ? 二人ともなんだか急にしんみりとして、顔を近寄せて話し合っている様だが、なにか難問でもおきたのかな?」
「一寸、心配だなぁ~」
「あんた、大助君が機嫌を壊して健太郎君の家に帰ってしまうと、ワシも寂しいので部屋に行って見て来なさい」
と、慌てた様に言うと、キャサリンは
「大丈夫ですよ」「若い人達は色々な思いがあるので、好きな様に遊ばせておきなさいよ」
と答えていたが、老医師までもが深刻な顔つきになって肩を落とし望遠鏡を放り出して、障子戸をそっと閉めてしまった。
中学2年生の美代子の家庭は、祖父が軍医上がりの、村に古くからある診療所である。
彼女の父正雄は、父が南の外地インドネシアで終戦を迎えたとき、その外科技術をイギリスの軍医に見込まれてイギリスに渡り、ロンドン大学病院で外科学を助手として研修や私生活を助けてくれた、イギリスの婦人グレンと結婚して生まれた一人息子だが、戦後、一家で帰国して日本で医学を学び、現在、大学病院に外科医として勤務している。
一方、母親のキャサリンは、診療所の老医師の妻グレンの姪で、イギリスの大学で薬学を勉強中に恋人が空軍士官としてイラクに派遣され戦死したが、その時、すでに恋人の胤を宿していて悲嘆にくれていたのを、老医師が妻グレン姉妹と相談して、生活環境を変えることが精神的に大事であると考え、日本に帰国する際同伴して来て、やがて生まれる子供は自分達が育てることにし、結果、生まれた美代子をグレンが医師の経験を生かして育てた。
キャサリンは、やがて同じ屋根の下に暮らす必然性から長男正雄と結ばれた。
義父が老齢となり診療が困難になったため、2年前から新潟市から美代子と共に夫の正雄に連れ添い村に移住して診療所の薬剤師として、雪深い村で慣れない生活に苦闘しながらも、家族を懸命に支えて暮らしている。
最近では、正雄の強い要望で診療所に招いた看護師長の節子さんが、唯一心おきなく話せる友人で、年令的にも近く姉妹の様に交際し頼りにしている。
夫の正雄は、週1回診療所で老医師と共に診察しているが、大学病院に勤めている間は、大学から随時派遣されてくる医師と共に老医師は問診中心に診療を続けていた。
理恵子の母、節子は健太郎の教え子で年齢差はあるが、健太郎が秋田に勤務中に彼女の生家で下宿していたときからの思慕の念を貫いて、やがて、彼女の高校の先輩であった理恵子の亡母秋子が世話をして、健太郎と結婚したのを機に、東京での看護師生活に終止符を打ち、帰郷して大学病院に勤めていたが、結腸癌を手術後の夫の健太郎の健康状態が心配になり、また、或る同僚医師との交際が同僚間でありもしない噂になったのが嫌になり、大学病院を退職して家庭に入ったが、診療所を拡充したこともあり、夫と親交のある老医師や元の上司である美代子の父親正雄に嘱望されて、診療所の十数名の看護師のまとめ役として勤務する様になった。
彼女は出産経験がないためか、実年齢より若く見え、肌が白くて細身でもあり、性格的に静かで温和な印象を周囲の人達に与えるため、出身地の秋田になぞらえて、典型的な秋田美人として近隣や勤め先で評判が良い。
大学病院時代に、理恵子の亡母を看取ったところから、亡き秋子先輩の遺言により理恵子を健太郎と共に養女として迎え、深い愛情の中にも厳しい躾をもして、理恵子が亡母のあとを継いで美容師になり、亡母が残した美容院を継ぐことを、誰よりも楽しみにしている。
(大助と美代子をとりまく人間模様は前編「蒼い影」参照)
物語は戻るが・・
大助は、1年振りに訪れた理恵子の故郷である田舎町の駅頭で、思いもかけず迎えられた美代子に無理矢理車に乗せられると、母親のキャサリンが運転する車で川沿いに曲がりくねった道を進みながら、濃い緑色に染まった山々に時折見える白樺の美しい並木や、ゆったりと流れる濃紺の川に掛かる赤い鉄橋を何度も繰り返して渡りながら診療所に向かったが、途中、母親のキャサリンが美代子に対し
「美代子、あんたお爺さんに似て、そんなに男の子みたいな話し方をしないでょ。お母さん、恥ずかしくなってしまうヮ」
「大助君、気に留めないで下さいネ」
と話すと、彼女は
「お母さん、隔世遺伝でしようがないでしょう~」「学校では普通のことょ」
と反論していたが、確かに美代子は大助の目から見ても、自分の知る範囲のオンナノコに比べて勝気で少し我儘に思え、東北訛りが混じった明るく屈託のない話しぶりには違和感を感じず、むしろ昨年河で泳いだり盆踊りで遊んだ印象から親近感を覚えていた。
大助は、白壁の診療所前で美代子に促されて下車すると、広い庭に植えられた松やサルスベリと林檎と銀杏などの樹木を取り囲む様に、雪国らしく椿やさつきが綺麗に手入れされた生垣の中央に敷き詰められた石畳を、美代子に導かれて懐かしい思いで見回しながら歩んだが、彼女は診療所脇の母屋の玄関から入らずにずに、わざと診療所の入り口から大助を連れて入ると、見え覚えのある受付の若い看護師の朋子さんから悪戯っぽく
「患者さんは、何処の具合が悪いのですか?」
と笑いながら声をかけられると、朋子さんの冗談に乗せられ美代子の茶目っ気な仕草に誘われて、普段の陽気な彼に戻り、笑みを返しながら右手の人差し指を頭に当てると、朋子さんは
「アノゥ~ うちでは脳神経科はありませんが・・」
と、二人の関係を薄々知っているので、わざと冗談でからかう様に答えていると、その会話を聞きつけた老医師が診察室から飛び出してきて、満面に笑みを浮かべて両手を広げ、大きな声で
「やぁ~ 暑いさなかよく来てくれた。 君が訪ねて来るのを楽しみに待っていたんだ」
「患者の手当てを終えると直ぐ行くから、冷たいお茶でも飲んで休んでいてくれ」
と話しかけられたが、美代子は、そんな祖父の話を無視する様に
「ハイッ! 患者さん、2階の診察室に行きましょうネ」
と、病院の娘らしく見様見真似で覚えた口調で、大助の手をとり階段を上がり始めた。
こんなやり取りを見ていた待合室のお年寄りの患者さん達も、普段見られない若い二人の余りにも愉快な即興劇に声を出して笑いだしてしまった。
美代子は、2階の自室に大助を案内すると、大助は窓際の椅子に腰掛て、稲田を渡って吹き渡ってくる涼風を気持ちよく肌に感じながら、久し振りに見る飯豊連峰の峰に掛かる白雲をみていたが、時折、部屋を見渡すと、成る程、裕福な暮らしをしているらしく、立派な家具や調度品が並べらているが、カーテン越に見えるベットには寝巻き類が雑然と放りなげられて、机の上も図書や文房具で雑然としていたが、冷たい紅茶を運んできた彼女が
「大助君、ベットの方は見ない様にしていてネ」「わたし、これから涼しいワンピースに着替えるので」
「大助君も、シャツを脱ぎランニグだけになさいョ」
「切角の機会ですもの、遠慮しないで快適な気分で過ごしましょうょ。 ネッ!」
と、彼の目を気にすることもなく、さっさと着替えをはじめてしまった。
彼女が着替えを終えたころ、母親が
「美代子、お座敷に飲み物やお菓子を用意したヮ」
と言って彼女の部屋に顔をだすと
「アラッ イヤダッ!」「こんな乱雑なお部屋にお客様を案内して・・」
「美代子も、少しは母さんの気持ちを考えてョ」
と小言を言ったが、大助は
「小母さん、この部屋は美しい山並や野原の景色が眺められ、コンクリートで固められた都会では味あえない気分で、それに涼しい風も流れて、まるで猛暑なんて別の世界みたいで、僕、ここで結講ですよ」
と、見たまま感じたままを正直に答えたら、美代子は大助に
「お母さんの言うことを聞かないと、母さんとわたしが、五月蝿いお爺さんに叱られるので、座敷に行きましょ」
「君のことを誰よりも気にしている、お爺さんに機嫌を損なわれたら、お祭りのお小遣いにも影響するので・・」
と言って、大助を家の中ほどにある綺麗に整理された広い和室に連れていった。
例年になく全国的に酷暑が続く夏休み。
昨晩から旅行の準備に余念のなかった大助は、翌朝、母親の孝子や姉の珠子から出発に当たって、旅先での注意を細々と言い聞かされ、何時ものこととはいえ、ここが我慢のしどころと馬の耳に念仏で心は旅先に思いをはせて、正座した足の痺れを我慢しながらも俯いて神妙に聞き、その都度、頭をコクリと垂れて頷いて返事をしていた。
小言にも似た 話が終わるやヤレヤレといった表情で立ち上がると、少し沈んだ思いでリュックを背負い玄関を出た途端タマコちゃんが見送りに来ていて、大助の表情を見て「ゲンキガ ナイミタイネ ムリシテ ユクコトナイワ 」と彼女も冴えない顔つきで言ったので、彼は「そうか いま母さんと姉貴に文句を言われ気分が重いわ。お前しか心配してくれる人がいなくてチョット寂しいよ」と答えバイバイしながら、理恵子と珠子に連れられて東京駅に向かった。
理恵子の家は、新幹線の新潟駅で急行列車に乗り換えて約1時間位かかる県北の都市から、更にバスで30分位離れた、山形との県境に近いところにある、飯豊山麓に囲まれた村である。
近隣の村が合併したため名称は町でも純農村地帯で、その中心部から少し離れた周囲に田畑と杉の木立に囲まれた家々がまばらに散在する集落が集合した町である。
稲穂が出揃った棚田越しに駅が眺望出来る丘陵の中ほどに、商店街や市役所と中・高校等があるが、後の三方は雄大な山脈に囲まれ、町の中央を縫うように豊かな水量をたたえた川が流れている静かな町である。
新幹線に乗車後、40分位して高崎駅に停車するや、大助は珠子の腿を叩いて
「あの達磨弁当たべたいなぁ~」
と小声で言ったら、彼女は
「なに言ってるのョ」「その様な我侭を言わない約束だったでしょう!」
と、あっけなく断られると、彼は
「チエッ そんな、よそ行きの冷たい顔をして・・」
と、つまらなそうな返事をすると、理恵子が
「これで良かったら食べなさい」
と用意してきた海苔巻きや卵焼きなどの惣菜をだして、珠子に
「中学生時代は時間に関係なく環境次第で食べたくなるものョ」
と了解を求めていたが、大助は海苔巻きをほおばりながら長いトンネルを抜けた車窓から移り行く緑一色の田園の越後平野や遠くに霞む八海山を中心とする越後山脈の景観に目を奪われていた。
彼女達は、互いの恋愛観やこの先の進学や就職の話題に花を咲かせて、途中の経過駅にも気ずかずにいたが、新潟駅で羽越線に乗り換えバスに揺られて、漸く県北の駅に降り立つと、理恵子は途端に目に映る駅前の家並みや、紺碧な空のもと遠くに聳える飯豊山を見て、郷愁が胸にこみ上げてきた。
理恵子を先頭に改札口に出ると、父の健太郎が車で迎えに来ていたが、珠子と大助が丁寧に挨拶したあと、理恵子が
「お母さんは?」
と聞くと、健太郎が
「母さんは、今月から、村の診療所に勤めているが、今日は早く帰ると言っていたよ」
と答えると、理恵子が
「アラッ そうなの」「わたし、ちっとも知らなかったヮ」
と、やや不満そうに返事した。
珠子は、理恵子に寄り添い黙って親子の会話を聞いていたが、後ろにただずんでいた大助が突然「アッ!」と声をあげたので彼女が振り向くと、大助は後ろからシャツの袖をいきなり引っ張られた途端に急に離れ、少し離れたところで彼を見つめていた、金髪の母の背に隠れて大助を見つめているいる姿が目にとまった。
理恵子が大助の声で気付き珠子に耳うちする様に説明すると、珠子は「マサカァ~」と小声を出し、大助が数日前の深夜に母親の孝子に戯言の様に言っていたことが現実となって目の前に現れビックリし絶句してしまった。
珠子は、突然のことに心を奪われ母娘を見ていたが、直ぐに昨年の夏に大助が河で彼女と戯れていることを想いだし、それにしても、ひと夏を越しただけで、彼女の表情がキリット引き締まり容姿も大助の言うとおりグラビア.アイドル以上にスレンダーで美しく、チョッピリ嫉妬を覚えるほど成長しているのにビックリしつつも、母親の背に隠れる様子を見て、やはり中学生の娘さんだなぁ。と、幼さを残した様子がすごく可愛く思えた。
健太郎は、恐縮している母親のキャサリンと娘の美代子を前にして、理恵子達に
昨日、節子からお前達が帰郷すると聞かされたことで、祖父の老医師と孫の美代子がにわかに元気を出して騒ぎだし、老医師はキャサリンに診療所の仕事は看護師に任せて駅に迎えに行け。と、例の命令調に言い出し、一緒に来たんだよ。勿論、節子も老医師の思いを充分承知しているので賛成し喜んで納得していたよ。と、節子の勤める診療所の田崎家の模様を、にこやかに笑って説明していた。
健太郎の話が終わると、キャサリンは誰に言うともなく、お爺さんは昨年お逢いしたとゆうだけなのに大助君をことのほか気に入り、美代子と同じ気持ちになってはしゃいでいるんですよ。と、口に手を宛てて恥ずかしそうに話した。
健太郎たちの話が終わるや機会を待ちかねていた様に美代子が大助の傍らに近寄り、ブルーの目を輝かせて、小さい声で
「ダイスケクン コンニチヮ」
と恥ずかしそうに言ったあと続けて、周囲を気にしながら
「わたし、きのうの夜から首を長くして待っていたのヨゥ~」
「チカクニイル ワタシニ キズカナカッタノ」 「ソレトモ ハズカシクテ ワザト シランフリ シテイタノ」
と笑顔で言葉をかけられ、彼も予想もしていなかったことに吃驚して言葉も出ず、それに姉の珠子の手前もあり、ただ、笑ってお辞儀をしていた。
美代子は、涼しそうな水色のワンピース姿で、大助と同じくらい背が高く、少し銀色の混じった金髪を肩まで流れるように伸ばし、痩身だが少し陽に焼けている肌色が健康美そのものの娘である。
彼女は雰囲気に戸惑っている大助に積極的に腕を伸ばして大助と握手し、傍らにいる金髪で彫りの深い顔をした細身の母親のキャサリンに、大助の手を無理やり導いて握手させ挨拶させていた。
大助は、彼女の母親であるキャサリンとは、昨年の夏にも顔を合わせているが、言葉を交わしたことも無く、互いに見覚えがあり親しみを感じて笑って握手して頭をたれた。
彼女の母親キャサリンは、義父である日本人の老医師に伴われて英国から日本に来て10数年位たつが、如何にも外国の婦人らしく、大助と握手するときも膝を軽く曲げて腰を落とし、にこやかに笑みをたたえて心から大助を歓迎してくれていることが、その姿から彼にも容易に判り、彼の心を幾分和ませてくれた。
予期しない突然の出来事に珠子は驚いていたが、理恵子は笑いながら大助と美代子の二人を見つめていたところ、健太郎が理恵子と珠子の二人に対し
母親の節子は、以前大学病院で一緒に仕事をしていた先生が、祖父の経営する診療所の医師になり、気心の知れた先生に請われて勤めるようになり、今日の出迎えも老医師の勧めで駅に来られたんだ。
土地の風習もあり、娘さんの美代子さんも、学校では女生徒には打ち解けて仲間になっているが、男子生徒とは、お互いに心の中に越えられない壁があり、親しい友達も出来ない様なので、昨年の夏、一緒に川で遊んで、そんなことを全く気にしない大助君とは気が合う様なので、わたし達も喜んで承知したんだ。
やはり、地方ではまだまだ、外国の人達はなかか都会の様には馴染めないところがあり、美代子さんも、中学卒業後は東京のミッション系のスクールに進学するらしい。
と、簡単に説明していた。
理恵子の紹介で珠子が大助の姉であることを美代子の母親に説明すると、彼女は、一層、大助に親近感が沸いたらしく、珠子に何度もお辞儀をして「仲良しにしてくださいね」と、流暢な日本語で愛想よく頼んでいた。
理恵子は、珠子に対し
「何処の国の人でも、子を思う母親の気持ちは同じなのネ」
と話しかけ、珠子もやっと事情を納得して少し安堵し微笑をもらした。
大助は、何時も自宅でタマコを相手に適当に遊んでいるのとは勝手が違い、彼にしては緊張気味で口数もすくなかったが、珠子が
「大ちゃん、そんなに堅くならずに遊んでいただきなさい」
と話すと、やっと緊張がほぐれたのか、彼らしい調子を取り戻して、美代子さんに
「いやぁ~ 君のことは家族にもチョコット御伽噺風に話しておいたが、まさか今日駅で迎えてくれるとは全然考えてもいなかったので、失礼してごめんなさいネ」
と言って笑いながら、今度は大助の方から握手を求めると、彼女も優しい笑顔ではにかみながら、両手で大助の手を握り
「いいのョ、わたし、今日とゆう日を、本当に楽しみにしていたのョ」
「これから、わたしの家に一緒に来てネ」
「帰りは、理恵子さんのお母さんと一緒に帰えられればいいヮ」 「理恵子さんのお母さんも、ご承知してくださっているんことなので、心配することはないゎ」
と、言いながら母親の運転する車に彼の背中を押して無理矢理乗せてしまった。
キャサリンは、健太郎や彼女等に対し、老医師も美代子以上に大助を心待ちしていることを告げて了解を得ると
「美代子が勝手なことを言って済みませんが、少しの間、彼をお預かりさせて下い」
と、恐縮して会釈していた。
大助が、部活の野球の練習をしているとき、担任の先生が家庭訪問に訪れ、母親が勤務で留守のため珠子が代わって懇談した。
担任の教師は、彼はクラスでも男女や学年の区別なく、柔らかい人当たりから人気者で、生徒間のコミニュケーションも上手くとり、部活も熱心で特に指摘することはないが、来年は高校入試もあり、もう少し英語と数学の予習をする様にと言って帰られた。
その日の夕方、大助は野球の練習に疲れて帰って来ると、シャワーで汗を流そうと風呂場に一目算に勢い良く飛び込んだところ、珠子が
「コラッ! 良く見て入って来いッ!」
と湯船から立ち上がり、いきなり怒鳴り散らして桶で湯をかけたので、彼はビックリして浴室を飛び出たが、風呂から上がって来た珠子が
「脱衣場を見れば判るでショッ!」「コノ アワテモノガ」
と言いながら、いきなり頭に拳骨を一発見舞った。 彼は殴られた頭に手をあてて
「浴室に鍵をかけておけばいいんだよ。とんだ災難だ」
と、ぼやいて浴室を出るや、そのときチラット見た珠子の白い姿態と陰部の黒い毛が、彼にとっては成熟した女性の裸体を生で見た、人生で初めての経験であった。
早帰りの母親の孝子を交えて、久し振りに皆が顔を合わせて夕食を済ませたあと西瓜を食べながら、母親の孝子が大助の夕べの話が気になり、大助に
「大助、昨夜話しをした、青い目の人とは、何処の人だネ」
「母さん、今日一日中気になってしょうがなかっただョ。もっと詳しく教えてくれないかネ」
と聞くと、珠子が
「理恵ちゃん。嘘か本当か判らないが、この子ったら、外人さんの彼女がいるらしいのョ」
「ミツワ靴店のタマコちゃんとばかり思っていたが、全く隅におけないヮ」
と、笑いながら話すと、理恵子も驚いて
「アラッ ソウナノ」「大ちゃんも随分発展しているのネ」
と大助の顔を見ながら言うと、孝子が大助に
「ふざけてないで、真面目にきちんと言ってみなさい」
と、少し語気を強めて言うと、彼は澄ました顔で例によって時々片目をパチパチさせて
「長く垂らした金髪と薄いブルーの瞳の色、それにスタイルが抜群に良い、気さくに話せるいい子だな。と、僕が勝手に思っただけで、友達でもなんでもないよ」
「まぁ~蒼い恋の片思いと言ったところかな」
「その子とは、1年に一度しか逢えず、それも旧暦の七夕である、今年は8月16日に僕が彦星・彼女が織姫で天の川を挟んで逢えるんだよ」
「ロマンチックで羨ましいだろう」 「僕も、思い出すと心がキュンと弾んで眠れないくらいだよ」
と、まるで現実離れしたことを話すので、孝子達三人が呆れてしまったが、珠子が興味半分に
「お前、その子の手を握ったりしたことがあるの?」「二人で親しい会話でも・・。まさかキスはしなかったでしょうね?」
と聞くと、彼は当時のことを想いだしてか、ニヤニヤ しながら、さも得意げに
「ナイ ナイッ! 一度、河の中で抱きつかれたことがあったが・・」
「その時、オンナノコの体って、凄く柔らかいんだなぁと思ったよ」
と答えると、珠子が「まぁ~ 呆れた」と溜め息混じりに言うと、それまで笑って聞いていた理恵子が
「大ちゃん、その子誰だか当ててみましょうか」
と言って笑いながら、話すには
昨年のお盆に、城家の家族が揃って自分の故郷である田舎に遊びに行ったときに知り合った、わたしの父母が懇意にしている村の診療所の美代子とゆう娘さんで、大助と同じ年令の中学生で、彼女の父が大学の医師をしている英国系のハーフで、母は英国人で薬剤師をしている。
と、大助の気持ちを慮って当りさわりなく簡単に説明したら、大助は
「当たりダッ! その子水泳がとっても上手で、クロールなんて僕と同じ速さで泳ぐんだぜ」
と、そのときの様子を記憶を辿りながら懐かしそうに話した。
母親達に、その時の様子をなおも執拗に問い正された大助は仕方なそうに
去年の夏休み。理恵子の実家である山形の飯豊に遊びに行った時、河で遊んでた際、偶然、美代子と二人で並んで泳ぎ、そのあと泳ぐのをやめて川辺に上がる際、彼女が河底の石に躓き倒れそうになり、近くにいた僕に<タスケテ~>と叫んだので、僕が慌てて片手で抱いて助けてやったが、その弾みで、今度は僕が前のめりに倒れたところ、彼女も面白がってわざと僕の横に臥して河の浅瀬で二人並んでしまったが、その際、彼女はニコニコしながら人なっこく
「わたし、こんなに楽しく遊んだこと、今迄に一度もなかったゎ」
「君って、水泳も上手で女性に対する思いやりもあり、わたし誰にも見えない水の中で君とお魚の様にキスしても構わないゎ。と、思ったゎ」
と、笑いながら楽しそうに言っていたが、僕は水中での”魚のキス”とは、上手いことを言うもんだなぁ。と、感心して笑ってしまったよ。
僕達の後ろで見ていた織田君なんて
「大助っ!もっと深く潜れ」
と、大声で冷やし半分に怒鳴って叫んでいたが
「岸辺に上がると、麦藁帽子をかぶって浴衣姿の、彼女のお爺さんらしい人が、ニコニコしながら、アリガトウ アリガトウと何べんも言って、僕の頭を撫でて、来年の盆踊りの衣装はワシが用意しておうくからな」
と言って凄く喜んでいたよ。
「その子は、夜神社の境内でもようされた盆踊りで若い人達と楽しそうにフォークダンス風の踊りをしていたが、うまかったなぁ~」
「今度、逢ったら僕にステップを教えてくれると約束してくれたんだ」
と悪びれずに話した。
彼の、何処にでもありそうな自然な話を聞いていた三人は、何時もながらの大助のユーモアのあふれた思わせぶりな話しに振りまわされて、気が抜けたように、安心やら呆れるやらで、話の腰が折れてしまった。
こんな話のやり取りで、珠子が昼間に担任の教師が家庭訪問に訪れた話をすっかり忘れてしまったので、彼にとっては幸運にも文句を言われることもなく難を免れた。
話が一段落しあと大助は、なんとかその場を逃れたい思っていたところに、タマコちゃんが浴衣姿で庭先に遊びに来て
「大ちゃん、花火をして遊ぼうョ」 「お爺ちゃんが、危ないから大助にやり方を教えてもらへ。と、言ったので・・」 「やけどをしない様にネ」
と言うので、大助は家族の話に飽きていたので、渡りに船とばかり立ち上がり廊下に出ると
「お前、来るのが遅いヨ」 「俺が待っているときは、いつも遅いんだから・・」 「俺、お前が来るのを待っていたんだぜ」
とタマコに文句を言いながらも庭に飛び出して、線香花火をして二人してキャアキャアと声を上げて遊んでいたが、大助が夏休みに田舎に遊びに行く嬉しさの余りつい口を滑らせて
「僕、夏休みに、また理恵姉ちゃの田舎に遊びに行くんだ」「タマちゃんは、休みに何処に行くんだい?」
と話をしたところ、タマコちゃんは
「アラ~ッ わたしを置いて行くの。随分冷たいのネ」「ワタシモ ツレテイッテ~」
「宿題の作文になにを書いたらいいのか コマッテイルノョ」
とせがまれ、彼にしては、一難去って、また、一難でシマッタと思い、その場は皆に聞いてみるさと、思わせ振りに言って誤魔化しておいた。
珠子は、月の光が薄明るく照らす理恵子の部屋で、誰にも話したこともない自分の性的経験とその苦悩を説明したが、それは、理恵子を充分に説得するものであった。 珠子の説明によれば、断片的ではあるが
彼女は、高校3年に進級した春。 以前から、なんとなく温和で勉強のできる同級生の男子に親近感を覚えて自然とほとばしる感情で交際していた。
或る秋の日の午後。 帰校時に 彼の自宅に誘われて遊びに行ったとき、無理やりに求められて身体を許してしまったが、勿論、そのときは、恋とか愛とかでなく、以前の親密な友情と言うのかしら、強いて言へば互いにその場の雰囲気に飲み込まれ初体験をしたわ。 その後も、たまに誘われれば彼の家で興味半分のsexに戯れていたが、私達の場合、卒業すれば家庭環境から卒業後は別れることになるので、深い恋愛感情も芽生えず、ただ、お互いに好感を抱いているだけの交際で今でも続いているわ。
丁度、そのころ、母親の携帯を偶然見たとき、耳にしたことも無い男性からのそれらしきメールを見てしまい、凄くショックだったけれども、母親が宿直だと言って普段とは違った服装で出かけて行くのを見たとき、最初はこれは怪しいなと思ったが、日がたつに従い、自分も親に内緒でsexしており、一人身の母なれば仕方ないと言うか、精神的にも肉体的にも、大人としてやむを得ないことかな。と、考える様になり、再婚だけは嫌だけれども、そうでなければ許せると考える様になったわ。
こんなことも重なり、寂しさを紛らわせることからも、彼とのsexをたまにだが継続している理由かも知れないわ。
と、正直に告白した。
珠子は、更に話を続けて
そんな私に比べれば、理恵子さんは織田君との交際は両親も認めている間柄で、なにより本当にお互いに愛し合っている恋愛であり、将来の目的もはっきりしているので凄く羨ましいですわ。
今日、たまたま、織田君と深い関係になったからといっても、それは年齢的にも自然の成り行きで恥ずべきことでないし、むしろ遅すぎたくらいと思うわ。
わたしの同級生の半数以上の女性徒は、多分、経験者と思いますが、これは一寸行き過ぎとしても、中には中学生のときに経験したとゆう勇敢な友達もいますわ。
良しあしは判りませんが、なんかsexも本で学んだことと異なり、今ではそれほど特別なことでも無くなったように思いますが、これって、世の中の価値観の変遷に従い女性の性に対する考えが変化してしまったのかしら。よく判りませんが・・
だから、理恵子さんも、余り意識せずに普段通りにしていれば、誰も気にとめることはないと思いますわ。
けれども、わたし時々考えるんですが、女性はある峠を越えると、それを契機に心も身体も変わると言うか、視野が広がると言うのか、確かに現実を見る目が冷静になり、少しずつ大人になって行く様に思いますわ。
と、思いもよらず、珠子を取り巻く若い人達の性と感情の複雑さを素直に話してくれたが、月明かりのためか、昼間見る強気な彼女の表情に哀愁を漂わせている様に、理恵子の目には映り
「珠子さん、貴女、大人だゎ」 「わたし、お話を聞いていて、自分が幼いと言うか、やっぱり田舎者だと、つくずく思い知らされたゎ」
と返事をするのが精一杯だった。
珠子は、一通り話終えると、「オヤスミナサイ」と言って部屋を出て行ったが、階下の食堂が明るく母親と大助の話し声が聞こえたので、キッチンのガラス戸越に中を覗いたところ、大助は鉢巻をして鮭の焼き身をご飯に乗せてお茶をかけて夢中になって食べており、母親は、時々、団扇で大助を仰ぎながら冷えた麦茶を飲んでいた。
彼女は入り口に立ち止まり、耳を澄まして二人の会話を聞いていたら、母親が大助に対し
「お姉ちゃんは、好きな人でもいるんだろうか、お前、なんか知っているんじゃないの?」
と聞くと、大助はご飯を口に運ぶのが忙しく、顔をも上げずに
「全然、ワンカンナイョ。 僕から見ても友達に自慢出来る程の美人でもないが、まぁ~まぁ~の器量だし、僕に比べれば頭は抜群に良いし、一人位いるんでないかなぁ。いても当たり前だと思うよ」
「八百屋の昭ちゃんなんか、お姉ちゃんに熱を上げているみたいで、僕も健ちゃんに言われて提灯持ちで一生懸命に中を取り持ってやっているんだが、姉ちゃんは、全然、関心を示さないところをみると、やっぱり、ほかにいるんでないかなぁ~」
「母ちゃんも、親なんだから、遠慮しないで直接聞いてみたらどうなんだい?」
と素っ気無い返事をしていた。
すると話のついでか、今度は母親が大助に対し
「ところで、お前は、どうなんだい。 好きで付き合っている人でもいるのかネ?」「靴屋のタマコちゃんは別にして・・」
と聞くと、彼はご飯を食べ終えて麦茶を飲みながら、真面目くさって
「僕のことを好きになるオンナノコなんている訳ないじゃないか」 「ヤボなことを聞くなよ」
と、にべも無く答えたが、母親の孝子がなおも執拗に聞くので、大助はひと呼吸おいて、過ぎし日を懐かしく回想しながら
「僕が、一方的に好きとゆうだけなら、その人は東京にはいないわ。遥か遠くの北の空の下にいることはいるわ。
だけれども、相手は僕をどう思っているかは、判んないや。おそらく僕のことなんて眼中にないだろうなぁ。
去年の夏、偶然、逢っただけなので。悲しき片思いの大助サ。と、言ったところだなぁ。
それでも、一人で頑張っている母さんの子にしては上出来だろうな」
と返事をしたので、母親は興味ありそうに尚も聞き出そうとすると、彼は ニヤット 笑って
「母さん、僕のこと、そんなに気になるんかい」
「どうしても知りたいとゆうんなら、別に隠すことも無いんで話してもいいよ」
と勿体をつけて、渋々ながら過ぎし日の出来事を回想しながら
「その子は、ブルーの水晶の様に澄んだ瞳の人だよ。
僕と同じ学年で、背丈も高くスレンダーで、金髪に少し銀色の髪が混ざっていて、まるで映画で見る様な綺麗な女優さんみたいだよ。
「外人さんて、色が白いと思っていたが、少し赤茶けているんだね」
「何時か風呂場でうっかり見てしまった珠子姉ちゃんのほうが、よっぽど肌が白いわ。その子の肌はすべすべして柔らかい感じだったなぁ」
「日本人も馬鹿にしたもんではないわ」 「勿論、理恵姉ちゃんの方が、姉ちゃんやその子より綺麗だけれどもね」
と言い終えるや、孝子は予期もしない話しに言葉を失い絶句してたところえ、突然、珠子が入って来て
「こんな夜遅く、二人で何をくだらないことを話しているの!」
と怒りの表情で言うや、大助は不意の出来事にビックリして「シマッタ!」と叫んで、冷えた番茶の入ったコップを落としてしまった。
大助は初めて見る姉の妖艶なネグリジェ姿に目を奪われていたが、彼女はそんなことに気付かずに
「大体、母さんも悪いわ」「だから、大助が甘えて仕舞い、頼りがいのない子になるのょ。大助も、わたしのことなんか心配しないでも結講だわ」
「青い目の人ってダレョ」 「おかしなことをして、後で大問題をおこさないでョ」 「お前は、本当に心配の種だゎ」
「きちんとと説明しなければ、夏休みに田舎に連れて行かないからネ」 「母さん、そうしましょう」
と言うと、母親の孝子が大助を応援するかの様に
「珠子も、そんなネグリジエ姿でいきなり入って来ては、思春期の大助には目の毒だゎ」
と注意したところ、彼女は慌てて両手を胸にあて隠くす様にして、自分の部屋に戻ってしまった。
理恵子は、風呂場から出ると織田君の視線を避けるように隣に腰掛けると、彼は呑んでいた缶ビールを差し出して「リーも、一口飲むかい」と言ったが、彼女は小声で「いらないゎ」と言って立ち上がり、持参してきた風呂敷包みからお弁当をテーブルに広げると、彼は
「あぁ~旨そうだ! お腹も空いたね」「一緒に食べよう~ょ」
と言いながら、海苔巻きをほおばり、彼女に
「こんな暑い日は、食べて体力をつけないといけないよ」
と言ってくれたが、理恵子は食欲がなく、缶コーヒーを開けて飲んだ。
彼は食事しながら彼女の顔を見ることもなく、途切れ途切れに
「切ない思いをさせてゴメンナ」 「身体は、大丈夫か」 「リーのことは、一生、面倒を見るから心配するなよ」
「お互いに自分に忠実に生きるためにもね」
等と言ってくれたが、理恵子は細い声で
「モウ ソノオハナシハ ヤメマショウ」
と答えると、彼はビールで口をすすいだあと、再び、彼女を抱き寄せて軽いキスをしたが、理恵子は彼の背中に手を廻して抱きつき胸に顔を埋めて
「 アイガ タシカメラテ ウレシカッタワ」
と囁くような細い声で言いながらも、零れ落ちる涙に堪えきれず小さく嗚咽した。
彼は何も言わずに軽く背中を擦って、いたわってくれたので、その優しさが一層身にしみて嬉しく感じた。
窓外の街灯も灯り薄暗くなった頃、帰宅時間を思案していた、理恵子が
「わたし、こんな泣きはらした顔では恥ずかしくて街に出られないし、家に帰ることも出来ないゎ」
と言うと、彼は
「それもそうだな」 「狭いけれど、君さえよければ泊まっていってもいいよ」
と言ってくれたが、理恵子は泊まって彼と一緒にいたい気持ちは山々だが、翌日家の人達の手前帰りずらくなるし、それに、初めて抱かれた衝撃が頭に強く残っていて、若し再度求められる様なことがあっても、それに応える気力も欲求もなく、一寸、考え込んだ末
「遅くなっても帰らしてもらいますゎ」
と返事をすると、彼は
「ウ~ン 帰るならば途中まで送って行くよ」
と、自分が心配したことに拘ることもなく返事をしてくれたので、内心ホットした。
理恵子は、辺りが暗闇になった頃を見計らい、織田君に促されえて部屋を出ると東横線で蒲田駅まで送られ、駅前で改めて言葉を交わすこともなく顔を見つめ合い軽く手を握りあって別れると、池上線に乗り換え席に腰掛けることもなく久が原駅まで、途中通過した駅もわからずに今日の出来事を多少心めいた気持ちで、ボンヤリと夜景を見とれて思案しながら帰宅したが、すでに門灯は消されて家族は休んでいる様であった。
忍び足で自室に入り、灯をつけずにワンピースを脱ぐと、気になっている下腹部に消毒用のアルコールのしみたカット綿をあて、シュミーズ姿のまま窓を開けて椅子に腰掛けると敷居に足を乗せて、十三夜ころか、青い月の光に照らされながら、放心したように心地よい夜風に身を晒していた。
彼女は今日の出来事とあわせ、今頃は月の砂漠を黙々と旅しているであろう亡き実母の秋子の面影や、自分の卒業を楽しみに待っててくれる故郷の義母の節子母さんのことを想い浮かべ、二人は果たして事実を知ったとき、自分のとった行動をどの様に思うだろうか。
更には、帰りの車中で彼が語っていた、<大学卒業後も、今の社長に恩返しする為にも、2~3年は今の会社に勤めるつもりだ。勿論、教職課程は履修しているが・・>と話していたことから、近い将来に一緒になれない彼の重い言葉等を思い巡らせていた。
然し、彼の仕草から、これまでに女性の肌に触れていないことが確かめられたことが、何よりも嬉しかった。
すると、入り口のドアーを軽くノックする音が聞こえたのでビックリして振り向くと、お盆にサンドゥイツチと牛乳瓶を乗せた白い腕が伸びて顔を見せずに、珠子が小声で
「お疲れ様でした。これ食べてください」
と囁くので、理恵子は
「アラッ 珠子さん」「良かったら、はいりなさいョ」
と声をかけると、彼女は
「本当に、いいんですか」
と聞き返すので、理恵子は
「月夜で明るいので照明はつけませんが、わたしも下着のままですが、なんだか気持ちが落ち着かないので、貴女さえ良かったらどうぞ」
と答えると、彼女はノースリーブの薄いネグリジェ姿で部屋にソロリと入って来て、理恵子の脇の座布団に足を崩して座ると
「暑いのでお掃除も大変だったでしょうネ」 「大助の部屋を見れば、おおよそ想像できますゎ」
「大助の部屋なんか、足の踏み場もないくらい乱雑で、下着や敷布も言わない限り、何時までもそのままで、汗臭くて嫌になってしまうが、織田さんのところは大人ですのでそれほどでもないと思いますが、それでも独身の男性ですもの・・」
と言ったあと、理恵子の顔を覗き見るようにして
「顔色がだいぶ青白い様ですが、体の疲れ以外にも、何か精神的なショックでもあったんですか」
と聞くので、理恵子は
「いいえ、別に・・」 「そんな風に見えますかしら。月の光のせいかもね・・」
と返事をすると、珠子は理恵子が敷居に乗せて伸ばしている足に手を当てながら、少し言うのをためらっていたが、理恵子は
「珠子ちゃん、同じ年代の女性同士ですもの、気になることがあったら遠慮せずになんでも言って下されない」
「わたし、珠子ちゃんなら、心から信頼していますので、何でも安心して話せるゎ」
と、理恵子も昼間のことが人に察しられないかと気になり、なんなりと話をする様に促すと、珠子は遠慮気味に
「アノゥ~ 本当にいいのですか」 「わたし、相談を兼ねて、真面目にお話をしたいんですが・・」
「理恵子さんの傍に座ったとき、消毒用のアルコールの臭いがしたので・・」
と言って口篭ってしまつたが、理恵子が
「ソウ~カシラ」「ゴメンナサイネ」
と小さい声で返事をすると、珠子は蚊の鳴く様な小さい声で、ネグリジュエの裾をいじりながら、下を向いたまま
「イインデスヨ」 「ワタシ オンナノカンデ アルイハ・・ト オモッテ ハナシオシタ ダケデスノデ」 「シンパイ シナイデクダサイネ」
と言ったあと、理恵子の半ば同情と救いを求めるような問いかけに、珠子も彼女の心境を察してか、自らの経験とそれに伴う苦悩を話してくれた。