夏休み。小雨上がりの昼さがり。
涼風が心地よく流れる庭の芝生で、大助は廊下にラジオのカセットを用意して「佐渡おけさ」のCDを流して、タマコちゃんを相手に盆踊りの練習をしていた。
彼は、素足になり手拭を頬かぶりして鼻の前で結び浴衣の尻を帯に挟んで、まるでドジョウ掬いの踊りのように曲に合わせて、思いつきのまま自己流の時々片足をケンケンする様に上げて、二・三歩おきにタマコちゃんと両手を合わせ、その際、背丈の低いタマコちゃんに合わせるように腰を前かがみにすると、その滑稽な姿にタマコちゃんが面白がってキャァ~キャァ~と笑い声を上げて、真似をしながら嬉しそうに相手をし、二人ともご機嫌で遊んでいた。
彼にしてみれば、昨年の夏休みに、理恵子の里に遊びに行ったとき、丁度、村の盆踊りの最中で、促されて踊りの輪に入れて貰ったが、他の人達の様に上手く踊れなかったので、今年こそはと思い練習に余念がなかった。
理恵子は、織田君から明日オートバイで多摩川の堤防辺りをドライブに行くと誘われており、彼女はオートバイに乗った経験も無く、どんな服装で行けばよいのか自室で珠子と相談していたが、庭の方が余りにも賑やかなので、珠子が窓から覗いて見たところ、二人が面白そうに遊んでおり、その仕草が愉快なので思わず声を出して笑い出し、理恵子を呼んで二人で暫く眺めていたが、理恵子が
「きっと、夏休みに田舎に遊びに行ったときの練習だわネ。大ちゃんは、意外と負けず嫌いなので、熱がはいっているのョ」
と言うと、珠子が
「姉弟でも、あの子は亡くなった父親に似ているのかしら・・、何処かひょうきんなところがあり、明るい性格は良いのだが、時々、私が冷や汗をかくほど恥ずかしい思いをさせられることがあるヮ」
「町内の人達にも可愛いがられているようだが、これでもう少し勉強にも励んでくれたら、母もわたしも安心できるんだが・・」
と、半分ぼやきながらも内心は喜んでいる様であった。
二人は、団扇で扇ぎながら見ていたところ、珠子が
「そうだヮ。大ちゃんに、服装のことを聞いて見ましょう」
「あの子、そこいら中を遊び廻っているので、若しかしたら、案外、適当な服装を知っているかもョ」
「こんなときこそ、彼の知恵を拝借すべきだヮ」
と言いだして、理恵子を連れて庭に降りて行くと、二人が近ずいたことにも気付かずにいた大助に、珠子が
「大ちゃん、さっきから見ていたが、なんの踊りか判らないが、とっても面白いヮ」
「途中で止めさせて悪いんだけど、一寸、相談に乗ってくれない」
と声をかけると、タマコちゃんが
「大ちゃん、大変だヮ。変なことをしていて、また、珠子姉ちゃんに叱られるカモョ!」「ワタシ カエロ~ット」
と、吃驚して大助の着物の袖を引っ張ったので、珠子は
「タマコちゃん、違うの、チガウノョ、心配しないでネ」
と言ったところ、大助は
「いま、忙しいんだょ~」 「邪魔しないでくれよ」
と、つれない返事をしたので、珠子が
「理恵ちゃんのことで、相談したいのョ?」 「どうしても駄目なの・・」
と言うと、大助は
「アッ! 理恵姉ちゃんのことかい」 「僕で良ければ、何でもしてあげるよ」
と急に態度を変えて、理恵子の方に向かい愛想よく笑顔で返事をしたので、珠子が
「ウゥ~ン この子ときたら憎くったらしい・・」
と、少しばかりすねたが、要件を話すと、大助は理恵子に対しニコット笑いながら
「なァ~んだ、そんなことか」 「明日の朝、僕が用意してあげるから安心しなよ」
「それより、いま、盆踊りの仕方を教えてくれないかなぁ~」 「僕、良く判らないんだよ」
と、理恵子に頼むので、彼女は自分の故郷で古くから踊られている盆踊りに、いつのまにか、都会に仕事や勉強に出ている若い人達がお盆に帰って来たとき、踊りの終わり頃になると、誰が教えたとゆうことでもなく、自然にフォークダンス風な踊りを取り入れて愉快に踊る様になり、きまった踊り方はないらしいが、男女が入り混じって、内側と外側に互いに逆廻りして、軽く弾んだ足を降ろししたときに、向かいあった人同士で上げた両手の掌を合わせて、首を左右どちらかに少し傾ける様にすることが、踊りの要点であることを説明して、故郷の盆踊りを想起しながら答えてやった。
そのうちに、珠子も加わり一緒に練習をしながら
「この踊りって、見知らぬ人達同士でも自然にコミュニケーションがとれて、首をかしげるところなど、とっても可愛いらしさもあり良いわネ」
「なんだか、去年の夏に見たとき、いま流行りの一種の婚カツみたいなところがあり、素朴なところがいいヮ」
「わたし、明るい気分になれて心が開く様で、素敵な夏の風物詩だと思うヮ」
と言いつつ、彼女も大助同様に夏休みを楽しみに待っている風だった。
東京の北部のほうでは、集中豪雨があり生活にも支障が出たようだが、幸い大田区の方は豪雨からはずれ、遊びつかれた四人の周りに夕闇が静かに訪れてきた。
地方より一月早い都会のお盆も近ずいて来た、残暑の夕食後。
近所の鎮守様の祭礼に夕涼みかたがた、孝子小母さんに誘われて理恵子と珠子が連れ立って、孝子が仕立てた揃いの水玉模様の浴衣姿で桐下駄を履いて団扇を手にお詣りに出かけたが、大助は気がむかないのか浴衣を着るのを嫌がり半袖のYシャツに運動ズボンの普段着のまま三人の後ろにノコノコと足取りも重そうに付いて行った。
大助は、後ろから見た姉達の浴衣姿も満更でないと、その漂う艶気に心を奪われ、彼女達の浴衣の下からチラチラと覗く下駄履きのかかとの清潔感に、時々、目を移しながら歩んで行くと、参道脇に露天を出していた八百屋の昭ちゃんと肉屋の健ちゃんが口を揃えて
「大助ッ! お宮詣りか?」
「普段、遊んでいるばかりいるので、来年の高校入試は、幾ら カミサマ でもシャジを投げてしまうんでないか」
と冷やかしの声をかけたので、彼は
「ナニ言ってんだい!普段、仕事をサボッテいるツケで、今日位は売り上げを伸ばせよ」
と口答えして、前を行く二人の姉達を指さして
「今晩は、キレイに見えるだろう」
「姉ちゃんを嫁さんに欲しかったら カミサマ に頼んだあと、僕に言えよ」
と言ったところ、声が大き過ぎて前を行く珠子の耳に入り、彼女が振り向いて団扇で彼の頭を軽く叩いて
「大ちゃん、余計なお世辞は言わないことョ」
と言って、健ちゃん達に微笑みながら会釈をした。
鉢巻姿の昭ちゃん達二人は、呆然として、めったに見れない理恵子と珠子の浴衣姿に見とれていた。
運が悪いとゆうか、偶然にも大助のうしろから、お爺さんに連れられて歩いて来たタマコがその様子を見ていて、浴衣の前を手で押さえ赤い鼻緒の下駄の音を響かせて大助に駆け寄って来るなり
「大ちゃん! また、珠子姉さんに叱られたの?」 「マッタク ショウガナイ お兄ちゃんネ 」
「カミサマ の前で、ナニカ悪いことをしたの?」
と、睨みながら一人前に文句を言っていると、その傍で、町内で笑わないことで名の知れた靴屋のお爺さんが、ニヤッと笑い
「大助君。キミ、タマコに英語で手紙を書いて出すなんて素晴らしいな。真面目に勉強しているんだなぁ。と、ワシも感心したわ」
「あの手紙は、タマコのこれからの人生にとって貴重な記念品になるので、婆さんも喜んで神棚に上げて、毎朝、拝んでいるわ」
「お前にタマコを預けておけばワシも婆さんも安心だわ」
と、堅物で有名なお爺さんに思いがけないことを言われ、以前、仕方なくタマちゃんに催促されて書いた出鱈目な手紙がとんでもない波紋を広げていることに、切角のお詣りもとんだ ハプニング になってしまい、先程の元気も一瞬にして無くなってしまった。
これを聞いた、健ちゃん達は手を叩き「ヨシッ! 大助よく、ヤッタッ!」と大声で歓声をあげていたが、珠子達はその声に誘われて振り向いて笑っていた。
理恵子は神前で、織田君との交際が誰にも邪魔されずに、また、彼の心が変わることなく、交際が今まで通り平穏に続きます様にと、ひたすら祈り、若し、織田君に体を許す様なことがあっても悔いはないと、自分の決意が永遠に偽りのない真実の愛であることを改めて誓った。
帰り道。 雲間に見え隠れする月を仰ぎ見て、亡き実母の秋子と養母の節子に、" 月よりの使者"となって自分の願いが適いますようにと心の中で祈った。
理恵子は、帰宅後、入浴して城家の家族達と談笑にふけっていたところ、電話のベルが鳴り珠子が出たが、慌てて
「理恵ちゃん、織田君からョ、早く出てッ。早速神様のご利益だゎ」
と呼ぶので、今日当たり珍しいこともあるもんだと思いつつも、或いは急病かしらと一寸不安が心をよぎったが、不安と嬉しさが交差する気持ちで電話に出ると、彼は
「どうしている。変わりはないか?」「 今日は、突然、選挙運動に狩り出されて、いや~暑かったわ」
「昨晩、郷里の山上先生から久し振りに電話があり嬉しかったょ」「お前のことも心配していたぞ」
と、元気そうな太い声で話しかけてくるので、彼女は予想もしないときに電話してきたことに驚きと嬉しさが胸に湧いてきて、少し間をおいて心を沈め
「今頃、電話してきて、ビックリ したヮ。君ときたらモウゥ~、自分勝手なのだから~」 「わたしが、何時も貴方のことを考えていることを、少しは判ってくれているの?」
と答えると、彼は、急に冷静な声に変わり、静かに
「そんなことを言うなよ」 「僕だって、大学で授業中や、アルバイト先でも、結講、君のことを心配しているんだぜ」
「そんなことだから、君のお父さんから、君の様子を探るように電話をかけてくるんだよ」
「もう少し、大人になれよッ!」 「相変わらずだなッ」
と、呆れた様に返事を返すので、彼女も奈津子の忠告を想い出し、彼女特有の甘えた声で
「ネェ~ 逢いたいヮ」 「何時、逢ってくれるの?」
「この間、奈津子さんや江梨子さん達と逢ったが、彼女達はすっかり都会の色に染まり、自分の目的に向かい生活していることが、とっても羨ましかったヮ」
「なんだか、わたし一人ぼっち取り残されているようで、泣いてしまったヮ」
「こんな寂しい気持ちになるのは、貴方のせいョ。わたしの気持ち判ってくれる?」
と、愚痴を込めて、精一杯勇気を出して返事をすると、彼は
「僕のせいにばかりするなョ」 「君も、もっと自分のために、どうすることがベターか考えてみろョ」
と答え
「近いうちに、時間を都合してドライブに連れて行くから、また、その時、電話するよ」
と言って、一方的に電話を切ってしまった。
理恵子は、少しでも彼に心のうちを話しただけでも、気持ちが落ち着き、居間に戻ると機嫌よく、皆に、会話の内容を話した。
孝子小母さんと珠子さん、それに大助までもが口を揃えて「これが、神様のゴリヤク ネ」と言って喜んでくれた。冷やかされた理恵子は照れ隠しに「彼ったら本当に自分勝手なんで・・」と答えながらも、それまで心を掠めていたモヤモヤに光がさしたように嬉かった。
理恵子達三人が、上京後の近況を語り合ったあと、奈津子が
「アァ~ラ、色々お話しをしていたらお腹が空いてきたヮ」
「近所に、こじんまりしていて綺麗なお店があるので、案内しますので行かない?」
と言い出すと、江梨子は
「わたし、洋食よりありきたりの和食の方がいいヮ」
と返事したが、その理由について、彼女は
近い将来一緒になる小島君のために、少しでも喜んでもらえる料理のことを考えると、本当は時間を都合して料理学校に通えばよいのだが、会社の同僚の奥さんから、自分達は共稼ぎなので時間と経費を節約して、毎日会社の社食に出されるお昼のお惣菜を記録しておいて参考にしているが、お陰で何とか彼にも満足して貰える献立を覚えた。 貴女も、日々の日常生活の中で切角の機会を利用されてはどうかしら?。 結講、学校では得られ難い貴重な勉強になっている。と、教えられたことがあり、近頃、自分も真似していると話した。 彼女は続けて
その奥さんは、証券会社に勤めているので、わたしから、無理にお願いして、時々、今は全然判らない株式のことも親切に教えて貰っている。 将来、会社の株式を母から引き継ぐことに備えて・・。とも話した。
江梨子らしい合理的な生活の知恵を披瀝され、理恵子も
「わたしも、その真似をさせてもらうヮ」 「それに、幕の内弁当や普通の定食屋さんには、そのお店のご主人によっては、なんとなく故郷の味が懐かしく想いださせるものがあり、わたしも、定食屋さんに行きたいヮ」
と、江梨子の意見に賛同したら、奈津子は
「ウゥ~ン 成るほどネェ~。流石に生活意欲旺盛な江梨子ちゃんは、わたし達より生活感覚が断然大人になったわネェ~」
と感心して、三人は街の定食屋さんに出掛けて行った。
店に入り、窓際に席を占めた奈津子が二人に対し、窓越しに見える街路を行き交う人達の中から、自分達と同年代と思われる女性を見る度に、髪型とか靴や服装それに手に提げている鞄や袋を勝手に呟くように評論していたが
「あの学生さんやOLの人達も、わたし達同様に将来の希望を胸に描きつつも、その反面、現実に直面している悩みを抱えていると思うが、誰もがそんなことを少しも顔に出さずに取り澄ました顔をして黙々と歩いているけれど、都会ではいまどき、きっと半数近くの人達は性を経験しているのではないかしら・・」
「見知らぬ多くの人達が集まる都会では、無性に頼れる人が恋しくなるものョ。 そこが、狭い世間の中で身をちじめて暮らす田舎の人達とは違うのネ」
と、自分のいまの生活を織り交ぜて、その様な生活を肯定するかの様に話していた。
食事後、店を出ると三人はそれぞれに、今日は本当に楽しかったし、お互いに貴重なお話を聞かせて貰った。と、笑顔で握手を交わし、また機会をみて逢うことを約束して、駅前で別れた。
理恵子は家に帰ると、大助にオコシと孝子小母さんと珠子さんにはお煎餅のお土産を差し出し、今日の感想を簡単に話したあと、お風呂に入りそのまま自室に行き、すぐにベットに横たわり彼女等の話を想いだしていた。
江梨子の話を聞くまでは想像もしなかった、彼女の目的に向かって着々と自分の生活を築きあげてゆく逞しい生活振りを、羨ましく思い感心してしまったこと。
それとは対照的に、すでに完成されたかの様な、奈津子の精神的に満ち足りた、落ち着いた生活態度にビックリすると共に、彼女等に比べて自分の生活の甘えを胸に刺さるように厳しく諭されたことが、一語一語想いだされ、今後、自分はどの様に行動すればよいのか考え込んでしまった。
それにしても、二人が物凄いスピードで、街の色に染まって行くことに驚いてしまった。
理恵子は、織田君がアルバイトで忙しいとゆうことで、メールの交換や電話での会話だけでは、或いは奈津子の言う通り、顔を合わせて話をしないと感情が伝わらず、彼との距離が離れて行く様にも思え、若しかしたら、もう自分とは別の人と愛しあっている人がいるのかしらと妄想が浮かび、そうだとしたら、今までの自分達の愛はなんであったんだろうと寂寞感に襲われた。
そして自分の将来は、彼と似たような人を愛して過ごすことになるのかと思うと、たまらなく悲しくなったが、そんな人生も時が過ぎるに従い、自然と心の傷もいえてゆくのかしらとも考えた。
けれども、その前にもう一度彼の心を知っておきたいと思った。
そのために、今後、自分から積極的な行動に出て無理をしてでも彼に逢った際、彼との心の繋がりが変わりなく継続していたとき、必ず男女の愛情の自然な発露として、肉体を求めあう段階に至ることになるかも知れないことは、二人の年齢と成熟した体からは、当然の成り行きだろうし、そうなったとき、わたしは生理的な制約に縛られていることから、迷いが生ずると思うが、熟し柿が落ちる様に自然の流れの中で機会が訪れれば、織田君に肌を許すことになっても構わないと心に決めた。
確かに未知の世界に挑む怖さもあるが、何時かは越えなければならない道である以上、今こそ迷いを断ち切る時だとも考えた。
そうすることが、織田君に真実の愛を伝え彼との絆を一層深めることのになるのだとすれば、今の自分にとっては冒険的ではあるが、やがてはその感激が時を経て、自分の幸せにつながる道でもあるとも考えた。
そのあとは・・? わたしは、そこまで考えないことにした。 先さきのことばかり考えて目先の生活をためらうことは、老人のすることで、若い自分達は、一通り考えたあとは悔やまぬ様に実行した方がいい。 そうすることにより、前途に新しい道が開けてくると色々と思案を重ね塾考したあと、その様に実行する勇気を授かることを心の中で神仏に祈った。
何故か目を閉じ掛け布で顔を覆うと瞼の裏に微笑む節子母さんの顔が浮かんだので、「お母さん、許して」と思わず小声で叫んでしまった。
そこまで決意したあと、心が多少楽になり、あとは、わたしが積極的に忙しい織田君とどの様にして逢えばよいのか、その理由と方法を考えているうちに自然と静かな眠りについた。
江梨子から、二人姉妹の長女として家を継ぐ宿命に置かれた苦悩を聞かされ、思わぬ難問を打ち明けられた奈津子は
「そうなの~、資産家の子として経済的に恵まれていると客観的には羨ましく思えたが、世の中金銭だけでは解決出来ないこともあるのねェ~。貴女の悩みはよく判ったヮ」
と、彼女の立場に同情したあと、如何にも奈津子らしく、瞬時に彼女の遭遇している現実の苦悩を察して
「貴女には、いま時間が最も大切ョ」。”時が解決する”と言う諺があるが、いまは精一杯、青春を楽しむことョ」
と励ましたが、江梨子は少し正直に話して迷惑をかけてしまったかと思いながらも、この際、先行きのことも話して今迄通り友達関係を続けたい思いから、家庭の事情について更に詳しく話しを続けた。
母親や友子は「妊娠したら、さっさと会社を退職して帰って来なさい。それが上京する際の約束で二人を会社に入れたのだし。その様になった場合い自分達が、どんな面倒でもみてあげるから・・」
と母親に口五月蝿く言われた話をしたあと、更に続けて、今度は自信に満ちた声で
「わたしは、仮にョ、何らかの機会に妊娠しても、田舎には絶対に帰らないヮ!
だって、わたし一人で帰れば、まるで未婚の母みたいじゃない
それに、遠く離れた彼との別居生活なんて、わたしの精神生活は勿論のこと、胎教にも良くないでしょう」
と、自分の考えをはっきりと話し、小島君が仕事と生活に自信を持つまで、例え母親に多少抵抗しても今の会社で頑張ると、堅い決意を話して二人に理解を求めた。
奈津子は、江梨子の話を聞いていて自分の立場と織り交ぜて
「そうだヮ 江梨ちゃんの言う通り、幾ら家庭の事情があるにせよ、少しでも自分の理想を貫くことが、これからの時代には、女性として幸せに生きる一番大切なことだとおもうゎ」
と彼女の意見に賛成し
「生きるとゆうことは、難しいことだわねェ~」
とテーブルの上を箸で軽く叩きながら深い溜め息をついた。
黙って聞いていた理恵子には、なんだか遠い世界の話としか思えなかった。
江梨子の、表面にわ現さないまでも胸に秘めた苦悩を聞き終えて、話しは自然に理恵子のところに回って来た。
理恵子は、それまで奈津子の現実的な生き方や、江梨子の厳しい生活環境に置かれても、自分の生活に目的意識を持って日々努力している話を聞いて、自分が上京以来一番全ての面で遅れていることを胸が痛むほど思い知らされ、自身が情けないと思つた。
そんな思いに耽っていたところに、奈津子が理恵子の心を見透かした様に
「理恵ちゃん、貴女は織田君に逢っているの?」 「二人の関係は高校卒業以来順調に進んでいるの?」
と、半ば不安感を漂わせた表情で聞いたので、彼女は俯き加減にテーブルの上で両手の指を絡ませながら、特に話をして聞かせることもないので、一寸、思案の末思い当たるままに、か細い声で
「貴女達もお判りの通り、彼は母親が一人で営むお店の事情から、なるべく生活費位は自分がアルバイトで稼ぎ出さなければと、土・日曜日は専攻する学科に関係する建築の現場にアルバイトに出ており、まだ、一度も逢っていないゎ」
「それは、たまに彼の方から携帯にメールをくれるが、私の方からは、お仕事が忙しいそうなのに迷惑になってもと思い遠慮しているので、正直、彼の詳しい生活模様は判らないわ」
と、力無く答えると、奈津子が
「こんなことを言っては貴女に失礼ですけれども、貴女の生い立ちは複雑で気の毒ですけれども、現在の御両親は思いやりがあり、とくに、お母様は近郷でも大変に美しく優しい人と評判で、そのうえ高い教養もあり、それに若いわたしらが言うのも、大変おこがましいことですが、偶然とは言へ永い歳月を辛抱強く耐えて山上先生との恋を実らせた意志の強い看護師さんであり、貴女も可愛がられており本当に幸せ者よ」
「織田君も、貴女の御両親に大切にされていて、貴女達の交際を暖かく見守っていてくださるし、織田君と少しでも逢える様にと、わざわざ東京の美容学院に入学させてくれたんでしょう。感謝しなくては・・」
と、自分が話すことを代弁するかの様に話し出し、更に、理恵子がもどかしく思えたのか強い口調で
「だいたい、貴女は一人っ子で生活環境から性格的に内弁慶なのよ。 一度もデートしてないなんて、何のために上京したのよッ!
理恵ちゃん!アノネェ~、彼のあの野球で鍛えた立派な筋肉質の青年を、ほかの女性が憧れて狙っているかも知れないなんてことを一度でも考えたことあるの?。
東京には、その様な女性が沢山おり、貴女、心配にならないの?。
貴女、余りにも甘チャンで純情すぎるのョ。
彼も、何かの弾みで魔がさして少しでもその様な女性に一度でも手を触れたら、心ならずも理性を失い、あの体格から発露する性欲を制御することができず、そのうち彼女の方も離れがたくなってしまい、結果、貴女達のこれまで育んできた愛も全てが終わりになってしまうのよ。
貴女が不幸にして失恋しても、わたし達はじめ誰もが助けられないわ。貴女失恋の苦しさに耐えられる?
脅しでいっているんでないゎ。
お母様の教えかも知れないが、彼を本当に好きなら勇気を出して彼に全てを捧げるべきよ。こわいことなんてないわ。
女性は、何時かは越えなければならないことなのよ。綺麗ごとだけでは彼を繋ぎとめられないと思うわ。
わたし、大学でその様な現実を見てきているだけに、貴女のこと本当に心配になるヮ。
何故、もっと大人の女性らしく、現実の社会における男女の微妙な問題に目をむけないの。
貴女ときたら、私、ジレッタク なるくらいだゎ。」
と、奈津子は眉間に皺を寄せて半ば本気で怒り気味に理恵子に対し忠告すると、理恵子は尊敬して慕っている彼女の厳しい話だけに少なからず心が揺らいだが、その実本能的に織田君にかぎって「まさかぁ~」と小さく呟いたら、傍らで黙って聞いていた江梨子も追い討ちをかける様に
「理恵ちゃん、奈津ちゃんの言うことはほんとうだヮ。
先程も話したとおり、わたしも、出張先で宴会のあと宿泊するときなど、怖い目に何度もあっているが、世の中には女性を単なる性的欲求のはけ口と思い、また、それに騙される振りをして生活をしている女の人達もおり、全く油断も隙きもナラナイヮ」
と、なんとか理恵子に自分が体験した男女間の現実の機微を判らせようと経験談を真剣に聞かせていた。
理恵子は、二人の話を聞いていて、理屈では理解できるが、実際に積極的に行動できない自分が情けなくなり、二人の話から不安感も心をよぎり涙をこぼしてしまった。
奈津子は、二人が上京以来3ヶ月ぶりに訪ねて来たことを待ちかねていた様に、理恵子のことは江梨子に任せて、台所でアイスコーヒーやら水菓子を用意して部屋に戻ると
「田舎と違い、コンクリートの街は蒸し暑つさが事の外感じられるわネ」「こんな日は田舎が恋しくなるゎ」
と言ってエアコンをを弱めにつけて座ると
「貴女達、お土産なんて無理すること無かったのに・・」
と礼を言いつつも、早速、「戴きましょうヨ」と包装紙を解き「アラッ! 果物もいいわネ」と言って、遠慮気味に少し堅くなっている二人の気持ちをやわらげてから、二人に対しまるで姉さんらしい語り口で
「皆が、病気もせずに逢えたことが、何よりの幸せネ。 慣れない土地での緊張感やストレスは、それぞれにあったでしょうが・・」
と、同級生時代からのリーダー格らしく、頭脳明晰なところもあるが、二人の先頭に立って来た持ち前の陽気で気性の強さで雰囲気を和ませたあと
「一番弱わよわしかった江梨子ちゃんが、今日、お逢いした中では最も社会人らしくなったわネ」
「服装やお化粧も、私や理恵子さんより、断然、先頭を行っているヮ」
「理恵ちゃんは、美容師だけに抜群のスタイルに合わせて、髪型やお化粧はとっても素敵だが、高校時代と同じで、静かで温和し過ぎるる様に見受けられるが、大きな悩みでもあるの?」
と、インスピレーションを働かせて卒直に話し始めると、江梨子が
「奈津ちゃん、お部屋に伺った瞬間、まるで新婚家庭の様に家具や調度品が並べられていて、わたし、ビックリしてしまったヮ」
「実際の生活は、どうなっているの?」 「彼氏が、頻繁に来ているの?」
と聞くと、奈津子は飾り気のない言葉で日常の生活振りについて
貴女達も御承知の通り、内山君は、まだ、医学部3年生で勉強が大変らしいこと。
自分も薬学部のキャンパス内のことしか判らず、共に世間知らずな面があり、それに、どちらも親からの仕送りで生活しているので、人並みにお洒落や観光地を遊んで歩けないが、自分はこれで充分満足して今の生活をエンジョイしているわ。
彼も、月に一度泊りがけで訪ねてくるが、その晩は奮発して少し豪華な外食を楽しんで帰宅後は、勿論、同じベットで肌を合わせて愛を確かめ合うが、周囲には学生結婚している人達も結講いるらしいの。
自分達は、お互いの両親が、将来、私達が一緒になることは承知しているが、正直言って両家とも田舎の小さな医院であるだけに、自分達の収入で生活出来る様になるまでは一緒になることは頭になく、単純に計算しても研修医が終わるまでに、この先6年もかかり、余り先のことまで考えても仕様がないので結婚を焦せっていないわ。
兎に角、今を大事にして、出来る範囲で学生生活と彼とのデートを楽しむことにしているの。
それだけに、人それぞれに考えはあるでしょうが、わたし達は、単にsexは快楽だけでなく、二人の愛を確かめ合うためにも、また、自分達の精神的な生活に必要不可欠だが、その反面、瞬間的な感情に流されて避妊を怠ることのないように神経を使うわ。このことは女性の宿命みたいで、貴女達も良く覚えていた方がよいわ。 今時、価値観も大分変わり生娘での結婚は珍しいくらいで、性も大分解放されているが、ただ、赤ちゃんを抱いての結婚式だけは御免だわ。
ただ、興味半分の遊びは絶対に駄目ょ。 自尊心を傷つけない様に良く考えて行動してね。
と、経験に即した忠告を交えて近況を正直に話をしたあと
「江梨子は、三人の中で、唯一、自分で収入を得ているが、会社勤めは大変でしょう」
と、話題を江梨子に向けて聞き出したので、江梨子は
わたしの場合、小島君と共に母親の敷いたレールの上を、ひたすら走り続けている様な生活で、彼は会社の寮生活だが、この会社はやたらと人間教育が最優先と、社是にしており、そのため試用期間中の彼も、女性の出入りは禁止の寮生活で、寮長が自衛隊出身の人で生活の躾は厳しく、休日の外泊は許可せず、外出も届けて帰寮時間も厳守で鍛えられているが、幸い彼も機械好きで夢中になっており、泣き言もいわず、わたしは助かっているわ。
わたしは、一応営業部に席をおいているが、最初の頃は、先輩の付き添いもあったが、今月からは一人で、大坂や名古屋に出張することがあり、出張先で招待のあと中年の男性から怪しげな誘いを受けることもたまにあるが、社会ってこんなものかなぁ~と、思い適当にあしらっているが、彼が月に一度しか日帰りでしか、わたしの部屋に来れないのが、目下の最大の不満と言へば不満なことだわ。
今日着てきた服も、半額会社負担で、下宿代を払えば特に大きなお金を使うことも無いので、半分は彼に自由に逢えない腹いせに、思い切って高いかなと思うが、服装やお化粧等身の回りのことで気持ちを癒しているわ。 お陰様で会社の人達は、社長の身内であるとゆうことを抜きにしても、皆が親切にしてくれるので、仕事上の苦労は余り感じないが、今時、贅沢かも知れないが、精神的には悲しきOLと言ったところかな。
と言って笑い、続けて少し恥じらいながら
この前なんか、母親と妹の友子が上京してきて、社長が姉の母親に敬意を表して夕方に、高級料理屋に招待してくれたが、座敷に座るや二人して、わたしのお腹の辺りをジロジロ見ていて、友子が
「母ちゃん、まだみたいだヮァ~」
と言ってフゥ~と溜め息をつくと、母親も、険しい目でわたしの顔をチラット見ながら、友子と社長にも口説く様に、元気の無い声で
「本当に、この子ったら意気地がないんだから・・。何のために二人して上京させたのか判んないのかねネェ~」
「この分だと、わたしが老いぼれてからでないと、孫の子守が出来ないんかネエ~。寂しいもんだわ」
と口説いたあと、弟の社長を横目で睨んで
「ヤッパリ わたしが会社に残り、お前が田舎に帰り先祖の墓守りをすれば良かったんだわ・・」
と深い溜め息混じりに小さい声で呟くと、母親を庇うかのように妹の友子までもが生意気にも、
「姉ちゃん!あとがつかえているんだからネ」
「わたしが、姉ちゃんよりも先に結婚して子供を生んだら村中の笑いものになってしまうんだからネ」
と、母親に便上して、わたしが早く妊娠するのを期待しているかの様に言うので、流石に社長も見かねて、会社の方針で小島君が一人前の技術屋になるまでは、我慢してくれと助け船を出してくれていたが、わたしは、何時、妊娠してもいいと覚悟はしているが、世の中は思う様に行かないわ。
と、自分達の置かれている現実的な立場と悩ましい現在の心境を、愚痴を織り交ぜて溜め息混じりに話した。
黙って聞いていた奈津子と理恵子は、江梨子が急に大人びいた考えを披瀝したことに驚いて言葉も出なかった。
何時もは賑やかに食卓を囲む城家の夕食後。
大助は何故かおとなしく疲れた様子で横たわってTVでサッカーを夢中で見ていると、電話の呼び出しに出た珠子が
「大ちゃん 靴屋の彼女から電話だよ」「なんだか声が、元気ないみたいだったゎ」
と告げたので、大助は
「姉ちゃん 彼女だなんて人聞きの悪い言いかたは止めてくれよ。勝手に遊びに来る友達でしかないんだから・・」
と、少し不満げに返事をして億劫そうに立ち上がり電話に出ると、タマコがいきなり興奮した声で
「大ちゃん このお手紙ナニヨッ! 意味がゼーンゼン ワカラナイヮ」
「でも、お爺ちゃんに見せたら、大助も英語で手紙を書く様になったか、たいしたもんだ。と、感心していたゎ」
と言った後、彼女は手紙を巡り家庭内の様子について、お爺さんに意味を聞いたら、全然、ワカラン。と言って、そばにいたお祖母ちゃんに手紙を渡したらチラット見ただけで
「英語が読めれば、靴屋には嫁に来なかったょ」
と言って、お手紙のことで、お爺ちゃんと口争いになってしまい、わたしも困ってしまったわ。と、一気に話したあと
「イッタイ 大ちゃんは、何を書いたのョ」 「珠子姉ちゃんに、あとで読んで貰ってもイイッ」
と、半べその泣き声で言うので、大助はいたずら半分に書いた手紙が騒動の原因になっていることに困惑して返事に窮してしまい
「タマちゃん そんなに怒ることはないョ」 「今度、英語を教えてあげるかサ・・」
「タマちゃんが 中学生になれば自然に判ることなので・・」
「それに、二人だけの秘密なんだから、珠子姉ちゃんには絶対に見せないでくれョ」
と思いつきの返事をしたら、<二人の秘密>と言う怪しげな謎めいた言葉でタマちゃんも気分をなおし、ヤットの思いで彼女をなだめて電話を切った。
大助が再びTVの前に座ると、彼の弁解がましい話を聞いていた母親の孝子が
「大助、タマコちゃんは小学生で真面目な子なのだから、お前、同じ気持ちでからかっては駄目だよ」
と、大助の返事の雰囲気から察して注意したところ、珠子も
「そうョ 同級生の中に好きな人いないんかネ?」 「意気地なし」
と、母親に同調するので大助は
「ミ~ンナ、一山幾らのオンナノコばかりで、付き合うオンナノコなんていないヨッ!」
と不機嫌そうに返事をしていたが、傍にいた理恵子が
「大ちゃん 今にその同級生の中から、大ちゃんの心をときめかせる人が必ず現れるゎ」
「だから、同級生のオンナノコは、大ちゃんの未来の憧れの宝庫ョ」 「普段、仲良くして優しく接することが一番大切なことョ」
「それに、タマコちゃんだって、中学生になれば大ちゃんにお似合いの可愛いく素敵なオンナノコになるかもしれないゎ」
と、大助を懸命になだめていた。
翌日の朝。理恵子は孝子小母さんに
「今日、この春一緒に上京したお友達三人で久し振りに逢うので、夕食は結講ですヮ」
と今日の日程を話して玄関に立つと、孝子小母さんは
「そ~うなの、お楽しみだわネ。何処でお逢いするの?」「余り遅くならない様に、注意して帰って来てね」
と、気持ちよく送りだしてくれた。
見送りに出た大助が、玄関先で
「理恵姉ちゃん 若し遅くなる様だったら、僕に電話してくれよ」
「雪ケ谷なら近いから、僕が迎えに行くから」
と、母親の話を横取りして口添えしたあと、笑いながら、彼特有の冗談や大袈裟にものを言う時の癖である右目でパチパチとウインクをして
「お土産は要らないョ」「理恵姉ちゃんが、どうしてもとゆうのだったら、僕、雷オコシがいいけどナァ~」「無理しなくてもいいからネッ」
と如才なく話をしていたが、 傍らにいた母親の孝子と姉の珠子は
「理恵ちゃん 大助特有の甘えのユーモアなので、本気にしては駄目ョ」
と、大助の肩を軽く叩きにこやかに笑っていた。
理恵子は、池上線に乗ると町並みの景色を見ながら、久し振りに逢える奈津子と江梨子のことを思い浮かべ、おそらくすっかり都会の雰囲気に慣れて日頃どんな服装や生活をしているのだろうか。と、彼女達の顔を思い描きながら思案ををめぐらせているうちに雪ケ谷駅についたところ、先に奈津子のマンショを訪れていた江梨子が、奈津子と二人揃って改札口に迎えに来ており、一番近い自分が遅くなったことが恥ずかしくなった。
理恵子は、昨晩、珠子さんが気を使って用意しておいてくれた果物のお土産を手にして、二人に挟まれる様にして歩き、駅に近い少し古びたマンションの二階の奈津子の部屋に案内された。
実家が医院を経営していて経済的に恵まれているためか、彼女の部屋はまるで新婚家庭の様に家具や調度品が用意され、書棚には通学している薬学部の本が並べられていることに、少なからず驚かされた。
奈津子は高校時代同様に、三人の中では常に先頭に立って自分達をリードしてきた気性そのままに、テキパキとお茶の準備をしてくれ、江梨子は戸惑う理恵子に対し
「理恵ちゃん、遠慮することないヮ」
「奈津ちゃんは、人の面倒を見るのが前から好きなんだら」「あれで、彼女は結構満足しているのョ」
と、相変わらず平然としてお茶を御馳走になっていた。
霧雨のけぶる土曜日の昼下がり。 帰校後、大助は中間試験を何とか終わり、ヤレヤレの思いで廊下で一人昼食後の牛乳を飲んでいると、タマコが訪ねて来た。
大助の様子を見ると
「大ちゃん、寂びしそうな、お昼ご飯ネェ~」
と言いながら後片付けをしてくれて、椅子に座るや
「わたしの、お手紙読んでくれた?」
と、早速、感想を求めて来たので、大助は
「ウ~ン 夕べ読んだよ」
と、物憂げに答えると、タマちゃんは
「なによ、そんな元気のない返事をして・・」 「試験が思う様にいかなかったの?」
「それとも、何か、大ちゃんの気にいらぬことでもあったの?」
と、少し気落ちした顔つきで聞き返すので、大助は彼女に無理に理恵子さんの靴の修理を頼んだ手前、これはシマッタと思い
「僕、試験勉強の合間に読んだが、タマちゃんらしい可愛い文章だったよ」
「返事を書かなければ、タマちゃんに怒られると思い、大急ぎで書いておいたよ」
と言って、昨晩、書いた手紙をタマちゃんに渡すと、彼女は急に機嫌を直して笑いながら
「大ちゃん、ありがとう。今夜、床の中でコッソリと読ませてもらうヮ」
と言いながら、大事そうに持参した漫画本に挟んで仕舞うと、愛用の布袋からチョコレートを取り出して
「コレ タベテェ~」
と、お礼のつもりか差し出した。
大助は、何時もと違い、今日ばかりはチョコレートを貰うことに、ためらいを感じ
「いいよ、何時も貰ってばかりで気が引けるよ」
と言いつつ遠慮したが、彼女は
「どうしたの? 何時もの大ちゃんらしくないヮ」 「勉強して疲れているの?」
と言いながら、テーブルの上に置いておいたら、隣家のシャム猫のタマが、網戸に顔を寄せて泣いたので、彼女はタマを家の中にいれ
「こんな日は来てはだめョ」 「ほら、大ちゃんも元気ないみたいだしさァ~」
と文句を言いつつも、タオルでタマを拭いて抱いてあげていた。
大助が、チョコレートを遠慮したのには、手紙のことが気になったからである。
それと言うのも、大助は勉強の疲れもあるが、小学生のしかもオンナノコに、なんて書けばよいか思案にくれて、真面目に書く気にもなれず、遊び半分の考えで、たまたま、英語の勉強をしている最中でもあったので、面倒臭いこともあり、咄嗟の思いつきで
「タマちゃん、何時もおやつを分けてくれて有難う」
「最近のタマコちゃんは、笑窪も可愛いし、とっても綺麗になったョ」
「きっと、将来は、宮城から西半分の都内では、一番の美しいオンナノコになると思うョ」
と書き出したが、そのあと、アルフハベットのZから逆にAまでを書き並べて、途中に適当にandやofを入れて体裁を整えて、最後にgood nightと書いておいた。
大助にしてみれば、こんないたずらを知らずに嬉しそうに手紙を仕舞い込んだタマちゃんが、読んだあと果たしてどんな気持ちなるだろうかと、一寸、心配になり可哀想にもなった。
雨模様もあり、沈んだ気分でいる大助に、何時の間にか帰宅していた理恵子と珠子が、二階の部屋で時に笑い声を出しながら賑やかに話あっていた。 すると突然、珠子が
「大ちゃん、一寸、部屋に来てくれない」
と声をかけてきたので、大助は彼女等の部屋に呼ばれることはめったに無いことでもあり、何事かと思い元気よく返事して、タマコちゃんと二階に上がると、珠子が
「ねェ~ 理恵子さんの、この服どうかしら、涼しそうでお似合いと思うんだけど、男性の目で見た感想を聞かせてェ~」
と言われ、大助は一目見て、卒直に
「理恵姉ちゃん、色白で全体がスレンダーだし、それになんと言っても、薄いブルーのフレヤスカートの裾から覗いて見える均整のとれた長い足がとっても艶けがあり、魅力的で凄く似合うョ」
「切角だから、僕の感想と言うか希望を言わせて貰うと、上着のフレアーの刺繍もよいが、もうちょっと、胸の谷間が覗いて見えるほうが、いいんじゃないかなァ~?」
と、真面目くさって言うと、理恵子が
「わたし、その様な服は、一寸、恥ずかしくて着れないゎ」
と少し赤くなって返答すると、珠子が険しい顔つきになり、燃える様な黒い瞳で、睨みつける様に
「大ちゃん、あんた雑誌のグラビヤの見すぎョ」
「どうして、中学生らしく素直に感想を言えないの」「もう、いいゎ 下に降りなさい」
と文句を言いだしたので、大助は
「なんだョゥ~ 人を呼びつけておいて・・」 「僕、男性として正直に感想を言ったのに・・」
「姉ちゃんは、理恵姉さんの美しさに、やきもちを焼いているんだろ~ッ」
「大体、姉ちゃんは発育不全で、表も裏も区別がつかない様な胸では、比較の仕様がないからナァ~」
と捨て台詞を言うと、一緒にいたタマコが
「大ちゃん、そんなことを言うと、また、珠子姉さんからお仕置きを受けて熱がでるわヨ」 「わたし、知らないからネ・・」
と言いながら大助の頬をつねった。
その後、タマコちゃんは後難を恐れてか、猫を抱えて
「わたし、今日は帰るヮ」
と言い残して階下に降りていってしまった。
大助も、今日は昼から気分が冴えず、タマコちゃんを玄関で見送ったあと、自分の部屋に戻り寝転んでしまった。 試験の出来具合も気になっていた。
初夏の爽やかな風と陽ざしが、柔らかい濃緑の芝生に流れて照り映えている夕方。
大助は、鉢巻をして鞄を枕に横たわり、中間試験に備えて英語の教科書を開いて復習していたところへ、庭先の垣根を音も無く開いて、タマコちゃんが「大ちゃん、いたぁ~」と声をかけながら、涼しげな水色のミニスカート姿で、手には愛用の布袋と漫画本と、それに靴箱を入れたビニール袋を提げてやって来た。
彼女は、大ちゃんの脇に足を横に崩して座ると、彼の読んでいる教科書を覗き込んで
「アラッ 今日は本当の英語の本なのネ」 「今度はお姉ちゃんに見られても叱られないわネ。よかった~」
と言いながら、早速、漫画本に挟んだ白い封筒を出して大助の顔の上に差出し、恥ずかしそうに俯き加減に
「ハイッ! 約束通りお手紙を書いてきたヮ」 「夕べ遅くまでかかって、お母さんに見つからないように書いたの・・」
「珠子姉ちゃんに見られないように気をつけて読んでネ」 「読んだら感想文を書いて、わたしに必ず返事を書いてョ」
「大ちゃんが、うっかりして、そこいらに出しっぱなしにしておくと、わたし恥ずかしいから大切に仕舞っておいてョ」「必ずョ。 ワカッタワネ!」
と、用心深そうに念を入れて言うので、大助は教科書を放り出して彼女から手紙を受け取ると
「エッ! お前、本当に書いて来たのか」 「どうせ作文の練習のつもりで書いたのだろッ~?」
と笑いながら言うと、タマコちゃんは、真面目な顔つきに変わり
「そんなことないヮ」 「だから、大ちゃんも、わたしに対する思いを正直に書いてョ」
と、再度、念を押されて大助は「ウ~ン・・」と唸り絶句してしまった。
そんな会話をしているところに、自転車に乗った八百屋の昭ちゃんが「オイッ 大助ッ!、珠子姉ちゃんおるか?」と言いながら紙包みをだしたので、大助が
「理恵姉ちゃんと二人で、デパートに行って留守だよ」
と答えると、昭ちゃんは
「それならこれを、俺からのプレゼントだと言って渡してくれ」
と言うので、大助は
「昭ちゃん、今度から直球で姉ちゃんに当たれよ。僕を利用してカーブばかりでは三振の山ばかりだよ」
「僕も、何時も昭ちゃんの補欠では面白くないヤッ」
と返事をしながらも包みを受け取ると、昭ちゃんも
「よしっ ヨシッ」「大助コーチ、サンキュウー」
と笑って返って行った。
大助は姉に話すのも面倒臭いので、タマコちゃんに
「これ何だと思う?」「きっとイチゴだよ」「二人で食べヨゥ~ッ」
と言いながら包みをあけ始めると、タマコちゃんは
「アラッ そんな悪いことをするもんではないヮ」
と言ったが、大助は
「イインダヨッ 何時もお前からお菓子を貰っているし・・」
と言いながら食べ始め、タマコちゃんにも手に取って渡してあげた。
二人はおいしそうに笑いながら食べているところに、理恵子と珠子が帰って来て、珠子が二人を見て
「アラ アラッ お二人さん、今日もデートなの、仲が良いのネ」
と声をかけ「わたしも、戴くヮ」とイチゴを一つ手にすると、タマコちゃんは靴入りの袋を珠子に差し出し
「お姉ちゃん、夕べお爺ちゃんに頼んで修理してもらったヮ」
と言うと、大助は、「タマちゃん 凄いなぁ~」と声を上げ「タマちゃん、有難う。お爺さん、怒らなかったか?」
と聞くと、タマコちゃんは、澄ました顔で
「お爺ちゃん、夕べ靴の修理が終わると熱を出して、今朝から氷嚢を額に乗せて寝ているヮ」
「そばで、お婆ちゃんが、何時もオンナを馬鹿にして、やりつけないことをするから罰が当たっのだヮ」
「今度から、女性の物も作りなさいッ!」 「いい気味だヮ」
と、説教していたが、お爺ちゃんは
「うるせい~ッ」「大助にやられたぁ~」
と、小さい声でうめいていたが、わたしは、学校に行ってしまったので、あとのことは判らない。と、祖父母の朝のやり取りを途切れ途切れにも説明したところ、大助は
「エッ! お前、本当に俺から頼まれたと言ったのか?」 「珠子姉ちゃんの名前を言えばよかったのに・・」
「きっと、後から、お爺さんに怒られるナ。 全く嫌になっちゃうョ~」
「あぁ~ 俺も熱が出てきたョ」
と、鞄を枕に芝生の上に仰向けになってしまったが、それを見たタマコちゃんは、大助が本当に熱を出したと思い慌てて、大助の手拭を庭先の水道で冷やして大助の額に乗せ、傍らで
「お爺ちゃんと同じで、頭の中身が可笑しくなってしまったの?」
「わたしを、大切にしないからョ」 「今度から、もっと親切にしてネ」
と、遺伝子の為せる業か、朝、聞いたお婆さんのセリフを真似して大助に語りかけていた。
珠子は、そんなタマコちゃんの仕草を見ていて、可笑しいながらも微笑ましくなり
「タマちゃん、大助の熱はタマちゃんが好きでたまらなく出たのョ。心配しないでネ」
と優しく言うと、タマコちゃんも安心したのかニヤッと笑い、安堵の表情を浮かべていた。
理恵子と珠子が部屋に戻り、靴を取り出すと中に<修理代 無料>とメモが入れられており、それを見た珠子がクスッと笑ったあと理恵子に
「あの頑固なお爺ちゃんは、タマちゃんにめっぽう弱いのよ」 「お礼にイチゴを贈りましょうョ」
と言って、早速、昭ちゃんに電話で頼むと、昭ちゃんは
「アレッ! 先程、大ちゃんに渡しておいたが・・」
と答えたので、彼女はすぐに大助とタマコちゃんが美味しそうにイチゴを食べている姿が頭をよぎり、笑い声で「ハイッ 留守にしていてすみませんでした。何時も有難うネ」と弾んだ声で返事をしていた。
珠子は、腹這いになり興味深々と雑誌を読んでいた大助に忍び足で近寄ると
「大ちゃん、何の本を読んでいるの?」
と優しく聞くと、大助は慌てて雑誌を腹の下に隠して顔を上げもせず
「姉ちゃん、勉強の邪魔をしないでくれよ」
と不機嫌に返事をするばかりで、珠子の求めも無視して、腹の下に隠した雑誌を出そうとせず必死に隠し、何度尋ねてもなしのつぶてで嫌がるので、彼女は益々不審感を抱き業を煮やして実力行使で、大助の背中にスカート姿のまま馬乗りになり何とか雑誌を取りだそうとしたが、大助の頑強な抵抗で取りだせず、二人は遂に取組合になり、一度は大助の背中の反動で足を広げたまま仰向けにかえされたが、再度、本気になって襲いかかり、やっとの思いで雑誌を取り上げて見れば、若い女性の水着姿のグラビア集で
「大助!何が勉強だね。こんな下らない雑誌ばかり見ているから、何時も成績が上がらず、母さんを悲しまさせているんだ」
「もう~、あんたには、ほとほと呆れてしまったわ」
と言って雑誌を破りそうになったので、大助は慌てて
「姉ちゃん、それ友達から借りた本で破らないでくれよ」
と、ふて腐れながら抗議すると、彼女も
「あんたの友達は不良ばかりだはネ」
と叱りながら、雑誌を丸めて大助の頭をポンと二・三度叩き
「今度、また、こんな雑誌を借りてきたら姉ちゃんは、もう今後、あんたの言うことを聞いてやらないからネ」
と言いながら返してやった。
タマコは、大ちゃんが叱られている様子を見てビックリしていたが、一度は取組合の最中に、珠子姉ちゃんが大助の頭を拳骨で叩こうとしたとき、大ちゃんが頭をすくめたので空振りになり、その手がタマコが抱いている猫のタマの顔に当たり、驚いた猫のタマがギャァ~と鳴いて逃げ出し、また、仰向けにされた珠子のスカートの中から覗いた白いパンテイを見て
「珠子姉ちゃんも、わたしと同じ白のパンテイーなのネ」「同じでよかったヮ」
と、見ていた光景を素直に言い出したので、珠子も一瞬恥ずかしくなり顔を赤くして服装をなおした。
理恵子は、二階からその戯れを見ていて、幾ら兄弟でも自分には経験のない光景であり、心配になり庭に下りて行くと、珠子が大助に厳しい口調で
「わたしの言うことを聞いてくれなければ、夏休みに理恵子さんの田舎に連れて行かないわよ。それでもいいの?」
と言うと、大助は、毎年夏休みに家族揃って、理恵子さんの田舎に行き、川遊びや魚採りを楽しみにしているので、これは大変だと考えて仕方なく
「大体、用事ってなんだい?」
と渋々と姉に聞くと、珠子は
「あのネェ~、理恵子さんが靴を修理したいんだけど、わたしや、理恵子さんがミツワ靴店に持って行っても、あそこの頑固お爺さんは断るでしょう」
「そこで、大ちゃんからタマコちゃんに頼んで欲しいのよ、理恵子さんのためにお願いだわ」
と用件を説明すると、大助は、こと理恵子さんのことなら夏休みのこともあるし、何とかしなければと機嫌を直し、驚いて芝生にしゃがんだままのタマコに笑いながら話掛けた。
大助は、タマコに向かい
「お前、俺の何処がいいんだ」「手紙は、まだ、つかないぜ、本当に書いたのか?」
と聞くと、彼女は
「ワカ~ン ナ~イ。。。」「だけど、スキナンヤネェ~」
と、顔を少し紅潮させて俯き加減に、照れ隠しに関西便交じりで答え
「この言い方、TV見ていて覚えたの。面白いでしょう」
と言うので、大助は
「お前、大阪弁つかうんだナァ~」「そう~、言われると、やっぱりお前は可愛いゎ」
と答えると、彼女も嬉しそうにニッコリと笑みをこぼしたので、すかさず大助が靴の修理のことを話すと、彼女は
「お爺さんに、大ちゃんに頼まれたと言ってもいいの」「叱られても、ワタシ知らないわヨ」
と言いながら頼みを引き受けてくれた。
珠子が早速紙袋に入れた靴を持って来ると、タマコは大助の顔を眩しそうに見ながら機嫌よく受け取ってくれた。
大助にしてみれば、やっと商談が成立した安心感から彼女に愛想笑いをなげかけて髪を何度も優しく撫でてやった。
理恵子と珠子は、目的が適いホットして、二人で「タマコちゃん有難う」と言うと、大助は
「今日は、とんだ厄日だ!」
「タマが三匹揃うと、碌な事はないャ」「城家の惨酷物語第一章か!」
と呟くと、珠子とタマコちゃんが口を揃えて
「私達、猫とはちがうヮ」
と、またもや、文句を言ったので、大助は再び芝生に横たわり
「もう~疲れた」「早くどいてくれ」
と姉に言いつつ、タマコちゃんがくれたビスケットを二人で仲良く食べながら、手紙のことを話しあっていた。
理恵子は、部屋に戻ると珠子に対し
「貴女達、兄弟が羨ましいわ」「わたしにわ、望んでも適わぬことだけど・・」
と、溜め息混じりに言うと、珠子は理恵子の立場を思いやり
「いい様な、煩わしい様な気がするときもあるわ」
「大助が、近頃、色気ずいてきて、そのうえ勉強をおろそかにして遊びに夢中なり、一寸、心配の方が沢山あるわ・・」
と珠子なりに弟のことを心配していた。
珠子は、話しついでと考えて
「理恵子さん、織田君とゆう学生さんは、恋人なんでしょう?」
「貴女が来てから一度も顔を見せないわネ。母さんも不思議がっていたわ」
と、以前から気になっていることを聞くと、理恵子は
「時々、メールがあるけれども、彼はアルバイトが忙しくて、逢う時間がないのョ」
と返事をしていた。 珠子には、その姿が必死に寂しさを堪えている様に思えてならなかった。
初夏の香りを含んだ風が、庭の梢から柔らかく流れてきて心地よく肌に触れる土曜日の午後。
二階の自室で、理恵子と珠子は二人して髪型の雑誌のグラビヤ写真を見ながら互いの顔と似合う髪型の話を楽しげに語りあっていた。
理恵子は
「珠子さんは、わたしと同じように面長なので、やはり長い髪を自然に流しておいた方が似合うと思うわ」
「丸型の人は、思いきりカットして軽くカールした方が可愛いかもネ」
と、鏡に向かいしきりに髪をいじり試行していた。
話の途中、理恵子が今度の休日に一緒に上京した人達と逢うことになっているんだが、大事にしてきたパンプスの底が傷んでしまったので、これから近所のミツワ靴店に行って来たいと言い出したので、珠子は
「理恵ちゃん、あすこのお店は駄目ヨッ」
と反対した。
それと言うのも、以前、彼女が修理に行った際、職人のお爺さんに足元ばかりジロジロ見られたた挙句に、女物は修理しないと断られたことがあり、お爺さんは腕は確かだが頑固で女物は一切手にしないことで近所でも有名であることを教えてくれた。
珠子のそんな忠告を聞いて、理恵子は何処へ行けばよいのか思案していたら、珠子が見かねて
「アッ! そうだ、わたしに良い考えが思いついたゎ」
と言って立ち上がり窓から庭先を覗いたら、大助は陽光に暖められた芝生の上にユニホーム姿で腹這いになり熱心に雑誌を読んでいたのが目に入った。
珠子は声をかけようと思っている途端に、何時も遊びに来ているミツワ靴店の孫娘であるタマコが、本と小さい手提げ布袋を提げて
「大ちゃん、わたしも、隣に寝転んで本をよんでもいい?」
と言いながら、大助の隣にしゃがみこみ話かけると、大助が
「俺、いま難しい英語の勉強をしているので、話相手になってあげられないよっ」
と顔を見ることもなく、つれなく言うと、タマコが「それでも イイワァ~」と返事をして、大助の横に真似して腹這いになると、大助は
「タマちゃん、顔を隣り合わせると気が散るので、俺の足元の方に頭を向けてお互いに反対方向に並べばいいサ」
と言って笑ったら、タマコは大助の言うことを素直に聞いて互い違いに寝転ぶや、彼女は「大ちゃんの足、汗臭いワ」と言いながらも、本を読みはじめた。
すると暫くして、タマちゃんは、漫画の面白さに思わず声を上げて笑い出すと同時に、両足先を膝から上げてバタツカセていたところ、その片方の足が大助の後頭部に当たり、大助が「アッ! 痛ェッ~」と言いながら
「タマちゃんの大根足で殴られ、まるで、野球のバットでやられたみたいだゎ」
と、大袈裟に叫び声をだすと、タマちゃんもビックリして起き上がり
「大ちゃん、ゴメンナサイ~」「わたし、うっかり漫画の面白さに釣られて思わず足を上げてしまったのヨ」
と弁解して、大助に愛用の布袋からビスケットを取り出して「コレタベテェ~」と大助にあげていた。
タマコのお菓子を生垣から見ていたのか、隣家のシャム猫のタマも忍び足で二人のそばに近寄って来て、彼女の手先をみつめていたが、大助が猫の鼻ずらをつっついて
「お前も来たのか」「五月蝿いから向こうに行けッ」
と言うと、タマちゃんは猫を脇に抱えて
「大ちゃん、オンナノコに大根足なんて言うの失礼ョ」
「わたしの、スカートの中を覗いたでしょう。大ちゃんの、エッチッ~」
と、文句を言いながら、また、猫を小脇に抱えて元通りに寝そべって本を読みはじめた。
珠子は、二人のそんなあどけない仕草を見ていて、思わず微笑ましく笑いがこぼれてしまった。
珠子の笑いに誘われて、理恵子も一緒に並んで庭先を見たら、確かに二人が並んで寝転んでいるのが見えたが、二人が逆さまに行儀良くならんでいたが、フットそういえば先日文房具屋で大ちゃんに手紙の難題を押しつけていたタマちゃんであることを想いだし、二人の仲良しぶりに、タマコちゃんは大ちゃんに対し幼いながらも淡い初恋を感じているのかなぁ~。と、勝手に想像してしまった。
珠子は、暫く二人の様子を見ているうちに、大助は熱心に何の本を夢中になって読んでいるんだろうと思い
「大ちゃん、一寸、用事があるんだけれども頼まれてくれるぅ~」
と声をかけたところ、大助は素気ない声で
「いま、英語の勉強中でいやだぁ~」
と素っ気無く返事をして、顔を向け様ともしないので、彼女は勉強なんて言い訳で何か良からぬ本でも読んでいるんだろうか。と、直感して不審に思い階下に降りて廊下から芝生の庭を忍び足で大助に近寄ると、タマちゃんが先に気付き
「大ちゃん!姉ちゃんが来た~」
と叫んだので、大助は慌てて読んでいた雑誌を腹の下に隠し
「姉ちゃん、勉強中に邪魔しないでくれよぅ~」
と不機嫌な声で言うと、タマちゃんも
「大ちゃん、いま、難しい英語の勉強中なので、ソゥ~ットしておいてあげてェ~」
と、珠子に言って彼をかばっていた。