日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山と河にて (8)

2023年08月30日 02時57分35秒 | Weblog

 大助は、散歩から帰って居間で一休みしていると、眼光は鋭いが小太りで丸顔の、如何にも人の良さそうな好々爺の老医師であるお爺さんが、浴衣姿で風呂から上がって来て、大助を見るや
 「あぁ~、お帰り。先に入ったが、丁度いい湯加減なので、君も汗を流して来なさい」
と、風呂を勧めてくれたので、彼は遠慮なく素直に返事をして浴場に向かい、脱衣場で着衣を脱ぎかけていたところ、廊下に足音が聞こえたので、慌てて風呂場に飛び込んだが、案の定、美代子が脱衣場に入ってきて、曇りガラスの扉を少し開けて、彼を覗きみるなり
 「新しい下着を用意しておいたわ」
と言ったあと
 「アラッ! 大ちゃん、腕時計もお風呂に入れるつもり?」
と言って扉の隙間から、早く寄越しなさいと言わんばかりに、物をつかむ恰好をして白い手の掌を広げて差し出し、五本の指をヒクヒクと屈伸させていた。
 彼は浴槽を跨ぎかけた片足を戻し、時計をはずして彼女の掌に乗せて渡すと、五本の指が貝の様に硬く閉じるはずみに、彼の人差し指も一緒に掴みこんで、痛いほどギュット握りしめたので、彼は「イテテッ ハナシテクレ」と叫ぶと、彼女は「フフッ」と愉快そうに声を出して笑っていた。

 大助は、ガラス窓を透して見える竹林を見て、田舎は隣家から離れていて誰に気兼ねすることもなく気楽に入れて、いていいなあ~。と思いながら、足を伸ばしてのんびりした気分でいたところ、何時のまに忍び込んで来たのか、美代子が長い金髪を上に束ねてタオルで前結びの鉢巻をし、ブラジャーとタンパンを履いた裸同然の姿で、彼の後ろで腰を降ろし
 「お爺さんが、背中を流して来てあげなさいと言ったので・・」
と小声で言ったので、彼はビックリして振り返り
 「そんなこと、してくれなくてもいいよ」
と答えたが、彼女は本来の強気さを発揮して、彼の返事を無視し
 「駄目ょ。恥ずがらずにさせてょ。以前も シテアゲタデショウ」
と言い張り、肩を指先で突っき続けるので、彼も仕方なく浴槽からあがり椅子に腰掛けると、彼女は糸瓜にシャンプーをたっぷりとつけて洗いだしたが、力を込めて流しながら
 「随分、陽焼けしているわね、肩幅も広く、筋肉も鍛えられていて堅く、頑丈そうで頼もしいわ」
とブツブツ言っていたが、洗い終わると湯をかけて、肩をポンと叩き
 「前のほうも アラッテ アゲマショウ カ」
と、いたずらっぽく言ったので、彼は
 「余計なお世話だよ。自分でするからいいよ」」
と言いながら浴槽に飛び込んでしまった。 
 大助は、彼女が出てゆくと思いきや
 「わたしも、一緒にはいりたいわ」「ねぇ~ いいでしょう。後ろを見ないでよ」
と言いながら、さっさと隅に行き、身につけていたものを脱ぐと平然と彼の横に並んで入ってしまった。

 彼は、その素早い行動にあっけにとられ呆然としていたが、胸にタオルを当て、片腕を彼の腕に絡ませて寄り添ってきたので
   「女の子の癖に、大胆なことをするな」「裸の男を見て、突発性急性脳炎になったんじゃないのか?」
と照臭さを隠して言うと、彼女は
   「ナニ イッテイルノ ヨ」 「もう、大学生で子供ではないわ。裸同士の付き合いって言うけれど、わたし、真面目な気持ちなのよ」
   「大ちゃんが怪我で入院したとき、東京までお見舞いに行ったとき、君のオウジサマヲ テイネイニ アツカッテ オシッコヲ サセテアゲタコト 忘れてしまったの」
   「わたし、野原を散歩をしているとき、大ちゃんを心の底から真剣に愛しているんだゎ。と、自分の心がお友達としての線を超えていることに、はっきりと気ずいたゎ」 
と耳元で囁き、満足そうに、彼の足に沿わせて、長い足を伸ばして揃え  
   「こうして、一緒にお風呂に入りかったの」 「大ちゃんは、どうなの?」 「アラッ 胸毛もあるわ」
と言ってチョコット引張ったので、彼は「イテェ~ ヤメテクレ」と言って、彼女の手を払いのけ
  「ウ~ン それは君と一緒に入ることは悪い気もしないが、僕は成人した男だよ」
  「もし、僕が急性脳炎を発症して、肉食系の野獣に豹変したらどうする。怖いだろう」
と返事をしながら、本能の赴くままに彼女の胸に指先を触れたら、その手を払うこともなく、彼女は
  「大ちゃんに、そんな勇気があるかしら」 「高校時代から、何時の日かわ。と、ず~っと期待していたが、儚い夢で終わってしまったわ」
と澄ました顔をして言い、一寸間をおいて
 「わたし、今度こそ大ちゃんに、大人の女性としてお付き合いして欲しいの」
 「女性の口からこの様なことを話すなんて、はしたない女と思はないでね」
 「今、わたしの身辺には命をかける様な重大なことが起きているので死ぬほど苦しく悩んでいるの」
と一気に話しだしたので、大助は
 「風呂場でそんなことをいきなり言はれても、頭がのぼせて本気になって聞く気になれんわ」
 「全く、無茶苦茶な美代ちゃんには、かなわんよ」
と言って、浴槽から飛び出し脱衣場に逃げる様に行ったら、彼女も慌てて浴槽からあがり追い駆けてきて、バスタオルで身を覆いながら新しい下着を彼に手渡し  
 「この下着も、寅太君に頼んで用意してもらったの、大ちゃんが着ていたものは洗濯しておくわ」
と言いながら、大きな鏡の前に立ち、やっと聞き取れるほど小さい声で
  「ネェ~ ワタシ オトナノカラダニ ナッテイル ト オモウケレドモ ドウナノカシラ」 
と呟いて、無言でいる彼になおも絡み
  「わたしの裸体見てみたいでしょう?」
と言いながら、鏡の前でバスタオルの前を少し開いて鏡に映る裸体を、彼に見せようとしたので、彼は
 「イヤ~ ハナジガデソウ ダ」
と言ってチラット横目で鏡に映る姿を盗み見して、彼女の尻を軽く叩いて居間に行ってしまった。

 

 

 

 


 
 
 

 
 

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山と河にて (7)

2023年08月26日 03時18分54秒 | Weblog

 美代子は、長い髪をターバンで束ね、胸元にフリルのついた白い長袖のワイシャツに長めの黒いスカート姿で、紫色のソックスと白い運動靴を履いて、玄関先で、大助が出てくるのを、もどかしそうに自転車の脇に立って待っていた。
 大助が、スーツを脱ぎ、白いワイシャツと黒のズボン姿で彼女が用意してくれた運動靴を履いて外に出ると、彼女は新しい自転車を彼に渡たし
 「これ、大ちゃんが乗るために、朝、大急ぎで寅太君に頼んで貸してもらったの」
と言ってニコット笑い、二人揃って遊び慣れた裏山の方に向かった。
 途中、街の人達に会ったが、皆が、笑顔で軽く頭を下げて挨拶をしてくれたが、大助は、こんな素朴な人達の住む街がこよなく好きである。

 裏山のゆるい下り坂の農道にさしかかると、大助は自転車をこぐこともなく両足をたらして惰性で先になり進み、美代子も後に続いた。
 五月晴れで澄み渡った青空のもと、遥かに望む山脈の稜線がくっきりと浮かび、遠くの飯豊山脈の峰々の残雪も陽光に照り映えており、そよ風が心地よく頬を撫でる様に、音もなく静かに流れていった。
 細く、なだらかな段丘の道を行くと、青草の中にフキの若い葉が道端一杯に揃って覆っていた。やがて、道の脇に覆い被さる様に群れなして咲く菜の花畑が広がり、その先には、村人が手入れしたチューリップの赤・白・紫の花が整然と列をなして見事に咲き誇り、丘陵を塗りつぶす若い緑の草原には、所々、ヤマツツジの真紅な大きい花が咲いてた。
 大助は、都会では見られない燃えるような春の風景に心を奪われ、日頃の煩雑さを忘れさせてくれた。 

 牧場の近くに林立する白樺の並木道が、少し上り勾配になっており、大助の後ろについてきた美代子は
 「大ちゃん、そんなに急ぐこともないゎ。自転車を降りて歩きましょうよ~」
 「お話しも出来ないしつまんないわ」
と声をかけたので、二人は自転車から降りて白樺の小道を木漏れ日を縫うように自転車を曳いて並んで歩きだした。
 美代子は、大学生活や最近の村の様子等を取りとめもなく話しながら、爽やかな微風に心地よく吹かれて、彼と歩いているだけで、清々しい気分になり、時々、彼の健康的で清潔感に満ちた姿を見ては、彼の中に自然と心が吸い込まれていくようで、どうして、こんなにまでも、彼が好きなんだろう、これが恋愛小説で漠然と知っていた愛とゆうものかっしら・・。と思うと、幸福感で心が満ち溢れ、彼に巡り合えた幸せを、心の中でマリア様に感謝した。
 そして、どの様なことがあっても、彼なくしては生きてゆけない自分をはっきりと自覚した。
 大助は、美代子が電話で話したときの悲壮感と違い、元気よく溌溂とした様子に、彼女の話かけにも、とまどって、時々、フーンと答えて歩きながら、彼女とのめぐり逢いは自分でコントロールできない不思議なことだと考えていた。

 柵で仕切られた牧場には乳牛が3頭青草を食んでいたが、美代子が
 「おとなしくて可愛いわね」「診療所に来る飼い主のお爺さんも可愛いがって育てており、時々、搾りたての牛乳を持ってきてくださるの」
と彼に説明していたら大助は、またしてもフーンと返事しながら牛を手招きすると、人に慣れているのか、ゆっくりと二人の近くに寄って来たので、大助は独り言の様に
 「じゃ。僕もこの牛にお世話になっているんだ~」
 「君の家に来るたびに、ご馳走になる牛乳はとても美味しいわ」
と呟きながら額をなでてやったが、美代子が
 「大ちゃん、怖くないの?。牛も気持ち良さそうに静かにしているようだけど・・。指を噛まれない様に注意してよ」
と言って笑ったら、大助は美代子の顔を見てニヤット笑い返して、彼が悪戯するときの癖である、片目をパチパチとさせて
 「君が不機嫌なときに、突然、僕の脇腹を突っくよりよっぽど安心だわ」
と冗談を言って牛の鼻先を撫でていた。 乳牛も目を細め大助に親近感を寄せているようだった。
 美代子は、そんな大助の返事に少し嫉妬心をにじませて
 「そんな風に言はないでょ。わたしは、大ちゃんの話が脱線気味になったようなときに注意の意味で親切に合図しているつもりょ」
と答えて拗ねていた。

 牧場を離れて少し行くと、棚田に注ぐ小川に雪解け水が流れ落ちていたが、その脇には山吹の黄色い花が咲いていた。やがて小川に架かる木橋を渡ったら、先の方の草薮の中から明らかに寅太の声とわかる喋り声が聞こえてきて、やがて姿を見せたら、大声で
 「お~い、大助君。あの喧しい老先生も君が来たら機嫌がよいだろう」
と声をかけて足早に近寄ってきた。
 彼は相棒の介護施設に勤める同級生の三太と、村でも狩猟の名手と噂されている、お爺さんとの三人連れで、竹竿の先に山鳥一羽と野兎を一匹ずつぶら下げていた。
 寅太は笑いながら大助に
 「この連休には必ず美代ちゃんに逢いに来ると思っていたよ」
 「何しろ、美代ちゃんは君のことで頭が一杯で、大学の勉強どころでなく、時々、お爺さんに八つ当たりして、流石に老先生も手を焼いて俺に救援の電話をしてきて困っているわ」「なぁ、三太。そうだよな」
と彼に同調を強要する様に促していた。 美代子が少しすねた表情で
 「寅太君、先程は駅迄送迎してくれて有難う。でも、そんなに大袈裟な話をしないでよ。意地悪っ!」
と薄笑いを浮かべて話しを遮ったが、寅太はお構いなく 
 「この鳥と兎の肉を届けておくから、賄いの婆やさんに鍋にしてもらえよ。この時期、脂がのっていて旨いぞ~」
と言ったあと、ニヤット笑って
 「今晩、美代ちゃんを泣かさないでくれよ。近頃、いやに泣き虫になったようで、俺にはわからんが大きな悩みがあるんでないかなぁ-~?」
と、薄々知っている美代子の家庭内の騒動を知らぬ振りして、何時もの寅太らしく陽気な顔で
 「年頃で美人だから、人が放っておく訳ないしなぁ」「村の有志達も漏れてきた噂話に気を揉んで大変な騒ぎだよ」
と意味ありげに笑って言いたい放題喋っていた。
 大助は、寅太と三太に明日会う約束をして彼等と別れた。

 近くの草原の中程に芝生の原っぱが広がり、美代子が手を当てて乾いていることを確かめると
 「大ちゃん、此処で休んでゆきましょうよ」
と先になって腰を降ろしたので、彼もその隣に腰を降ろし足を投げ出し両手で身体を支えて、やや反り返る姿勢になり皐月晴れの空を見あげた。
 美代子も、最初は彼と同じ姿勢で足を揃えて伸ばし、濃く淡く折り重なる山々の稜線を見ていたが、大助が
 「あぁ~、空も澄んでいて、いい景色だなぁ~。こんなにしていると、日頃の厳しい生活もすっかり忘れてしまうわ」
と言うと、美代子も、彼に合わせるように
 「本当だわ。心が洗われるようで、いつも、こんな気持ちでいられれば幸せなんだけれどもね」
と、静かな声で答えた。
 美代子は小さなバックからレモンの香りがする飴玉を取り出すと大助に一つ渡し、自分も口にいれ、二人は語ることもなく景色を眺めていたが、そのうちに大助が、彼女のすっきりと伸びた健康的な脛を見ながら
 「大学生ともなると急に成長した様で、益々、大人の艶気をかもし出して、魅力的な足になったなぁ~」
とニコットして呟くと、美代子は急に膝を軽く立て、両手でスカートの裾を抑える様にして膝の下で手を組んで
 「イヤネ~、足ばかり見ないでよ。なにも変っていないゎ」
と言って、横崩しにしてスカートで足を隠してしまったが、彼はそんな仕草を見ていて可愛いなと思ったが、少し間をおいて
 「ところで、僕に大事な相談があるって言っていたけれど、なんの話なの?」
 「僕の貧弱な頭で理解出来ることなのかい。難問はご免だよ」
と聞くと、美代子は、黙って答えることもなく、甘える様に彼に寄りかかり頬を近ずけてきたので、大助は彼女の背中に片手を添えて口ずけをしたが、彼女はそれを待ち望んでいたのか、燃え盛る情熱をたぎらせて長く離れ様とせず、終わると、彼の左腕に両手を絡ませ、もたれかかる様に頬を寄せて
 「見慣れている景色でも、大ちゃんと眺めていると、随分、違って見えるものなのね」
 「こんな美しい景色の中で、君と二人だけでいられる、いまの幸せな気持ちを失いたくなく、つまらない愚痴を話す気になれないわ」
 「いまは、この景色の様に、大ちゃんと二人だけの美しい想い出を、心の中に沢山残しておきたいの」
と感傷的に沈んだ表情で答えたので、大助は
 「君らしくないなぁ~。大事な話があるって言っていて・・。いざとなったら中途半端な話なんて・・」
 「昨晩、珍しく、お袋と姉にも行ってきてあげなさい。と、強く言はれて僕なりに心配して飛んで来たのに・・」
 「例え、僕達にとって良い話でなくてもいいから話して欲しいな。 お袋や珠子姉の態度から判断して、例えどんな話になろうとも、僕なりに覚悟はして来たんだよ」
と、青草を摘み取っては放りなげながら、彼女に話しを続けるようにうながすと、美代子は顔を伏せながら元気なく小さい声で
 「家庭内の複雑なことなので・・。君にも多少関係あるかも知れないが・・。あとでお話するわ」
と言って、彼の胸に持たれかかるように顔を沈めたので、大助はそのまま抱き寄せ、久し振りに抱擁した彼女のしなやかな体と移り香に魅せられて、再び唇を合わせ、話を聞くことを止めてしまった。
 大助にしてみれば不吉な予感が残ったが、出発前に珠子姉から忠告されたことが頭をよぎったからである。
 美代子は、彼から離れると、そよ風に優しく揺れる長い金髪を、時々、手で押さえて、遠くに霞む山脈を指差し
 「あの山奥の渓流に、去年の夏、お爺さん達と釣りに行ったのよ。覚えているかしら」
 「もう、あんな楽しい山歩きは、わたし達二人には二度と訪れないわね」
 「なんだか、大人になるのが怖いみたいだゎ」
と、そのときのことを懐かしむ様に話したが、大助は、彼女の相談事を無理して深く聞くこともなく、ただ、鼻筋の通った細面の白いその横顔が、心なしか憂いを含んで寂しく映って見えた。

 二人は、帰り道に野イチゴを見つけては摘んで遊び、今度は美代子が先になり、ゆっくりと走りながら銀輪を光らせて、診療所に帰ってきた。
 美代子が、玄関先で帰りを告げると、お爺さんが頼んだのか、彼等の間柄を熟知して影で喜んでくれているいる、賄の小母さんが
 「お天気も良かったし、のんびりした牧場の風景もよかったでしょうね」
と笑顔で声をかけて迎えてくれ、お風呂の用意が出来ていると言ってくれた。
 
 
 

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山と河にて (6)

2023年08月23日 04時07分00秒 | Weblog

 珠子も、自分の恋愛経験から大助と美代子の心情を察して、母親の話に続いて
 「大ちゃん、母さんも言ってくれているのだし、この際、顔を見せてきてあげなさいよ」
と、大助の気持ちを後押したが、大助は返事もせずメールを何度も読み返していた。
 大助の態度に痺れを切らした珠子が
 「ねぇ~、どうするつもりなの」「美代ちゃんも、首を長くして待っているのに・・。男らしくしなさいよ」
 「彼女からのメールを見ると、わたしも切なくなるわ」
と話すと、大助は力なく
 「電話で様子を聞いてみようか。大学に進学して友達とのコミュニケーションで困っているのかなぁ」
と言って渋々受話器を取った。
 
 大助は、入学後、初めての休暇で帰宅したが、美代子に簡単な挨拶をしたあと、防大は起きてから寝るまで規則ずくめの生活で、通常の学習のほかに訓練もあり、耐え切れずに退学してゆく生徒も多く、君のことを考えている暇もないほどだよ。と、校内生活の厳しさを話し、続けて
 「こうして話していると久し振りに懐かしさが甦ってくるが・・」
と言ったあと少し躊躇いながら
 「言いずらいことだが、僕の本心を正直に話すと、去年の冬にお邪魔したとき、君のお父さんの視線が冷たく感じられたので、逢いたい気持ちは山々だけれども、訪ねることに気分が重いんだよ」
と話すと、彼女は大助の話を無視するかの様に
 「ねぇ~。そんなことを言わずに来てよ」
 「東京から帰宅後、色々なことがあり、わたし、気が狂いそうだわ」
 「お爺さんも、家族や診療所のことを考えあぐねて、端で見ていて気の毒なくらいで、大助君がいればなぁ。と、溜め息をついているわ」
 「ママは相変わらず自分の意見を言わず、お爺さんとパパの間で右往左往していて、山上先生も節子小母さんもパパを懸命になだめているが、パパにはさっぱり効き目が無く、わたし、この後どうなってしまうのかと心配で眠れないわ」
と催促に続いて、家庭内の事情を愚痴ったあと、気を取り直したかの様に
 「今、電話では詳しいことを、お話出来ないが、大ちゃんの言っていること、わたしにも察しがつくわ」
 「君には直接関係ないことだけれども、兎に角、わたしのことを巡って家の中が無茶苦茶なのょ」
 「この連休中、両親は京都の学会に出るため留守になるので、お爺さんと二人だけなので、そんな心配いらないわ。お爺さんも、もう大学生なので君に相談しろと言って聞かないのよ」
 「両親からは、お爺さんがいるので、わたしには、絶対に家をあけるなと、きつく言われているし、身動きできないし・・」
 「お爺さんも、君が訪ねてくることを待ちあぐねているのよ。見ていて可哀想なくらいだわ」
と、強い調子で催促しているうちに感情がこみ上げてきたのか声も細くなり涙声になったので、彼は話を聞いているうちに彼女が可哀想になり、確たる自信もないまま、意を決して
 「ヨシッ!判った。僕も学生の身分であり、顔を見せるだけで役にたたないかも知れんが、兎に角、明日、一番列車で必ず行くよ」
と静かに返事をして受話器を静かに置いた。

 会話を聞いていた珠子は、今までに大助が口に出したことがないことを話したので、二人の交際について、現実に難しい問題が起きているんだなと嫌な予感がした。
 母親の孝子は、やはり、節子さんが教えてくれた通りで、大助と医師の一人娘の交際は、何時かは、この様な時が訪れることだと、冷静に聞いていていたが、彼には「長い間お世話になったことだし、行ってあげなさい」と言ったきり何も言わなかった。

 新幹線から見る越後平野は、田植えが始まっており、遠くの山並みには残雪が春の陽光に照らされて輝いていた。
 家を出るとき、珠子から
 「恋愛は、山あり谷ありで、嬉しいことは少ないが、どんなことがあっても、彼女の心を傷つける様なことはしないでね」
と、強く言われたのが妙に頭にこびり付いて、碌に景色も眺めないうちに、美代子の住む街の駅に着いた。
 
 休日のためか乗降客も少なく、改札口を出て辺りを見渡すと、駅前に駐車中の紺色の乗用車の前で、美代子が手招きしており、その傍で体格のよい青年が背広姿で大助に向かって一礼していた。
 大助が、車に近寄ると美代子が傍らの青年について
 「同級生だった寅太君ですよ」「ホラッ、顔に見覚えがあるでしょう」
と紹介してくれ、彼は、一寸、間を置いて
 「あっ! 判った。覚えているよ。あまりに立派になったので・・。一瞬思い浮かなかったつたよ。ゴメン  ゴメンヨ」
と笑顔で返事をして手を差し伸べ握手して、互いに肩を軽く叩きあった。

 寅太は、中学時代、町では手のつけられない暴れん坊の三人組の頭で、中学生のとき、大助達が正月休みにスキーに来たとき喧嘩になり、健ちゃんから、死ぬんでないかと思うほど厳しく気合を入れられたことがあった。
 彼は、それを契機に心を入れ替え、中学卒業後は、街の老人施設の臨時として働いていたが、その後、中学で担任の教師が定年退職して、街で生活用品や農機具などの販売会社を作ると、その社員に雇われ、持ち前の体力と根性に加えて、顧客に対する愛嬌のよさを買われ、いまでは社長の信頼が厚く営業を一切負かされている、立派な青年になっていた。
 勿論、街の名士である診療所の老医師にも可愛いがられ、美代子が東京から帰郷後は、彼女の話し相手にもなり、健ちゃんにも、毎年、かかさず年賀状を出している几帳面さもある。

 寅太の運転する車で、雑談しているうちに診療所に着くと、玄関先で老医師が
 「やぁ~、よく来てくれた。必ず来てくれると思い待ちどうしかったよ」
と、笑いながら歓迎してくれ居間に案内してくれた。
 大助が、まだ短い期間でわあるが防大で躾けられた癖で、はきはきした言葉遣いで丁寧に挨拶すると、老医師は、彼のことをジ~ット見つめていて
 「大助君、見違えるほど鍛えられたな」「顔も日焼けしており、肩幅も張って、立派な軍人になれるわ」
と感心していたが、自分の若い時を想いだしてか
 「ワシも、君の年代のころ、旧医専を出て軍医になったが、不幸にも戦争に負けて俘虜となり、東南アジアから最後は英国に渡り勉強の末、医師となって日本に帰ることになったが、その頃のことが君の顔を見ていて懐かしく甦ったよ」
と目を細めて話をしてくれた。

 診療所の賄いの小母さんが用意してくれたお昼ご飯を三人で食べたが、食事中に美代子が
 「お爺さん、わたし達、お天気が素晴らしくよいので、これから、大ちゃんと牧場の方に散歩してくるわ」
と言うと、お爺さんは
 「それがいい。散歩しながら大助君に用件の粗筋を話してきなさい。お風呂も沸かしておくからな」
 「それと、大助君は、夕飯は肉か魚か、どっちにする。仕出し屋さんに頼んでおくから」
と上機嫌で言うので、彼は
 「お爺さん、そんなに気配りされると僕困ってしまいますよ」「美代ちゃんの用意する食事で充分です」
と遠慮して答えると、お爺さんは
 「いやいや、そんな訳にわゆかない」「ワシも久し振りに、心から喜べるお酒を飲みたいしな」
と言って、夕食を楽しみにしている様で、美代子が
 「大ちゃん、お爺さんの好きな様にさせてあげてよ」
と彼の手を引いて話を遮り、早く散歩に出ようと催促した。
  

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山と河にて (5)

2023年08月20日 04時30分35秒 | Weblog

 ”雨後の筍”と言う諺があるが、一夜の雨で、翌朝、驚くほど筍が伸びており、一週間も放っておくと孟宗の竹林が様相を一変している。
 若い人達も、これに負けず劣らず心身の成長が著しい。
 此処、飯豊山脈の麓にある町の風景も、5年もすると、各人の生活様式に合わせた廃家や転居それに新・増改築もあり、加えて、各家とも若年層の都会への流出と老齢化現象で、家族構成や職業事情等から変化する。
 ”栄枯衰勢”は、人の世の常であり、浮世の習いとわいえ”諸行無常”移ろい易いのはいなめず、すべてが様変わりしてゆく。

 人の年代を区別する表現に、季節の”春・夏・秋・冬”の言葉になぞらえて、”青春” ”朱陽” ”白秋”に”玄冬”の言葉があると聞いたことがある。
 この表現でいけば、白秋に近ずいた健太郎は、朱陽で燃え盛るような情熱と艶やかな体をしている妻の節子には、内心、癌を患ったことにより、必然的に体力の弱さもあり、これで妻を本当に幸せにできるのか。と、忸怩たるおもいで、日頃、ことあるたびに、自らの不甲斐なさに情けなくなり申し訳ない気持ちで心を痛めることがある。

 ”青春”の真っ盛りを、鮮やかに彩って過ごしている大助と、彼が好意を抱いている美代子,それに幼な馴染みの奈緒の身辺も、それぞれに、悲喜こもごも華やかな暦を刻んで、紆余曲折を経ながらも、高校とミッションスクールをつつがなく終えて3年の時の流れが、彼等を取り巻く人達とともに大きく変わって行った。

 大助は、春・夏の休みには決まって美代子の故郷を訪ねては、老医師や寅太達と山菜採りや渓流でのヤマメ釣りを楽しんでいた。 
 美代子は、週末の休みには健ちゃん達と町内会の運動会に積極的に参加して友好を深め、時には皆で湘南海岸で水泳をしたりして慣れぬ都会での高校時代を悔いなく過ごした。
 美代子は、プールでの得意の水泳では海自上がりの六助も伴走が精一杯で舌を巻くほど巧みであるが、海水浴での遠泳では波もあり六助には流石にかなわいが、それでも日焼けなど苦にせず、都内の高校水泳大会に選手として出たときは、健ちゃん達一同が応援に駆けつけ嬉がらせた。
 そんな美代子も、大助がレギュラーとして出場した高校野球大会では毎年予選一回戦落ちで落胆させられ、町内の慰労会で気落ちした彼を慰め、勝気な性格から悲憤でやるせない気持ちにもなったが、振り返れば親元を離れた寂しさや彼に対する根拠もない妬みで悩んで気持ちが落ち込んだときに、彼の何気ない一言で弱い心を鍛える夏を過ごしたことなど、今となっては懐かしい思い出となった。

 わけても、珠子から都会での生活や友達との交際に対する心構えや、大助との恋愛についての様々なアドバイスを受けて、理解ある態度で優しく接してもらったことや、最も悩んでいた奈緒との打ち解けた交際が稔り、女性三人で乙女峠や十国峠など箱根路を旅行したことが、彼女にとってはミッション・スクールでの厳しい戒律に縛られた学業を凌ぐほどに楽しく心に残った。
 彼女は、そんな体験から少しは都会のセンスを身につけ、帰郷したときには祖父の老医師や母親のキャサリンに対して学業や生活振りを自慢して話せる自信が心に漲り会話に弾みがついて祖父等を喜ばせた。
 彼女は、彼等の愉快で明るい理解ある態度に接して、差別に苦しんだ小・中学生時代を忘れさせるほど良い友達に恵まれたことを、日夜マリア様に感謝し益々信仰の念を深めた。
 勿論、その裏では大助の細かい心遣いがあったことは言うまでもない。

 大助は、高校の担任の薦めと自らの希望もあり、成績抜群な理工を勉強したく、京都大学工学部の受験勉強に余念がなかったが、受験練習のため卒業前に防衛大学の理工専攻を受験しておいたら合格の通知を貰っていた。
 ところが、そのあと、京大合格の知らせを聞いたとき、母親の孝子から、京都での生活と学費のことで
 「お父さんが生きておれば、お前に思う存分勉強してもらいたいが、珠子の結婚を控え、悲しいけれども、わたしの、稼ぎではとても無理だわ」
と、涙を浮かべて話されると、彼は「母さん、気にしないでくれよ」と逆に母を励まし、無理に笑顔を作っていた。 
 彼も家庭の経済的事情は充分に判っていたので、京大卒業後のことまで深く考えず、当面、生活と卒業後の就職を保証されている防衛大に進学することを決意した。入学前に見学した研究施設が整っていることも、彼の心を揺るぎないものにした。
 姉の珠子も、母親の正直な話を聞いていて「大ちゃん、御免ね」と言って頭を下げたが、弟が不憫でならなかった。

 「健ちゃん」と、皆から愛称で慕われ、今年から商店街の理事に就いた健太も、長い春を只管辛抱強く待ち、昨年の秋に、恋焦がれていた音楽教室のピアノ教師をしていて、ときたま、駅前の居酒屋にピアノを弾きに来る母子家庭の愛子と結婚したが、彼女には小学生の女の子がいたが、彼は勿論のこと奈緒も可愛がり、すっかりなついていた。
 その、健ちゃんが、大助が防大に進学すると聞いて、自衛官出身だけに人一倍喜んで、入学前の居酒屋での歓送会で、早くも「少尉殿、おめでとう御座います」と、自衛隊に入れば卒業後は自動的に3尉になる大助を冷やかしていた。
 その歓送会には、珠子に思いを寄せる昭二や海自出身の六助に混じって、孝子や珠子、それに愛子と奈緒の母親も同席していたが、孝子は喜びも半分といった面持ちで、愛子の薦めにも遠慮してカラオケを歌うこともなかった。
 健ちゃんは、皆と顔を合わせる度に祝福の言葉をかけられると、持ち前の性格で「将を射んとほっするればウマを射よ・・」とか「啼くまで待とう不如帰・・」と諺で誤魔化して、愛子の娘さんを可愛いがっていた。

 時の流れは速く
 大助が入学して以後、珠子のもとに美代子からメールが何度も送られてきて、珠子がその都度電話で、防衛大は規則が厳しく、外出泊は行き先や時間を届けねばならないと教えても、美代子は「兎に角、5月の連休には田舎に来て欲しい」と矢の催促をしてきた。
 大助が、入学後、初めての休暇で帰宅すると、珠子が保存していた美代子からのメールを見せて
 「連休後半には、前からの予定で群馬県の山に、健ちゃんや昭ちゃん達と行くことになっているが、大ちゃんは、どうするの?」 
と聞くと、彼は少しの間、何度もメールを読み返して考えこんでしまった。
 その姿を見て、母親の孝子が
 「大助、一泊でもいいから行ってきなさい」「中学から高校の間、お互いに家を行き来していて、親のわたしでも、羨ましくなるくらい仲良くしていたので、美代ちゃんの気持ちを思うと行ってあげるべきだわ」
と、彼が思案苦慮している様子を見かねて、美代子のところに行くことをすすめてくれた。

 珠子や大助の母親である孝子は、先輩で同郷の山上節子から、美代子がミッションスクールを卒業して帰郷したあと、地元の大学に進学したが、そのころ養父の正雄の希望で弟子の医師と見合いすることになっているらしい。と、彼女の家庭内の事情を聞かされていたが、誰にも話すことなく胸に秘めていた。
 孝子は、父親亡き後も明るく育ち、学業成績も担任教師から褒めらるほどよいのに、経済的理由で志望した大学への進学を諦めたうえに、更に、追い討ちをかける様な胸を痛めることが起きるかもしれないと思いつつも、大助が可哀想になり、二人の交際もこれで終わりになるのかも知れないと思い、例え最後となっても何時の日かは、人生でかけがいのない思い出が残れば・・。と考えて、二人を何とか逢わせてあげたいとゆう母性愛から話した。
 大助は、その様な母親の心遣いは露とも知らず、高校卒業を間近に控えた年の秋、美代子を訪ねて老医師と渓流釣りを楽しんだあとでの、夕食時、心なしか彼女の養父である外科医の正雄の冷たい視線が気になっており、美代子には逢いたいが、また、昨秋の様な雰囲気につつまれるのかと思うと気が重くなり、行くことを躊躇っていた。
 
 

 
 

 

 
 
 
 

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山と河にて (4)

2023年08月18日 03時44分06秒 | Weblog

 理恵子達が、久し振りに顔を合わせた江梨子の営業担当として培われた巧みな話しに乗せられて、彼女の近況報告を交えて賑やかにお喋りしているとき、裏庭の方で父の健太郎の笑い声が聞こえたので、節子が廊下に出てガラス戸越に庭を見ると、織田君と二人で池の囲い板を取りはずしながら、なにやら愉快そうに話あっている姿が見えた。

 節子は、座敷に戻り理恵子にソット耳打ちし「織田君が来ているわ」と告げると、理恵子の肩を江梨子がいたずらっぽく叩いて「ソ~レ 真打登場だ」と言って、彼女をからかったあと、皆が廊下に出て庭を見ると、織田君が作業着姿で健太郎と池を覗いていたので、理恵子は、ガラス戸を開けて大声で
 「織田く~ん、なによ声もかけてくれないで~」
と叫ぶと、彼は健太郎と揃って池を覗いたまま振り向くこともなく
 「お~ぅ!理恵子。いま、お袋から頼まれた配達を終わっての帰り道に、先生の姿を見かけたので、池の鯉を見ているんだが、どうやら二人とも鯉に嫌われたらしく、鯉が深みから出ようとしないんだ」
と答えたので、彼女は
 「嘘っ!本当は、わたしに逢いたくて来たんでしょう」
 「珍しい美人にあわせてあげるから、早く部屋に来なさいよ~」
と、嬉しさを隠すように返事をすると、彼は「家に帰ると、また、内弁慶か!」と苦笑いして答えていた。
 
 やがて織田君が座敷に顔を出すと、奈津子と江梨子が座り直して丁寧に挨拶したので、彼は
 「オヤオヤ 本当だ。美女がお揃いで花盛りだなぁ~」
 「部屋中が早春の香りでプンプンとによっているわ」
と笑いながら言うと、江梨子が、すかさず
 「織田先輩、女性にも賞味期限があるのよ。さっさと理恵ちゃんと一緒になりなさいよ」
 「それにしても、また、一段と体が大きくなり、理恵ちゃんを押し潰さないでよ」
と冗談混じりにジョークをまじえて冷やかすと、彼は
 「君もすっかり都会のレデイになり、小島君とは順調かな」「それとも、失恋して悩んでいるんかな」
と、笑いながら冗談で答えるや、理恵子が
 「まぁ~、失礼なことを!。皆さん、幸せだわ」「わたしだけ、中途半端で可哀想だと思わない・・」
と拗ねると、母親の節子が「なにを言っているの、それが我侭なのよ」と、たしなめていた。

 暫くして、奈津子達が帰ると、健太郎が節子に対しねだる様に
 「緋鯉がお帰りになったし、陽も暮れかけてきたので、餌をくれないかなぁ~」
と、お酒を催促すると、彼女は「おかしな真鯉ね」と言いながらも台所に立ち去ると理恵子もついて行き、厚揚げの焼き豆腐やレタスにチーズとハムの盛り合わせ等を二人で作り、節子は咄嗟のことにオドオドしている理恵子に
 「今日は暖かかったしビールのほうが良いと思うわ」「貴女、お酌してきてあげなさい」
と言って、冷えたビール瓶とジョッキーを御盆に載せて渡し、理恵子が座敷に運んでゆくと、なにが面白いのか廊下に響き渡る様に父と織田君の明るい笑い声が聞こえてきた。
 彼女はジョッキーにビールを注いでお酌してあげながら、彼に
 「何時来たの?、帰宅する前に、会いたかったけれども、年度末でお忙しいと思い連絡しなかったけれど、怒っている?」
と、小声で聞くと、彼は
 「夜行バスで今朝着いたんだ」「新潟に建築の打ち合わせ会議があり、二泊して明後日帰るよ」
と答え、続けて「いま、先生とも話していたところだが」と言ってビールを美味しそうにのみながら近況について
 「今年の秋頃、会社で新潟に支店を出すことになり、社長の計らいで自分も新潟に来ることになっている。
 大きい工事なので設計から完成まで10年位はかかり、その間、新潟勤務になるので自宅から通勤することになるが、お袋も喜んでいる」
と話してくれた。
 彼女は思いがけない話に嬉しさで胸が一杯になり、母親にも早く知らせようと台所に行き、織田君の話を知らせると、節子は冷静な表情で「そうなの、良かったわね」「たまには、お弁当を作ってあげるのよ」と返事をして「マスの塩焼きが出来たわ、持っていってあげなさい」と言ったが、彼女は、秋になれば織田君と毎日一緒に過ごせると思うと、嬉しさがこみ上げて来て涙で瞳がうるみ、母に顔を見られたくなく横を向いて、そっと涙を拭いチラット振りかえり母親を見ると、節子は微笑んでいたが、その笑顔を見て母の優しさが胸に染み、我慢していた涙が零れ落ちてしまった。

 節子は、そんな理恵子の様子を見ていて、自分の若き日を想いだし、乙女心は時を経ても変わりがないものだと、当時の母の気持ちを懐かしく偲び
 「いいわ、母さんが運んでくるから」「貴女、顔をなおして来なさいね」
と言ってくれたので、彼女は化粧を直して座敷に行くと、父は上機嫌で織田君に「そうなれば、君のお母さんとも色々今後の事について相談しなければならんな」と、二人の結納から結婚式のことまでの段取りを、勝手に話していたが、織田君も「お袋も、先生にお任せする方がよい」と言っていると答えていた。
 傍らで話しを聞いていた節子は、健太郎の顔をみて
 「貴方、そんなに急がなくても・・」
 「織田君のお母様の老後の生活のこともお聞きし、私達の老後も考えて、話を進めることにしましょうよ」
と、如何にも彼女らしく慎重な考えを話し、続けて
 「織田君は、もう、立派な大人ですけど、理恵子はこれから研修の身ですし、それに、まだ子供ぽさが抜けていないし・・」
 「わたしも、母親としてそれなりに家事等教えなければならないことが沢山ありますから」
と愚痴をまじえて言ったあと、俯いてエプロンの端を摘みながら顔を曇らせ呟くように
 「それに、理恵子達には私達の様に不器用に人生の春を過ごして欲しくないし・・」
と言うと、健太郎は若き日を想いだして苦い顔をしていたが、織田君は屈託なく
 「そんなこと、心配しないで下さい。自分達できちんと御面倒をみさせて戴きますので」
 「それに、理恵子も、いざとなれば、火事場の馬鹿力で頑張りますよ」
と言うと、それまで、俯いていた理恵子も彼の一言にビックリして顔を上げ「まぁ~」と否定的な声を出したが、彼の自信溢れる豪快な笑い声に圧倒され、逆に、おおらかな個性に頼もしさを感じて、将来、どんなことがあっても絶対に彼に従って行こうと思った。

 織田君が帰るとき、理恵子は母親に「お宮様まで送ってくるゎ」と言って外にでると、朧月夜で、彼女は自転車を引く彼の腕に縋って歩きながら
 「この道は貴方と何度も歩いたが、そんなとき、何時かは貴方と一緒になれる日が必ず訪れることを、いつも夢見ていたゎ」
と、彼に甘えて囁き、薄くらい神社の境内に来ると、彼の太く逞しい腕に抱かれて熱いキスを交わし別れた。 
 少し歩いて振り向くと、彼の姿が杉の大木の間から漏れる月の光に蒼い影となって映りだされ、やがて音もなく闇に消えていった。
 
 
 
 

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山と河にて (3)

2023年08月16日 03時46分59秒 | Weblog

 健太郎と理恵子が帰宅すると、節子は庭先で慣れない手付きでスコップを手に残雪を取り除いていたが、二人を見ると居間に入りお茶を入れて一休みした。
 理恵子が「お墓も、美容院のお部屋も手入れされており綺麗だったわ」と母親に話していると、彼は「よしっ、ついでに池の周りを片付けてこようか」と言って裏庭に出て行った。
 二人になると、理恵子が
 「お父さんの後ろ姿を見ていて、一寸、老けてきた様に思え寂しく感じたわ。体調は大丈夫なの?」
と聞くと、節子は
 「そうかね。毎日一緒にいると、わたしには気ずかないが、そうかしら?」
 「わたしも、その様に見えるのかしら」
と言って、笑みを零し手で髪をなでていた。
 暫くして、庭に面した廊下のところで、健太郎が「お~い、マスを救っておいたので、塩焼きにしてくれ」と叫んだので、理恵子がバケツを持ってゆくと「鯉は、水が冷たいので深みで動かないわ」と、魚好きの健太郎らしく池を覗き見るようにして魚の様子を話していた。

 そんなとき、江梨子と奈津子の二人が突然訪れて来た。
 彼女等は、高校卒業後理恵子と一緒に上京し、それぞれの道に進んだ同級生で、上京後も機会をみては顔を合わせて、近況を話あって互いに励ましあいホームシックを癒していたいた仲である。
 理恵子は思いがけない来客に嬉しさのあまり大声を上げて喜び歓迎したところ、奥の部屋にいた節子も声を聞きつけて顔を覗かせ笑顔で座敷に招きいれた。
 広い座敷に案内され、上品な漆塗りで花鳥模様のテーブルを囲んで三人が座ると、節子は「東京では、理恵子が大変お世話になりまして・・」と丁寧に挨拶をしたあと、茶果を用意するため座をはずした。
 江梨子は、黒のスーツとスカート姿で、すっかり都会のOLが似合った格好で、髪も綺麗にカールされて美容院に寄って来たことが理恵子には直ぐに判った。
 それに比べて、まだ、医学部看護科3年生の奈津子は、少し濃い紺色のスーツと茶色のスカート姿であった。
 奈津子は、三人の中では高校時代から彼女等のリード役であったが、理恵子の目には何か悩みを抱えている様で元気なく見えた。
 理恵子が、江梨子に対し
 「上京するときは、貴女が一番おとなしく見えたが、今では逆に貴女がわたし達の先頭を歩んでいる様だわ」
と言うと、江梨子は「そうかしら、私にも、それなりに悩みはあるのよ」と、如何にも営業マンらしく、普段の生活振りをよどみなく面白可笑しく語り始めた。

 江梨子は、東京に本社がある精密機械会社に、社長の姉で筆頭株主である母親の紹介で、母親や妹にも好かれている同級生で、高校時代から恋愛していた小島君と一緒に同じ会社に入社した。
 彼女は、上京前から、母親からことあるたびに
 「早く結婚して孫の顔を見せておくれ。この歳になると、孫の子守が楽しみで生きている様なもんだ」
 「近所でも皆が寄るとさわると孫の自慢話で、そんな話の中にいると、自分の生き方が間違っていたのかと思うと悲しくなってしまうわ」
 「達夫(社長で母親の弟)の話しなんて、田舎に隠居同然のわたしには、会社のことなんて関係なく改めて聞きたくもないわ」
 「友子(江梨子の妹)なんて、お前より進んでいて、後がつかえているから、お前達に早く結婚しろって文句ばかり言っていてるわ」
と強く言われて上京し、叔父の会社に就職したが、小島君が会社の規定で寮生活を経て、おそらく母親の指図と思うが、社長の計らいで、奥さんを亡くして独居生活をしている専務さんの家で、今年になり、やっと念願叶い小島君と共同生活をする様になった。 と、江梨子の近況話が盛り上がったところで、すかさず好きでたまらない小島君のことについて
 「幸い、彼は機械の設計が好きで、仕事の上では心配ないが、肝心の夜の生活は、まだ、君の将来に責任が持てないと理屈を並べて応ぜず、そのくせ私の身体には凄い興味を示すが行動が伴わず、そのため、まだ、生娘なのよ」「信じられないでしょうね」
 「同級生と言うのは、お互いを知りすぎていることと、同じ歳とゆうことで、どうしても生活面で女性のほうが優位で、遊びは別として、家族が望む通りにならないわ」
 そのため、母親から「お前が意気地なしだからだ」と、顔を合わせる度に文句を言われているが。と、散々愚痴ったあと、続けて、日頃のうっぷんを這い出すように

 それでも、社長さんの奥さんは2号さんあがりだが、品川で小料理店を経営しており、とても優しく思いやりのある人なので、わたしが、小島君と口争いしたとき気晴らしに遊びに行くと、奥さんは
 いまの社会は、価値観も昔と随分と変わってしまい、女性も身体で尽くすよりも心で尽くす時代になり、大坂や札幌などへ出張したとき、これはと思う人と巡りあい誘われたとき、自分の責任で不倫するのも勉強よ。でも、本気にならないことよ。でも、こんな大人の遊びは純情な貴女には難しいけれどもね。と言ってフフッと笑い、冗談とはいえ怪しげなことを言って笑わせ、帰り際にお小遣いをポント気前よく呉れたりして、面白い方なのよ。
 わたしが、遠慮すると「いいのよ、今度、主人が威張って部下を連れてきたとき、その分上乗せしておくから」と言い、苦労人らしく「主人に何を言われようとも気にせず、人生、最後の止まり木であるし、一生懸命に尽くしているわ」と言って慰めてくれ、私も、興味半分に聞き留めておくだけで、とても本気になれなわ。
と、エピソードをまじえて面白可笑しく話して、理恵子達を笑わせていた。

 節子がお菓子を運んできて紅茶を入れて差し出したあと、話の間合いに奈津子の隣に座り、彼女のケーキの食べ方を見ていて小さい声で「貴女、若しかして、おめでたではないの?」と静かにたずねると、奈津子は「はい、先月から生理がなく、わたしも、そうなのかしら」と自信なさそうに答え「まだ、学生なので、同棲していても、避妊には日頃注意していたんですけれど・・」と、すでに自分達の関係については知っている節子に対し躊躇うことなく素直に、高校時代から交際していた先輩の医学部生との生活を、正直に話し「若し、本当に妊娠していたら、休学して生むつもりです」と、彼女らしく強気で答えていた。

 上京後、理恵子と江梨子が、彼女の部屋を訪ねたとき、まるで新婚生活の様に調度品が整っており、毎週末には彼氏が訪れていたことを、彼女の話から知らされていたので、二人は彼女の話を聞いても格別驚かず、江梨子は「羨ましいわ」と、自分の身に置き換えて言うと、節子が笑いながらも奈津子に諭す様に
 「そうね、今が大事なときなので、安定期に入るまで、日常生活で無理をしないことね」
と、看護師らしく優しく助言をし、続いて理恵子の顔をチラット見て鋭い眼差しで
 「貴女は、どうなのかしら?」
と、婚前交渉は認めませんよと言わんばかりに厳しい目で見つめた。 

 理恵子は、江梨子とは反対に、美容学校に通学するため上京して、節子と同郷の城孝子方に下宿していたとき、織田君のところに訪ねて初体験をして夜遅く帰宅した際、それとなく珠子さんに気ずかれ告白したことがあり、信頼していた彼女から孝子小母さんを通じて母親にコッソリ知らされているのかしら。と、瞬時に思い、内心、母親に対し隠し事をしていることに罪悪感を覚え、俯いて紅茶のカップをいじり廻し黙っていた。
 
 

 
 

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山と河にて (2)

2023年08月14日 03時02分47秒 | Weblog

  春の彼岸前。飯豊山脈の麓に佇む静かな町の残雪も、木陰や道端に残すほかは、すっかり溶けて跡形もなくなり、久し振りに穏やかに晴れわたった小春日和である。 朝食後、節子が花束と布袋を出して健太郎に渡したたあと、理恵子に
 「今日は、お父さんと二人で秋子母さんと律子さん(健太郎の先妻)のお墓にお参りに行ってきなさいね」
 「無事、卒業出来ましたと丁寧にお礼を言ってくるのよ」
と告げたので、彼女は
 「お母さん、私に言ってくれれば、お花くらい買いに行ってきたのに・・」
と答えると、節子は
 「いいのよ。朝、あなた達が散歩に出掛けたあと求めて来たのよ」「わたしの、気持ちをもこめてあるのよ」
と、さりげなく言うので、彼女は母親の花に託した故人の追憶と思いやりのある心の優しさを改めて思い知らされた。
 理恵子は、節子が用意してくれた、お墓掃除用にと渡してくれたバケツとタオルを持ち、ポチを連れて健太郎と玄関を出ようとしたところ、節子は昨晩予め打ち合わせていたのか、健太郎に
 「帰りに美容院に寄り、お部屋を見てきてね、忘れないでよ」
と念を押していた。

 お墓に向かう道すがら、理恵子は父親の健太郎に
 「美容師さんに、これからのことについて、御挨拶しなければいけないんでしょう」
と聞くと、彼は澄ました顔つきでボソットした声で
 「近いうちに家にお招きして、正式に師弟の挨拶をすると、節子が言っていたので任せておけばいいさ」
 「節子は、そおゆう点なかなか律義な人だからな」
と返事をしていた。
 理恵子は、父親は相変わらず淡白で、全て母親任せなんだなぁ。と思い、横顔を見ていて、恋人の織田君に似た些細なことに気を使わない呑気なところがあり、父の様子が織田君と重なって映り微笑ましく思えた。

 街外れの飯豊山を望む小高い丘の上に、松や杉の樹木に囲まれて菩提寺の檀徒のお墓が並んでおり、その中ほどの広い墓地が、石垣の上に六体地蔵の石仏が立ち並んで、先祖代々の数基のお墓が囲堯されて並んでおり、歴史を偲ばさせる山上家の墓地であるる。
 中央に建立された五輪塔の周りの雑草が刈り取られており、正面左側に自然石で建立された健太郎の亡父母のお墓があり、その後ろに少し間隔をおいて、健太郎の亡妻である律子と理恵子の亡母である秋子の戒名が刻字された黒御影石のお墓が並んでいた。
 健太郎が学生時代父や住職から聞いた記憶では、山上家は真言宗で菩提寺とは縁が深く、そのためか、墓石に刻まれた建立年を見ると江戸時代以降一代一基となっている。が、現代にはそぐわない墓地である。 
 
 理恵子が墓地を見廻して
 「お父さん、案外、綺麗に清掃されているわ」
と呟くと、健太郎は
 「うん、雪が消えたあと、母さんと掃除に来たばかりだからね」
と小声で返事をした後、近くの小川から水を汲んできて「さぁ~、拭いてあげよう」と言って、二人で無言で父母と律子それに秋子の墓を拭いたあと、健太郎は墓地の入口に設けられている燭台に用意してきた蝋燭と線香を立てマッチで火をつけて燈すと、片手に持った小さい鐘を叩きながら般若心経を唱えはじめた。
 理恵子は、父親の背後に立ち、渡された数珠を手にして目を閉じ、亡き実母の面影を偲びつつ、朗々とした声で読経するのを意味もわからずに聞きいっていたが、その間に何気なく墓地の片隅に大きく育ったコブシの木に目を移し、亡母がこよなく好んで健太郎に小言を言いながらも三人で植樹した小学生当時を想いだし、小さい蕾に亡母の面影を懐かしく偲んでいた。

 健太郎は読経を終えると、二つのお墓の前に僅かに空き地となっているところを指差して、理恵子に
 「山上家は、真言宗で菩提寺の檀家総代でもあり、理由はよく判らないが、一代一基なんだけれど、わたしは、その様な時代遅れの慣習を捨てて、節子と一緒の墓を建立するつもりだよ」
と話すと、石垣に腰を降ろし、遠くの残雪を頂いた山々を眺望しながら、遠景に自分の気持ちを重ねるかの様に、若き日を想いだしてか気分良さそうにボソボソとした独り言の様に
 「若い時、節子と一緒になれなかったのは、この先祖のお墓を守るため意に反して転勤したためで、あんたには、こんな古臭く現代にはそぐわない話しは理解できないだろうね」
 「昔は、この地方では家継ぎの長男は、そんな風習を当たり前のことと思っていたんだよ」
と言ってニコット笑みを零していた。

 健太郎は、理恵子がその様な価値観の変遷を、理解しようがしまいが、自分に言い聞かせる様に言いながら、彼女に遠慮気味にポケットからそろりとタバコを取り出し燻らすと、それまで墓地内を遊びまわっていたポチが彼の前に飛んで来て、けたたましく吠えたので彼女はビックリしてポチの首輪を取って抱き寄せたが、ポチは怒りが治まらないのか、彼女の膝に抱かれたまま、健太郎に向かい喉を鳴らしていた。
 彼はポチの頭を軽く叩き美味しそうに紫煙をくゆらし「母さんには内緒だよ」と呟いたので、理恵子が困った顔をして
 「幾ら内緒だといっても衣服にニコチンの臭いがつき隠せないわょ」
 「節子母さんから聞かれても、わたしは否定も肯定もしないわょ」
 「でも、母さんに嘘をつくのも嫌だし、まるで、言い訳を聞かない子供の様で、わたし困るゎ」
と答えると、健太郎はフフンと苦笑いして
 「近頃、母さんに躾けられたのか、ポヂもやたら五月蝿く吠えるんだよなぁ」
と呟き、健太郎がタバコを吸い終え石垣でもみ消しして捨てると、ポチは彼女の手を勢いよく飛び出し、吸殻を前足で蹴散らしていた。
 彼はそんなポチの仕草を見ながら
 「あんたの母さんは、律子が病弱のため、秋になると越冬用の漬物の大根や野沢菜等の野菜を洗いに来てくれていたもんだよ」
と当時を懐かしむ様に話すと、彼女は
 「わたし、その頃、小学2年生だったかもね。でも、よく覚えているゎ」
 「わたし、律子小母さんにピアノを教えてもらっていたが、律子小母さんは、秋子母さんの妹かとばかり思っていたゎ」
 「その頃の父さんは、秋子母さんに御飯を用意してもらったり、家の中が汚れていると、しょうちゅう小言を言われていたこともね・・」
と返事していたが、健太郎は彼女の返事に答えることもなく
 「秋子母さんのお墓は、秋子さんが亡くなる前に、この墓地は自分に縁もゆかりもないけれど、先生や律子さんと親しくさせていただいたので、この墓地に葬ってほしゎ。と、遺言めいたことを言われていたので、その希望を叶えてあげたく、お寺さんや親族等関係者にお願いして建立したんだよ」
と、先妻の律子のお墓の隣に並んで建つ秋子さんの黒御影のお墓を建立した経緯を指差して静かな声で説明していた。

 理恵子は、自分が上京していた3年の間に、健太郎の髪が白さを増したのは仕方ないと思ったが、健太郎の後ろ姿が少し痩せ細り心なしか肩が下がったよう見え、話の内容も遠く過ぎ去ったことで格別答えることもなく、それより頬髯までが白さを増しているのが気になり
 「お父さん、髯は毎朝手入れしたほうがよいゎ」「母さんに何時も無精髯はみっともないと言われているでしょうに・・」
と言うと、健太郎は、弱々しい声で
 「そうか、お前も美容師になり細かいことまで気がつく様になったね」
 「これから先、わたしの身だしなみについて、節子の様に喧しくなるのかなぁ」
と独り言のように呟いていた。
 理恵子は
 「そんなことないゎ。だけど、お父さんの健康のためにもタバコを喫煙することだけは、母さんの言うことを真面目に聞いてね」
と、小声で言いながら、山上家の墓地に沢山並んでいる古いお墓を見て、随分、長い歴史があるんだなぁ。何時かは家の歴史を聞いて覚えておくのも、山上家の子孫となった以上、自分の務めだなとしみじみと考えた。
 それにしても、健太郎が想像していた以上に歳老いたように見えて、チョッピリ寂しさを覚えた。
 彼女は、何時の日かは亡き母の故郷である秋田に節子さんと訪ねて、亡き母が若き日をどの様に過ごしたのかと聞いてみようと思うと、急に実母への懐かしさが募り胸をつまらせた。

 帰途、美容院に立ち寄り、先輩の美容師さん二人に丁寧に頭を下げて
 「やっと、お陰様で卒業してきましたが、これかは、先生の教えに従い一生懸命に勉強に励みますので、何卒御指導を宜しくお願い致します」
と型通りに挨拶すると、年長の美容師さんが
 「いやねぇ~、理恵子ちゃん、そんなに仰々しく挨拶されると恥ずかしいわ。ここは貴女の家よ」
と言って笑ったあと
 「理恵子ちゃんも、ちょっと見ない間に、すっかり綺麗な娘さんになったわね」
と返事をしてくれたので、理恵子も緊張がほぐれたが、傍らから健太郎が
 「いずれ節子が正式に御挨拶しますので・・」
と一言口添えしてくれた。
 挨拶を終えて二階の部屋を覗いたら、昔のまま、家具が置かれ綺麗に掃除されていたので、鴨居に飾られた亡き母の写真に手を合わせたあと、彼女は思わず
 「まぁ~、懐かしいわ。どなたが掃除してくれていたのかしら」
と呟くと、健太郎が「節子が、毎週していたんだよ」と言ったあと
 「隣の洋室を見てごらん。いずれ結婚したら此処を好きな様に改造して、生活をエンジョイするんだね」  
 「東向きだし、ベットを並べて置いて寝室にするといいんでないかなぁ~」
と、勝手なことを言うので、彼女は
 「お父さん、想像逞しくして、そんなことを言わないでよ」
と、少し顔を赤らめて恥ずかしそうに返事をしていた。

 帰り道の途中で、健太郎が
 「ところで、織田君とはどの様な話になっているんかね。間違いなく一緒になるんだろうな」
 「彼は、東京で仕事のため、遠距離恋愛か。なにかと大変だなぁ」
 「そう言えば、診療所の美代子さんも、あんたが下宿していた城さんの中学生である大助君と親しくなり、そのため、なにかにつけ、時々、大騒ぎするらしく、老先生も孫娘をどの様に指導したらよいかと困って相談にきたよ」
と言ったので、彼女は
 「大助君は勉強も良くできるし明るい性格なので好青年だけれど、片親だけに姉が案外神経を遣い、彼の生活態度に喧しく、また、美代子さんも一人娘で診療所では大事な人なので、しかも日本籍とはいえ外人さんであるだけに、二人が将来悲しい思いで心に傷を残すようにならなければよいがと、周囲の人達が気を揉んでいるわ」
 「最も、二人とも中学生で若いため、そんな周囲の心配を気にかけず気楽に交際しているようだが・・」
と簡単に説明したあと、思いきって
 「わたし達、もう、とっくに恋愛は卒業したゎ」
 「お父さん、隠さずにお話するけれど、私達、もう、結婚を前提に肌を合わせているのよ」
 「驚いたでしょう。絶対に秘密にしておいてよ」
と正直に恋人の織田君との関係を告白した。
 健太郎は、彼女の意外な話に一寸戸惑ったのか、暫し沈黙していたが、気を取り直したかの様に、弱々しく息を吐く様に
 「そうかぁ~。でも、母さんには言わない方がいいと思うな」
 「けれども、何時だったか、節子は母親の勘とゆうのか、すでに見抜いているようなことを言っていたなぁ」
と、心なしか寂しそうな表情を漂わせて小さな声で答え、更に
 「何しろ節子母さんは、今の若い人達とは倫理観が違い、式を挙げるまでは、その様なことを絶対に認めない主義だからなぁ~」
と言ったので、彼女は毅然とした態度で
 「判っているゎ」「でも、私達は決して不道徳なことをしていないことだけは信じてね」
と、健太郎の腕に縋り付いて理解を求めた。
 
 
 

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山と河にて (1)

2023年08月08日 03時32分18秒 | Weblog

 雪深い山里の春の訪れは、厳しい寒気に耐えて咲いていた雪椿に続いて、雪解けを待ちかねていたように可憐な顔を覗かせる黄色い水仙と梅の蕾が、ゆっくりと流れる時にあわせて知らされる。 また、そのころになると遠くの山並みの色合いが変化してゆく風景の中でも自然と知らせてくれる。
 この時期、健太郎は家や庭木の雪囲いをかたずけたり、ときたま、朝早く起きて池の鯉に餌をまきながら話しかける生活の始まりは、年々歳々、変わることもないが、季節の巡り変わりに、ふと気ずくとき、時は確実に流れて我が身も年輪を重ねていることに思いをいたす。

 山上健太郎と妻の節子夫婦は、夕食後の団欒の際、お互いに
 「貴方の髪の毛も山の残雪のように、最近、大分白さが増してきましたね。でも、艶があるので、とても健康的で素敵だわ」
 「そうかね。君も前髪に銀髪が少し見えるようになってきたが、髪が濃いので気品があっていいよ」
とたあいもない雑談をしながら、彼女は照隠しにクスッと笑い 
 「アラッ!貴方にしては珍しいお世辞ね。でも、その様に言われると嬉しい気持ちと、お互いに知らぬ間に歳をとったと、少しばかり寂しい気持ちにもなるわねえ」
と、言い合いながら仲睦まじく、日々変わることなく生涯学習の講師と町の診療所の看護師をして過ごしている。

 健太郎の髪の白さは、抗癌剤の副作用もあるかもしれないが、ふさふさとしているので、歳相応に見える。 
 節子は、元来が細身で柔らかそうな餅肌の色白であり、かいま見せる目尻の皺を除けば肌の張りもよく、出産の経験がないためか、40代後半の実年齢に比べて遥かに若く見える。
 そのため折りある度に、同僚の看護師や近隣の主婦達から
 「流石に秋田の女性は、お相撲さんの大鵬親方の様に肌が白く綺麗だわ」
と、彼女の控えめで静かな性格もあって羨ましがられている。
  その一方、長い間、大学病院等で看護師として外科で手術の仕事に携わってきたため、自然と職業的に培われた精神的な芯の強さも秘めている。
 そのため、街の診療所の老医師と院長の正雄や妻で薬剤師をしているイギリス人のキャサリンからも信頼され、わけても都会から移転後日も浅く田舎街の習慣になれないキャサリンからは、日常生活や娘の美代子の教育について相談相手になり頼られていた。

 健太郎との二人にとって唯一の楽しみは、養女の理恵子を都会に送り出して3度目の春を迎え、彼女が美容師となって帰る日を心待ちにして過ごしていることだ。 
 二人は静かな日々を過ごしながらも、節子は胃がんの手術を経験している健太郎の体調管理には人一倍神経を使い、日々、さりげなく気遣うことを怠らないでいた。

 
 暖かい春の風がそよ吹き、小高い丘のコブシが白い花びらを開き、庭の桜が蕾をほころびはじめた頃、21歳になった理恵子が東京の美容学校を卒業して元気よく帰って来た。
 二人きりでの生活では、もてあましていた広い旧家にも、彼女の若さ溢れる賑やかな声が絶えず聞こえる様になり、愛犬のポチも彼女にしきりに甘えて絡みついて騒ぎ、家の中に精気が漲ってきた。
 理恵子は、亡母の秋子が残してくれた美容院で、これからは、実務を引き受けてくれていた美容師さん二人に従い、資格試験を受験するための研修を彼女等から受けることになっている。
 研修場所は、幸い養女となるまで中学生として過ごした家でもあり、師匠になる美容師さん達とも顔馴染みで気心が通じており、それに、養父母とはいえ健太郎達と毎日一緒に過ごせることが何よりも嬉かった。

 理恵子は、帰宅後何日か過ごした夕食時に、ポチが膝に首を乗せて離れようとしないので
 「あなたも、お父さんの髪の様に白さがましたわね」
と言いながら焼き魚の切り身を与えていたところ、健太郎が少量の晩酌に酔いも手伝い、遂、彼等夫婦には禁句となっていることを忘れて、理恵子の話に攣られて軽口のつもりで
 「今年は、ポチにも赤ちゃんを生ませてあげようと思うんだけど・・」
と口走った途端に、節子が箸を止めて、小声で
 「貴方、何をいっているのよ」「その様な思いやりを、私が嫁いだときにかけて下されば、今頃、私にも中学校に通う子供がいたかもよ」
と、冗談とも愚痴ともつかぬことを、寂しそうにぽっんと漏らし、続けて何時もの口癖で
 「貴方は、本当に女性の心理に疎いのですから・・」「今の理恵子なら、私の気持ち判ってくれるでしょう」
と呟いて軽く笑った。

 節子は、めったに口にすることはないが、時折、自分が育った秋田の実家で高校3年生のとき、自宅に下宿して共に暮らし、自分の担任でもあった健太郎が、将来は自分達が一緒になることを両親も期待し、彼女もその様になるものと淡い夢を抱き、内心秘かに思慕していたが、彼女が高校卒業の春、教師とゆう職業の宿命で故郷である新潟に転勤となり、それを転機に傷心を忘れ去ろうと決心して上京し、専門学校を経て看護師となり、それ以後、自然と音沙汰が遠くなり、風の便りで彼が地元で結婚したと聞いて、すっかり彼との結婚を諦めていた。
 その後、仕事に没頭し何時しか歳月が流れて40歳を少し過ぎたとき、同郷の先輩でもある秋子さんから、彼が妻と死別して一人で暮らしていると知らされ、お見舞いに訪ねた時を契機に秋子さんの積極的な勧めもあり、自然な流れで彼と結ばれたが、その直後、彼が胃がんを患い、病状と年齢が10歳離れていることや高齢出産となること等、彼の考えを尊重して子もなさず、今日に至っていることが、遂、愚痴とも未練ともつかなく、たまに口に出してしまうことがある。<前編「蒼い影」ヨリ>


 理恵子は、実母を亡くしてから健太郎夫婦の養女となって5年が過ぎ、すっかり山上家の家風に慣れ親しんでおり
 「母さん、また、そのお話なの。お食事中はやめてよ。わたしが傍に居るので何も心配いらないじゃない」
と口を挟み、両親の聞きなれた会話を遮った。
 健太郎は、節子が時折口にする聞き慣れた愚痴混じりの何気ない会話が、最近多くなったとのは、理恵子が期待通りに美容学校を卒業してきて安堵した反面、理恵子の恋人である織田君との関係について一抹の心配もあり、加えて、入れ替わるように勤め先の診療所の美代子のことで、彼女の母親であるキャサリンと老医師から何かと相談を受けることが多くなり、他家のこととはいえ苦労性の彼女なりに精神的に疲れているのかなと日頃気遣っていたところから、彼なりに余計なことを言ってしまったと反射的に思い黙ってしまった。

 節子が、そんなことを話すとき、彼女が意識しているわけでもないのに自然と寂しい表情を漂わせるのか、ポチは決まって彼女の心を読み取り、慰めるかのように、彼女のところに寄り添い、彼女の膝に顎を乗せて、彼女の顔を時々上目で見ては静かにしているので、彼女も、わが子の様にして可愛いがっている。
 理恵子は、そんな和やかな様子を見ていて、その場の雰囲気を和らげる気持ちで
 「この子、母さんの気持ちを本当に判っているんだわ」
と、遠慮気味に養父の健太郎をチラット見てポチの背中をなでていた。
 
 山上家の夕暮れは、理恵子が上京する前と変わりなく、赤々と燃える囲炉裏の炭火同様に暖かく強い絆で結ばれて静かに更けていった。

 

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雪に戯れて (30)

2023年08月03日 04時15分44秒 | Weblog

 大助は、池上線の久が原駅で美代子を見送った後、帰りの道すがら姉の後ろから呟くように
 「昭ちゃんが、待っているだろうからカラオケに寄って行けば」
と話かけたら、珠子は
 「さっきの話は、健ちゃん達に挨拶代わりにしただけで、行く気なんてないわ」
と、つれない返事したあと、肩を落として後ろから歩いてくる弟の気落ちしたようね表情から察して、美代子さんとはどの程度の交際かわからないが、やはり別れは寂しいんだろうなと気遣いながらも、反面、自分が望む奈緒ちゃんのことが気になり
 「それより、あんたこそ、たまに奈緒ちゃんのところに顔を出してあげたら」
 「また、中学と同様に同じ高校に通うんでしょう」
と言って
 「たまにわ、奈緒ちゃんのところで一緒に夕飯を食べて来なさい。奈緒ちゃんも喜ぶと思うわ」
と、夕食代を気前よく渡してくれた。
 彼は「姉ちゃん、今日は気前がいいな」と、冗談交じりに返事をしたが、彼も美代子を見送ったあと心に隙間が空いたように、やるせない気分でいたところ、姉の思いやりに素直に反応して「僕、そうしようかな」と返事をした。 
 珠子にしてみれば、奈緒ちゃんも大助と美代子の交際を気にしているだろうな。と、思ったからである

 大助は、それにしても、健ちゃんから常に聞かされている、姉と昭ちゃんの交際は一体どうなっているんだろうかと、自分達に比べて年長者の交際は、まるで、花火の様に明るく輝いているかと思うと、時には雪山のように冷淡にも見えて、難しいもんだなぁ。と、先を歩く珠子の後姿を見て考えてしまった。 
 それに反して、美代子は情熱的で内面を率直に表現するので、彼は、やっぱり外国人と日本人の生活習慣の違いかなと、おぼろげながらも考えた。
 然し、将来は、互いにそれぞれの道を進むことになろうとも、今は、美代子が逢うたびに自分に対し熱く生きる瞳を輝かせて思いを寄せてくれる心に曳かれ、彼女とともに華の青春を悔いなく過ごそうと思った。

 大助は、健ちゃん達が遊んでいる居酒屋の裏階段を上がり、奈緒ちゃんの部屋の入り口で扉をノックして「大助だ。いたかね」と声をかけると、奈緒ちゃんが
 「アッ! 大ちゃん、一寸、待って。今、服を着替えているので・・」
と返事をしたが、彼は何時も訪ねる都度慣れている調子で、彼女の返事にお構いなく入り口の戸を開いたら、奈緒は「ナニヨ トツゼンキタリシテ」と小さい声で言ったが顔には嬉しさが漂っていた。
 彼女は桜色のドレスを着て髪に花のリボンをつけ、薄く口紅をつけている様に見えた。 
 彼は丸いテーブルの端に胡坐をかいて座ると笑いながら
 「なんだ、急に大人っぽくなり、なにかあったのかい?。そんな イロッポイ 格好をして・・。でも、似合うなぁ」
と言うと、彼女は
 「ナニヨ ソンナフウニ イワナイテヨ゛」「女は、たまには、気分転換でドレスを着てみたいのよ。でも本当にそう見える?」
とドレスの裾を摘んで気取って笑って答えたあと
 「大ちゃんこそ、美代子さんを見送って来て、寂しいんでしょう。 その気持ちよく判るヮ。さっき、健ちゃんから コッソリ 聞いたヮ」
と言って、彼の内心を見透かした様に
 「大ちゃんも、案外、寂しがりやなのネ。 美代ちゃんに振られた訳でもないでしょうに・・」
と、言いながらテーブルを囲んで座ると、艶かしい姿で紅茶を入れ「アノネエ~、ウイスキーをチョット垂らすと美味しいはょ」と、悪戯っぽく微笑みながら、ウイスキー瓶を前にだし
 「健ちゃん達が、店でカラオケを楽しんでいるヮ。 今晩は珠子さんも来るんでしょう?。 昭ちゃんも、今晩は健ちゃんに負けないくらい陽気で、珠子さんが来るのを楽しみにしているヮ」
 「それに、今晩は、たまに来てくれる音楽教室の女の先生も来てくれて、ピアノで伴奏してくれるのョ。 わたしが思うには、片思いかどうか知らないが、彼女は健ちゃんと相思相愛の仲らしいのョ」
 「母さんも、営業時間外だから、貴女も歌って気晴らししなさい。 中学も無事卒業したのだし。と、言ってくれてるし・・」 
 「それに、わたしも、この機会に、気分一新して叶わぬ夢を忘れようと、これから歌うところなの」
と、彼が聞きもしないことを勝手に話していたが、その表情にはなんとなく寂しそうな影を漂わせていた。

 大助は、「叶わぬ夢ってなんだい?。望みが高すぎるでないか」と言った後、奈緒ちゃんを見て妙にセンチになり、彼女に
 「奈緒ちゃん。僕の思い過ごしかもしれないが、健ちゃんから僕のことを、どんな風に聞いたか知らないが、僕は今までと変わらず、これからも奈緒ちゃんと友達でいるつもりだよ」
 「美代ちゃんとは、特に変わったことがあったわけでもないし、君と同じ友達同士だよ」
と無理な作り笑いをして、瞼をせわしげにパチパチして話すと、彼女は
 「大ちゃん、そんなに気を遣ってくれなくてもいいのョ」
 「わたしは、お友達として、これまで通りお付き合いしてくれれば、それで満足だヮ」
と言ったあと
 「大ちゃんとは、小さい時から、一緒に過ごしてきたので、わたしとは別な雰囲気を持った、美代子さんと恋に落ちても、自然の成り行きと思っているヮ。 おおいに青春を楽しんでネ」
と気丈に答えていた。
 
 大助には、それが彼女の本意ではなく、寂しさを堪えて本心を隠している様に聞き取れた。
 彼女は、母親の催促の声に促されて、ドレスの脇を摘んで立ちあがると、振りかえって座っている大助をジ~ット見つめていたが、やがて小さい声で
 「大ちゃんも、店に来て思いっきり歌いなさいョ。 好きな曲を歌っていると気が晴れるヮ」
と言ったあと、続けて小さい声で
 「高校生になったら、大ちゃんに似たような人に恋をするかも知れないヮ」
と言うと、フフッと笑いながらも恥ずかしそうに言い残して店に出ていった。
 
 奈緒の、この一言は、大助にとって夕食を一緒にするために訪れたことをすっかり忘れさせ、心に虚しさだけが残るほど強烈であった。
 大助は、奈緒とは幼いころから顔馴染みで、どんなときでも愚痴や不満を口にしたこともなく、むしろ学校生活や普段の生活で自分に対する好ましくない噂話をソット教えてくれて何度か助けられた事があり、それは美代子とは正反対の控えめであり、彼女ともっと親密に交際すれば、母親や珠子は勿論町内の健ちゃん達からも歓迎されるであろうが、美代子に目を向けている間に、若し奈緒が自分以外の人と恋愛した場合、自分はどうなるだろうかと考えると思考が乱れ、美代子か奈緒かと迷ったが、結局は考えが纏まらないまま、学校の倫理の時間に先生から教えられた”あるがままに”の言葉を思い出し、今迄通り二人と交際してゆこうと自分に言い聞かせた。
 それに、診療所の老先生に対し父親のような親近感を覚え、離れることが辛いとも思った。

 「水森かおり」の大フアンである奈緒は、ピアノの傍らに立つと、伴奏に合わせ伸びのある声で
    ♪ 潮の満干(ミチヒキ) 男と女・・  夢が何処かですれちがう
と『松島紀行』を歌っているうちに、歌詞と心境が重なり、大助の心が自分から遠ざかってゆく寂しさがこみ上げてきて、感情を抑えきれず思わず涙を零したが、聞いていた健ちゃんは、酔いも手伝い
 「その歌は、いまの、俺の心境だッ!」
と声を張り上げ、奈緒からマイクを取ると、何時も歌う、おハコの『蘇州夜曲』の
   ♪ 君が み胸に抱かれて・・ 水の蘇州の花散る夜は・・
とチラッと愛子の顔を見ながら思い入れたっぷりに歌い終わると、続けて昭二は期待に反して顔を見せない珠子とのデートを思い浮かべて
   ♪ 青いホールのシャンデリア 泣いて踊れば黒髪の 悩ましき移り香に・・・
と『丘は花盛り』を歌った。 
 健ちゃんは上機嫌でママさんに
 「たまにわ、ママさんも歌ってくれよ」「今晩は何故か気持ちが落ち着かないんだ」
と無理矢理マイクを押し付けると一同も大きな拍手をしてせきたてるので、ママさんも何時も店に来てくれる人達の手前無碍に断れず、オズオズとピアノの前に立つと「少し古い歌だけど・・」と言って
   ♪ 緑の風におくれ毛が 優しく揺れた恋の夜・・
と、好きだった美空ひばりの『三百六十五夜』を、しんみりと歌った。
 健ちゃんは、ママさんの歌に刺激されたのか、音楽教師の愛子さんに
 「愛子さん、貴女もサービスで何でもよいから、ピアノの弾き語りで歌ってくれないかなぁ」
と催促すると、愛子さんは薄笑いを浮かべて顔の前でダメダメと手を振っていたが、健ちゃんの度重なる催促とママさんの説得で雰囲気から断れないと察するとみるや、少し考えた挙句、故郷にちなんだ曲で、夫を交通事故で亡くしたあと、暫く、故郷の岐阜の実家に形見の娘を連れて帰り、悲嘆にくれて過ごしていた頃、TVで流行していた懐かしいヒット曲を想い出し
  ♪ いつかは二人で くるはずでした 
                 水の都のこの街へ・・・・・
         ”夕焼け雲に立ちどまり そっと 名前を呼んでみた”
と、亡夫を偲びながらも、あわせて奈緒ちゃんの心境を映し出すかのように、水森かおりのヒット曲である『ひとり長良川』を歌うと、皆は初めて聴く愛子さんの情感をこめた歌声に、皆が、それぞれに胸に秘めている思いを歌詞に重ねて、店内の雰囲気が一変して静かになった。

 愛子がこの歌を選んだのは、里帰りしていたとき、4歳になる娘と散歩の途中、公園の丘の上でススキの穂波越に綺麗な夕焼けを見た際、訳もわからず亡夫がむしょうに恋しくなり、思わず娘を抱きしめて泣いてしまったことを咄嗟に思いついたからである。

 カラオケで遊んだ数日後、愛子は娘と共に健ちゃんに夕食に招かれたとき、ふとした話の流れからこの話をしたら、彼は大粒の涙を流し、愛子も攣られて咽び泣いたことがあり、それからは彼女の娘さんは健ちゃんの店に行くと、健太のことを「泣き虫小父さん」と言うようにになって彼を困らせたが、彼にはなつき、時々、散歩に連れて出歩く様になった。 

 奈緒の母親が「二階に大ちゃんがきているゎ」と健ちゃんに耳うちすると、彼は酔いも手伝い荒々しい声でママさんに「俺の命令だと言って、此処に連れて来い」と黒々と光らせた目で言いつけると、傍にいた奈緒が
 「大ちゃんは、そんなことで来た訳でないし、無理を言はないで」
と健ちゃんに言うと、彼は眦を決して頑として奈緒の言うことを聞かず「奈緒っ!それならお前が行って連れて来い」と言うので、奈緒は、母親も「あなたが行って連れてきなさいよ」と言うので、奈緒は仕方なく二階の部屋に行った。
 奈緒が部屋に入ると大助は畳みに寝転びTVを見ていたので、彼女が
 「なにを考えているのよ。クヨクヨしてないで下に来なさいョ」
 「お店も締め切り、健ちゃん達の友達の貸切みたいだし、皆が、あんたを呼んで来いと言って五月蝿く、わたしが幾ら断っても聞いてくれないのよ」
 「愛子さんも気持ちよくピアノを演奏してくれているし、ねぇ~店に降りてきてぇ・・」
と、困った顔つきで彼の手を引張るので、大助も渋々立ちあがって店に顔を出した。

 みんなが拍手して明るく迎えてくれたが、彼は空いている席に座ると、健ちゃんはコップのウイスキーを一気にあおり
 「大助っ!お前と珠子さん姉弟は罪な奴だなぁ」「俺も、ホトホト手を焼いて参ったゎ」
と雰囲気をやぶる様な鋭い声で気合をかけると、奈緒が健ちゃんの胸を軽く押して
 「健ちゃん、彼にそんなことを言うのはわるいゎ」
 「彼に何の落ち度もないのに。健ちゃんの勝手な思い込みよ」
と、いさめたので、健ちゃんは彼女の何処までも自分の心を隠して大助を庇うその態度に、益々、奈緒が愛おしくなり黙ってしまった。
 健ちゃんは、気持ちが晴れないのか、皆が押し留めるのも構わず、大助に対し
 「大助っ! お前もなんでもよいから一曲歌え。皆も歌っているんだ」
と、彼の腕を取ってピアノの前に連れて行ったので、その勢いに皆が呆気にとられていたが、大助は健ちゃんの剣幕に圧倒されて覚悟すると、以前、カラオケ喫茶で奈緒ちゃんと二人で歌った曲を思い出し
  ♪ 父も夢見た 母も見た 旅路の果ての その果ての・・
と、いまや国民的歌謡曲となっている『青い山脈』を張りのある声で歌うと、奈緒も彼の傍に行き二人は楽しそうに歌いだし、皆も軽快なメロデーに乗って一緒に歌い、健ちゃんは大喜びで手拍子をうって大声で歌っていた。

 健ちゃんの機嫌が直ったところで、すかさず昭二は健太に「健ちゃん、今晩は少し酔いすぎだよ」と言うと、ママさんも昭ちゃんにあわせて
 「折角、愛子さんも来てくれているのに、人のことより自分のことに心を砕きなさいよ」
 「まさか、わたしが、健太さんの代わりに愛の告白なんて出来る訳ないし・・」
と笑いながら話すと、普段、剛毅な彼も急に肩を落とし、自分の心境と奈緒の胸中を重ね合わせて、腕を組み目を潤ませていた。
 奈緒の母親も、離婚後、父親のいない寂しさに耐えて素直に育ってくれた娘の奈緒が、一層愛おしくなりハンカチで目頭を押さえていた。

 大助と、美代子や奈緒の中学の春は、悲喜織り交ぜた蒼い恋の想い出が三人の脳裏に「美しき暦」となって刻まれ、それぞれの心を彩り、足早に過ぎていった。 (了)
                                             
                                                            続編 「山と河にて」
                            
  
 

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