自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

モラ(父)の目にも涙

2021-12-16 16:25:00 | 父親
葬儀の打ち合わせはモラとポチ(父と弟)で行ったようだった。

いちいち、ポチがわたしの部屋に「花は白でいいんだよね?」
「食事の用意はこれくらい?」と、聞きにくるのでうざかった。


自分達で決めろや。長男くん。

その日はなんとなく家にいたのだけど、さすがのモラ(父)も、お寿司をとってくれて、ビールを買ってきてくれた。

この人と飲みたくないな、、、と思ったが、飲まない、食べないとなるとまた何を言われるかわからないので、だまって食べる。

その食事の時、母の話をしていて、モラは一瞬、ウワッと泣き出してしまいそうな様子を見せた瞬間があった。

あれもあの人の一部なのだと心から信じたい。
それ以降、彼は一切の涙も見せなかった。

泣いてしまえばいいのに。
感情をコントロールすること方向性が間違っている、、、、、

どうやらモラの関心ごとはたった一つの様だった。
母の病気は、感染による病気(乳児期の親子感染が最も多く、そのほかは性交渉などによって感染する場合もある)で、モラは母が誰かも浮気をしていたのではないか?と疑っているようだった。

関心ごとがズレすぎである。

そして、しつこい。
知ってたって口が裂けても本当のことなんて言うもんか。


モラ行為、スターティン!

2021-12-16 10:18:00 | 父親
始発で地方都市から帰ってきたモラ(父)

おじたちに挨拶をするでもなく、葬儀屋に出かけていった。

葬儀屋さんは母を冷凍庫に保管してくれているだけで、本来面会はできないのだけど、特別に葬儀の前に一回だけなら、、、と会わせてもらえたようだ。

とても暑い夏だった。
お家に連れて帰ってくるとしたら、エレベーターの奥を鍵をもらって開けなくちゃならないし、管理事務所はお盆休みでもあったから、連れて帰らなかった。

ほどなくして、おじたちは一旦帰り、モラと二人きりになる。

「飯は?」

なぜ、わたしがあなたのご飯を用意しなくてはならないのか?自分のことは自分でやれよ、、、、

幸い、おじたちに朝ごはんをたべさせていたのでその残りを出す。
モヤモヤモヤモヤ。

子供の頃から、とんちんかんな親を見て育ってきたので、わたしはずっと、自分は

『強くて優しい人になりたい』と思っていた。
偽りの優しさや、弱いから優しそうに見える人ではなく、強くて優しい人でありたいと思って生きてきた。

そんなわたしは、どちらかというと、言われなくてもこんな時は、出来るならご飯をつくっておいてあげたいタイプの人間だ。

父がこんな人じゃなかったら、母があんな人じゃなかったら、彼らを普通に優しくねぎらい、尊敬し、もっと家族仲良く暮らしていたと思う。

優しさはいつも彼らの餌食になった。

モラは、犬が餌を食べるように、行儀悪くご飯を食べると、葬儀屋との打ち合わせの準備に入った。

午後、葬儀屋さんが来てくれて、葬儀の打ち合わせをする。

何も決められないモラ。
お花を選ぶときに、わたしは言った。

「全て白い花でお願いします」

母をお手軽パックの菊で送るのは絶対に嫌だった。

「こんな祭壇もありますよ」と、向こうも商売だから、フラワーアレンジメントの立派な祭壇を勧めてくる。

「いや、こんなのはいらないのです。とにかく、使うお花を供花も含めて、全て白にして欲しいんです」

という話をする。

モラは黙っていた。

が、、、、もろもろ打ち合わせを終えて、葬儀屋が帰った瞬間モラ発動である。

我慢できなかったか!

「花、、白にすると追加料金かかるだろ。やめてくれない?」

「は?さっき葬儀屋さんの前でいえばいいじゃん」

「電話してことわってよ」

「なぜ?大した差じゃないよね?お花くらいすてきなお花に囲まれて送ってあげなよ」

「うちには金がないんだよ」

うそつけ!社長!

わたしは、
「もう、知らない。好きにしなよ。あんたの奥さんなんだから」

と、家を出た。


母の葬儀の準備

2021-12-15 12:07:00 | 父親
明け方、車でかけつけてきてくれたおじとおば。

「偉かったね。大変だったね」の言葉をかけてもらう。

二人に朝ごはんを作り、わたしは仮眠をとらせてもらう。

ほどなくして、モラ(父)登場である。
この時点でわたしは、まだ、父親が単なるモラハラ男であることには気づいていない。

ただ、母の最期の時期、仕事を理由に全く寄り添わなかったことに大きな疑問を持っていただけだった。

モラ(父)は、もちろん、わたしに労いの言葉をかけるわけもなく、いきりたった様子。
おじたちがいて本当によかった。

おばは雰囲気を察して帰る準備を始める。
午後には葬儀屋さんがきて、打ち合わせがある。

あなたは初めて妻を亡くしたかもしれないが、わたしもたった一人の母親を亡くしたばかりなんだけどね、、、、

自分のことしか考えない。自分が一番偉い。自分が一番かわいそう。
身勝手で、自分のご機嫌を自分でとることもできないどうしようもない男。

この男の本性はこのあと、なぜ今まできづかなかったのだ、、、と思うほどぼろぼろと出てくるのであった。


祖父の葬儀の時

2021-12-15 10:18:00 | 父親
時間は少し前に戻るが、祖父の葬儀の時も一悶着あった。

はじめての喪主で、気が張り詰めていたのではあると思うが、お通夜が終わり、祖父母の家(モラハラ父の実家)にみんなで戻ってきてお酒を飲んでいた。

みんな、近くのホテルをとっていたので、泊まるのはホテルなのだけど、なんとなく懐かしい祖父母の家で従兄弟たちと談笑していると、隣の部屋で御香典の整理をしていたおじとモラハラ父が大げんか。

とばっちりは私たちにも来て、「酒なんか飲んでんじゃねえ」と怒鳴られたので早々に解散。
ホテルに逃げ帰った。

おばは、この時のできごとから、父には寄り付かなくなった。



離婚したくてもできなかった

2021-12-03 14:21:00 | 父親
幼馴染のお母さんのところに行くと、小さい頃と同じようにご飯をつくってくれて、

すこしでもいいから食べなさい。と。

大丈夫よ。きっとよくなるわ。と。

そして、
「こんな時にお父さんどうしたの?」

わたしは涙が止まりません。

そうだよ、、、、
普通、お父さんつきそうでしょうよ、、、、

母が、単身赴任の父が上京するとき、いつも憂鬱だったこと
小さい頃から警察沙汰になったり学校によびだされてばかりで弟にふりまわされてうんざりしてたこと

結婚してからも弟夫婦がもめると夜中にすっ飛んで行かざるを得なかったこと、お父さんと離婚したいのに経済的な理由で離婚できなかったことなどを教えてくれました。

ああ、そうだったのか、、、、、
弟夫婦のいざこざに関しては父にも内緒
わたしにもばれないようにふるまっていたから、わたしに

「弟ばっかり優遇されてる」と言われても何も言えなかったのか。

もっとうまいやり方あっただろうよ、、、

でも、、ひとりでかぶってストレス抱えて、、、、

それなのに、、、それなのにわたしは
父が上京するのはたまになんだからその時くらいきぶんよくさせてあげればあとは自由にしてられるのにと母に怒ってました。

母からしたら、わたしは何もわかってくれない娘。憎しみの対象であたりまえじゃないか。

わたしは、父と弟と共謀してわたしを蔑んで笑ってる毒母だと思っていました。

毒母だったことに変わりはないのですが、、、、


話してくれればよかったのに。
人生は一回きりなのに。

父は手をあげることはなかったけど、物を投げたり大声をあげたり、家庭内暴力に準ずることをお酒を飲むと繰り返しやるようになりました。

そのとき、とっさにわたしに罪をなすりつけて逃げる狡い母でしたが、わたしは何度か母に言ったことがありました。

引退してずっと家にいるようになったら、かならず暴力をふるわれる。
離婚しても十分やっていけるだけのお金はもらえるから、離婚したほうがいい。

と。

でも、孫かわいさ、息子かわいさに決断できなかった母。

相談してくれたら、いくらでも知恵を貸してあげたのに。

相談してくれたら、一緒に問題に立ち向かってあげたかった。

ま、死後、その時のわたしの気持ちは全く無駄だった、母は心からわたしを憎んでいたことを気付かされるのですが。苦笑