自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

モラハラは遺伝する

2022-05-18 13:52:00 | モラハラ
とりあえず、事実確認をしたかったので、納骨の日、お墓から駐車場に歩くわずかな時間、弟のお嫁さんに話しかけた。

「ねぇ、変なこと聞くけど、もし違ってたらごめんね。あいつ、家で暴れたり、理不尽なこと言ってきたりしない?」と。

お嫁さんは、待ってました!とばかりに、
「すごいんですよ、、、どうしてあんな風に感情をすぐ爆発させるのか理解できない」と。

やっぱりね。

わたしたちはささっと連絡先を交換して(もちろん内緒。今も内緒にしてる)、後日会うことを約束しました。

お嫁ちゃんと連絡先を交換するのでさえ、こそこそしないといけないこの異常さ。

以前から書いていますが、弟が結婚してからずっと、お嫁ちゃんとは交流できないように仕組まれてきました。
わざとやっているわけではなかったかもしれないけれど、弟家族が家に遊びに来る日に、家にいないでくれとその日の朝に言われたり、逆に突然弟の家族が来るから家にいろと言われたり。

こちらにも都合があるので、断ると親戚中に
「お嫁さんをいじめてる」と吹聴する始末。

わたしは初期段階からわかっていました。
家族の歪みを私によって暴かれ、あやめちゃんにバレるのを本能で恐れているからわたしわ会わせたくなかったんだと思う。

実際、子供たちにいろいろプレゼントしてもお嫁ちゃんからお礼を言われることは一切なく、常識ないなと思っていましたが、わたしに伝わっていなかっただけでした。

さりげなく、さりげなく、無意識に遠ざけるのです。

行っている理不尽が狭い空間でしか通用しない理論だと、どこかでわかっているからそうするんだと、後にカウンセラーさんに言われました。

はぁ、、、、、
とんでもない遺伝子が受け継がれたもんです。

わたしも、時々、自分の考え方はモラハラじみているなぁと感じる時があります。
よく考えて生きているから、大きな問題にはなっていないけれど、なんとかこれを排除したいなあと心から思います。
カウンセリングも受けて、残りの人生は穏やかにやさしく、生きたいものです。

お嫁ちゃんから聞いた、弟の恐ろしい生態はまた今度。



他人が「あなたのお父さんはモラハラの加害者だよ」と教えてくれた

2022-05-12 20:10:00 | モラハラ
長く間があいて、申し訳ございません。

モラが、引退して地方からこちらに帰ってくるということで、いろいろ対策を講じていました。
※現在は、わたしはとっくに逃げ出しておりますが、コロナ禍で上京することがほとんどなかったため、住んでいるかのように振る舞っています。といっても郵便物を転送するくらいですが。
これらについては後ほど、身も凍るような経験の数々を書いていきたいと思います。


さて、話は、「うちはモラハラ家庭だったんだ・・・」と気付かされた日に戻ります。

これまでいろんなセラピーなどを受け、親との関係を何とか修復する努力を重ねてきていたわたし。
何のことはない。

「モラハラ一家」ってだけの話だった。分かり合えるわけもない。

しかも、「あなた、ヘラヘラ笑ってるけど、あなたの親、、相当やっかいだよ、早く家をでたほうがいい」と、怖い顔でカウンセラーさんはおっしゃるのです。

警察に相談に行くこと

とにかく、引っ越すこと!
(でも、引っ越すことが絶対にバレないように作業を行うこと!!)
⭐︎異様に勘がいいのがモラの特徴。
目を見ただけで隠し事があることや、何かを企てていることに勘付かれるから気をつけろ。と。

できれば、この先数回は引っ越しを繰り返して父親とも弟とも縁を切ること!

弟のところの子供たちを、わたしは我が子のようにかわいがっているため、これには、参りました。😭
離れたくない、、、、😭

それをいうと、カウンセラーさんは

「そんな悠長なこと、言ってられないよ。あなたのところ、弟さん夫婦は大丈夫なの?何か聞いてない?弟もお父さんと同じことしてないかな?」と。

「!!!!!!!」
わたしは、ピンときました。

過去のぐるぐるしていたいろんなモヤモヤが一気に晴れていくように、理不尽な出来事がカチっ
カチっ
と、音を立ててはまり始め、わたしは悪くなかったではないか!!
と、初めて認識できたのでした。

まだ、義妹に聞いてみないと、弟がそうかどうかはわからないけれど、絶対に義妹はモラハラに悩んでいると私は確信しました。

そこで、わたしは、まず事実確認から始めることにしたのです。

しかし、、、義妹の連絡先はわからないし、母の携帯をのぞけば電話番号くらいわかるだろうけれど、突然知らない番号からかかってきても困るだろうし、万が一弟との仲がうちの両親が語っていたように、円満で、素晴らしい夫婦だったらどうしたものか、、、、、

わたしは、1ヶ月後納骨の日を粛々と待ちました。