自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

亡くなってからのこと

2021-12-14 16:33:00 | 母親
弟が到着すると、件のへらへらしたブスな医者が、ヘラヘラ笑いながらやってきて、
死亡宣告をした。

本当にへらへら笑っていて、ぶっとばひてやりたくなった。
「○月○日、、あれ?△日か、、あはははは」
看護師は気まずそうに愛想笑いを浮かべて医者に合わせていた。

こんな、こんな人の命の重さを、かけらも大事に思えないような医者、、、、、、
かろうじて、「お世話になりました」とご挨拶したけど、言いたくなかった。

いつも、酷かった。
その人には子供がいると聞いていて、こんな人に育てられる子供ってどんなふうにそだつんだろう?ってかなしくなったりもした。



死亡宣告をされると、「さぁ出て行って」モードがすごい。

病院の葬儀屋はマージンとられて癪だから、自分達で手配をする。

っていっても電話一本かけるだけだから。

ありがたいことに、葬儀屋さんっていうのは、24時間対応していただける。

そして、大切な方々には電話で手短にお知らせを。
なんて、辛い役目なんだ、、、、😭

母の着替えを取りに帰り、きれいにメイクをして葬儀屋さんの到着を待つ。
随分急かされたような気もするけど、着替えを取りに行って、着替えさせてもらってめいくまでしているのだから、それなりにゆっくりお支度させてもらったんだよなぁ、、、、、


葬儀屋さんが迎えにきてくれて、打ち合わせのために母と共に葬儀屋さんに向かう。

午前3:00、、、、、、

暗い霊安室からこんな道あったのね、、、って裏道を通って大学病院を出る。
わたしは決してこの病院にはお世話になるまいと心に誓う。

こんなにわかりやすく論文だけ書いて患者の命なんてどうでもいいであろう医者は初めてだった。

セカンドオピニオン、明日だったのに、、、

もっと早く別のお医者様にみせていたら、、、

救急車に遭遇するたびに、助かりますように、間に合いますようにと願っていたのに、、、、

「たられば」があふれてくるけど、これが母の寿命。

へとへとになって明け方帰宅し、仮眠をとる。母は葬儀屋で預かってもらった。
なんとなく、その方が良い気がした。出棺で誰かに出くわしたりするのも嫌だろうなと思ったから。

そして、、、、
程なくしてモンスター帰京である。


母の臨終

2021-12-11 11:51:00 | 母親
病院から電話があり、血圧が下がってきているので今夜が山です。
付き添われるなら付き添ってください。と。

急いで、お会計をして、タクシーを拾おうとしていると、また入電

急いでください。と。

タクシーの中から弟に連絡して、向かってもらう。

病院に着くと救急の入口から、急患の間を走り抜けて病室に急ぐ。
「あぁ、テレビや映画でよく見かけるシーンだけどこうやって本当に走るもんなんだなぁ、、、、」とぼんやり思った。

走っても走ってもなかなか病室に辿り着かない。
真っ暗な病院が怖いとか、不気味だとかは全く思わず、ただ全力で走った。

早く着きたいような、着きたくないような。

到着すると、すでに波形は心停止を指していた。死亡宣告には弟の到着を待つ。

その間、父に電話をかけ、スピーカーホンにして母に言葉をかけてくれと頼んだ(生きてる設定で)

わたしは、驚いた。涙がひっこむほど驚いた。

「お母さん、おい、聞いてるのかこのやろう!許さねーぞ。おい、行くんじゃないよ
てめえこのやろう。しぬんじゃねぇ!
おい、このやろう。ふざけんじゃねーぞ。ばかやろう」

臨終の際に、混乱からだとしてもこんな言葉をかけられて終わる人生ってなんなんだろう。
わたしは、たとえどんなに愛されてても絶対に嫌だ。不愉快だった。
看護師も本気で怯えていた。

リリーフランキー原作の『東京タワー』のおとんみたいな人だったら、
これも愛情の裏返しみたいな気持ちになれたかもわからないが、父のその言葉は身勝手で、自分のことしか考えていないわがままなモラハラ男そのものだった。
わたしは絶対に母に聞かせたくなくて、スピーカーをオフにして母にお疲れ様を。

本当にお疲れ様。
綺麗に旅立とうね。






母、いよいよ、、、、、

2021-12-10 09:47:00 | 母親
その日は午前中どうしても外せない仕事があり、朝早く病院に顔を出した後、出社して昼過ぎに戻ってきて病室に詰めていた。

呼吸が荒くて、なんだか苦しそう。
夕方、バカ教授の回診。

本当にゾロゾロ引き連れて回診するのね。バカみたい。

私が患者だったら、絶対にこいつにはみてもらいたく無い、、、、という清潔感ゼロのエロジジイのような教授。
出世のことだけ考えて生きてきたんだろう。すぐ隣には絶世の美女。

ドラマかよ!

「呼吸が荒いようなんですが、、、、」と聞くと

「全然大丈夫ですよ」
と、20秒くらいで、部屋を出ていった。

その日、わたしは不思議な現象を目撃していて、午後病室に行った時から、母が小刻みに震えていたのだけど、担当医に聞いても「そうですか?」

わたしがつかれてたのかなーと思ったけど、確実に揺れてたんだよな。

結局、昏睡状態になってからは輸血と栄養剤の点滴だけで何の処置もしてもらえず、、、
葡萄糖液の影響もあったむくみで身体がパンパンになって顔からは一切のシワもなくなり、母はすでに別人のようだった。

むくみ始めてから、昨日講習を受けてきたから、指輪をはずしてみましょう!と丁寧にパンパンの指から指輪をはずしてくれた看護師さんとか、必ず、こんな反応がありましたよ!と報告してくれる看護師さん。

父にモラハラをうけていることに気づいて励ましてくれた看護師さん。

みなさん、本当によくしてくれて、感謝しかないけど、医者に関してはだめだ。論文のモルモットとしかみていない。
いつか、私が、倒れても絶対にあそこに運んで欲しく無い。

そして、夜、一旦帰宅し、友人のお誕生日のお祝いをしていたら病院から電話が。

母、昏睡状態に

2021-12-07 14:55:00 | 母親
入院していた母は昏睡状態に入り、病院からは家族の誰かが病室に必ず付き添うように言われた。

父は仕事があるからと上京せず。
弟は2回会社帰りに見舞ったが、あとはわたしが病室に詰めていた。

母が好きだった韓国ドラマを耳元で再生し、何度も話しかける。

1日の終わりに、弟と父にその日の様子を報告して帰宅。そして、朝はまた病院に向かい1日を病室で過ごす。

母の大切なお友達たちには、私から連絡をして、お見舞いに来てもらったりもした。

その報告をすると
「なんで?」なんでってなんで????
韓国ドラマのくだりも
「そんなみっともないことしないで」

なぜ???個室だよ???

この男はネジがぶっ飛んでるどころの騒ぎじゃない。
自分が弱り、痩せてしまったとアピールするだけアピールして、子供たちの気持ちをおもいやることもできない、妻のそばにいてやらないどころか、妻の好きなことにも無関心。妻の大切な交友関係すらもまるで無視。
そばにいてやれないことを詫びるどころか、俺は社長だから当たり前だとのたまう。
一体この男はなんなんだ???

こんな男となんで結婚しちゃったの?
なんで離婚しなかったの?

馬鹿じゃないの!?ほんとに馬鹿だよ。

母は、父に手なんぞ握ってほしいとも思っていなかったと思うけど、
人生で一番心細く大変な時にそばにいてくれない、、やさしいことばのひとつもかけてくれないこんな男となぜ生活を続けていたのか?


夜中に血を吐いたりもしたため、父と母方の親戚に連絡をして、来てもらうことにした。

もちろんわたしは病室にはいけない。また何を怒鳴られるかわからない。
もうじゅうぶんははのそばにいたからわたしは別に構わなかった。

でも、、、、

親戚の前では、わたしは母を放置して男とほっつき歩いているろくでなしと認定されて父は被害者面をする。

親戚の中で、一人だけ、本当のことをわかってくれていたおばがいたのは救いだった。

みんなが遠路はるばる会いに来てくれたのもありがたかった。

みんなが集まっていよいよ覚悟をきめたけど、そこからも、意識はもどらないものの小康状態を保った。

もう、いつ何があってもおかしくなかった。あと少しでセカンドオピニオン。おねがい!頑張って!!


母にもしものことがあった場合の意思決定

2021-12-01 18:31:00 | 母親
病院側から、延命措置などについての意思決定を迫られました。

血液内科の病気なので、延命措置をして血が止まらなくなってしまったりする可能性があることなどから、何かあっても何もしないでという父の命令通りとなりました。

母は、目を覚ましません。

でも、この時間がわたしにはよかったです。きっと母にも全部聞こえていたと思います。
たくさん今までのこと、辛かったことも楽しかったことも感謝も全部全部きちんと母に聞いてもらえました。

返事はなかったけど、きっと伝わったと思っています。

病室で母と話していたら、母のスマホに入電が。
幼馴染のお母さんでした。
わたしはすがる思いでその電話に出て、状況を説明すると、たまたまおうちが病院から歩いてすぐのところだったので、ちょっとうちにおいでとわたしを呼んでくれました。

母は、たくさん友人がいましたが、おそらく、本当に心を開いていたのはごくわずかな人だけで、特に、このときわたしを呼んでくれたおばさまは、母から何もかも聞いていた人でした。

ブログの最初の方で書いた、母の家出事件の時、母はこのおばさまのところに身を寄せていたようでした。

そこでわたしは、父に病室でされたこと、いわれたことをぶちまけさせてもらうと、おばさまから、母に関してさまざまな知らなかった事実を知ることになるのです。