父の弟夫婦(おじとおば)に、お墓のことを相談すると、おじがやんわりと父にお墓の事を話してくれた。
直近最後に亡くなった祖母の納骨の時、もうお墓にはお骨を入れるスペースがなくて押し込んだ覚えがあるけど、どうするの?新しく田舎に建てるの?
的な嘘をついてくれた。
ちなみに、モラの弟(おじ)はとても優しくて、親戚もご近所さんもみんな、おじのことを口々に
「昔から優しい男だった」
と、いう。
晩年、祖父が施設に入り祖母が一人暮らしになると、モラは、本当によく祖母の元に通って様子を見ていた。
モラなりに母親を大切にしているつもりだったのだろう。
でも、祖母は
「やっと、やかましいじいさんがいなくなったのに、今度は息子がギャアギャアうるさくて、煩わしい」と言っていた。
そう。モラ父の父親、、つまりらわたしの祖父も立派なモラハラじいさんであった。
祖母はいつも、顎で使われ、何かと大声で怒鳴られていた。
そして、たまにしか顔を出さないおじばかりに頼り、病院に行くとか、どこかにお使いに行くとかいう用事はきまっておじと出掛けていたようだ。
そう。だれだって、わあわあ文句言われながら生きていたくなんてない。
おだやかなおじとでかけるほうが、どれだけ心が安らぐことか。
※おじは、とても、やさしくて紳士だが、お酒が入りすぎるとモラ傾向あり
そのことも、また、モラ(父)の心を逆撫でしていたのだろう。
こんなにしてるのに、評価されない!
自分を省みる方向性が間違っているから、一生答えに辿り着けず、鬱憤ばかり溜まっていくのだ。
おじの、「お骨をいれるスペースがない」は結構効いた。本当に感謝。
だって、「すきまがないから、骨をつぶしながらぐしゃっとしていれた」とまで言ってくれたんだから。
おばは、「とにかく、単身赴任先に帰るまで二人きりになってはいけない。逃げなさい。そのまま、もう、彼と暮らしなさい。この家は捨てなさい」
とまで言ってくれた。
おばもまた、この家系の小さな被害者なのだもの。
葬儀が終わると、全ての残務をわたしにほっぽり投げて、モラは単身赴任先に帰って行った。
わたしは、葬儀が終わったあしで、予定が空いていた友達たちと、車であてのない旅に出た。
みんなが、家の前に待機してくれていて、とりあえず1週間分の身の回りのものを詰め込んで、それをバケツリレーのようにそっと車にはこび、ひっそりと家を出て、旅に出た。
今思い返しても、本当に良い旅だった。
旅から戻ると、汚い字の果し状のような置き手紙
ここから、完全にモラの対象がわたしにスライドしたようだった。
でも、この時点でもわたしは、まだ父に対して
「母を亡くしてつらいんだな。早く立ち直ってほしいな」
という気持ちでいた。
お通夜の晩に「再婚してもお母さんのことは一生好きだな」
なんて無神経なことをつぶやくこの男のことを。
その歳で、しかもそのタイミングで、再婚のことを考えるとは恐るべし。